雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

未熟

2017-12-16 01:19:29 | セツナイ
ノーベル平和賞を団体受賞したサーロー節子さんが、
先日開かれた同賞の記念講演でスピーチをしていました。
様々なニュースでも取り上げられていたので
目にした人も多いと思いますが、
備忘録的な意味あいも含めて、
その内容を以下に記し残しておこうかと。

ソースは「朝日新聞デジタル」さん。
長いスピーチ文なので少々「略」を入れさせてもらっていますが、
全文を読みたい方はネット検索をすれば
アチコチから沢山出て来るとも思います。
なので、そこは何卒のご容赦を。

痛みと、希望と、絶望と、やるせなさと......切なる願いと。
諦めない闘志と。

通常、ノーベル賞のスピーチともなると、
喜びと感謝に満ちていることが多いのですが......
今回の節子さんのスピーチからは、
そんなこととは違ったものを感じられ。
僕の中に強く残ってもいるのです。



=================================
——————(前略)

私は、
広島と長崎の原爆投下から生き延びた被爆者の一人としてお話をします。

——————(中略)

私たちは、被害者であることに甘んじていられません。
私たちは、世界が大爆発して終わることも、
緩慢に毒に侵されていくことも受け入れません。
私たちは、
大国と呼ばれる国々が私たちを核の夕暮れからさらに核の深夜へと
無謀にも導いていこうとする中で、
恐れの中でただ無為に座していることを拒みます。
私たちは立ち上がったのです。
私たちは、私たちが生きる物語を語り始めました。
核兵器と人類は共存できない、と。

今日、私は皆さんに、この会場において、
広島と長崎で非業の死を遂げた
全ての人々の存在を感じていただきたいと思います。
皆さんに、私たちの上に、そして私たちのまわりに、
25万人の魂の大きな固まりを感じ取っていただきたいと思います。
その一人ひとりには名前がありました。
一人ひとりが、誰かに愛されていました。
彼らの死を無駄にしてはなりません。
米国が最初の核兵器を私の暮らす広島の街に落としたとき、
私は13歳でした。
私はその朝のことを覚えています。
8時15分、私は目をくらます青白い閃光(せんこう)を見ました。
私は、宙に浮く感じがしたのを覚えています。
静寂と暗闇の中で意識が戻ったとき、私は、
自分が壊れた建物の下で
身動きがとれなくなっていることに気がつきました。
私は死に直面していることがわかりました。
私の同級生たちが

「お母さん、助けて。神様、助けてください」

と、かすれる声で叫んでいるのが聞こえ始めました。
そのとき突然、
私の左肩を触る手があることに気がつきました。
その人は

「あきらめるな!(がれきを)押し続けろ!蹴り続けろ!
あなたを助けてあげるから。
あの隙間から光が入ってくるのが見えるだろう?
そこに向かって、なるべく早く、はって行きなさい」

と言うのです。
私がそこからはい出てみると、崩壊した建物は燃えていました。
その建物の中にいた私の同級生のほとんどは、
生きたまま焼き殺されていきました。
私の周囲全体にはひどい、想像を超えた廃虚がありました。

幽霊のような姿の人たちが、
足を引きずりながら行列をなして歩いていきました。
恐ろしいまでに傷ついた人々は、
血を流し、やけどを負い、黒こげになり、
膨れあがっていました。
体の一部を失った人たち。
肉や皮が体から垂れ下がっている人たち。
飛び出た眼球を手に持っている人たち。
おなかが裂けて開き、
腸が飛び出て垂れ下がっている人たち。
人体の焼ける悪臭が、
そこら中に蔓延(まんえん)していました。
このように、
一発の爆弾で私が愛した街は完全に破壊されました。
住民のほとんどは一般市民でしたが、
彼らは燃えて灰と化し、蒸発し、黒こげの炭となりました。
その中には、私の家族や、351人の同級生もいました。
その後、数週間、数カ月、数年にわたり、
何千人もの人たちが、放射線の遅発的な影響によって、
次々と不可解な形で亡くなっていきました。
今日なお、放射線は被爆者たちの命を奪っています。

