AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

小林(茉)さんがかなり良くなっている件について

2011-08-23 00:51:19 | Weblog
 私はいつも、劇場で頑張って、光を放ち始めた人を、劇場の客席はきっと見逃さない、などと言っている以上、飯を抜いても睡眠を削っても書かなければならない時がある…と思ってはいるのだが、実のところ、書くのが少々遅れてしまうダメ人間なのは大変申し訳ない。とは言え、やはり今のタイミングで何とかして書いておきたい。

 あと、いつもの前置きだが、このブログはいつも「私の眼には」このように見えた、「私には」このように思えた、という私的な感想と妄想を綴っているのであって、もちろん人によって見方や思うところは違うであろうし、私の観察が事実だなどと言うつもりは毛頭ないし、当然私の見方が正しいなどと主張することもない。なので、もし私の見方と違っていた場合に、反論をいただくのは構わないけれども、穏健な言葉遣いの範囲で、建設的な内容にしていただくようお願いしたい。

 最近、小林茉里奈さんの劇場でのパフォーマンスが、かなり良くなって来たと思う。

 正直なところ私の目には、小林(茉)さんは研究生として入って来た当初から、良く言えば余裕たっぷりに、悪く言えば貪欲さに欠けているように見えていた。小林(茉)さんは最初からステージに立つことに臆するところがまったくなく、ダンスもそこそこに踊れていて、同期の中ではセンターに近い、良いポジションだった。「ああ、この期の中でのスター候補はこの子なんだ」ということが、誰の目にも分かりやすく、そしておそらく、彼女自身もまた、そう感じていたのではないか。

 そのせいか彼女を見ていると、劇場公演に対してまじめに取り組んではいても、パフォーマンスの印象は悪い意味で優等生的というのか、お行儀良く、こぢんまりとまとまってしまっていて、積極的にステージから何かを訴えかけて来るようには見えなかった。時間と順番を待っていれば、順当に、同期の中でも早いうちにメンバーに昇格して行ける--そんな風にいくらかの油断があったとしても、不思議はないだろう。本当にそんなこと思っていたかどうか知る由もないけれども。

 ところが、実際の風向きは少々違ったものになって来た。大学合格祝いという特殊事情はあったにせよ、10期から真っ先に昇格したのは仲俣さんだった。もともと7期からの復帰組という、これまた特殊事情はあるにせよ、11期の鈴木紫帆里さんが10期を飛び越して昇格して行った。その後も10期の中から市川さんが昇格し、そしておそらくは誰もが「次こそはそろそろ…」と思ったところで阿部さんと入山さんが昇格して行った。そうしていつの間にか、小林(茉)さんは、10期生の中で遅れを取った側の人になってしまっていた。

 そうなると、変に焦って空回りしてしまうのではないかという心配もあったのだが、小林(茉)さんはそんなことはなかった。むしろ腹を括ったかのような落ち着きを見せつつ、着実に日々の劇場公演のパフォーマンスを上げて来たのだ。もともと地力がある人だけに、意欲を持って打ち込めば、きちんと見栄えがする。研究生が大半の中にあっては当然として、チームに昇格した(あるいは組閣前からチームメンバーである)人たちの中にいても、パフォーマンスの良い人に目を引かれて見ると、小林(茉)さんだということが増えた。

 こうなるまでに少々時間がかかってしまったけれども、でも決して遅くはない。まだチーム4が自前の公演に向けて動き出していない今なら、十分に間に合ったと言って良い。だから今後は、最近見せているような意欲的なステージングを、きちんと続けていくことだ。そうすればきっと、評価は後からちゃんとついて来ると信じて良い。あの劇場は今も、そういう場所であり続けているはずだから。

