AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

乃木坂46について遠目から思うこと・その2

2012-02-20 02:13:34 | Weblog
 前の「乃木坂46について遠目から思うこと・その1」のエントリの最後で「あんまり乃木坂46をAKB48ファミリーの一部に組み込み過ぎてしまうのは、長期的に見れば、もしかすると乃木坂46の持つ可能性を損ねるかも知れない」と書いた件について、いずれまた、とか言っていると、絶対書かずに時が過ぎてしまうような気がしたので、とりあえず雑だけれども書いておくことにした。

 AKB48が長年、苦心惨憺して築き上げて来た地位に対していきなり「ライバル」ってのもいささか虫の良い話という気はするけれど、それは乃木坂46のメンバーのせいではないし、仕掛けているのがAKB48を作り上げた御大ご本人であるならば、誰も何も文句を言う筋合いではない。まあそんな看板を背負わなきゃいけない子達は大変だなぁと思うけれど、それを承知でオーディション受けて入って来たはずなので、頑張ってもらうしかない。

 そしてまた、ライバルとは言いながらも、最初のうちは今のようにAKB48ファミリーとのつながりを生かした「良いとこ取り」をする方が得策に決まっている。どんなにきれいごとを言っても、そこそこに売れなければ話にならないのが芸能界というところ、だとは思う。そのためには、きれいに利用できるものは利用すべきだということに異論はない。他者を不当に貶めるようなやり方なら別だが、リスペクトし、いつか乗り越えたい目標にするという設定は悪くないと思う。

 ただ、あまり長い間、そういう「AKB48ファミリーの傘」の下に入れ続けると、名前が違うだけのAKB48ファミリーのグループの一つになり切ってしまう。だが、あえて「公式ライバル」と銘打ち、48ではなく「46」という微妙に違うネーミングを与えたのは、単に「東京を拠点とする48グループが二つあるのは収まりが悪い」といったような大人の事情によるものではないと思うのだが、どうだろう。おそらくは本当に、AKB48ファミリーとは違う何かを始めようとしているのだと解釈しているのだが、考え過ぎだろうか。

 まあどちらなのか、一ファンの身には知る由もないので、とりあえずここはそういう仮説の下に話を進めてみる。ここで唐突だが、私はAKB48ファミリーについて「次女がポイント」であるという独自の説を提唱している。提唱と言っても、今までのところ友人たちに話しているだけで、このブログにも書いたことがなかったのだが、妄想理論(笑)ということで書いてしまおう。

 AKB48では、何事につけ「長女」が開拓者として成功への足がかりを作る。だが、グループが本当に大きなものとなり、そして成功をつかむためには、開拓者としての「長女」の苦心を知りつつも、その長女に追いつけ追い越せと頑張る「次女」の存在が大きな意味を持つ。例えば、

1. 初期メンバー(後のチームA)に対するチームK
2. AKB48に対するSKE48
3. チームSに対するチームK II

…といった対比を考えると、なるほど「次女」の存在感というものが分かるだろう。

 ちなみにちょっと話がそれるが、こうした「開拓者としての長女」「負けじと頑張る次女」に対して、「三女」はともすると「唐様で書く三代目」のような存在になりがちだ(^_^;)。例外的にNMB48は、AKB48、SKE48に次ぐ「三女」でありながら、かなりしっかりしている。正直なところ、一時はNMB48についても「やっぱり三女は三女なのか?」って思いかけた瞬間はあったわけだが、まあステージパフォーマンスにかけてはしっかりできていると思うし、とりあえず雨降って地固まるというか、唐様で書く三代目になることは回避できたのではないかと思う。

 さて話を戻して、ではそれをさらに大きな目で見るとどうなるか、というのが、この話のキモである。つまり、

4. AKB48ファミリーに対する…?

と考えた時に、乃木坂46というのは、ひょっとするとAKB48ファミリー全体、あるいはAKB48プロジェクト全体に対する「次女」的存在になる可能性があるのではないかと思うのだ。つまり、この「次女」がしっかりと頑張って、成功してくれれば、長女ともども、さらなる高みに上っていけるかも知れないのだ。逆に言えば、この次女がしっかりしてくれなければ、長女もまた、今以上の発展は望めないかも知れない、ということになる。

