AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

大変だとは思うけれど

2006-08-31 12:56:22 | Weblog
 チーム K からチーム A に代演に来たメンバーが、体調不良で本来のチーム K 公演の一部または全部を休むことが続いているようだ。うち 1 人は体調不良といっても、足を傷めたか何かで、ケガに近いんじゃないかという推測があるようなので、ひと括りにして良いのかどうか分からないけれど、まあとりあえず現象面だけ見れば「バタバタと倒れている」と言って良い状態だろう。

 いくら代役といっても、あれだけの曲数をこなすからには、2 週間やそこらのレッスン期間はかかっただろうから、おそらくはお盆休み返上くらいでレッスンを積んで来たのではないか。その一方では日々の劇場公演があり、先週はほぼ連日、お台場でのステージまであったので、かなり大変だったとは思う。正直、ちょっとキツ過ぎるんじゃないか、とは思う。

 ただ、古いチーム A ファンから見ると「大変だとは思うけれど、去年の 12 月と似たようなものなんじゃない?」という気がしてしまうことも事実なのだ。去年の 12 月前半は、メンバー全員が、本当に毎日 ( 当時は休演日がなかったのだ! ) 公演に出て、しかも土曜日曜は公演が 1 日 3 回あった。12 月後半はお台場が始まり、冬休みにはやっぱり全員が、昼にお台場 2 ステージと夜に劇場公演をやり…という具合だった。夏の炎天下もつらいとは思うが、海風で吹きさらしの真冬のお台場で、薄手の PARTY 衣装でほぼ毎日、屋外ステージに立っていたのだから、どっちもどっちではないかという気がする。

 もちろん去年の 12 月も、それで倒れる人が続出する結果になったわけで、私を含めて当時のファンは非難の声を上げたものだった。ただ一方では、全員がその状況でやっていたにも関わらず、それでも休まずに出続けた人の方が多かったよな、とも思うのだ。

 だからと言って、今の代演に出ているチーム K のメンバーに、同様に過酷な状況に耐えるべき、などと言う気は毛頭ない。倒れないで済めばそれに越したことはないが、倒れてしまったのは仕方ないし、気の毒に思う。

 ただ、こういう状況になってみれば、チーム A メンバーがどういう修羅場をくぐって来た人たちなのか、いかにチーム A 叩きに熱心な人たちでも理解できるのではないかと思うのだ。チーム K が好き、というのは一向に構わないが、それはそれとして、チーム A が歩んで来た日々に対して、もうちょっと敬意を持ってもらいたいと思う。

8/28(月)A公演での代役Kメンバーについて

2006-08-29 11:25:32 | Weblog
 8/28(月)のチーム A 公演は、他の仕事 ( 映画撮影 ) で 4 人がまとめて休み、という初の事態で、チーム K から 3 人が代役として出演。ちなみに前田さんポジションがぽっかりと空いていたので、ここにはすでに代役で入っている河西さんが入るものと思われる。で、とりあえず代役 3 人についての感想を。いつも言っていることだが、あくまでも「私が」こう感じた、ということを述べているだけなので、これが事実だと言うつもりはないし、人によって感じ方の違いもあるだろうことをお断りしておく。

 私はあいにく遅刻して冒頭 2 曲を聴けなかったもので、開幕直後の「♪女は月見草」の曲 ( タイトル未詳 ) で「チーム A 公演なのにチーム K メンバーがステージ中央にいるところから始まる」という衝撃的な瞬間を見逃したわけだが、この日は梅田彩佳さん、増田有華さん、大島優子さんの 3 人が代演。まず全体としては、3 人ともさすが実力派といった感じで、アンコール最後の「♪頬伝う涙買ってください」の曲 ( タイトル未詳 ) 以外の全員曲すべてと、ユニット曲の「投げキッスで撃ち落とせ」に参加し、いずれの曲でも、代演で初めてのステージということをほとんど感じさせないくらいの出来だった。

 あくまでもチーム A 寄りのファンとしての発言なので、チーム K ファンの中には気を悪くする人もいると思うが、特に今回の 3 人について言えば、チーム A で伸び伸びとやる方が、ご本人達にとってもやりやすいのではないか、という気がしたのだった。たとえば梅田さんのハジケ気味のダンスも、チーム A の持つ多様さの中では一つの個性として、浮くことがない。増田さんも、チーム A の中ではもっともっと個性を主張できそうな気がする。

 その 2 人以上に、特筆すべきは大島優子さんだったと思う。私はチーム K 公演の中では、この人を私の個人的感情として「良い」と思ったことがほとんどない。前にも書いた通り「実力があるのは分かるけど、個人的には今いちピンと来ない」という印象だったのだ。だが、この日の代演を見て、良い意味で「一番チーム A のメンバーらしく見えた」のが、実は大島さんだった。このことで私としては「やっぱり大島優子さんは実力を持て余していたんだろうなあ」という思いをさらに強くしたのだった。また逆の言い方をすれば「周囲に合わせ過ぎているのではないか」とも感じたのだが。

 私の印象では、この日の大島さんはさすがに実力の 95~98 %くらいまでは出していたように見えた。それでも数%を残そうとするのが大島さんらしいと言えるのかも知れないが、チーム A では少々破綻気味でも 100 %以上を出すつもりでガンガン行ってしまって良いと思う。まあそれはともかく、とりあえずゲージいっぱい近くまで振り切っている大島さんは、かなり良かった。私がチーム K での大島さんを見て物足りなかった印象が、ほとんど拭われた。きちんと A-3rd に求められている「楽曲の世界の表現」をしようとしているのが感じられたし、その表現を通じて「自分らしさ」を出していこうとする姿勢があったように思う。そして実際、チーム A でトップクラスとまでは言わないが、しかしチーム A で決して埋没しないだけの、しっかりとした存在感を発揮できていた。

 こうしてみると、私の妄想では、チーム K での大島さんは、やはり周囲に合わせて力をセーブしていたのだろうなあ、という気がしてならない。チーム K のファンは何かというとチーム A を目の敵にするが、こと大島さんに関する限り、チーム K が彼女の力を伸ばす場になっているのかどうか、かなり疑問に思えた。大島さん個人のファンとチーム K のファン、という分け方ができるのかどうか分からないけれども、もし大島さん個人のファンだったら、チーム A 対チーム K という対立構図に乗らずに、むしろ A-2nd が終わる時点で、大島さんだけさっさとチーム移籍させてしまえ、という論を展開すべきだったんじゃないかなあ、と思ったほど。まあこれだけチームごとの色分けができちゃった後では、今さらそれは難しいだろうなあ、と思うが。