おことわり

2011-08-17 03:48:52 | Weblog
 最近、各エントリのコメント欄に「どうせAKB48なんてそんなものですよ」とか「ファンはいつまでつまらない夢を見ているんですか」みたいなことをやたらと書き込んでくる人(またはそういう人たち)がいます。以前は、言っている内容が愚かだったり失礼だったりしても、著しく害があるもの以外は、できるだけ公開するようにしていたのですが、そのようにして公開していたら、どんどん調子に乗って「俺は醒めてるから現実が見えてるぜ、お前らと違ってcoolなんだぜ」的な書き込みを重ねて来るようになりました。いわゆる「中二病」の典型的な事例ですね(^_^;)。さすがに私もそういう人を構い続けてあげられるほど暇ではないので、数日前から、そういう書き込みについてはあんまり内容を吟味せず、非公開のままにしています。また、今後もそのようにします。ご了解ください。

 大体、そんなに醒めていて状況を見通せている人なら、そもそもアイドルとか芸能という、最初から虚飾と分かっている世界のことをさほど熱心に見ていないでしょうし、見るとしても私見とは別に、良い面も悪い面も分析的に捉えているでしょう。ましてやこんな個人ブログのコメント欄ごときで粘着しているはずがないですよね(笑)。それほどすごい人なのだったら、もっと有意義なテーマについて語るブログでも開設すれば良いことです。そこにたくさんの読者を集め、その中でAKB48について何が問題か、どのようにすれば解決可能かなどをきちんと論じれば、それはそれで読者の支持を得られることでしょう。そういうこともせず、ただ他人のブログの軒先で、ちっぽけな自己顕示欲を満たそうなどというケチなことをしている人は、何よりもまずそのような己の卑小さ、恥ずかしさを鏡に映して見るべきだと思います。

守るべきならば守ってやろう

2011-08-14 13:44:40 | Weblog
 友人から「あの件は、やっぱりあなたでも書きにくいですか」と突っ込みを受けた。NMB48の2期生について、過去のプリクラなどがネット上で閲覧でき、その内容について取り沙汰されている問題だ。ちなみにどうでも良い話だが、そもそも本人サイドが隠しもせず、それどころか進んでネット上で公開しているようなものについて、今さら「流出」と呼ぶのは実情に合っていない気がする。

 こうした問題に対する私の基本的な立場は「過去は問わない」というものであり、当然今回のことについても全力で擁護するつもりだった。それなのに今まで書かずにいたのには、二つの理由がある。

 一つめは、コメント欄に、エントリ本文とは全く関係ないくだらない書き込みがあったことだ。非公開のままだが、
某NMB48研集生に付いて 2011-08-11 07:25:02 NMB関係者
今、NMB
2期生のS,Rが、プリクラ流出で問題になっていますが、それについて、今後の活動や進退についてご意見を伺いたいのですが?
宜しくお願い致します。

というものだった。

 字面で「関係者」などと名乗れば、私がその気になって何か書くとでも思ったのだろうか。馬鹿馬鹿しくて話にならない。大体、本当に関係者だったら研究生という呼び方くらい知っているだろう。漢字変換のミスは大目に見るとしても「研集生」では読み方も違う。万が一、本当に何らかの関係者で私の意見を聞きたいならば、自分の身元を明らかにし、それと確認できる証拠を添えた上で、きちんと要請して来ていただきたい。いやもちろんそんなはずがないことは分かっているけれども。

 というわけで、こういうお馬鹿さんがいたせいで、へそ曲がりな私としては「絶対書いてやらねぇ」くらいの気分になっていたのであった。ただ、そろそろそうも言っていられなくなったので、渋々書くことにした。

 もう一つは、何かこの件に関して、割り切れないものを感じていたからだ。繰り返すが、こうした問題に対する私の基本的な立場は「過去は問わない」というものだ。48系列のグループのオーディションに受かるまでは、彼女たちは普通の女の子なのであって、彼氏がいたりプリクラを撮ったりするくらいは当たり前のことだ。「恋愛禁止」なのはアイドル、というか48ファミリーでのルールに過ぎないのだから、そこに入ってから、そのルールに従ってもらえれば良いだけの話だ。

