AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

オーディションというものについて・その1

2009-01-30 02:12:34 | Weblog
 前々から書きたいと思い、メモ程度の断片はあったのだが、このところ私が個人的に仕事からの帰りが遅い上に ( 今日はとうとう会社から直帰で午前様だ )、AKB48 は毎日がジェットコースター状態で書かなければならないことが多過ぎるということで、なかなかこちらをまとめられずにいた。とりあえず途中まででもまとめて、載せておくことにした。

 オーディションというものについて、思うところを述べておく。特に、オーディションを通れず、ふるい落とされてしまった人たちに向けて。そういう人たちがこんな一ファンのブログなんぞを読んでいるかどうかは分からないけれど、何かの形で言葉が届くことを祈りつつ。

 まずはっきり言っておきたいのは、オーディションというのは「お見合い」みたいなものだ、ということ。選ぶ側と選ばれる側との相性が問題なのであって、決してその人の絶対的な価値を測っているわけじゃない。

 基本的にオーディションをやる側は、「どういう子が欲しいか」ということを考えている、はずだ。それは、例えばタレント発掘イベント的なものだったら、それぞれの主催事務所の業務内容や、その事務所のカラーといったものが大きく影響する。

 例えばアイドルからバラエティ系に強い事務所が主催するオーディションと、モデルから女優系に強い事務所のオーディションがあったとしたら ( あくまでも仮定の例ということで )、その両方で上位になれる人というのは、ほとんどいないだろう。もし仮に、どちらでも最終選考に残れるほどの人がいたとしても、その人はたぶん、どちらのオーディションでもトップには選ばれないだろう。

 さらにもし万一、どちらでもトップになれるほどの逸材が存在したとしたら、その人がそれまでに誰からも見つけられることなく、のこのことオーディションに出て来ていること自体が何かの間違いだ、と言うべきだろう。そんな存在は周囲がさっさと見つけてやるべきだからだ。

 話を戻す。AKB48 のように、たびたびオーディションをする場合には、上記のような基本的な方向性に加えて「今回は」こんな子を入れたい、といった、その時々の事情というものがある。全体としても「今回は元気な子たちが良い」とか「やっぱりある程度はダンスが出来る子じゃないと後が大変」といった雰囲気は毎回違っているはずだ。

 さらに、いわゆる「キャラかぶり」があった場合に、それが不利に働く場合もある。前回のオーディションでこういう子が受かっているから、また似たタイプの子を採っても…というようなことは、普通にあり得る話。あるいは、一緒にオーディションを受ける子どうしでさえ、「似たようなタイプの子は 2 人要らない」と判断される可能性がある。

 というところで、まだ途中だが、今夜はもう寝なければならない。続きはいずれまた。

何はともあれ劇場

2009-01-28 03:04:19 | Weblog
 こういう時は、やっぱり何はともあれ劇場公演を見るしかない、のだろう。このところ私は仕事が終わって家に帰るのが連日 0 時近く、平均睡眠時間が 3 時間を割り込みそうで、毎日フラフラなのだが、仕事を無理やり打ち切って、何とか劇場に駆けつけた。ちょっと遅れて対象外のため、劇場最後方から。

 チーム B の何番目かに長い日になるのかと思ったが、早乙女さん本人にも他のチーム B メンバーにも、意外なほど暗さはなく、さすがにいつもより引き締まったステージだったとは思うものの、悲壮感は全く感じなかった。そのように演じ切ったのだとしたら見事。しかし私の印象としては ( あくまでも印象だ )、「本人からの申し出」が、実は本当なんじゃないかという気がしたほどだった。

 その印象を私の友人たちに言ったところ「いやー、それはさすがにないでしょ。たとえば卒業か降格かを提示されて、『じゃあ降格で』って言うしかない場面になったとしても、それを本人からの申し出とは言わないでしょ」と猛烈に批判された。だが、いずれにしても真相は藪の中なので、あとはどういう物語を信じるか、だけなんだろうと思う。私は前のエントリを書いた時とは違って、今は額面通りを信じてみようという気持ちになっている。もちろん、そうじゃないストーリーを信じる人も多かろうと思うし、いずれが正しいとか間違っているなどという議論をするつもりはない。だって真相は分かりようがないんだから。

 「鏡の中のジャンヌ・ダルク」に小原さん。まともにレッスンする時間がほとんどなかった様子で、出来についてはこれ 1 回でとやかく言うべきではないと思う。それでも最低限度、ステージの上に立つ人としての振る舞いにはなっていたのは立派としておこう。