 まあそういうわけで、私個人としては、6 月に大島さんが A-2nd に代演で来た時に見逃したのが、つくづく悔やまれたのだった。その時に見ていれば、大島さんについての評価も、もうちょっと早くから、違ったものになっていたんだろうなあ。

 しかし、メンバーについてのことではないのだが、この日の公演に来ていた一部の K ヲタは、やはりどうしようもない厄介だなあと思った。ただ K メンバーが出ていれば騒いでいるだけで、周囲の迷惑はお構いなし。にも関わらず、その大事なメンバーが歌い踊っている最中に動き回り、仲間内でしゃべっていたりして、要するに彼女たちの歌もロクに聴いていなければ、踊りも見ていないのだ。ただデカい声を張り上げながら勝手に興奮していて、ついでにメンバーの目につけばそれで良いらしい。こういう連中はチーム K のファンの中でもごく一部…だと思いたいが、しかしこういう客が多いようだと、チーム K メンバーも育たないだろうなあ。

 で、実は最後の「♪頬伝う涙買ってください」の曲にはチーム K メンバーの 3 人が出ず、それに合わせて上記の厄介 K ヲタもぞろぞろと劇場を出て行ったので、安心してチーム A の世界を満喫できたのだった。そうなってみると、代演の 3 人はかなり良かったと思うけれど、でもやっぱりチーム K からわざわざ来てもらわなくても良いかも、というのが最終的な感想。友人曰く「だって 4 人いなくたって 16 人で、K のフルメンバーと同数なんだから、全員曲まで無理にやらせる必要ないんじゃない?」とのこと。さらに「ユニットの『投げキッスで撃ち落とせ』1 曲だけなら、チーム A の中で補充できそうじゃん。『ライダー』組なら着替えの時間も問題ないし」とのこと。なるほど。

チームKがうらやましい

2006-08-28 09:53:04 | Weblog
 チーム K 寄りのファンからすると「チーム K のメンバーはチーム A に代役に行くのに、なんで逆はないんだ」「チーム K はちゃんとチーム内で代役をやっているぞ」と腹立たしく思うんだろうが、実は私のようなチーム A 寄りのファンから見ると、チーム K がうらやましい、んである。

 代役がどうしてこういう「チーム A の輸入超過」状態になっているのか、本当の理由はファンには知る由もない。いろいろと複雑な事情や、事務所の思惑があるのかも知れない。しかし、少なくともファンの目から表面だけ見れば「もうちょっと A の中で何とかしようがあるんじゃないか?」という気がすることは事実。

 そもそも代役というのは、メンバーにとっても、またファンにとっても、新しい可能性を見出す大きなチャンスなのである。チーム A でも「星の温度」での代役が、その後のユニットシャッフルへの伏線となったように、メンバーが自分の本来の担当とは違うパートで新たな魅力を発揮し、ファンがそれを発見する絶好の機会なのだ。

 たとえば A-2nd でも、チーム K から小野恵令奈さん・河西智美さん・大島優子さんが代役で出たけれど、その中でたった 1 人、チーム A の中からの代役となった峯岸みなみさんは、それをキッカケに魅力をアピールして、A-3rd でポジションを上げることにつながったのだ ( まあ、それだけが要因じゃない、というのも承知の上だが )。

 だからたとえば、私は見ていないけれども「禁じられた 2 人」の河西さんの代役に、ある日は小野さんが、別の日には野呂佳代さんが入ったという話を聞くと、もうそれだけで「うわ、良いなあ」と思ってしまうのである。というか、実のところ私も見に行けば良かったと後悔している(^_^;)。小野さんも見たかったが、それ以上に、完全に予想外だった ( そしてかなり好評のようだった ) 野呂さんは見ておきたかったなあ、と。

 そんな風に、チーム内はもちろん、チームを超えてまで、次々と代役というチャンスが与えられているチーム K メンバーは、ずいぶん優遇されているよなあ、と私には思えるのだ。もちろん、わずかな回数の代役のために短い時間で歌やフリを覚えなければならず、本来のチームの公演と代役出演とでスケジュールがきつくなるなど、大変だとは思う。しかし、そうした大変さと比べても、メンバーにとっては代役パートをもらえて、より多くステージに立てることの方が、はるかに大きなメリットではないだろうか。

 というわけで、チーム K メンバーが A 公演の代役に出ることに不満を感じているチーム K ファンの皆さんには、ぜひとも「チーム K メンバーを A 公演の代役に出すな」って声をどんどん上げて欲しいところ(笑)。もしそうなれば、チーム A の他のメンバーに、もっとチャンスが配分されることになるだろうから。

とりあえず、おめでとう

2006-08-23 08:34:51 | Weblog
 メジャーデビュー決定ということで、とりあえず、メンバーの皆さんには、おめでとうございます、と言っておきたい。何はともあれ、当面の目標だったメジャーデビューにはたどり着いた、ことになる。

 ただ、一ファンとしては、何だか肩透かしを食らったような気分、というか、あまり喜びが湧いて来ないのも事実。決して「メンバーが遠くに行ってしまうようで寂しい」とか「メジャーになるまでしか応援しない」とかいうわけではなく、むしろ「メンバーにとってはメジャーデビューしてからが本当の勝負」だと思っているし、ファンとしては変わらず応援していくつもりではあるのだが、ただ、どうもこの「メジャーデビュー」に、達成感のようなものが感じられない、気がしてしまうのだ。

 特に A-2nd がそうだったのだが、メジャーデビューが目標だったはずなのに、なかなかその出口、ないしは出口そのものでなくとも「どちらの方に出口があるのか」ということが見えない状況の中で、おそらくメンバーも迷っていただろうし、ファンも不安になっていたように思う。そんな風に、メンバーもファンも迷路で暗中摸索をしつつ、もがいていたら、ある時急に「はい、ここが出口です」と言われたような、そういう割り切れなさがある。