 まあ今の時点で見れば、乃木坂46は到底、AKB48ファミリー全体を「長女」とした時の「次女」とは言えそうにないのだけれど、生まれたばかりの赤子が無力なのは当たり前。そこからいかに頑張って成長し、その過程で「次女」としての存在感を示していくか、ということが大事なのだ。そうであるならば、今のように、さながらAKB48ファミリーの末っ子のような存在として扱うのはほどほどにとどめて、公式ライバルの名の通り、きちんとAKB48ファミリーに伍していくような位置づけにしていく必要があるのではないか。そうしてこそ、あえて違う名前を与えた真価が発揮されると思うのだ。

乃木坂46について遠目から思うこと・その1

2012-02-19 21:46:43 | Weblog
 今の時点で、乃木坂46について思っていることなどを少々、メモ代わりに書き留めておく。ちなみに私は今の時点で、乃木坂46を生で見たのはTDCホールのリクエストアワーセットリストベスト100に出て来た時だけだ。興味がなかったわけではないけれど、とても手を広げていられないという事情もあり、これまで積極的に見ようとはしていなかった。

 もっとも、別に反感を持っているというわけでもなく、リクエストアワーセットリストベスト100の時に高みなが言ったのと同じように、広い意味で妹分という認識なので、乃木坂は乃木坂で頑張ってくださいといった感じ。むしろ「今ここまでデカくなったAKB48のライバルって、荷が重過ぎで気の毒だよなあ」と思っているくらい。今月くらいから、ネットでPVを見ることができるようになったので、時々見聴きしている。あくまでもその程度の浅い、または遠目に見た観察の範囲での感想ということをお断りしておく。

 「ぐるぐるカーテン」については、かなり良い曲をもらったなあ、と感じた。メロディーも歌詞も振り付けも難し過ぎず、思春期前期の女の子たちの、異性に媚びない素のかわいらしさを打ち出した内容。近い世代の男子的目線としては「女の子のないしょ話を垣間見る」感覚、私のようなオッサン的視点としては「うんうん若い女の子のそういうところはかわいいよねえ」的な感覚で見られると思うのだが、一方でおそらく同世代女子にも共感を得やすいものになっているのではないかと感じる。いやあの世代の女子の本音までは分からんので推測だけど(笑)。デビュー曲としてこれをもらえるというのは、やはり売り出しにかなり力が入っているということだろうと思う。

 c/wの「会いたかったかもしれない」は、率直に言って「ぅわ、こういう手があったか」と苦笑してしまう感じ。AKB48の「公式ライバル」と銘打っていながら、AKB48ファンにとって大事なメジャーデビュー曲を、よりによって短調に改変して、しかもそれをc/w扱いにするっていうのは、AKB48ファンとしては、ついいろいろ言いたくなってしまうところ。ともすれば「冒涜だ」などと言われかねないスレスレを狙いつつ、しかし、きちんとリスペクトでありオマージュであると言えるラインにまとめてあるあたり、すごいというか、やられたなぁというか。こういう「人の心に引っ掛かりを作る」ことの上手さ、その手法の意外さにかけては、さすがとしか言いようがない。

 ただ、あんまり乃木坂46をAKB48ファミリーの一部に組み込み過ぎてしまうのは、長期的に見れば、もしかすると乃木坂46の持つ可能性を損ねるかも知れない、という気はしている。どこら辺でAKB48ファミリーの傘の下から自立させるか、というのが、このグループが大成するかどうかの分岐点になって来るような気がしている。これについては、いずれまた別に詳しく述べる…つもりではいるんだけど、例によって述べないままになっちゃうかも知れない(^_^;)。

2012-02-19 21:52追記 最終段落をuploadし忘れていたので追加しました。

ぐぐたすに思うこと・その1

2012-02-19 06:17:22 | Weblog
 "AKB48 Now on Google+"、私の率直な感想を一言で言うと「ついて行けません」かなあ(^_^;)。いや、こういうのがおもしろいというのは、よーく分かっているし、実際おもしろいんだけど、私の今の生活の中ではとてもじゃないけど全部読んでいられないので、たまに覗いて、その時に流れているものをちらちら読む程度に留めている。

 日々のGoogle+での48関係の出来事をコンパクトにまとめているサイトなどもあるようで、何かの経緯を追う時には大変ありがたいのだが、そういうのを読むとリアルタイムに読めていないことがちょっと悔しくなってしまうし(笑)、ついGoogle+を見たくなっちゃうので、気持ち的に距離を置く意味でも、あんまり読まないようにしている。