 早乙女さんのことについてはもうちょっと語りたいのだが、連日の寝不足でそろそろ深刻に体調に問題が出つつあるので、今日はこの辺で。

相変わらずのジェットコースター

2009-01-27 03:08:11 | Weblog
 日替わり、というか、ともすると 1 日にいくつも、という勢いで、いろんなことが起き続けている。

 元研究生の 1 人がとんでもない ID (^_^;)でブログを始めたかと思ったら、もう終わるらしい。もう AKB48 から出されて普通の女の子になったんだろうし、内容的にも別に AKB48 の暴露話をしようってわけでもなさそうだから、ブログくらいやっても良いような気はするけど、まぁあの ID だけは止めた方が良いかも(笑)。あと、これからまた何らかの芸能活動をするつもりがあるんだったら、慎重にした方が良いのは確か。特に、次の AKB48 関連のオーディションを受けるつもりがあるんだったら、その結果が出るまではじっとしていた方が良いかもね。

 でも、そういう小賢しい処世術なんかぜーんぜん分かってない子が、ファンにちゃんと去り際の挨拶ができず、お礼を言えなかったので伝えたかった、っていう一心から、ブログでメッセージ発信しようとした気持ちが泣かせるじゃないか。AKB48 の「近さ」とか「ステージと客席の垣根がない仲間意識」って、そういうもんだったよな、と思う。性格の良過ぎる子は AKB48 に残りにくいのかねぇ…。ちなみに、ここでも私は出遅れ。あまりにも変な ID だから、釣りじゃないのこれ?などと思って様子見ているうちに閉じる宣言出ちゃうし。あーあ。

 早乙女さんの研究生降格については、正直なところ、訳が分からない。私の見る限り、歌やダンスがとびきり上手いわけではないにせよ、パフォーマンスとしてそんなに悪いとは思っていなかった。あえて言うなら、MC が相変わらず「ただの身内のおしゃべりをステージの上でやっているだけ」的なところはあるのだが、それは程度の差はあれチーム B メンバーの多くに共通していることであり、早乙女さん一人が責めを負う種類のものではないだろう。今一つ煮え切らなかった「ポジティブポジティブ~」のキャッチも、最後に「ウ~、Yeah!」とかいった掛け声を追加して〆れば、もうちょっとマシになっただろうに、まぁ本人の工夫が足りないと言えばそれまでだが、ファンも何かアドバイスしてやれよ、という気がしたんだよなぁ。…って、話がそれた。てか、私がしてやれば良かったのかも知れないが。

 で、とにかく訳が分からないので、表面的なことを捉えてどうこう言うわけにもいかないのだが、何か表沙汰にしにくい事情があるのかなぁという含みは感じる。もし実際にはそんなものがないのに、結果的にそう感じ取れるような言い回しになっているとしたら、それは非常にマズいことだと思う。逆に、もし本当に何らかの事情があるのだとしたら、なおさら、それと察せられるかのような言い回しを避けるのが、良い意味での「大人の対応」というものではないのか、という気がする。

 事情を伏せた上で、冷たく厳しい態度で本人を試練の谷底に突き落とす役を演じる選択をしたのだったら、「本人から申し出があったので」とか「本人のためを思っての結果」とか「一緒に見守って行きましょう」といった中途半端な良い人ぶりは捨てて、いっそファンからの「早乙女はあんなに頑張っているのに事務所は鬼か!」という非難の声を一手に引き受けるくらいで良いんじゃないだろうか。

 物事が何でもそうであるように、そして特に将来のある若い子たちに関わっていたり、または人の「夢」とか「物語」を紡ぐ場面であったりすればなおさらそうであるように、何らかの物事をめぐる事情のすべてが語られるということはあり得ないのであって、沈黙の中に呑み込むと腹を括り、毀誉褒貶をすべて引き受け、表面的な辻褄だけを合わせて乗り切らなければならない場合がある。ただ、そうであるならばなおさら、事務所側の人々もまた、物語を「演じる」立場なのだということを理解していて欲しいと思う。その時に、ファンにとって納得しやすい物語の筋道をつけるということも、作り手として必要な技量なのだ。

小原さんチームB入りについて

2009-01-25 08:05:50 | Weblog
 研究生だった小原さんがチーム B メンバーに昇格した。ちなみに、あっという間に公式ブログに掲載されたと聞いたので、このブログではあえて速報を打たなくても良いか、ということで見送らせてもらい(^_^;)、今さらエントリを書いている。

 小原さんがいつまでも研究生に据え置かれている方が不思議だ、というのは、このブログでも先日書いた通りなので、メンバー入りは大変喜ばしい。ただチーム B というのは、非常に意外だった。私も私の友人たちも皆、まったく予想していなかった。

 ここしばらくの動き方から見て、小原さんが A に、そしてもう一人 ( あえて名前は挙げずにおく ) が B に昇格して、B から一人卒業すると、ちょうど A、K、B、研と 4 チームが各 16 人になるってことだよね、と思っていたのだ。まあきっと、そういう「誰でも予想するようなこと」は、あえてやらない、というのが、AKB48 流なのだろう(笑)。