 しかし今回の件、どうも私が割り切れないのは、ご本人がこの件に対して脇が甘過ぎるというのか、それどころか周囲の大人たちをなめてかかっているのではないか、という気がしてしまうことだ。これが写真2、3点程度で、他者による「流出」とか、自身がアップロードしたものの「うっかり消し忘れ」とかであればともかく、明らかに本人サイドから、継続的にアップロードしていたものを、大量に放置したままになっている。オーディションに受かったらすぐ消しにかかるべきではないのか。お披露目もして、研究生としてレッスンを始め、テレビに顔も出て、間もなく劇場デビューという頃になって、どうしてまだこういうものを残したままにしているのか。

 過去は問わない。けれども問題なのは、この件についての本人の認識の甘さ、そして周囲への甘えが感じられることだ。つまり問題の焦点は「過去かどうか」ではなく「現在の彼女を信じられるかどうか」になりつつあるということだ。

 なお、かつて過去のプリクラが流出したことで、総選挙で40位に入ったほど有望な研究生があっさり辞めさせられてしまったことと比べて、今回の処分が甘過ぎる、という人もいるが、私としてはあっちがクビなんだからこっちもクビにしろ、的な主張には賛成できない。過去に厳し過ぎる事例があったからといって、今回また同じことを繰り返す必要はないと思っている。加えて、いかに48ファミリーとは言え、AKB48とNMB48の違いというのもあるのだろう、たぶん。

 原則的に言えば、私の気持ちとしては、何か起きると事なかれ主義ですぐ解雇するよりも、過去は過去、現在は現在と割り切って、守るべきは守ろうという姿勢に共感する。ただ、それにしては、今回の件はいささか腑に落ちない。友達と居酒屋で飲み会をやっていたけれど、本人だけはお酒を飲んでいません、というのを、本人の言葉だけで信じてしまって良いのか。未だに大量の写真をネット上に残したままにしているのはどうなのか。つまるところ、彼女は本当に守ってあげるべき人なのか。

 私自身の気持ちとしても、結論は出ていない。

劇場公演への出演促進の妄想プラン・その2

2011-08-12 02:38:57 | Weblog
 前のエントリで書いたのは、「往々にして劇場公演を休みがちな」「メディア選抜級の総選挙上位組」に向けて「今後休んだ場合」の「ペナルティを課す」という方向だった。いわゆる「アメとムチ」のどちらかと言えば、明らかにムチの方ということになる。

 しかし、ムチだけではバランスが悪い。少なくとも、ムチ的な施策というのは後ろ向きであって、劇場公演に出演しよう/させよう(事務所が自社所属のメンバーを)というモチベーションを上げることにはつながりにくい。やはりここはアメも必要だろう。

 では、どうするか。先ほど、ムチ的施策の特徴について、まるで逆の策を考えれば良いのである。すなわち「これまでほとんど休まずに劇場公演に出て来た」「選抜に縁遠く、総選挙でも回のメンバー」に向けて「これまで出演を重ねて来たこと」の「ごほうびを上げる」というものであれば良い。それはズバリ、「過去1年の劇場出演回数(前座ガールのみの出演は含まず)の多い順でCD選抜を決めること」である。

 すでにじゃんけん大会勝者が選抜メンバーとなった「チャンスの順番」で、AKB48では誰がセンターになり、誰がCD選抜であっても、CD売り上げがそう大きく落ち込むことはないということが明らかになっている。であれば、1回くらい、劇場出演回数順で選抜を決めてみたって良いじゃないか。チーム4メンバーや研究生ばっかりの選抜になりそうな気はするが、それもまた良し、ということで。

 強いて問題点を挙げるなら、そういう人たちがごっそりと選抜になると、一時的に劇場公演が不安定になりそうな気がするところだが(笑)、そこはそれ、チームの壁を超えて、たとえばチームAのメンバーがチームKやチームBの公演のアンダーに入っても良いとするなどすれば乗り切れるだろう。