 あくまでもその程度の距離感での話だが、個人的に一番面白いのは松村香織さんだなあ。Google+で人気の高い咲子さんとか石田さん、「んもう!」の倉持さんなんかの発言も面白いんだけど、こういうCGM的なものの楽しみ方を一番分かっているよなぁという意味では松村さんかなと。あと「やすす」氏は別格というか別枠ということで。

 個人的には、松村さんが少し前に、同姓の別人宛ての「業務連絡」に反応した時に「すげえ!」と思ったんだが、私の周囲でも同意してくれる人とそうでない人がいる。同意しない人は、単なる「やすす」氏へのアピールと思っているようだ。もちろんそういう側面も少しはあったのかも知れないけれど、私の解釈だと、あれは「誤解を承知の上で、あえて流れに乗ってみる」という、タイムライン上での一種のリアクション芸だったと思うんだよな。もっとも、ただ「私のことですか?」みたいなありがちな返しだったらまったく面白みはないのであって、あくまでも自分に振られた話という前提を維持しつつ、候補をいくつか並べ、それらの優劣を検討して「ここが良いです」までをすばやくやり切ったところが良かったと思う。

 あとは今さら言うまでもないけれど、やっぱりオリジナル動画の配信かなあ。とか言いつつ松村さんの動画を全部見ていないくらいの底の浅さで申し訳ないんだが、いわゆるネットラジオからニコ生に連なるパーソナルな発信の流れを汲むものといった印象。きれいに飾られた場所からマスに向けて発信されるものとは違って、その人の生活の場から等身大で、少数の「あなたたち」に向けて発信される映像。いささかぐたぐだだったり、いくらか内向きだったりもするけれど、松村さんの場合は「番組」らしい体裁を作ろうとしているところもおもしろいところ。コーナーを作ってジングルを入れたり、別設定のキャラを演じてみたり。

 そうした努力にも関わらず、私の周囲の人たちの間では「松村さんは頑張ってるけど、また報われないんだろうなあ」的な見方が多かった。実を言うと私も、そう思い込んでいた一人だ。「業務連絡」ネタはほとんどスルーされちゃったし、もともと松村さんに興味がある人以外は何分もある(最長15分もの)動画なんか見やしないだろうと思っていたからだ。プレイボーイ誌のぐぐたす選抜に呼ばれなかったことを知って「やっぱりそんな扱いしかされないんだな、かわいそうだけど」と思っていた。

 が、さすがに流れが変わって来たようだ。イノウエヨシマサさんが松村さんの動画のためにオリジナルOPとEDを提供しちゃうとかすげー!と思っていたら、プレイボーイでの連載が決まったり、SKE48カフェ・AKB48カフェで松村さんレシピのハヤシライスの提供が決まったりと、いろいろ動き始めたようだ。数日前の動画で松村さんがプレイボーイ誌での連載決定の報告をした後に「ここ1週間で私、人生が変わった気がします」「趣味で始めた動画がこんなことになるなんて思ってもいなくて」といった発言をしているところは、松村さん推しじゃない私のような者でも思わず一緒にうれしくなって微笑んでしまう良い笑顔。こういう、もしかしてチャンスの端っこに手がかかったかも?!という瞬間の、戸惑いとうれしさの入り混じった表情を見られるのは、AKB48ファミリーのファンをやっていて楽しいところだなあ、と思う。

 ただ、一つだけケチをつけさせていただくと、プレイボーイさん、松村さんの連載が4月からって少々遅くないですか(笑)。まあプレイボーイ誌ともなると連載入れ替えのタイミングとかきちんと誌面を作りこむための企画とかいった事情もあるんだろうけど、こういう「旬な」ネタには、直近の号の台割をにらんで「よし、ここに突っ込んじまえ」的な荒業をしてでも即時対応した方が、ネットに流れるネタのスピード感と熱さを誌面に生かせると思う。

2/14のチームA公演についての感想ないしは感傷

2012-02-17 03:24:50 | Weblog
 少し日が経ってしまったが書いておく。2/14、チームA公演に行って来た。今年から私は会社の終業時間が遅くなったもので、定時過ぎてほどなく会社を飛び出したのだが、その時間の通勤電車は当たり前のように遅れることもあり、開演に間に合わず。ただ19:10頃でまだ2曲目が始まったところだったから、開演が少し遅かったのかも知れない。