 ただ、ちょっと考えてみると、松岡さんが卒業、佐伯さんが長期休養中、浦野さんも次第に外の仕事が増え、劇場を休演することが増えつつある今の時期に、チーム B に年長者が一人いるというのは、確かに良いバランスなのかも知れない。

 それって要するに本人のためじゃなく、大人の都合だよね、っていうことになるわけで、ちょっと引っかかるところはあるのだが、もし仮にそうだとしても、とにかく AKB48 では研究生よりメンバーになることに意味がある。そして、シンディやなっちゃんがそうであるように、与えられた条件、状況の中でベストを尽くしていれば、良い風向きに出会うこともある。後から入って年長というのもやりにくい面はあることと思うが、頑張って欲しい。

 なお、妄想ブログとしては、そんな常識的な話ばかりしても仕方がないので、ここは馬鹿馬鹿しい仮説として「カフェっ娘出身メンバーはチームに 1 人の法則」を提唱しておきたい。カフェっ娘出身者はこれまでに 3 人。篠田さんがチーム A、大堀さんがチーム K である。しかしチーム B にはいなかった。だったらもう 1 人のカフェっ娘出身者をチーム B に入れれば良いじゃん!ということで、小原さんはチーム B に決まったのではないかと(笑)。

 …意外にこういうのが本当だったりすることがあるのが AKB48 なんだけどね(^_^;)。

チーム研究生についての違和感

2009-01-23 03:11:06 | Weblog
 チーム研究生という定義矛盾みたいなネーミングとか、オーディションを通って研究生として劇場ステージに立っていた人たちをわざわざ落とすオーディションをやり直したこととか、そういうのはとりあえずどうでも良い。大人たちの側で決めた話だから、少なくとも彼女たちの責任じゃない。

 ただ、AX での自己紹介で、団結団結と口を揃えていっているのが、何だかとっても気持ち悪かった。それも大人たちに言わされている、ないしは思い込まされているのかも知れないけれど。

 かつての研究生公演では、自然発生的に「団結」が生まれていた。みんなが不安で、実力も経験もバラバラで、でもとにかく全員でステージを作り上げ、成り立たせなければならなかったから、団結せざるを得なかった。それがステージの上に見て取れた。だから人の心を動かす力があった。

 しかし今、あちこちで丹精込めて仕込まれた切り花を取り寄せて、花束を作るために「団結」という紐で縛ってみても、それは何かの感動を生むのだろうか。名産地の温室で大事に育てられて来た蕾たちは、きっとそれぞれ大きくてきれいな花になっていくことだろう。でも、そんな花束だったら、どこの花屋でも買えるんじゃないだろうか。

 不揃いで、上手く咲くかどうかも分からない野の花の蕾たちが、ただ夢だけを心の支えに摸索し、仲間と自然に団結し、互いに成長していく中にこそ、AKB48 ならではの「物語」が生まれる求心力があった、ような気がする。それを昔話にしてしまった今、新しい物語はどこに、何を求心力として生まれることになるのだろう。

4日目は遠くから見ていた

2009-01-22 02:43:42 | Weblog
 AX ライブ 4 日目、全日程が終了。今日は一言で言うと距離を感じながら見ていた。物理的な距離じゃなく、私の気持ちという意味で。などと書くと、なんか僻んでいるみたいな言い方だが、別にそういうわけではなく、コンサート自体はのんびりと楽しめた。私にとっては永遠の一推しである里菜てぃんが出て来てくれたし、一番出て来そうになかった花ちゃんまでもが来てくれた。強いて言えば、なるっぺの姿も見たかったな、という気はしたけれども、まあきっと都合が悪かったのだろう、と思っておくことにする。

 まあ、今日はすごく後ろの方からまったりと見ていたので、物理的な距離もあったのは事実。とは言え、ステージの 7 割くらいは見える場所だったので、昨日よりむしろ良かったくらい。ただ私より少し前に、やたらと私語が多く、調子はずれのはしゃぎ方をしている人たちがいて、いささか興ざめ。その人たちは至って楽しそうだったのと、私が文句を言うにはちょっと離れていたのとで静観していたが、少々イラっと来た。AKB48 も人気が出て、いろんな人が見に来るようになったってことなんだろう。

 各曲の順位はいろいろなところでかなり意外だった。例えば、私は「黒い天使」はかなり気に入っているので、もっと上だと思っていたんだけどなぁ。「何て素敵な世界に生まれたのだろう」が入っていなかったとか、「桜の花びらたち」が10位だったとか、まあ言い出すときりがないが、とにかく意外性があった。絶対に「大声ダイヤモンド」が 1 位だろうと思っていたら「初日」だったのもそうかな。まあ、理由をいろいろ推測することはできるんだけれど、それが当たっているかどうか確認できないわけで。