 あと、できれば「過去1年間」には該当しなくても、かつて劇場で「鉄人西中」とまで呼ばれた中西優香さん(現SKE48チームS)とか、一時期ものすごい勢いで劇場に出まくっていた横山由依さんとか鈴木紫帆理さん、AKB48劇場の6年近い歴史の中で累積出演回数がトップの人(たぶん現SDN48の浦野一美さんか、チームBの平嶋夏海さんのどちらかだと思うが自信がない)とかも、その選抜に入れて欲しいところ。

 ただ、これは、あくまでも「これまで頑張って来た人」へのサプライズ的なご褒美として発表し、1回限りで良いと思う。翌年以降は、たとえば毎回のCD選抜のうち1~2枠を「劇場公演で頑張った人枠」にするとか、CDのカップリング曲が各チームごとの楽曲になる時に、その立ち位置を劇場公演の多い順にするといった施策で対応する。

 この妄想プラン、意外と良いと思うんだが、どうだろうか。

劇場公演への出演促進の妄想プラン

2011-08-11 09:30:34 | Weblog
 劇場公演が大事、できるだけ出られるように…というのを、ただ言葉で言っていても、実現性は低い。だからこそ今のような状態になっているとも言える。ここで必要なのは、(1)共通目標の可視化と、(2)不達成時のペナルティの付与だ。

 そこで、(1)全メンバーに月に最低2日の公演出演を義務付け、(2)それが果たせなかった月数の分だけ、総選挙順位を下げる、ということを提案したい。

 具体的にはまず、特定の末尾の日を各チームの指定公演日と明言する。たとえばチームAは8・18・28日、チームKが2・12・22日、チームBが6・16・26日、チーム4は4・14・24日というように。ファンにはもちろん、マスコミや業界関係者にも告知する。これにより飛び込みの仕事のオファーが入っても、各事務所が「この子はチーム○なんで、末尾が△の日はダメなんですよ」と説明しやすくなる。

 で、指定公演日には、各チームメンバーは極力出演するよう、各メンバーの所属事務所も含めて全体で努力する。まあそうは言っても3日全部は無理だろうから、とりあえず2回をノルマとする。ただし例外として、連ドラの主役級と映画撮影くらいは、その期間だけ義務を免除しても良い。誰がこの免除期間であるかは、ちゃんと公式ブログ等で説明する。長期の病欠(診断書あり)の期間も免除。ただし突発的な体調不良などは本人責任。

 なお、指定公演日以外でも「月に2日」が果たせれば構わないものとする。ただし、1日2公演の日は2公演出ても1日分のカウント。逆に言えば、たとえどちらかでも構わないから出るように努めることが推奨されるわけだ。

 さらに「月に1日でも出ていれば、翌月に3日出演で『ツケ』を返すことができ、ペナルティを回避できる」「ただしツケは翌月まで、累積は不可」「免除期間以外で月に1度も出なかった場合はツケも不可とし、翌月のノルマが3日に上積み」などの細則を作るのもおもしろいが、あんまり細かくすると分かりづらくなるので、諸刃の剣といったところか。

 こういう制度を可視化した上で、不達成の月数に応じて、総選挙順位へのペナルティを課す。たとえば不達成の月が3回あれば、仮に票数では1位でも、最終確定順位は4位になってしまう。その分、2~4位の人が1つずつ繰り上がる。40位に入らない人にはペナルティがないということになるが、たぶんそういう人にはそもそもペナルティを課す必要もなければ、実際にペナルティ対象にもならないのではないかと想像する。

 予め「末尾がxxの日」と分かっていればスケジュール調整もしやすかろう。メディア選抜常連メンバーでも、この程度のノルマであればやり繰りして対応できるのではないか。

善意と美談の陰で

2011-08-10 13:03:05 | Weblog
 朝方まで書き続けていたのだが、ブログに載せる直前に寝落ちしてしまった。ので、会社から昼休みに上げておく。