 ほとんど鬼気迫るほどの高みなはじめ、チームAメンバーは皆、それなりに気合が入っていたと思う。ただ、悲壮感のある気合の入り方ではなく、最近では久しぶりに岩佐さんの誕生日ということもあってか、明るい雰囲気。最近では久しぶりに、と言わざるを得ないのが少々残念ではあるのだが、AKB48の正規メンバーがちょっと本気を出せばこのクオリティはすぐ出るんだよな、と納得できる出来の良さだった。

 アンダーは3人、いずれも研究生でなくチーム4メンバー。大場さん仲俣さんは安定して良いパフォーマンスだったが、ある意味いつも通りであり、この日が特別すごいというわけではなかった。一方、この日の見ものは阿部さんだったかも知れない。いつも身長の高さときれいな身のこなしでクールビューティーではあるものの、キレとか緩急のつけ方といった点では今ひとつ物足りない印象(あくまでも私の個人的な感想)だったのだが、この日は引き締まった中にも華のある動きと表情が素晴らしかった。こういう経験を持ち帰って、ステージ上ではいつでも自分自身を心身ともにその状態に持ち込めるようになると、ステージパフォーマーとして一段も二段も階段を上ることができるのだが。

 「Pioneer」には、いろんな思いが交錯した。かつてPioneerとして荒野を切り拓きながら、報われることなく去った人たちのこと。今や沃野となったはずのこの場所から、Pioneerとしての栄誉に浴することなく、追われるように去って行った人のこと。今、吹き荒れる嵐のただ中にあって、そこに凛と立ち続ける人のこと。いつもそうした成り行きを見守り、ただ頑張れと言うくらいしかできない無力な我が身のこと。だが、立場が違い、道はそれぞれに分かれて行ったとしても、あの日々を覚えている限り、私たちはいつまでも仲間だ。逆風を引き受けながらそこに立ち続ける人を支える同志だ。あなたにはそういう仲間が、たくさんいる。どうか心を強く持って、信じる通りに進んで欲しい。

 岩佐さんの生誕祭は、派手な演出や大泣きはなく、ほっこりと暖かな雰囲気で進行。わさみんにとってはソロデビュー直後で最良のタイミングでの生誕祭だったことと思う。そしてまた、ソロデビューにどれだけ不安とプレッシャーを感じ、その中で何を感じ、何を掴み取ったかも伝わって来る、良い生誕祭だった。そして、その場にいるのに手紙を仲やんに読んでもらったらぶたんの「ほんとは(わさみんの)お母さんとか(の手紙)にしたかったんですけど、でも、どうしても伝えたいことがあったので」は、ツンの間からわずかに輝く最強のデレとして心に残る一言でもあった。

 バレンタインということで、もう1曲…ああ、今年はこれになっちゃうのか、とちょっと落胆したことは正直に白状しておく。「スイート&ビター」自体はかわいらしくて良い曲だと思うのだけれど、歌うのは6人。せっかくだから全員で歌って欲しいな、ということとと、あとはやっぱり、積み重ねて来た物語に対する個人的な感傷として、これじゃないんだよな、という気持ちがあった。だから、続けて「バレンタイン・キッス」を歌ってくれて、とてもうれしかった。

 そして、いろいろなことを思い返していた。劇場が迎えた初めてのバレンタインに、この曲を聴いて大喜びしていた友達のこと。その彼がかつて大好きだった国生さゆりさん本人が劇場に登場してメンバーと一緒に歌ってくれた時には、もう彼はそれを観ることができない「遠い街に引っ越し」してしまっていたこと。この曲をCDで出したユニットから、もういなくなってしまった人のこと。ベタ過ぎるかも知れないけれど、やっぱりこういうイベントデーには、定番の歌の方が良いような気がする。

 終演後にメンバーからチョコとメッセージカードの手渡し。私は300MVPの時に古参認定証に名前を書いてもらったことのある人からもらって、帰途に。

久しぶりのチームB公演

2012-02-12 19:45:47 | Weblog
 いつまでも引きずっていても仕方がないので、AKB48公演に復帰。あの一件以来、劇場には行ったけれど、出張公演だったので。よりによってチームB公演になってしまったのは単なる偶然だけれど、まあ、かえって良いのかも知れない。いつものように抽選順は悪く、立ち見の最後方から。これもまぁ、今回に限って言えば、かえって良かったのかな。