 里菜が出て来たのはうれしかったんだけど、その割にあまり高まらなかったのは、私にとっては、まだ「AKB48 には里菜がいるのが当たり前」という感覚が抜け切っていないためなんだろうなと。里菜てぃんがいることがごく自然なことに思えてしまって「特別」な感じがしない。でも、いくら何でももう、里菜がいない AKB48 に慣れなくちゃいけないのにね。

 この 3 年あまり、私も一ファンとして、AKB48 という物語と共に歩んで来た、つもりだったけれど、彼我の距離はいつの間にか、もうとてもとても遠くになってしまったのだなあと、何故かそんなことを思いながら見ていた。それで良いのだと思う。私はもともと「アイドルは遠くにありて思うもの」だという考え方だったし、やっと AKB48 が、「普通の」アイドルになったということなんだろうと思う。私はこれからも、遠くからのんびりと AKB48 を見続けていければ良いや、と思った夜だった。

3日目は何とも言えない

2009-01-21 02:49:00 | Weblog
 AX ライブ 3 日目が終了。今日は判断保留。いや、ライブ自体はなかなか良かったんだろうと思うけど、私のいた位置からだと、ステージが半分くらいしか見えなかったので、何とも言えない。まあ、あの空間に一緒にいられただけで幸せということで。断片的にいくつかだけ書いておく。

 「7時12分の初恋」に大江朝美さん、「投げキッスで撃ち落せ」に増山加弥乃さん。「7時12分の初恋」に加弥乃ちゃんが出て来なかったので、「ああ、加弥乃ちゃんは来ないのかな」と思っていたら、ちゃんと曲を分けて出てくるあたり心憎い演出。加弥乃ちゃんについては私も「声変わり」という言葉を思い浮かべていたので、同じこと考えたメンバーがいたんだなぁと。

 前田さんはじめ、チーム A の人気ユニット兼、シングル選抜メンバーの出番がかなり多かった。前田さんは昨日に続いてお疲れ気味のようだが、それなりに頑張ってこなしていたように思う。MC のお題を聞いていないのは、まぁいつものこととして(笑)。

 ちぃちゃん、小原さん、れいにゃんあたりがフル回転。いろんなところの代役に出まくっている。本当にすごい。おつかれさま。ちなみに「涙の湘南」で、ちぃちゃんが折井さんポジションの代役をやっていたのだが、そのすぐ近くのひな壇にはチーム B 公演で同じポジションをやったはずの浦野さんが座っている。レッスンをチーム別でやっていたということなのかなと。

 ひな壇でフリ「真似」をやっているメンバーはたくさんいるし、また、その曲に出たことのあるメンバーが一緒にフリをやっている例も多い。でも、中には「あれ、この子、この曲は出たことないはずだよな」と思うのに、フリ真似の域を超えて正確なフリをやっている子が時々いる。私が特に驚いたのはみゃお。そういうのが何曲もあった。恐るべし。

 まいまいさんが駆けつけて「涙の湘南」に出たのだけれど、声が違ったような気がする。きっと私の気のせいだろう、うん。

 複数のチームが同じセットリストをやったことがある場合、今回は古い方のチーム優先で歌っているようだ。しかし、新しいファンが新しいチームの方を期待して投票した可能性もあり、来年あたり、新しい試みとして、例えば「禁じられた二人 ( チーム K )」と「禁じられた二人 ( チーム B )」を投票項目として分けてみたらおもしろいかも、と思った。

 上位は新しい曲が多いなぁ。明日はいくつかの定番を除けば、最新セットリストの曲だらけになったりするんだろうか。

 などと書き散らかしているうちに、また夜更かししてしまった。明日までは何とか体調をもたせないと。おやすみなさい。

2日目は楽しかった

2009-01-20 01:14:11 | Weblog
 AX ライブ 2 日目が終了。今日は冒頭から「あなたとクリスマスイブ」をあゆちるオリジナルで聴けるというぜいたくな始まり方。今井さんは今日も出演、そして成田梨紗さんも駆けつけるなど、卒業しても AKB48 のつながりは続いているんだということを感じられて、暖かな気持ちになれた。卒業したメンバーにしゃべらせてあげようなんて心遣いがまるでない A メンの遠慮のなさも、今日のところは、相変わらず昔の仲間意識のまんまなんだなと、良い方に感じられた。今日は見知った研究生がいなくなってしまった事実に直面するというショックな出来事もなく、最後まで楽しめた。もちろん「蜃気楼」をはじめとしたいくつかの曲では、卒業してしまった私の一推しを思い出すんだけれども、それは「卒業したら他の人が歌うのが当たり前」な楽曲なのであって、Chocolove from AKB48 の楽曲とは訳が違うので、ショックを受けるようなことはなく。