 前のエントリについて友人から「あなたが高みな批判って珍しいですね」と言われた。私としてはそんなつもりはなかったので、ちょっとびっくりして「えっ、どこが?」と聞き返してしまった。「だって『研究生たちが劇場で頑張ってくれているから、私たちも安心して外の仕事ができる』って、あれ高みなの発言でしょ」と言われて、ああそう言えばそうだった、と思い出した。ただ私としては、高みな一人だけではなく、類似の発言をする、あまり劇場に出られていないメンバー全般について言っているつもりだ。そして、確かにメンバーへの批判ではあるが、メンバーその人の善意についての疑いは毛頭ない。その点について私の言葉も足りなかったので、いささか補足をしておきたい。

 おそらく、そういう発言をしているメンバー本人は、まったく悪気がないし、劇場を軽視もしていないだろうと思う。それどころか、本人たちにとって大事な劇場であるからこそ、そこに出られない現実を申し訳なく思い、代わりに劇場に出てくれている研究生(や、そこから昇格したメンバー)を称え、感謝する、というのが「彼女たちの」ロジックなのだ。だから「美談」なのである。彼女たち本人が劇場を軽視しているのであれば、劇場で頑張っている研究生やメンバーを称えるという文脈で持ち出すはずがない。

 ましてや、ほかでもない高みなにおいては、なおさらのことだ。高みながどれだけ劇場公演を大事に思っているか、どれほどの愛着と情熱を注いで劇場公演に取り組んできたかということは、5年半以上にわたって劇場公演を見てきた私としては、十分過ぎるほど知っている。本人も今年は劇場公演にたくさん出たいということを公言していた。裏表のない彼女のこと、その気持ちは紛れもなく本当だろう。

 だが、問題はここからだ。高みなが劇場公演に対して、ほとんど執念とも言うべき愛着を持って取り組んでいるということを、今は知らない人もたくさんいる。そして、たとえ本人の気持ちがどうであれ、劇場公演に出られていない現実は現実である。そのような状況で、高みなの思い入れといった背景情報なしに「研究生たちが劇場で頑張ってくれているから、私たちも安心して外の仕事ができる」という発言を聞いた時に、それがどのように受け取られてしまうものなのか、ということが一番の問題なのだ。それが「劇場軽視を公然と言い放っている以外の何物でもない」ということなのである。

 そして、発言した本人の意識と、それが実際にどういう意味をもって聞こえてしまうかとのズレが理解できるのは、他のメンバーや劇場スタッフなど、周囲の限られた人になるはずだ。だから私は「スタッフを含めた誰も気付かないのだろうか」と言ったのだ。送り手側にとって「美談」であっても、今のAKB48ファンがどのような状態にあり、どのように感じるものなのか、その現実が見えていなければ、その発言はまったく逆の効果をもたらすということなのである。高橋さんに限らず、現状で劇場公演にあまり出られていない人たちは、劇場公演と外仕事を対比するような発言については、誤解が生じないように十分に気をつけて欲しい。

 そもそも、どれだけ劇場公演が好きであっても、出られていないのが現実である以上、そこで「本当は劇場公演が好きなんですけど、なかなか出られなくて」という発言をしたところで、それが何になるのか、ということは考えた方が良い。おそらくスケジュールは周囲のスタッフが決めることであり、彼女たち自身の意思でどうなるものでもないだろう(つまり劇場を軽視しているとしたら、それは各事務所の問題ということだ)。しかし、だからと言って、メンバーが「劇場が好きでも出られない」をファンに言って、何か良いことがあるだろうか。先の例のように、本人の気持ちとはおよそ違う意味に聞こえてしまうのがオチだ。劇場公演が好きだということをことさらに語り続けなくても、知っている人は知っている。言うとしても、時々、大事な場面で語るだけで良い。