 しかし、楽曲としての『シアターの女神』が、その歌詞が、あんなに痛切に胸に迫るというのは、初めて知ったなぁ。知りたくもなかったけれども。警戒していなかったので、うっかり落涙してしまったけれど、今日だけ、にしよう。

 あと、いつか「シアターの女神」公演で最前に座れたら、ある曲の、まだ誰もやっていない(けれど、誰かが始めれば、きっと定番になりそうな)ところで、特別なコールをしようと思っていたのに、とうとうその機会もなかったなぁ。これも思い出と共に封印、かな。

 チームB公演については、メンバーがほぼ全員、それなりに丁寧にやっているのは伝わって来た。けれど、あんまり見ていてわくわくしないんだよな。仕事としてそつなくこなしていて、最低限必要とされるクオリティは満たしているのだけれど、何だろうな、ルーティンワークというか、淡々とやるべきことをやっているという印象で、訴えかけて来るものがあまりない、というか。生き生きと、公演を楽しんでやっているように見えたのは、チームBメンバーの中ではしほりんだけだった。曲ごとに見ると「この曲ではこの子は良かった」みたいのはあるんだけれど、1公演を通じて維持されていないというか。あと、一人ひとりはそこそこしっかりやっていても、チームとして立ち上がってくる力をまるで感じない。

 MCについては、正直、自己紹介MCの途中で一瞬、帰りたくなった。設定された「お題」のお約束を破ったことを言ってみるというのも、たまには面白いかもしれないが、この人はそういうことが多過ぎないか。まったく空気を読まずにしばしばそれをやり、他のメンバーが止めにかかっても聞く耳を持たないというのは、もはやチームのお荷物と言うしかない。ご本人は悪気がないというか、少なくとも楽曲についてはこの日、終始だいぶ丁寧に演じているのが見て取れたので、むしろわりと機嫌が良い日だったのではないかと思うが、MCについては根本的に考え直した方が良いと思う。

 もっとひどかったのはその次に自己紹介をした人で、前の人のぐだぐだをフォローするどころか、その尻馬に乗っていい加減なことを一つ二つ言って終わりにしようとする始末。この人は楽曲の方も、この日は精彩を欠いていた。1-4曲目まで、どこにいるか分からないほど存在感が薄かったし(※「私には」そう思えたということ)、その後の曲でも気が散っている様子だった。たまたま今日、1回だけのことなら良いのだけれど。

 あと、グループチャットの話とか「そらな」「なあたあ」の話とか、そもそもMCというのは何なのかをまるで考えていないメンバーが多過ぎないか。メンバーの間でおもしろがっていることを、客への説明がほとんどない(説明しようとした人もいるが言葉足らずで説明できない)状態でしゃべっているだけで、客のことは置いてきぼり。公演のMCが「女の子たちの内輪話を覗き見しているような楽しさ」で語られる時期はもう過ぎている。

 一方、アンダーの研究生は、わりあい良い仕事をしていた。田野ちゃんは安定のクオリティだったが、いつもに比べるとそれほど良いわけでもなかった気がする。小嶋菜月さんがかなり良かった。最初の頃の野生児みたいなおもしろさが、そのうち小さく押し込められてしまって、しばらく低調なように見えていたのだけれど、最近また、アイドルらしい輝きを上手に出せるようになって来た気がする。

 武藤さんも最初のうちはキョドっていて、動きもぎこちなかったのだけれど、今は年齢相応の魅力をしっかり出しつつ、笑顔で大きく演じていて、好印象。大森さんは相変わらず、身体いっぱいを使って自己主張するようなダンスと満面の笑みがすばらしい。動きの端々が角張っているのも相変わらずだけれど、は、きちんと訴えかける何かがあるというのは、上手い下手を越えたところで魅力的に見えるものなのだ、

 それにしても、チームB、大丈夫かなぁ…。

無自覚の邪悪に食い物にされる善意

2012-02-09 04:36:58 | Weblog
現代社会では、未成年は保護される存在、という建前になっています。それは私も承知しています。しかしそれは抽象化された一般論であり、あくまでも建前です。それを頭から信じ込み、予めその枠に現実をあてはめるように個別事例を見ようとするのはどうかと思います。現実には未成年者であれ、どうしようもないタチの悪い人間はいます。