 ちなみに「蜃気楼」は、出て来た 2 人を見た時に「ああ、やっぱりちぃちゃんが里菜ポジの後釜だよなぁ」と思ったら、見事に外れ(笑)。中田さんは小嶋さんポジション、中西(里)さんポジションは宮崎さんだった。中田さん宮崎さんともかわいそうなくらい緊張しまくっていたけど、初めてにしてはちゃんと歌えていたと思う。おもしろかったのは、高音パートが里菜の声だとやや細くて背後に隠れていたのが、宮崎さんだと中田さんの声より前に出て主張していたこと。こういうのは違う人が歌うからこそ出会えるおもしろさ。ただ、あえて苦言を呈させてもらうと、中田さん宮崎さんとも、曲が終わった後にすたすたとハケでしまっているのが惜しい。あそこはハケ切るまで物語に浸り切ったゆっくりした歩き方で行くのがよろしい。次回があったら、その折に期待。

 そうそう、今さら昨日の話をフォローするわけじゃないけれど、昨日の倉持さんの「メールの涙」は、私個人の感傷を抜きにして言えば、すごく出来は良かったんだよ。やっぱり緊張しまくっていたけれど、緊張に負けずにきちんと表現しようという強い意志が感じられたし。ただ、これまたあえて苦言を呈させてもらうなら、むしろ「せっかくなんだから、倉持さんなりの解釈に踏み込んで欲しかった」ってところかなぁ。Chocolove の雰囲気を継承しようという意識が強く出過ぎていた気がするので。私も昨日はショック受けまくりだったけど、今となっては、むしろまたいつか倉持さんが歌ってくれることを期待したいと思う。とか言いつつ、明日あたり「明日は明日の君が生まれる」を里菜てぃん以外の人が歌ったら、またダメージ食らったりするんだろうけれど(^_^;)。

 話を戻して、AX 2 日目で歌われた曲の中でもう一つ、里菜の印象があまりにも強いユニット曲として「帰郷」があったわけだが、これはかつて劇場での一度きりの代役に続いて、高橋みなみさんが再度の挑戦。前回の代役では、私はかなり手厳しいことを述べたのだが、今回の高橋さんは、真正面から楽曲に向かい合って歌い切ってくれたので、とても良かったと思う。何年か越しの「宿題」に、やっと答えが出たというところだろうか。AKB48 には、こういう風に、一つ一つは小さいけれど、個々のメンバー、そして客たちの思いが詰まった物語が無数にある。同様にいつか、なっちゃんの星の温…(以下自粛)。

 あと、チーム A の全体曲では、旧里菜ポジに北原さんが入っているケースが多かったような。私は北原さんもかなり好きなので、むしろうれしいくらい。まあ里菜の声のイメージが脳裡に刷り込まれているので、北原さんの声でイメージが全然違うというのはあるけど、そのうち慣れていくだろう。

 なんかチーム A の話、というか里菜の思い出絡みの話しかしていない気がするが、もちろんチーム K やチーム B の曲も好きで、すごく楽しかった。いろいろ語りたいところではあるのだが、私はあまりにも睡眠不足だったせいか、コンサート終わりあたりから猛烈に具合が悪くなってしまったので、明日また元気に AX に行くために、今日は早く眠ることにした。相変わらず誰の何の役にも立たない感想ばかりで申し訳ない。おやすみなさい。

まったく個人的な理由で高まらず

2009-01-19 03:00:12 | Weblog
 AX ライブ 1 日目が終了。ライブ全体としては、なかなか良かったと思う。各曲とも、その曲を歌っていたオリジナルメンバーにできるだけ近付けようとする配慮がなされていたし、メンバーもごく数人を除けば、非常に良いパフォーマンスを見せてくれたと思う。次はどの曲が出て来るのだろうという期待と、個々の曲を懐かしむ気分とが入り混じって、十分に楽しいステージだった、と思う。普通だったら。

 また個人的には、「ライダー」がランクインして、渡邊志穂さん、駒谷仁美さんの 2 人が揃って歌ってくれたことが、とってもうれしかった。さすがに今年はランクインしないかな、と思っていたし、仮にランクインすることがあったとして、もう志穂ちゃんもひぃちゃんも卒業してしまったから、「本当の意味での」あの曲が歌われることはもうないのだろうと思っていた。去年はもしや、というくらいの期待はしていたが、今年は期待もしないようにしていたくらいなのに、今年も志穂ちゃんひぃちゃんの 2 トップで聴けたことは、文字通り望外の喜びだった。

 うれしい気持ちの方が強かったので、今年は泣かずに済むかなと思ったのだけれど、間奏で胸に手を当てて見送るところは、やっぱり涙が流れてしまった。でも、悲しい涙とはちょっと違う。彼が去って時が経ち、彼の特に応援していた 2 人が、それぞれの世界に踏み出して行ったこと、それでもなお、こうして彼の物語を語るために戻って来てくれていること、そうしたことがうれしくて、つい涙になってしまった、という感じだった。