 加えて、そうした「美談」の陰で、現実には研究生のオーバーワーク状態が続いているということは、メンバーにも知ってもらった方が良いと思う。もちろん、メディア選抜で外仕事に忙しい彼女たちは、劇場公演組に比べて時間的にも精神的にも厳しい日々を送っていることだろう。そしてそういう彼女たちも、かつては同様に過酷な劇場公演の日々を過ごして来た。そうなると劇場公演で限界以上に頑張ることが「大変だけれど当然の道」になってしまうのではないか、という心配がある。だが思い起こして欲しい。これまでにどれだけの仲間が、慢性化した怪我のために無念の思いでAKB48を去って行ったかということを。そういう人たちを未だに、そしておそらく今後も産み続けることは、あなたたちの望むところではあるまい。

 AKB48ではメンバーもスタッフもファンも、その多くが「劇場公演で頑張る」ことを良しとして来た。私自身ももちろんそうだ、というよりむしろ、率先してそれを煽って来た側だというくらいの自覚はある。メンバーや研究生がより多くの出番とチャンスを求めていくつものポジションを習得し、公演が連日続いても全力ですばらしいパフォーマンスを発揮すること。だがそれが、最近は過度に美談化され、メンバーや研究生に対して、限界以上のものを求めることになっていないか。

 今は超メジャーなあのメンバーもそうやって努力して来た、だから成功したのだ、同じように頑張れと言葉で言うのはたやすい。だが、個々人には体力や能力の違いがある。ある人にはできたことが、別の人にはできないことだってある。心はそのつもりでも、身体が悲鳴を上げてしまうことがある。それを個々人の努力不足であるかのように言い繕うことで、見逃してしまっている、いや、あえて見ようとせずに済ませてしまっている問題があるのではないか。とりわけスタッフにおいて、必要な改善ができないことの免罪符になっていないか。私が最も危惧するのはこの点だ。

 人の歴史を振り返れば、美談の強要が起きる時、その背後では往々にして、腐臭が漂っているものなのだ。

沙羅双樹の花の色

2011-08-09 02:31:10 | Weblog
 何と言うかこのところ、AKB48関連で「高まれない」日々が続いている。ひっかかりの最初は、やっぱり西武ドームなんだろうと思う。

 私は素人なので単なる推測なのだけれども、劇場公演はもちろん、各種ライブやコンサートがそれ自体の入場料でペイするわけではなく、それが映像コンテンツとしてオンデマンドやらDVDやらで二次利用されることで収支が成り立つのだろう、ということは、何となく想像がつく。ただそれでも、西武ドームはあまりにも露骨だった気がする。

 あれだけ大きな会場でありながら、センターステージの中央部にぎゅっと固まったままで歌い踊るメンバー。おそらくメンバー間の立ち位置の距離は劇場公演と同程度ではなかったか。しかし今のAKB48は、そのやり方でも、あの大きなドームで、スタンド上段なら100m近く離れた場所にいる客を魅了するだけのパフォーマンスができるのだろうか。あるいは、コンサート向けの新しい立ち位置と振り付けを教える/覚える暇がなかったから、多くの曲を劇場公演と同じ感覚で踊れるようにしなければならなかったのだろうか。どちらであるかは知らないが、どちらであっても次に来る問いは一つだ。一体誰のために、何のためにコンサートは開かれるものなのだろうか。もし主目的がその会場にいるファンのためでないならば、それは良いコンサートになり得るのだろうか。