 甘いと言われるかも知れないが、ファンの気持ちとしては、誰もふるい落としたくない、卒業・脱退者以外は最終的に全員を何らかの形でデビューさせてあげたい、という思いがあったことは事実なので、この「全員でメジャーデビュー」について、本当は喜ぶべきなんだろうと思う。ただ一方で、どうしてもつきまとうのが「AKB48 ってそういうものだったっけ?」という思いなのだ。

 AKB48 の初期コンセプトは、個々人がメジャーデビューを目指して切磋琢磨する、ものだったはずで、もちろんそれは全員がソロデビューするということを意味しないだろうということは容易に想像できたが、しかし一方、チームが丸ごと一気にメジャーデビュー、というものでもないと思っていたからだ。私が、そしておそらくはファンの多くがイメージしていたのは、ある人は 1 人で、また別の人たちは数人のユニットでというように、バラバラにメジャーデビューしていく、という形ではなかったか。もちろんコンセプト自体も、劇場オープンから 8 箇月余りの間に、走りながら随時、部分的な変更を重ねて来たのではあるが、これまでなかなか明らかにされなかった「メジャーデビュー」が、こういう形で現前したことに、いささか戸惑いを禁じ得ないのだ。

 特に今回、違和感が大きいのは、チーム A とチーム K の 36 人すべてをまとめてメジャーデビューと位置付けていることだ。こう書くとまた「チーム A ヲタはどこまでもチーム K を 2 軍扱いしたいのか」などと言われそうだが、逆を考えてみれば良い。次に入って来る、おそらくチーム B になる人たちが、もしオーディションを通った時点で、すぐに「メジャーデビューしている AKB48 の一員」になれるのだとしたら、チーム K が 4 箇月半、メジャーデビューを目指して劇場公演を重ねて来たことと比べて、ファン心理として納得できるだろうか。

 まあ、すでに決まったことだし、前述の通り、全員がメジャーデビューという「とりあえずの達成」にたどり着けたことは、良かったのだと思う。だが、やはりそこで危惧しておくべきは、そこからの個々人のモチベーションをどう維持するか、ということだろう。メジャーデビューという目標が達成された今、そこからさらに「上」を目指すつもりの人が、どれだけいるだろう。36 人全員がソロデビュー目標、あるいはせめて小人数ユニットのセンター目標、というわけではないだろう。「私はみんなの後ろで良い、それでもメジャーデビューはできているのだから」と考える人が、それなりにいるのではないか。特に A-2nd は、そういうことを各自に思わせてしまうセットリストだったと思うのだ。

 AKB48 全体としての大きな目標として、東京ドーム公演を掲げるのは、それはそれで良いと思うが、やはり個々人のモチベーションを維持するために、全員曲でのフロントメンバー入りとか、あるいはソロや小人数ユニットでの CD リリース、といった、より近い「次なる目標」を提示していくことが、メンバーにとっても、また応援するファンにとっても必要なように思う。

まだ公演を見ていないので

2006-08-22 01:21:32 | Weblog
 A-3rd 初日はあいにくカフェ観覧、月曜は昼夜とも私事で見に行けなかったので、つまりステージについての感想を書くべき状態になっていない。とりあえず、現時点で書けることを、ぽつぽつと。

 まだゲネプロと、カフェでモニター 1 回しか見ていないが、もういくつかの曲のサビ近辺が脳内で回り始めた。A-2nd では劇場内 2 回 + カフェ 1 回で同じ状態になって驚いたのだが、K-2nd では覚えやすそうな印象とは裏腹に、初日 + カフェ 1 回の時点でそうなっていたのは「転がる石になれ」の「♪We're the Team K」のあたりだけだったような気がする。A-3rd の曲は頭に入りにくい印象があったのだが、そうでもないのかな。

 聴いた曲について、すぐ「どれがシングル向け」という話ばかりするのは、いささか邪道かも知れないが、とりあえず現段階での感想としては「バード」「制服が邪魔をする」( いずれも表記の文字遣いは不明 ) と最後の「♪頬伝う涙買ってください」という曲 ( タイトルは未発表 ) の 3 曲がシングルカット候補、かなあ。

 その最後の曲の「♪まるでマッチ売りの少女…」というあたりについて、昔の吉沢秋絵の曲に似ている気がする、と友人に言ったら、あっさりと「ああ、『なぜ? の嵐』でしょ。それはみんな言ってるよ」との答え。そうか、私でも気付く程度のことはみんな考えているのか(^_^;)。ほかにも、決して悪い意味ではなく、どこかで聞いたことがあるような印象を持つ曲がいくつかあった。まあでも、A-2nd の時にも、既視感ならぬ既聴感を覚える曲は多かったわけだが。

 今のところ、ネットで見かける A-3rd の評価はふるわないようだが、私はそうした評価は半月から 1 箇月でかなり変わってくるのではないかと思っている。各曲の出来はかなり良いので、やや刺激的な歌詞にファンが慣れ(笑)、また一方では公演を重ねるうちにメンバーの表現力がさらに上がって、今の「1 つ 1 つを走り高跳びで越えていく」状態が「ハードル走としての流れ」になった時、私たちファンは、改めてあのセットリストに篭められた深謀遠慮を目の当たりにすることになるのだろうと思っている。

 そして「ライダー」については…。一般論は前のエントリに書いたが、個人的な思いとして言えば、正直、まだこれを泣かずに聴く自信がない。ゲネプロでは歌の途中でそれと気付いて、大泣きしてしまった。初日は泣くまいと思っていたのに、しかもカフェ観覧だったのに、それでも涙があふれるのを止められなかった。少なくとも私には、歌詞のあちこちで、彼の姿が、声が思い出されて、ぐさぐさと突き刺さりまくる。遠くを走り去るバイクを見送って手を振るあたりの振り付けは、もう胸が締め付けられる思いがする。メンバーが泣かずに明るく歌ってくれているので、私も何とか我慢しようとは思っているけれど、あと何回かは泣いてしまうかも知れない。