 しかし、そうしたプラス要素を以てしてもなお、私は高まれなかった。以下はまったく個人的な感傷であり愚痴に近いものなので、読むと気分が悪くなるかも知れないことをお断りしておく。でもここは個人ブログなので、勝手に書かせていただく。

 チーム研究生発表。誰が、という予想はあえてしないようにしていたけれども、誰かがいなくなってしまうのだろう、ということは分かっていた。だが、実際にいなくなってみると、やはり寂しい。舞台裏でどうだったかまでは分からないけれど、舞台の上でのパフォーマンスを見る限りは、一生懸命にやっていたように見える子、良い仕事をしているように思えた子などの姿が見当たらない。

 特に私にとっては、「この子なら一推しにしていけるかな」と思い始めていた子が、いなくなってしまった。確かに、既存のアイドルの枠組みから見ると、ちょっと難しいところはある子だけれど、ステージに立つことがうれしくて仕方がないというのは感じられたし、向上心と一生懸命さは伝わって来た ( ような気がした )。まだ荒削りなところはあるけれど、内に輝くものをいっぱい秘めているように思えた。年齢的にも余裕があるのだから、その子が自らを磨き、また客の視線によって磨かれていく過程を、息長く見守って行きたいと思えた。一推し不在の数箇月を経て、やっとそういう子を見つけられたと思った矢先に、いなくなってしまった。悲しい。

 その子がどういう暮らし方をしているか知らないけれど、地方出身の子なので、ここで落とされればおそらく、周囲の大人たちは「一時期でも良い夢を見られたと思ってあきらめなさい、地元に帰りなさい」と言うのではないか。夢に向けての強い思いがあれば、と他人が言うのは簡単だが、自活できるわけではない子どもに、大人の説得をはね返して我を通すだけの力はないのが普通だ。まして、オーディションに受かったタイミングなら強気に主張することもできるだろうが、これまで研究生だったところから落とされたタイミングでは、踏みとどまれると期待する方が無理だろう。私も「頑張れ」なんて無責任なことは、とてもじゃないが言えない。可能なら次のオーディションくらいは受けてみて欲しいけれど、ひとたび意欲の糸が切れてしまえば、次のオーディションで合格する可能性は低くなるだろう。

 チーム研究生には入らなかったけど、実は別のチームに昇格…なんてことは、ないだろうなぁ、たぶん。そのくらい劇的な演出だったら、やり過ぎとかわざとらしさを超越して泣けちゃうところなんだが。

 もう一つの要因は、「メールの涙」だった。卒業した中西里菜さんは写真集の撮影のために海外に行っているはずで、当然ながら出て来なかった。まあそれは仕方がない。仕方がないんだけど、一ファンとしてはやっぱり複雑な気分だった。去年はおそらく、何らかの大人の事情で Chocolove from AKB48 の楽曲が歌えなかった、のだと思う。そうした障壁を今年はクリアして、コンサートで歌われたことは、本当は喜ぶべきことのはずなのだが、しかし「私が」最も見たかった里菜の姿は、そこにはない。AKB48 として、チーム A としての楽曲であれば、まだあきらめがつく。しかし、よりによってユニットデビューしてリリースした曲に本人がいないというのは、いろいろな意味で見ているのが辛かった。

 加えて、里菜パートを代わりに歌ったのが倉持明日香さんだったというのが、私にとっては余計に複雑な思いだった。倉持さんの歌はすごく上手いわけではなかったし、曲の音域とご本人の声域が合っていない ( もともと倉持さん用の曲じゃないのだから当たり前だが ) という難点はあったものの、ていねいに歌っていたし、何より歌の世界を表現しようという意欲が伝わって来て、非常に好感が持てた。パフォーマンスとして、かなり良かったと思う。

 実を言うと私は、倉持さんのことをかなり好きで、里菜卒業後の一推し候補の最後の 2 人に残っていたくらいなのだ。それだけ気に入っている人が、一番好きな里菜てぃんの大事な曲を代わりに歌ってくれて、出来も良かったのだから、ありがとう、と言わなければならないところなんだろうけれど、ファン心理ってのは理屈じゃ説明できないものらしい。自分でもどうしてなのか分からないけれど、正直なところ、かえって辛かった、のだ。

 さらに言うと、一推し候補だった研究生がいなくなってしまったことで、実はこの瞬間には、倉持さんが私にとっての一推し候補のトップにいたのだ。けれど、私の中ではこの「メールの涙」によって「ああ、これで倉持さんは推せなくなった」という気がしてしまったのだ。これはまったく個人的な、そして理屈で説明しようのない感情なので、誰かのせいではないし、まして倉持さんには何の非もない。強いて言えば、運命が味方してくれなかった、みたいなものかなあ。