 ひっかかりは随所にあるのだけれど、挙げていくときりがないので、特に大きいのをもう一つ。SKE48の出番について言えば、1・3塁ベンチ前のサテライトステージも使い、さらにセカンド後ろあたりのサブステージで「パレオはエメラルド」を歌う、というあたりは、なかなか良かったとおもう。しかし問題はその後だ。あの大人数を柵もないサブステージに全員乗せたまま、あんなに高くせりを上げる必要があったのだろうか。確かに、約10mものせり上げは、あの大きなドームで遠目に見てさえも見栄えがし、迫力はあった。だが同時にそれは、客が不安になるほどの高さと密集度だった。いかに客を楽しませるためとは言え、それがメンバーの安全と引き換えに実現されるものであってはならないはずだ。メンバーを大事にしない演出で、私たちファンがどうして楽しめるだろうか。

 西武ドームで超人気メンバーを集めたスケジュール調整の反動なのかどうか知らないが、その後の劇場公演は、また以前のように研究生が圧倒的多数の「シアターの女神公演」と、SDN48公演ばかりになっている。週末は特にそうだ。ごくたまに行われる「目撃者」公演や「RESET」公演には選抜常連級のメンバーがほとんどいない。それどころか、そもそも公演を何のためにやっているのかすら疑わしく感じる。「公演の中で生誕祭が開かれる」というよりは「生誕祭のために公演を設定した」のではないかと思えてしまうほどだ。

 メンバーに外の仕事がたくさんあるのは良いことだ。彼女たちが引く手数多であることが、特にあの不遇の時代を知るファンとしてうれしくないわけがない。だから、今の状況を丸ごと否定するほど愚かではないつもりだ。しかしそれにしても、それにしてもなお、やはり限度というものがあるのではないか。特に大きな仕事(連ドラの主役級とか映画撮影)が入っているのであれば一時的には仕方ないが、そういった特段の事情なしに月に1度も劇場公演に出られないのであれば、もう「会いにいけるアイドル」の看板は下ろした方が良い。だからと言ってすぐAKB48を卒業すべきだ、なんて過激なことを言うつもりはない。ただ、少なくとも「劇場公演は『これからの』子達がやっています、私たちメディア選抜メンバーは劇場には滅多に出ません、でもまだ握手会では会えます」くらいのことは正直に言うべきだ。

 外仕事の忙しいメンバーたちが「研究生たちが劇場で頑張ってくれているから、私たちも安心して外の仕事ができる」といったことをしばしば口にする。言っているメンバーは劇場で頑張っている研究生たちを称えるつもりで、美談であるかのように語っているが、実のところ、それが劇場軽視を公然と言い放っている以外の何物でもないということに、スタッフを含めた誰も気付かないのだろうか。そして、そういう無神経な美談の陰で繰り返されるのは、研究生たちのオーバーワークと、それによる体調不良、さらには怪我、それも一時的な怪我ではなく、長期休養を要したり、慢性化してエンターテイナーとしての将来が危うくなりかねないような怪我だ。AKB48がこれだけ人気が出て、大きくなったのに、夢に向かう女の子の何割かを消耗し尽くしてしまう構造のままで良いのだろうか。

 誰もがAKB48の人気の中で原点を忘れ、足元を見失っていないか。確かに今、AKB48という大きな船に乗れば、一人で小さなカヌーで漕ぎ出すよりもはるかに容易に、華やかな場所にたどり着けるのかも知れない。だがそれは、AKB48の初心に照らして、望んでいたありようだろうか。夢、努力、信じる力、そして夢の実現。空虚に浮遊する言葉だけをいじりながら、その実、誰のための公演なのか、何のためのAKB48なのか、改めて考える暇も謙虚さもなくしてしまっていないか。

 夢に向かうメンバーや研究生の頑張りを大事にすること。客を大事にすること。劇場公演を大事にするということ。メンバーもスタッフも、それらの本当の意味をいつも考え、何度でも思い返し、繰り返し心に刻み続けて欲しい。何がAKB48をAKB48たらしめ、他のアイドルがいくらでもいる中で「国民的」とまで言われるほどの特別な地位を得るに至ったのか、その存立基盤に誠実でなければ、驕れる平家は久しからずということになりかねない。