事実と物語、もしくはあの曲について

2006-08-22 00:39:22 | Weblog
 A-3rd には「ライダー」という曲がある。紛れもなく「」のことを歌った歌、と言って良いだろう。

 彼はおニャン子クラブ以来のアイドルファンで、某 SNS の自己紹介欄では「好きな音楽」として「秋元康先生が作詞の楽曲」を単独で挙げているほどだった。その秋元先生の手になる詞によって、彼は物語となり、永遠の命を得たのだ。彼の供養として、これに優るものはないと思う。友人の一人として、深く感謝している。

 中立的に聴いても、かなり良い曲だと思う。彼のことや、背景となっている事情を知らない人でも、それぞれが持つ「別れ」の経験に照らして、共感できると思う。いや、かえってそういう人の方が、素直な気持ちで聴けるのかも知れない。そういう意味ではむしろ、彼と特に親しくはなかったけれど、存在は知っていた、事情は知っている、くらいの人にとって、微妙に居心地の悪い曲になるのかも知れないなあ、という気はする。

 ただ、歌詞を詳細に聴けば分かる通り、あの曲は事実そのものではなく、事実を基にしつつも、あくまでも「作品」として、フィクションに仕上げられている。だから、普通の 1 曲として、手拍子やコールをしながら、楽しく聴く方が良いと思う。もし他のファンの人たちに「せっかく俺の推しメンが参加しているユニットなのに、ワケありの曲じゃ盛り上がるわけにも…」などと思わせてしまったら、それこそ彼は恐縮してしまうだろう。そういう人だった。

チームA、3rdシーズンについてのプレ第一印象

2006-08-20 08:08:19 | Weblog
 A-2nd の総括・その 2 を書けていないうちに、もう A-3rd のゲネプロを見てしまった。A 賞の時にも書いたように、私自身は K 賞が当たるほど大量に CD を買ってはいなかったわけだが、またしても親切な人が…というパターン。私などのためにあれこれ気を遣ってくれて、本当にありがとうございます、とこの場を借りて言ってしまおう。

 私としては、今回は一般客にも見せたとは言え、ゲネプロはあくまでも「通し稽古」の最終段階だと思っているので、詳細な感想は初日が開いて以降、私が劇場内でステージを見てから、改めて書きたい。せっかく初日を楽しみにしている人もいることと思うので、あまりネタバレも書きたくないし。

 が、そうは言ってもやはりこういうブログをやっている身として、黙っていられない部分もあるので、とりあえず第一印象よりも前の段階として、抽象的な総論としての感想だけ、取り急ぎ述べておく。

 最近、チーム K がもはやチーム A を追い越した、もうチーム A には負けない、と言い続けていた人たちにとっては、それを確信できるものになるだろう。おそらく、この 3rd セットリストを機に、チーム K に流れたり、あるいは AKB48 そのものから離れたりするファンが相当数出るだろうと思う。それくらい、これまでの AKB48、ないしチーム A のイメージとは違ったものになっている。

 理由は、「分かりやすい」曲、単純にノリやすい曲が少ないことだ。また、個々の楽曲の個性が強いために、セットリストとしてのまとまり感・つながり感という点では今ひとつという印象が残る。加えて、歌詞の主人公の想定年齢が上がっており、かなり挑発的な、あるいは恋愛のさまざまなプロセス ( 別れや再会まで含む ) を歌い込んだ歌詞が多くなっている点だ。1st セットリストにおいて象徴的だった学校メタファは、A-3rd においては、むしろ少女達の感情の奔流にとっては障害として意識されるまでになっている。

 以前、私が「本当に良い曲は A-3rd 用に取っておいたのではないか」という発言をしたことがあるが、むしろそれは逆だったと感じる。「良い」曲、という基準をどこに置くかによるが、それが歌いやすさや、聴く側にとっての分かりやすさ、ノリやすさであるとすれば、「良い」曲はあらかた K-2nd に使ってしまって、A-3rd には難しい楽曲しか残っていなかった、と言って良いほどだ。個々の楽曲のハードルが高いので、ハードル走としての流れにならず、1 つ 1 つを走り高跳びで越えていく印象、と言えば良いだろうか。

 …と、わざと逆説的な言い方をしたが、そろそろ本音を言っておくと、ここまであれこれと言った点を踏まえて、私は今度のセットリストの楽曲と振り付けについて、これはこれとして非常に気に入ったのだ。ほとんどの曲が、それぞれにじっくり腰を落ち着けて見聴きしたいと思えるクオリティがあるし、それだけにまた、メンバーの力を見極められるものでもある。これこそ、チーム A がこれまで 8 箇月のステージ経験を力に変えて、さらに上がって行くべき階梯の第一歩であると感じたからだ。

 たぶん歌い踊るメンバーには、これまでより一段も二段も上の表現力が必要とされるだろうし、正直、ゲネプロの段階では、まだほとんどの人が、楽曲の要求する水準には達していないと感じた。しかしだからこそ、これからの公演の中で、メンバー個々の、日々の向上心が問われ、一方ではまた、その力を伸ばす成果をもたらすことになるのだと思う。そして多分、メンバーはそのことを良く理解していると感じた。もはや単純に客席にアピールすること ( 目線配りなどの個別サービス ) だけが努力なのではなく、きちんと楽曲を「演じる」こと、その表現を高めることこそが必要なのだ、という意味を理解し、その意欲に満ちていたように見えた。

 だからおそらく、チーム A の 3rd ステージは「ノリの良い曲で楽しく騒いで、ステージからメンバーにレスもらってウヒョー楽しいぜ」というものではなくなっていくと思うし、そういうのが好きだったファンは離れていくことになるだろう。だがメンバーにとっては、このセットリストを通じて表現力を高めていく努力を怠らなければ、もし仮に今劇場に来ている 1000 人程度の客の半分を失うことになったとしても、その先でより多彩な層の、桁違いにたくさんの人たちに訴えかけられるだけの武器を手にすることになるだろう。それはメジャーを目指す以上、必ず通らなければならない過程なのだ。

 だからメンバーの皆さんには、もしこれから、従来のファンが離れたり、一時的に劇場の客が減ったりしても、不安がらないで欲しい。あなたがたは間違った道を進んでいるわけではない。この胸突き八丁 ( むなつきはっちょう、意味は自分で辞書を引いて調べよう! ) を登り切れれば、あなたがたの前にはメジャーに向けた世界の大きな視界が開けることになるはずだ。

