雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

道ありき

2015-06-26 22:15:53 | セツナイ
「時代がね。。」
そんな時代ですよねー。
「激変ですよ、もう。時代が。。」

怒涛の打ち合わせウィークをこなして、
今日はちょいとぐったりモードの僕ちんさん。
そんな週に僕の前を最も多く飛び交っていたフレーズというのが「時代」だった感じで。
なんだか今週は妙に沢山聞きましたの。この言葉。

今更の!?
いつもの!?

という感じの言葉だとも思いますが、そんな「時代」という言葉を聞きながら、
僕には幾つか頭に思い浮かんでいたモノというのがあって、
ソレは今週に限って、何故だか?有名なあの曲、この曲......ナドではなく、
ある小説の「冒頭部分」でした。
その小説というのが三浦綾子さんの「道ありき」。
いわゆる「名作」と呼ばれるモノでしょうか。



「箱庭の夢は微塵に砕けたり」

......そんな感じで始まるこの小説の冒頭部分は、
この作品に対する僕の印象を決定づけた大切な部分ではありますが......
折角なので、
ダイジェストした原文をココにチョコっと書き置いておこうかと思います。
以下、お時間ある方はどぞどぞ。
雨の夜に、よしなに。よしなに。(^^)



==================================
わたしは、小学校教員生活七年目に敗戦にあった。
わずかこの一行で語ることのできるこの事実が、
どんなに日本人にとっては勿論、わたしの生涯にとっても、
大きな出来事であったことだろう。

七年間の教員生活は、わたしの過去の中で、最も純粋な、
そして最も熱心な生活であった。
わたしには異性よりも、生徒の方がより魅力的であった。
「先生さようなら」「先生さようなら」
と、わたしの前にピョコピョコと頭を下げて、一目散に散って行く。
ランドセルをカタカタさせながら、
走って帰っていく生徒たちの後姿をながめながら、
わたしは幾度涙ぐんだことだろう。

(どんなに熱心に、どんなにかわいがって教えても、
あの子たちにはどこよりも母親のそばがいいのだ)

わたしは内心子供たちの親が羨ましくてならなかった。
わたしは、ずいぶんきびしい教師であったけれども、
子供達は無性にかわいかったーーーーーーーー



ーーーーーーー「人間である前に国民であれ」
とは、あの昭和十五、六年から、
二十年にかけての最も大きな私たちの課題であった。
今、この言葉を持ち出したならば、
人々はげらげらと笑い出すことだろうーーーーーー



ーーーーーーー敗戦と同時に、アメリカ軍が進駐してきた。
つまり日本は占領されたのである。
そのアメリカの指令により、わたしたちが教えていた国定教科書の至る所を、
削除しなければいけなかった。

「さあ、墨を磨(す)るんですよ」

わたしの言葉に、生徒たちは無心に墨を磨る。
その生徒たちの無邪気な顔に、わたしは涙ぐまずにはいられなかった。
先ず、修身の本を出させ、指令に従いわたしは指示する。

「第一項(ページ)の二行目から五行目まで墨で消してください」

そう言った時、わたしはこらえきれずに涙をこぼした。
かつて日本の教師たちの誰が、外国の指令によって、
国定教科書に墨をぬらさなければならないと思った者があろうか。
このような屈辱的なことを、
かわいい教え子たちに指示しなければならなかった教師が、
日本にかつて一人でもいたであろうか。

生徒たちは、黙々とわたしの言葉に従って、墨をぬっている。
誰も、何も言わない。
修身の本が終わると、国語の本を出させる。
墨をぬる子供達の姿をながめながら、わたしの心は定まっていた。

(わたしはもう教壇に立つ資格はない。近い将来に一日も早く、教師をやめよう)

わたしは生徒より一段高い教壇の上にいることが苦痛であった。
こうして、墨をぬらさなければならないというのは、
一体どんなことなのかとわたしは思った。

(今までの日本が間違っていたのだろうか。それとも、
日本が決して間違っていないとすれば、アメリカが間違っているのだろうか)

わたしは、どちらかが正しければ、どちらかが間違っていると思った。

(一体、どちらがただしいのだろう)

わたしにとって、切実に大切なことは、

「一体どちらが正しいのか」

ということであった。
なぜなら、わたしは教師である。
墨で塗りつぶした教科書が正しいのか。
それとも、もとのままの教科書が正しいのかを知る責任があった。
誰に聞いても、確たる返事は返ってこない。
みんな、あいまいな答えか、
つまらぬことを聞くなというような、大人ぶった表情だけである。

「これが時代というものだよ」

誰かがそう言った。
時代とは一体なんなのか。
今まで正しいとされて来たことが、
間違ったことになるのが時代というものなのかーーーーー



ーーーーーーー昭和二十一年三月、すなわち敗戦の翌年、
わたしはついに満七年の教員生活に別れを告げた。
自分自身の教えることに確信を持てずに、
教壇に立つことはできなかったからである。
そしてまた、
間違ったことを教えたかもしれないという思いは、
絶えずわたしを苦しめたからであった。
全校生徒に別れを告げる時、わたしはただ淋しかった。
七年間一生懸命に、全力を注いで働いたというのに、
何の充実感も、無論誇りもなかった。
自分はただ、間違ったことを、偉そうに教えてきたという恥ずかしさと、
口惜しさで一杯であった。

教室に入ると、受持の生徒たちは泣いていた。
男の子も、女の子も、おいおい声をあげて泣いている。
その生徒たちの顔を見ていると、
わたしは再び決して教師にはなるまいと思った。

無論、わたしも泣いた。
一年生から四年まで教えた子供たちに、限りない愛着を覚えずにいられない。
もう、ここに立って一人一人の顔を見、
名前を呼ぶこともできなになるのだと思うと、実に感無量であった。

わたしは決してやさしくはなかった。
きびしいだけの教師であったかもしれなかった。
けれども、弁当の時間、
漬物しか持ってこない子供たちには、自分のお菜一切れづつでも分けてやった。
分けてやらずにはいられないようなつながりが、
教師と生徒というもののつながりではないだろうかーーーーーーーーー



ーーーーーーー何だかやめていくことが悪いような気もした。
子供たちは、どこまでも、どこまでもわたしを送ってきて帰ろうとしない。
とうとう、二十二、三軒離れているわたしの家まで、
子供たちは送ってきてくれたーーーーーーーーーーー
====================================



「道ありき」



この本の中には、当然もっと沢山のことが描かれていますが、
時代」という言葉が飛び交った今週に、
なんだか、とても読み返したくなった本なのです(^^)


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