さらには、善悪の判断がつかず、と言うよりも、そもそも悪という概念すら持たず、すなわち無自覚に、ただ自分の欲望を振り回し、周囲がそれを抑えようとすると暴力で押し通そうとするモンスターのような未成年者も存在します。ここで言う暴力とは、直接的に肉体を殴ったり蹴ったりすることだけではありません。ここでは、社会規範を逸脱した行為で他者の生活を脅かすことが暴力である、と捉えてください(分かりやすい例で言えば、暴走族の暴走行為は一種の暴力であるといった文脈です)。以下、今回の事例がそうだと断定はできませんので、私の妄想ということで参考までにお読みください。

このような「モンスター(=無自覚に邪悪な子供)」に対しては、他者に譲歩する心優しき善意の大人ほど、いいように食い物にされがちです。言い分を受け入れてやれば、少しはこちらの言い分も聞き入れてもらえるかも知れない、暴力的な行為を控えておとなしくなってくれるかも知れない。大人どうしならそういう暗黙の取り引きが通用するでしょうが、無自覚に邪悪な子供にとっては、自分の欲求を押し通すことが当たり前であり、引き換えに何かが必要だなどとは考えません。つまり、大人の側が期待する取り引きは成立せず、むしろさらに増長して暴力的に振る舞うでしょう。

そのようなモンスターが、超有名アイドルの家族に取り入って、何を要求すると思いますか。その中で何を守るために、何を差し出さなければならなかったと思いますか。どういう暴力的な状況にさらされて、どれほど絶望して言いなりにさせられたと思いますか。それでも善意の大人であればこそ、そんなひどい状況に対してさえ、最後まで責任を持とうとします。常識ある大人だからこそ、自分の側が悪かったと口にしてしまうのです。

さて、このような事態に対して、事態をきちんと解明することなく、法を型通りに適用するべきでしょうか。本人が認めているのだからと、法の精神を無視した表面的な解釈だけで、事務的に犯罪者を作り出すことが社会正義ですか。警察は捜査においてどこまでも正しく、決してやっつけのお役所仕事などしない組織でしょうか。マスコミはろくに検証もせず、それどころかわざわざ余計なプライバシー情報まで付加した上で面白おかしく書き立てていれば良いのでしょうか。

他のマスコミがほとんど報道しないことに疑問の声もあるようですが、まともな感覚の報道関係者だったら、この事態がおかしいことに気づくでしょうし、裏取りもしないまま情報を右から左に流したところで無価値であるばかりか、むしろ有害だと言うことは理解できるはずです。それでも有名アイドルの家族なんだから、スキャンダルとして流すべきですか。マスコミはそういう覗き根性に下世話に迎合すべきなのですか。

あー結局また寝付けないまま書いちゃったよ。明日、というかもう今日だが、また仕事が大変そうだ(^_^;)。

権力の暴走と一部マスコミの愚昧

2012-02-08 04:08:48 | Weblog
 どうしようもなく怒りが湧き上がって、寝付けない。どうしてこんな話になるのだ。

 びっくりする話をネット上のニュースで見て、ほかにいくつかのネット上のニュースを確認した。愚かな連中に加担することになるので、ここでは個人名などは一切書かない。コメントにそのような書き込みがあっても公開しないのでお断りしておく。

 既に出回っている情報だけを見ても、望まないことを強制されていた、弱い立場だったのが誰なのか、はっきりしている。その被害者でしかない人を、警察が得点稼ぎのために無理やり理屈をつけて、加害者に仕立て上げているだけじゃないか。こういうのを権力の濫用と言うのだ。公権力は社会正義の実現のために行使されるべきものではないのか。法は弱者を守るために執行されるべきものではないのか。こんな不条理をまかり通らせて良いのか。

 さらに愚かで醜いのは、そのような警察の横暴を批判するどころか、その尻馬に乗って個人を特定するような記事を掲載しているという週刊文春だ。対象者が本来は被害者であることを承知の上で、売らんかな主義のためにわざわざ名指しして、弱い立場の人をさらに餌食にするとは何事だ。まさに週刊文春そのものが暴力の主体ではないか。本来ジャーナリズムは警察の間違いを糾し、権力の濫用への防護壁になるべきだというのに、そのざまは何だ。ジャーナリズムの使命も誇りも悪魔に売り払い、金と権力の走狗に成り果てたか。もはやジャーナリズムを名乗るのも汚らわしい。

