AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

レコード大賞おめでとう

2011-12-30 22:22:58 | Weblog
レコード大賞、おめでとう!とうとうここまで来たね。

今年こそは間違いないと思いつつ、去年のこともあったので、確定するまでやっぱり不安だった。

家にいたら、結果がどっちでも泣き崩れそうだったので、あえて飲みに出た。そのせいで、六本木の飲み屋で小さなワンセグ画面を見ながら泣いている変なおっさんになってしまった(^_^;)。

明日は、きっとまた笑顔で

2011-12-26 02:33:57 | Weblog
 3連休、劇場には行かずに過ごした。11月に入院した、私より少し年若い友人が、残念なことに病に勝てず、眠りに就いた。友人関係の連絡などもあったが、何より、さすがに劇場に行く気分になれなかった。

 歳を重ねると、だんだん、そういうことが増えて来る。若くして、不本意に逝った友人を見送るたびに、今、己が生きていることの意味と、自分がどれだけ毎日を大事に生きているのかを、改めて振り返らされる。

 しかし、だからこそ、明日はまた、笑顔になろう。生きている今を真剣に、そして、明るく過ごしてゆこうと思う。たとえ今、自分の歩く道に日が射していなかったとしても、生きてその道を歩いていられるだけで、十分に幸せなのだから。

私的6周年

2011-12-12 22:09:04 | Weblog
本当は12/11なのだが、昨日は劇場休館日だったので、私にとっての劇場7年目が今日スタート。ケータイからなので簡単に。

会社を退勤時刻過ぎすぐに飛び出して、今日は対象内に行けると思っていたら、どうして電車が遅れるんだよ…(^_^;)。やっぱり私の日頃の行いが悪過ぎ…げふんげふん。

しほりんが劇場公演復帰。12/8の劇場6周年記念特別公演には出ていたものの、彼女の出番は1曲だけだった。今日はフル出演だったのかな。M10~12にいたかどうか自信がないけれども。とにかく無理はしないで欲しいところ。

今日はBメンバーも割と良かったのだけれど、それにも増して名取さんが良かったなあ。わかにゃんは一時、特に田野さん岩田さんという超実力派12期生が入ったあたりから、私の眼から見ると迷いを感じることが多く、全体としてもくすんだ印象になっていたのだが、最近は見事に押し戻し、それどころかどこかしら腹を括ったような頼もしさすら感じさせるようになって来た。引き続きその調子で頑張って欲しい。

6年間、いろいろなことがあったけれど、いつも劇場で輝こうとしている人たちの姿に癒やしと勇気と笑顔をもらって来た。ありがとう。そして、これからもよろしく。

6周年記念特別公演の感想・その1

2011-12-08 23:52:54 | Weblog
6周年記念特別公演、全体としては、まずまず楽しめた。

ちょっと通り一遍というか、無難に各チームの顔見せをしただけで、年に一度の「特別」感が薄めではあったけれど、あれだけのメンバーが顔を揃えただけで良しとすべきなんだろう。

一つだけ気になったのは、指原さんが浦野さんをネタにしたところ。よりによって6周年の日、初期メンバーであり、劇場公演出演数で歴代1、2を争う大先輩へのリスペクトがまるで感じられなかった。さしこごときがいつからそんなに偉くなったんだろう。

百歩譲って、指原さんがただ「いつものノリ」で言ってしまっただけだとしても、ああいうネタは本人がいる前で言うからシャレになるのだということは知っておいた方が良いと思う。

NMB48 2期生出張公演の感想

2011-12-05 02:56:47 | Weblog
 NMB48 2期生出張公演を見て来た。私が見たのは14:30からの1回目。抽選順はそんなに良いわけではなかったけれど、辛うじて座れた。

 実のところ私は、AKB48とSDN48は何とか全員分かるけれど、その他のチームについては申し訳ないが、自然に目に入り、耳に入ることで覚えて行くくらいで良いや、ということにして、強いて全員を覚えるということを諦めてしまった。NMB48はたまたま初日を観に行ったこともあり、1期生はどうにか覚えているけれど、2期生のことは、良きにつけ悪しきにつけ話題になった数人を除いてまったく知らなかった。そういう状態なので、見に行く前の気分としては、ちょっと遠い親戚の子を見るような感覚だったことは否めない。もちろんどんな子達なのかな、どんなステージをするのかなという興味はあるけれど、ものすごく期待して高まっていたというわけではなかった。

 結果から言うと、その程度のテンションで見始めたにしては、すごく楽しかった。うん、良いんじゃないだろうか。とにかく精一杯やり切っている感じがするのが良い。上手いかどうか、ということで言えば、そんなに上手いわけじゃないと思うんだけれども、もともと「PARTYが始まるよ」公演自体、粗が見えにくいというか、一生懸命やれば下手なりに様になる振り付けになっている(と私は思う)こともあって、ちゃんと客に見せられるだけのものになっているし、少なくとも私は観ていて楽しめるステージだった。聞いたところでは、8月13日の劇場デビューから3箇月余りの間に、すでに約50回の公演をしているそうだ。

 強いて難点を言うと、ちょっと味付けがこってりしている感じかなぁ。フリの細部に感情をたっぷり乗せようとし過ぎて、首が据わっていないみたいになっちゃったり、眉間にしわが寄っちゃったりしている人や場面を、しばしば見かけた。特定の誰というのでなく、ほぼ全員に共通していたので、たぶんダンスの先生とか舞台監督とかいった人が、そういう指導をしているのだろう。ただ、中には、それがあるパターンをなぞってやっているだけで、借り物のよそ行き服のように、本当に本人の気持ちから出たものになっていないように(私には)思える人や場面があった。もっとも全体として言えば、細部まできちんと演じさせよう、演じようという方向性は好感が持てる。年齢とか公演回数とか、その他の人間的成長といったものによって裏打ちされるようになれば、身の丈に合ったものになって来るだろう。