チームA、2ndシーズンの総括・その1

2006-08-18 23:59:16 | Weblog
 さて、2nd シーズンについての私なりの総括を述べておきたい。まずはセットリスト全体、およびシーズンを通したプロジェクト展開全体について。いつも言っている通り、このブログは「私には」こう見えた、「私が」こう感じた、ということを書いているだけなので、念のため。また、プロジェクトについて批判的なことも書くが、むやみに攻撃的な書き方をするつもりはないので、できればこのエントリの内容を理由に劇場出禁にはしないで欲しいところ(^_^;)。

 2nd ステージについては、私は楽曲や構成、演出などのさまざまな点で、非常に出来の良いセットリストだったと思っている。第一印象から最後まで、それは変わらない。ただ、メンバーによって出番の多少の差が大きかったことは、いろいろな副次的な影響を生んだとは思う。問題があったとすれば、それは出番の多少の差それ自体ではなく、「そうであるにも関わらずシャッフルが ( ほとんど ) なかったこと」と、そして「メジャーデビューへのロードマップが提示されなかったこと」ではないかと思っている。

 1st シーズンでは全体曲が多い上、ユニット曲への振り分けも偏りはさほど大きくなく、途中でのシャッフルもあった。それが 2nd シーズンに入って、これだけ参加ユニット数に差をつけたことは、全体として間違っていなかったと思っている。AKB48 はメジャーデビューに向けて切磋琢磨する場所であり、決して「みんな仲良く」だけでは済まない場所だ、ということを、改めて明確にしたからだ。

 しかし、では、どこでどう頑張れば、誰からどう評価されるのか、ということが、メンバーにとっては分かりにくかったのかも知れない、と想像している。もちろんステージの上の人たちが第一に評価を求めるべきは客であるはずだが、自分が遅れをとった局面から、先を行く仲間よりも少なくなった出番の中で挽回を図るということが、どれほど難しいか。その点で中盤以降「これでは努力のしようがない」という無力感を覚えていたメンバーもいたのではなかっただろうか。そういう意味で、もし大規模なシャッフルがあれば、2nd でのメンバー間での「序列」は、まだ逆転可能なものだ、という刺激になったと思うのだ。

 一方、出番の多かったトップグループについても、日々の公演で頑張る一方、取材対応なども他のメンバーより多かったはずだが、それがメジャーデビューに向けた道のりの中で、どういうプラス材料になっているのか、ということが、実感しにくかったのではないかと想像する。たくさんの出番の中で、自分を一推しにしてくれるファンがますます増えていくにも関わらず、日常の積み重ねを「手応え」として感じにくいという意味では、実は出番の少なかったメンバーと根本的には同質な悩みを抱えていたのかも知れないという気がする。

 結果として、2nd シーズンは 2nd CD 発売やテレビの有名音楽番組出演といった華々しい成果がありながら、以後は停滞ムードが漂い、終盤には逆風が吹き荒れ、チーム A 全体がチーム K に追い抜かれた、という話が ( かなり意図的な匂いがするけれども ) 喧伝され、暗雲垂れ込める雰囲気の中で千秋楽を迎えることになってしまった。それは私が昨年末に危惧していたように、
今後はむしろ「1 軍から落とされる」ことによってしか次の物語が出て来なくなってしまわないか。それってかなり残酷な物語の作り方のような気がするのだけれども。
という事態そのもの、だったように思えてならない。

 もっとも、こういったことを丸ごと全部含めて、2nd シーズンにおいては「メンバーに悩ませる」ことを狙っていたのだとしたら、かなり残酷な仕掛けだとは思うが、しかしその狙いは完璧に当たったということになる。まあこういうことを書くと「どうせお前はオフィシャルマンセーだから屁理屈をこねて結局は擁護するんだろ」などと言われるのは承知の上だが(笑)、考えられる可能性の一つということで。それに実は、アイドルとしてどうメジャーデビューへの道のりやチャンスをつかんで行くかを、メンバー個々に「考えさせなければ」ならないのではないか、ということは、私は 2nd シーズンの最初から言っていたことでもある。

 実際問題として、表現者に対する評価というものは、明確な基準で採点された結果が通信簿のように返ってくる種類のものではなく、どこにどう「やり甲斐」を見つけ、何 ( 誰、どこ ) からどう「評価」を受け取れば良いかということも、表現者が自ら見つけていかなければならないものなのだ。表現の技法は教えられても、表現者としてのマインドは教えられる種類のものではない。もちろん側面から支援はできるが、本質的には本人が表現者として育つ中で、自ら獲得して行くしかないものなのだ。

 そういう意味では、個々人があのセットリストの中で、自分の位置と役割をどう捉え、表現者として何を掴み取ったのか、ということが、総括すべきもう一つの側面として浮上して来ることになる。それはまた別のエントリにて。


2006-08-19 00:03 追記:エントリのタイトルを修正しました。
旧:2ndシーズンの総括・その1
新:チームA、2ndシーズンの総括・その1

公演内容とシーズンの数え方

2006-08-17 15:51:30 | Weblog
 そろそろ 2nd シーズンの総括をしようと思いつつ、その前に、どうでも良い話を 1 つ。

 公式には「1st Stage」と呼ばれていた ( と言うより、今でも公式にはそうだ ) のを、「ファーストシーズン」と言い出したのは、たぶんこの辺が最初だと思う。「シーズン」という、時間の流れと結びつけた言葉を使った方が、その時期の思い出が詰まった印象になるのではないかと思ったからだ。

 というわけで、
・1st Stage = 1st セットリストによる公演
・1st Season = 1st Stage を ( 主に ) 演じていた期間
ということで良いのではないかと思う。以下、2nd、3rd、4th…についても同様。

 これがどう便利かというと、たとえば 7/4 のような公演を「2nd Season 中に行われた 1st Stage」というように、「時期」と「公演内容」とで概念を切り分けて話しやすくなるのだ。これを援用すると「2nd Season 中に見た公演の回数」と、「2nd Stage を見た回数」も別のものとしてカウントできる。今後 3rd Season に入っても、もしかするとたまに 1st Stage や 2nd Stage のリバイバル上演があるかも知れないし。