広島について思い出すとき、
私の頭に最初に浮かぶのは4歳のおい、英治です。
彼の小さな体は、
何者か判別もできない溶けた肉の塊に変わってしまいました。
彼はかすれた声で水を求め続けていましたが、
息を引き取り、苦しみから解放されました。
私にとって彼は、
世界で今まさに核兵器によって脅されている
すべての罪のない子どもたちを代表しています。
毎日、毎秒、核兵器は、私たちの愛するすべての人を、
私たちの親しむすべての物を、危機にさらしています。
私たちは、この異常さをこれ以上、許していてはなりません。
私たち被爆者は、苦しみと生き残るための真の闘いを通じて、
灰の中から生き返るために、
この世に終わりをもたらす核兵器について
世界に警告しなければならないと確信しました。
くり返し、私たちは証言をしてきました。
それにもかかわらず、
広島と長崎の残虐行為を戦争犯罪と認めない人たちがいます。
彼らは、これは「正義の戦争」を終わらせた
「よい爆弾」だったというプロパガンダを受け入れています。
この神話こそが、
今日まで続く悲惨な核軍備競争を導いているのです。

9カ国は、都市全体を燃やし尽くし、地球上の生命を破壊し、
この美しい世界を将来世代が暮らしていけないものにすると
脅し続けています。
核兵器の開発は、
国家の偉大さが高まることを表すものではなく、
国家が暗黒のふちへと堕落することを表しています。
核兵器は必要悪ではなく、絶対悪です。

———————(中略)

核武装国の政府の皆さんに、そして、
「核の傘」なるものの下で共犯者となっている国々の
政府の皆さんに申し上げたい。
私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。
そうすれば、必ずや、
あなたたちは行動することになることを知るでしょう。
あなたたちは皆、人類を危機にさらしている
暴力システムに欠かせない一部分なのです。
私たちは皆、悪の凡庸さに気づかなければなりません。

世界のすべての国の大統領や首相たちに懇願します。
核兵器禁止条約に参加し、
核による絶滅の脅威を永遠に除去してください。

私は13歳の少女だったときに、
くすぶるがれきの中に捕らえられながら、
前に進み続け、光に向かって動き続けました。
そして生き残りました。
今、私たちの光は核兵器禁止条約です。
この会場にいるすべての皆さんと、
これを聞いている世界中のすべての皆さんに対して、
広島の廃虚の中で私が聞いた言葉をくり返したいと思います。

「あきらめるな!(がれきを)押し続けろ!動き続けろ!
光が見えるだろう?そこに向かってはって行け」

今夜、私たちがオスロの街をたいまつをともして行進するにあたり、
核の恐怖の闇夜からお互いを救い出しましょう。
どのような障害に直面しようとも、私たちは動き続け、
前に進み続け、
この光を分かち合い続けます。
この光は、
この一つの尊い世界が生き続けるための私たちの情熱であり、
誓いなのです。
=================================



核兵器はこの惑星の弱さの象徴の様でもあり。
国家があるのは搾取のためかと思う様なこともあり。
宗教が無くならないのは、貧困が無くならないことの表れの様で、
そんな貧困とは、
必ずしも「富」の相対的概念だけを指すのではないと思うわけで。

全ては、
知的生命体に付随する精神というものの未熟さ故のことなのか?

サーローさんの言葉に、
そんな由無し事が僕の中に浮かんでは消えていきます。

そして、どういうわけか?
「全体責任」という言葉がヒタヒタと僕を追い詰めても来るのです。

そうして僕は———息が詰まってしまうのです。

息が詰まると、
また全てを他人事のように思う自分が現れてきて。
こんなこと、目前の生活には全く関係の無いことなのだ、と。
影響など殆ど無いことなのだ、と。
そんな自分に変わり流れてもいって。

そうして僕は、また息を吹き返すのです。

しかし、
せっかく吹き返した息の中には
汚れの様なものがこびりついていて。

「お前は善人のふりをして、上手くやり過ごしていくのか?」
「何かを殺しながら生きるのか?」
「迷子と知りながら歩くのか?」

そんな汚れは落とそうにもなかなか落ちてはくれなくて。
やがて、
息をする度に苦しさみたいなものが紛れ込んでもきて。

本当は、

本当は、

本当は、

「......お前に真の痛みなどあるのか?わかるのか?」

お前は、お前に出来ることをちゃんとやっているのか?

いつか誰かに言われたそんな言葉が、

再び僕の心を巡り出すのです。



光、あれ。



闇よ、生め。



光と闇と。闇と光と。

光とは、闇の中で輝き。

闇とは、光の内にあるようで。


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コメント (11)
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