 あと「古参は何かと昔と比べやがってうるせーよ」と言われることを承知で書いておくと、若くて元気にやっているせいなのか、ダンス指導の先生がそうしているのか知らないが、フリの細部を簡略化したり、ニュアンスが失われていたりするところが散見された。例えば「スカート、ひらり」の「♪愛に向かうよ」の指差しのフリは露骨に簡略化されていた。ニュアンスの方で典型的なのは「星の温度」の「♪遠くで燃えてる」で腕を上げていくところは、微妙に肘を伸ばし切らないところに味がある、はずなんだが、天を突き上げんばかりに真っ直ぐ腕を上げている。

 さらに言うと、それは振り付けの改変じゃないのか(それもあんまり良くない方の)、という箇所もいくつかあった。「星の温度」の「♪普通に暮らしている」のところで、オリジナルでは右手の拳を軽く握って、マイクを持った左手の肘の内側に添えるのだが、NMB48版では右の掌を開いて左の肘を下から受けるようにしている。特に難度の差があるとも思えず、どういう必然性があるのか知らないが、私にはカッコ悪くなっているように思えた。

 まぁそれはまだ良いとして、48グループとしては定番中の定番である「桜の花びらたち」で、2番の「♪深呼吸しながら」のところの手が違うのだけは、すごく気になった。オリジナルでは掌を開いて客席側に向けたまま上から弧を描いていくのだが、NMB48版では手首を内側に曲げて掌を自分の方に向けた状態で弧を描いていく。それはそれできれいなのかも知れないが、コンサートなどでグループのスタンダードを全体で歌う時に、NMB48の2期生だけ違うフリをさせるつもりなのだろうか。

 細部に文句をつけてしまったが、話を戻すと、若々しくて元気が良く、生き生きと演じ切っているという点では、良いステージになっていると思う。大阪近郊の人だったら、ぜひ難波まで足を運んで観ることをお勧めしたい。

小林香菜の天衣無縫

2011-12-03 03:14:50 | Weblog
 もう月が変わったというのに、まだ私は劇場に行っておらず、そしてムカムカしている。ただし数日前のことを引きずっているからではなく、今は因果関係が逆だ。劇場に行くつもりでそわそわしている退勤時刻直前に、どーーしてドカンと残業ネタが入って来るんだよーー!!というムカムカである。今の仕事は楽しくやれているし、会社は好きだし、今日は頑張ってあれ片付けちゃうぞ!とか思ってる時なら残業もまったく苦にならんのだが、劇場に行くつもりの日に予定外の仕事が飛び込んで来る自分の間の悪さだけはムカついてしょーがない。そんなことになるのはやっぱり私の日頃の行いが悪…げふんげふん。

 数日前のこともね、冷静になれば後悔していますよ、ええ。対象外だろうと最後の入場だろうと、私は劇場公演を観ることから「降りる」べきじゃなかった。仮に何かでムカついていたって、公演を見ている間にはどーでも良くなっちゃって、彼女たちの生き生きとした魅力に癒され、活力をもらって劇場を後にする経験を、いくらでもして来たはずじゃないか。「観なくて良かった公演などない」ってことを、5年も前に思い知っていたはずじゃないか。良い歳をして些細なことに瞬間湯沸し器みたいにカッとして、後になれば自分の器の小ささが恥ずかしい限り。まぁしかし、それも凡人のサガというやつか。

 そんなことはさておき、今夜の話題はバスタオル小林に尽きる。香菜すばらしいよ香菜。何と言ってもバスタオルを巻いただけ(本当に「だけ」かどうかはともかく、そう見えるという意味で)などという、ふつーだったら目も当てられないはずの格好をして、あんなに清潔感あふれるさわやかな健康美にしかならない二十歳は、そうそういるものじゃない。

 しかもあの(微かにテレの入った)ドヤ顔である。アイドルもお年頃になれば、ファンサービスと言いつつお色気を振りまいて、その実、程度の差はあれファンに媚びようとするのはごく一般的なことだろうと思うが、そのような場合は往々にして、俗な下心がもやのように滲み出して、その人の姿を濁らせてしまうものだ。しかし香菜のあのドヤ顔には、そういう気配がまったくなく、ただファン(またはめーたん)と仮想的に対話し、純粋に面白がらせようとしているだけの透明感がある。生粋の天然が巧まずして見せる表情がどれほど上品で美しいかということを、身を以って示しているのだ。天衣無縫という現代日本語から失われかけている語彙は、今やまさに彼女のためのものだと思えてならない。

 あの何一つ飾る必要のない美しさに気づく業界人はいないのか。だからと言ってバスタオル小林のスタイルとポーズだけ再現させても、カメラマンや編集スタッフに相当の力量がないと、あの神聖な美しさは再現できない、というか、むしろあの天女の前では、作り手側の心底など容易に透けて見えてしまうと知るべきだ。被写体にあれほどのものがあると知りつつ、それにどこまで近づけるか、作り手としての実力と品性を賭けて挑んでみようというクリエイターがいるとしたら、その人はきっと「本物」だろう。どうかぜひ、小林香菜の天然の美を見出し、伸ばしてやっていただきたい。