 なお、この場合、チーム A とチーム K の Season は、区切りの日も、また 1st、2nd …という序数も一致しない、ことになる。それはそれで、両チームがそれぞれの時間の流れを過ごしている、ということで良いんじゃないのかなあ、と思っている。時期的な対応関係については、きっとみんな脳内で補完できるだろうし(笑)。さらにチーム B ができると、3 つの Season が並行して、それぞれの開始と終了がずれることになるので、ちょっと大変かも知れないが。

 しかし、もしチーム B が独立して公演を行うようになるとして、各チームがこれまでのチーム A のペースと同様、4 箇月程度でセットリストを更新していくとすると ( あくまでも仮定だけれど )、3 チーム合わせて年に 9 回も「千秋楽」があることになるのか…(^_^;)。同じ月に重なることがないとすれば、毎月のようにどこかのチームが千秋楽を迎えることになるなあ。「今月は珍しくどのチームの千秋楽もないから平和だね~」なんていう会話を交わすようになるんだろうか(笑)。

あえてお祝いのはなむけとして

2006-08-16 06:58:55 | Weblog
 書くべきか書かざるべきか迷っているうちに、前田敦子さんの映画出演決定、それも準主役、という話が発表された。おめでたいムードに水を差すようで、ますます書きにくくなったのではあるが、このタイミングだからこそ、あえてお祝いのはなむけとして書いておくことにした。

 千秋楽アンコール時の MC で、前田さんは、自分は歌が苦手なのに、どうしてこんなに歌うところが多いのかと思った、という趣旨の発言をした。もちろんそれは、自信のなさから、ついそんなことを思ってしまった、という意味であり、そういうわがままな考えを反省した、という文脈の中で述べられたことなのだが、さすがにこの発言には、聞いていたこちらがヒヤリとし、また苦笑いもしてしまった。

 ほかの何人かが言っていたように、メンバーはみんな、自分が歌うパートを少しでも多くもらいたいと思っていたはずだ。その中でのこの発言は、他のメンバーの気持ちを逆なでするものではなかっただろうか。

 また、そもそもそれ以前の問題として、たとえどういう文脈であったとしても、もし「仕事の中で」こういう発言をしてしまったら、普通は周囲から「では、あなたはどうしてここにいるのか、嫌ならすぐに辞めてしまえば良いのに」と言われる種類のものだ。それは「学校との両立で悩んだ」とか「一人の部屋に帰るのが辛かった」とかいうような「ステージに立つのと引き換えに辛いことがあった」というのとは、わけが違うのだ。

 あの劇場の中だけで、メジャーデビューを目指している ( つまり、まだプロフェッショナルではない ) 女の子として言うのであれば、心優しいファンはあの発言をさほど問題視しないことと思う ( まあそれでも、千秋楽だから特別、だけどね )。

 だが、これから劇場の外に出て「よその仕事」をするようになるのであれば、周囲はあなたをプロとして扱うはずだ。その場合には、たとえどんな文脈であっても、そういう愚痴を表向きに言ってはいけない、ということを、肝に銘じて欲しい。映画の場合だったら「滑舌が悪いのに、どうしてこんなにセリフが」とか、「演技が下手なのに、どうしてこんなに出番が」といったことは、自分の身内 ( マネージャーなど事務所側の人 ) 以外の人がいる場所では、絶対に口にしてはいけない。「だったら今すぐ役を降りて帰れ」と言われるだけだ。

 まだ中学生の前田さんにとって、メンバーのトップを切って外の仕事に出て行くことは、不安も大きいと思う。最初よりは 2 番手、3 番手の方が、先に行った人の話も聞けて、不安も少ないのに、と思うかも知れない。けれども、「どうして私だけが」とか「どうして私が先に」と思っても、そうした問いに答えはない。それはほとんど運命のようなもので、このチャンスはほかの誰でもなく、前田さんに訪れたものだ。あとはそのチャンスに対して全力を尽くし、飛躍のキッカケにしていくことを考えるしかないのだ。どうか前向きに頑張って欲しい。

今はアイドルに徹して

2006-08-15 09:22:28 | Weblog
 千秋楽アンコール時の MC に話を戻して、続ける。

 星野みちるさんの、いったんは辞めたいと事務所に言った、という発言は、私にとっても、ズシンと来るものがあった。

 特に、彼女が述べたその理由が、私がこのブログの「それぞれの夢の形と、目の前の現実と」というエントリで述べた、
たとえそれぞれの最終目標が何であろうと、当面の目標としてアイドルを目指すことはメンバー全員に共通した約束であるはずだ。その「アイドルを目指す」ことにすら同意できなくなっているのだとしたら、早々に AKB48 から卒業ないし脱退した方が良い。それはファンと他のメンバーに対する裏切りであり、それ以上に、本人にとって時間の無駄だからだ。
という部分と呼応しているような気がしてしまったからだ。

 もちろん、今もこの考えは変わらないし、従って発言を撤回するつもりもないのだが、そうであるとしても、万一この発言が、直接または間接的にメンバーの耳目に触れ、そのことで脱退ないし卒業に追い込んでしまっていたら…と考えると、正直、ファンブログといえども、うかつなことは書けないなあ、と、かなり重い気分になる。まあ、私ごときのブログのエントリに、そこまでの影響力があるわけがない、とは思うのだけれども、どうもアイドルファンというものは、というか、少なくとも私は、そのあたりで自意識過剰なもので、ご容赦願いたい。

 ともあれ、星野さんが AKB48 に留まってくれたことで、非常にホッとしている。その上で、先のエントリの内容をもう一度繰り返すことになるけれど、
自分の最終目標はここじゃない、ということ自体は悪くない。AKB48 はもともと、それぞれの夢に近付くための場所であり、通過点ではあってもゴールではない、はずだ。
そして
最終目標が何であれ、AKB48 に入ることを選択したのは自分であり、そして今在籍し続けているのも自分の意志であるはず。だとしたら、そこで全力を尽くすことが、最終目標に近付くために必要なことなのだ。
…ということを、改めて言っておきたい。

 先に行ってからの路線変更はいくらでもできる。たとえば女性バンドの先駆けとなったプリンセス・プリンセス ( と言っても今の若い人だと知らないかも知れないが… ) だって、最初はほとんどアイドルグループのような売り出し方をしていたのだ。だから、今は星野さんにも、徹底して「アイドル」というものになり切ってみて欲しい。