 そんなわけで、私にとっては一推し候補が上から 2 人消えた夜になってしまった。コンサート自体は良かったのに、私自身があまり高まれなかったのは、こういうまったく個人的な理由による。倉持さんについては私の気持ちの問題でしかないので、また気が変わる可能性がないわけではないけれど、研究生の子はもう戻って来れないかもなぁ。もっと早く「大好きだ!」と言っておけば良かったのかも知れない。

最近の客席での振る舞いについて

2009-01-11 15:01:14 | Weblog
 ファン層は依然として拡大し続けているのかどうか、最近の劇場では、あの劇場での約束事を知らない人が増えて来たような気がする。

 ほかの現場がどうかは知らないが、あの劇場にはあの劇場ならではの約束事というものがあって、それは昔、ファンと劇場側とで話し合いながら決められたものだ。そして、劇場側でも折に触れてそういうことをちゃんと言っていたし、客の側でも注意しあうなどして受け継がれて来た。ところが、劇場側も客同士ももうそういうことをしなくなってしまったせいか、新しく来た人たちは、そもそも知らないようで、多分悪気はないんだろうけれど、結構迷惑なことをしている。

 まず、椅子は座布団の枚数分だけ人が座ることになっているので、わざと座布団 2 枚にまたがって座って場所取りをしないこと。座布団の枚数分の人数がいなければ、知っている人間は「空いているもの」と判断して座って来るのが当たり前なので、その時に迷惑そうな顔をしないように。この場合迷惑なのは、きちんと座布団の数通りに座っていない人の方である。

 また、できるだけ座布団の幅に収まるように座ること。むやみに足を広げたり、肩をいからせたりして隣の人を押さないように。あの劇場の一人分の幅は異様に狭いし、体格によってはかなり窮屈なのは事実だが、狭い劇場で一人でも多く座れた方が良い、ということで、ああいう風になっている。詰め合い、譲り合って座るように心がけてもらいたい。

 フリ真似とか「ケチャ」と呼ばれる身振りなどは「自分の頭の高さと、自分の肩幅の真正面の範囲」の中でやることになっている。自分の頭より高く拳を突き上げるようなフリ真似は、「原則的には」してはいけない。ステージの中で 2、3 箇所くらい、特別なフリのところだけはファン同士で黙認しあっていることがあるが、それがどの箇所であるかについては、周囲の空気を読みながら憶えて欲しい。原則はすべて×だと思っておけば間違いない。そういう例外的な箇所以外で、前のやつがそういう迷惑なことをしていたら、後ろの人は注意して良い、というか、むしろきちんと注意してやるべきだ。

 なお、どうしてもフリ真似を大きくしたい場合は、劇場の一番後ろに行くこと。壁を背中にしているところでだったら、拳を高々と突き上げるようなフリ真似をやっても文句を言うやつはいない。それ以外の場所で、無闇に手を高く振り上げてフリ真似をしているようなやつは、ステージの上のメンバーには、劇場歴の浅いファンだとバレバレだということは憶えておいた方が良い。

 さらに、公演中は私語をしないこと。これは、一つには「ステージの上で真剣にやっているメンバーたちをちゃんと見てあげよう」という意味も含むのだが、それ以上に重要なことは、私語は周囲の他人にとっては迷惑以外の何物でもないということである。他の人はステージ上のメンバーたちの歌や踊りや MC を観たり聴いたりしたくて劇場に来ているのであり、他の客の愚にもつかない私語を聞きたいわけじゃない。

 同様に、楽曲に合わせて歌わないこと。劇場は客が歌うための場所ではない。歌いたければカラオケにでも行け。なお、これもステージの中でごく一部だけ、客が一緒に声を出すことが許容されている部分がないわけではない。ただそれも、ほとんどは歌詞のない、「♪ラララ…」といったような歌い方の部分になっているはずだ。どこがそれが許される箇所なのかということは、やっぱり周囲の空気を読みながら憶えて欲しい。知らない、分からないなら、とにかく一緒に歌ったりせずに黙っていてくれ。もちろん、声を出さない口パクは、他人に迷惑がかからないので、いくらでもご勝手に。

 そして、こうしたことを周囲の客から注意された時には、逆上したりせず、ちゃんと行動を改めること。「係員じゃない人間に言われても聞かなくて良い」などと開き直るやつがいるようだが、あの劇場では係員に面倒をかけずに、客同士でうまくやろう、というのが大事なことなので、係員に注意される前に注意してくれた他の客には、むしろ感謝すべきなのである。また、自分が悪いことを棚に上げて「もっと優しく言ってくれ」などと逆恨みするのは、ガキくさくて恥ずかしいことなのでしないように。

 最後に、こういう「あの劇場のやり方」を知っている人は、周囲に迷惑なことをしている人がいた時には、勇気を持ってちゃんと注意してやって欲しい。やってしまっている人は、おそらく知らないんだからしょうがないので、誰かが言ってあげるのはむしろ親切なのである。