 こんなことを許してはいけない。こんな不公正を放置することは社会の自殺行為だ。本当の被害者をきちんと守らなければならない。

 そして最後に、これによって傷ついている人へ。私たちはあなたと、あなたの大切な人たちの味方だ。大丈夫。安心して進んで欲しい。

KII出張公演を見て来た

2012-02-07 22:54:45 | Weblog
 SKE48チームK IIによるAKB48シアターでの出張公演を見て来た。実は私にとっては「ラムネの飲み方」公演自体が初見。

 いやあ、楽しいわこれ。正直、もともとK IIにさほどの思い入れがない私が、しかもいろいろあってテンションが上がらないこのタイミングで観て、それでも楽しいと思えたし、観て良かったと幸せな気持ちになれた。

 セットリストはなかなか良いと思うけれど、正直、B3rdやS2ndのような神セットリストとまではいかないと思う(※あくまでも私個人の好みに基づく感想)。ダンスは頑張っているけれど、すごく上手いというわけではないと感じた。特に、何人かはもうちょっと頑張らないと、この先、チームの中でも取り残されかねない。ただそれでも、メンバーが全力でやり切ろうとしてることは感じ取れたし、そしてここからが重要なのだが「全員から」そういう気持ちを感じ取ることができる。個々のキャラクターはずいぶん違うようだし、体格や年齢や上手い下手を含めて凸凹はある。けれど、全員が「楽しみながら」それぞれの精一杯を持ち寄って一つのステージを作り上げているという意味で、伝わって来るもののあり、観る者の心を動かす何かがあるステージングであり、充実した良い公演だったと思う。

 しかし、AKB48が好きな身としては、いささか悔しいなぁ。今、チームA、K、B、4のどこが、あれだけのステージングができるだろう。外仕事で磨かれた選抜常連級の輝きや、研究生時代から劇場歴の長いメンバーのソツのない上手さは、まだ一枚や二枚は上かも知れない。だが、あれだけ劇場公演に打ち込むひたむきさや、気持ちのこもったステージングが、今のAKB48各チームにあるだろうか。少なからぬメンバーが各種メディアでフィーチャーされていることのアドバンテージを除いた時に、本当の意味で、ステージパフォーマンスそれ自体で人の心を動かすことができるのは、どちらの公演なのだろうか。

春立つ今日の

2012-02-04 22:08:48 | Weblog
 行けなかった。そもそも券を持っていなかったけれど、仮にあっても行けなかったと思う。代わりに、というわけでもないけれど、もう彼女が立つことのない劇場で、これからの人たちが生き生きとした公演をしているのを見ていた。

 連日の寒さが少しだけ緩み、なるほど立春なのかと思える1日だった。彼女がAKB48のメンバーとして立った最後のステージには、どんな風が吹いていたのだろう。せめて彼女を迎えた視線が、冷たいものでなかったらいいのだけれど。

 春立つ今日、AKB48から旅立つ人に、これからも暖かな陽光が降り注ぐことを祈りつつ。

 さようなら、AKB48のなっちゃん。

堆積したダメージの中から

2012-02-03 03:06:26 | Weblog
 今回の件、さすがにダメージがでかい。劇場にも足が向かないし、CinDyのカフェイベントも申し込んだものかどうか、迷っているところ。

 それにしても私が推しとか隠れ推しとか内心で推し候補とかにした子達が、こうも立て続けに不幸な目に遭うとなると、我が事ながらもう本当に何かの呪いじゃないかという気がして来る。私が呪っているはずはないのに、どうしてこんなことになるんだか。

 いつまでも引きずってはいられないので、そろそろ、劇場公演観覧にも復帰したいところ。ずっと劇場公演をを見届け続けるのが、私の果たすべき役割なのだと思っているので。とは言え、こんな時はさすがにつらい。

 次の推しは見つかるかなあ…とか書くと全方向から「頼むからウチの子だけはやめてくれ」とか言われそうだなぁ(^_^;)。誰かメンバー・研究生の中で「私なら大丈夫ですから推して!」とかいう勇気のある人いないかなぁ。いるわけないか(笑)。ていうかこんなところ読んでいないだろうしな。それに万一言われても(妄想妄想)今はこちらが怖いので推せないし。