 そして、そうやって真剣にアイドルになり切った一時期があれば、将来シンガーソングライターに転じた後にも、アイドルへの提供曲 ( 一般的には、自分で歌う以上に稼ぎどころになるはずだ ) を作る上で、ものすごく大きな力になることだろう。だってアイドルの何たるかを、本人が身を以て知っているのだから。

 しかも秋元先生がおっしゃったように、AKB48 にいるうちから、AKB48 のための曲を作ることまで経験させてもらえる ( もちろんステージに採用されるかどうかは、楽曲の出来や、他の曲とのバランスなどにもよると思うが ) となれば、星野さんにとっては二重三重のメリットとなるはず。

 ちなみに、千秋楽での星野さんは、目の見開き方がずいぶん違っていた(笑)ので、すでにやる気が出ていたと思う。「小さな目が見えますか」は、3rd シーズンにはもう封印して良いかもね(^_^)。


※19:14 追記 リンクの張り忘れを修正しました。

大島優子さんについて思うこと

2006-08-14 04:04:18 | Weblog
 続いてもう 1 つ、チーム K ネタを書いておくことにした。

 最近、あちこちで大島優子大絶賛を良く見かける気がするのだが、そんなに良いだろうか。私は大島優子さんについて「まあ実力があるのは分かるけど、個人的には今いちピンと来ないんだよねえ」という印象しか持てないんだよなあ。先日、といってももう 2 週間ほど前だが、K-2nd を運良く最前センター付近で見る機会があったので、いろいろな人のことを良く見るように心がけて、もちろん大島(優)さんのことも良く見てみたつもりなんだが、印象はやっぱり変わらなかった。

 個人的に何が気に入らないのかというと、あり余る実力の 8 割程度でゆうゆうと「こなして」いる感じがしてしまう、ところだ。それでも表現レベルとしてそれなりの高さはあるから、文句のつけようはない、と言うよりむしろ、さすが、と思うことも多いのだが、それにも関わらず、少なくとも私の気持ちには響かない、のだ。なお、いつも言っていることだが、これはあくまでも「私の」印象、感想に過ぎず、事実がどうであるかとは違っている可能性があることを、改めてお断りしておく。

 あと、何と言うか、ステージ上で、お仕事モードのオンとオフがはっきりしている、ような気がするのだ。もちろん、それ自体は悪いことじゃない。ただ、ほとんどもったいをつけず、あまりにもあっさりとオフにしてしまうのが、物足りない気がするのだ。オフにするタイミングが微妙に早い気がする、と言うべきだろうか。客はステージ上の人が裾にハケていく後ろ姿まで、意外にきっちり見ているものなのだ。全身が完全に黒い幕の中に入り切ってしまうまで、スイッチを切らないで欲しい。

 具体例を 1 つ挙げると「禁じられた 2 人」でハケる時に、河西智美さんと手をつないではいるけれど、2 人の視線が平行に前を向いて、すたすたと歩いてしまっているように見える。あれを日によって、小指と小指を絡めながらにしてみるとか、お互いに視線を内向きにして、時にはうなずきあうように意味ありげな表情を交わし合うとか、そういう工夫をしてみてくれないものか ( 必要なら演出の先生と相談の上で )。せっかく 2 人だけの世界に漕ぎ出していく象徴的なシーンなのだから、たとえ次の曲のイントロが重なり、どーぶつ組が出て来ていても、2 人が完全にハケ切るまで客の視線は渡さない、くらいのつもりで良いと思う。

 舞台の上の人は、舞台の上での表現でこそ、客を魅了し、ライバルを圧倒すれば良い。それをできるだけのキャパシティがある人が、十分にやり尽くしていない ( ように見える ) というのが、何とももったいない気がしてしまうのだが、どうだろう。

 なお、このエントリに関しては、大島(優)さんの魅力を語ってくれるコメントも歓迎、ということで。どうしてもコメントでは語りにくいという方はメールでもどうぞ。メールアドレスは goo ID から分かる通りということで。

チームKのチームワークの良さについて

2006-08-13 20:45:22 | Weblog
 チーム A 千秋楽の話はまだまだまだ続けるつもりだが、その前に、以前チーム K について「2、3 気になるところもある」と書いたうちの 1 つを書いておくことにした。チーム K 公演は先月 31 日に見たきりなので、本当はもう 1 度公演を見て確かめてから書こうと思っていたのだが、あれやこれやでばたばたしていたら結局今日も含めて見に行けないまま休演期間に入ってしまったので、このタイミングで書いておくことにした。

 いつも言っていることだが、このブログでは「私の目には」こう見えた、「私には」このように感じられた、ということを、妄想たくましく書いているに過ぎないのであって、書いている内容が事実と一致するとは限らないし、むしろかけ離れていることの方が多いだろう。よって、「自分はそうは思わない」という反論を書いていただくのは構わないが、穏当な言葉遣いの範囲でお願いできれば幸いだ。

 あちこちのファンブログなどによれば、チーム K はチームワークが良い、のだそうだが、私が過去 20 年近く、さまざまな年齢層の子ども ( から、時には若い大人まで含む ) の集団活動に関与して来た ( ただし教師が職業ではない ) 視点から観察していると、そのチームワークの良さは大人の目を欺くための仮初の団結に過ぎない、という風に見えて仕方がない。

 もちろんこれまでは、チーム A という仮想敵があるために、全員のエネルギーの噴出ベクトルが外に向いていたことによる「まとまりの良さ」はあったことだろう。だが、ファシスト政権が往々にして外敵を措定することで国家の団結を生み出すのと同じように、そうした場合の内部統治は、実は自由な発言を許さない思想統制を伴っていることが少なくない。そして、その仮想敵がもはや脅威ではなくなりつつある今、これから起きるであろうことは内戦、というよりも内ゲバだ。

 K-2nd に入ってから時間が経つにつれて気になって来たのは、MC などで垣間見えるメンバー間の力関係、ないし権力闘争の図式だ。もちろん、人が集団になれば、全員が対等で曇りなくみんな仲良し、なんてことはあり得ないのであって、親分肌の子が台頭したり、その下にグループが固まったり、ということは、多かれ少なかれ必ず起きる。まして AKB48 のように、年齢も出身も経歴もてんでバラバラな集団であれば、なおさらのことだ。それを権力闘争、などという言葉で表現するのは、いくぶん大げさではないか、と感じる人も多いだろう。だが、私の目には、もはやそう表現した方が良い程度のことが進行している、ように見えた。

 名指しをするのもどうかと思うが、ある程度のことは書いておかないと話にならなそうなので、おおよそ誰のことか想像がつく範囲で書いておく。したがって、これについて「誰のことですよね?」などとコメントするのは避けていただきたい。さてチーム K の場合、最年長近辺には優しい ( が、他のメンバーに言うことを聞かせる強さには乏しい ) お母さんタイプが多く、強さを持ち得るお父さんタイプの子もいるが、どうも面倒に関わりたがらないように見える。その下の年齢層に押し出しの強い子が複数いて、これらの子たちを核に固まったグループどうしが多数派工作をしている、ように見える。

 断っておくが、ある程度の仲良しグループがごく普通に出来てしまうのは無理からぬことであり、それを非難するつもりはない。チーム A でも、そういうことは良くあって、あまりにも見え透いていた。それどころか、チーム A では「星野家」だの「チーム MART」だの ( ってほとんど重なってるが ) と、隠しもせずに本人たちが言ってしまうあたり、良く言えば底意が ( あまり ) ないが、悪く言えば子どもっぽい面があった。だが、どうもチーム K には、そのあたりを表面化させず、裏で処理する「政治」ができてしまう子が多い気がする。良く言えば大人に近いが、悪く言えば狡猾だ。この狡猾さが何によって成立し得ているかと言えば、内部で各グループのメンバーに対して恐怖政治を行っているからだ。

 すでに私を含めた一部の客は気がつき始めているように、そうした「力関係」は、MC などに見え隠れするようになっている。アドリブでかけあいができるおもしろさ、ではなく、人の足を引っ張るようなツッコミを入れてみたり、また逆に他のメンバーに迎合したり、といったことが、言動の端々に見えるようになっている。言葉の表面的な調子はともかく、そういう時の目線の動きを見ていれば、力関係は如実に分かる。だが、あなたたちが気にしなければいけないのは客席であって、メンバー間で妙な気を回し合うことは、百害あって一理もない。

 そしてこうした権力闘争によって、すでに一部メンバーには相当なストレスがかかっている、と見えた。私が最も心配しているのは、実はこの点だ。それが誰と誰か、ということも、やはり言わないが、こういう場合、ごく一般的に言って
・おとなしい子、押し出しの弱い子は苦労する
・目立つ子、特に大人から好かれる子は叩かれる
・年下の子はいずれかの陣営に入らないと守ってもらえない
・ただしあまりにも小さい子はそもそも巻き込まれない
といった法則性がある。これをチーム K に当てはめてみれば、どのあたりの子たちに一番ストレスがかかることになるかは、改めて言うまでもないだろう。

 本当にチーム K のチームワークが良いなら、周囲の大人がこの件に手を出さなければならなくなる前に、私のこの観測がとんでもない見当外れであったことにしてしまって欲しいと思う。とか書いたせいで、さらに内部での恐怖政治が進行するようだと逆効果なのだけれども。まあどうせメンバーはこんなところ読んでないか。

21:01 追記:誤字 1 か所だけ訂正しました。

表現者であるということ・再び

2006-08-13 08:07:11 | Weblog
 千秋楽アンコール時の MC について、続ける。

 何人かの発言について、表現者になっていく上での精神的成長があったのだな、ということが印象深かった。寂しさや辛さ、悲しさ、苦しさ…そういったさまざまな負の感情が、ステージの上で報われる手応えを得て、表現者としての自覚が芽生えて来たのだと思う。それはまだ芽生えでしかないかも知れないが、とても大事な一歩だ。

 そのことについて、私なりのコメントを書こうとしたのだが、書きかけて考えてみたら、すでに半年以上前、「表現者であるということ」というエントリで、言うべきことは言ってしまっていたのだった。学校での友人と話が通じなくなったり、メンバー間での明暗が分かれたりといった経験をした今ならば、あのエントリで言っていたことが、きっとより深く実感してもらえるだろうと思う。

 極論すれば、自分の感情を上手く言い表すことなんか、できなくたって良いのだ。その代わりにあなた ( たち ) には、歌とダンスがあり、ステージの上から気持ちを伝えられるのだ。客席では、あなたを理解したがっているたくさんの客が、あなたを見つめている。

会いたかった人に

2006-08-12 19:42:17 | Weblog
 千秋楽のことを、とりわけメンバー全員が MC でそれぞれの思いを吐露したことについて、書きたいのだけれど、こちらもいろいろな思いで胸が詰まり、なかなか最初の一文を書き出せずにいた。けれどやはり、このことから書くべきだと思った。

 駒谷さんが「会いたかった人に会えることが、どれだけ幸せなことか」と言った瞬間、私には何を言おうとしているか分かり、涙があふれて来た。その後の言葉は、私は泣いてしまっていて、正確に聞き取れなかった。でも(少なくとも私には)、最初の言葉だけで、もう十分だった。会いたかった人に、会えることの幸せ。このシンプルで美しい言葉に、駒谷さんの万感の重みが篭められていたと思う。

 だが、表現者として生きていくなら、人の死という重大で厳粛な事柄をこそ、最大の心の糧にして欲しいと思うし、彼女の発した美しい言葉は、すでにそうなっていると感じさせてくれた。会いたい人に、もう会えない悲しみを知っていればこそ、生きて会えることの素晴らしさが、より深く理解できるのであり、その思いが、舞台の上のあなたを、さらに輝かせるのだ。それこそが、彼が最も強く望んだことに違いないのだから。

 あと、発言順が後だったために、たぶん重複しないよう、あえて彼のことを語らなかった人もいたと思う。一番悔しく、悲しかった時に、励ましてくれるはずのファン ( の 1 人 ) がいなかったことも、その人にとっては二重に辛かったと思う。だからこそ、まだ会えるファンからもらった言葉のうれしさ、ありがたさが、なおさら強く実感できたんじゃないだろうか。その気持ちも、ちゃんと分かっているよ、ということで。