研究生の内部オーディションについて思うこと

2009-01-06 02:23:07 | Weblog
 うまく言えないんだが、このところの研究生に関する話は、なんだかすごく違和感がある。突っ込みどころが多過ぎて、もはやどこからどう突っ込めば良いのかすら分からない。

 そもそも、チーム研究生っていうのも定義矛盾のような気がして仕方がない。少なくとも従来は、特定チームに所属していない子が研究生だったような気がするので、あれだけ研究生が底上げされて来たんだったら、それは研究生ではなく第 4 の ( または SKE を第 4 として、第 5 の ) チームを作ることにして、その「メンバー」にすれば良いだけのような気がするんだけどなぁ。で、その「メンバー」になれるか、研究生のままだが新チームの公演のフロントとして公演に出られるか、さらにそのアンダーに回るかの 3 段階に振り分けるオーディションをするっていうなら、十分に筋の通る話なんだけれども。

 しかし、研究生を再度、研究生でいられるかどうかオーディションするっていうのは、じゃあそもそも研究生として採ったオーディションは何だったのかという気がしないでもない。いったい、これまでにどのチームで「これからもチームメンバーとして残れるかどうか」なんていうオーディションをやったのだろう。もし過去にそんなものがあったら、今は十分に輝いているメンバーの何人が、AKB48 に残れていなかったことだろう。いや今ですら、本当に本人の実力をプロの眼で公正に審査したら、残れるか危うい人もいるんじゃないのか。

 まあ過去は過去、今は今、これからはこれからってことで、過去にどうだったから今後も同じようであるべきだ、などとは言わない。しかし、研究生になった当初から告知されていたとも思えず、つまりはあまりにも急な方針転換であるように思われるし、そのしわ寄せが一番立場の弱い研究生に一気に集中しているようで、ファンとしては大変心苦しい。というか、それでもし、何人かの見知った研究生がふるい落とされるようなことにでもなったら、少なくとも私は、チーム研究生とやらの公演を楽しく見られるかどうか自信がない。結局のところ無力なファンは、黙って付いていくしかない、のだろうけれど、結果次第ではまた、ざらっとした違和感が心の中に堆く積み上がって行くことになるのかも知れない。

2008年末~2009年始の私的記録

2009-01-05 02:55:57 | Weblog
 各チームの 2008 年最終公演はチーム K のみ見られず、チーム A、B は見た。2008 年最初の公演はいずれも見ていない。チーム B のみ、同じ日の夜公演は見た。やっぱり私は チーム K と縁が薄いのかな~などと思いかけたが、何とか 4 日の夜公演を見られた。ということはつまり、私にとってはチーム A だけ年が明けていない(笑)。次回は平日の行けるはずがない時間だし、その次はまたしばらく先だなぁ。

 聞くところによると 2 日のチーム A 公演では、某初期メンバーもビシッとやっていた、らしいのだが、私は見ていないので知らない。今回見ている客が次回も見ているとは限らない、と書いている通りで、「次回」どれだけ頑張ったからって「今回」の埋め合わせにはならないのだ。そのメンバーが出演できる日と、私が行ける日が一致するのは、一体いつになることやら。それまでの間、私の中では大晦日の印象が拭われないまま残り続けることになる。

 ちなみに元日は例年通り、都内のとある社会教育施設で、子どもに竹馬だの独楽だの羽根突きだので遊んでもらう催しの手伝いをしていた。どーせ元日公演はまた福袋の景品だろうから、と思って先に予定を入れてしまっていたのだが、今年はそうではなかったようで。まあ、いつもいつも劇場ばっかりってのもナンなんので、たまには一般社会人らしい活動もしておこう。ちなみに福袋改めお楽しみ袋も、今年はあまり不満の声は聞かれなかったようだが、私は今年も買わなかったのでこれ以上のコメントは避けておく。

 ちなみに相変わらず推しメンは決まっていない。何人かの初期メンバーや初期カフェっ娘については、「古いつきあい」みたいな感じで、共感しつつ見続けていくことになると思うけれど、やっぱりそれとは別に「推し」がいると楽しそうな気はするんだよな。いや、もちろんそういう「古いつきあい」の誰かが推しになる可能性もあるわけだけれど。今のところ、「この子が良いかも」と思う子が何人かはいるのだけれど、まだその「何人か」も入れ替わりがあるし、どの子も「推し」にするだけの「何か」が足りない感じかなぁ。偶然とか物語とか神の啓示(笑)とか。

 その一方で、各公演を「推しメンにできる子はいるかな」的な気持ちも込めて見ていると、毎回「あ、この子のこういうところは良いなぁ」とか「今日はこの子が特にかわいいなぁ」といった発見があるので、このままずっと DD ( 誰でも大好き ) で行くのも良いかなぁなどと思うこともある今日このごろである。

AKB48とは関係のない話

2009-01-04 03:55:02 | Weblog
 申し訳ないが、このエントリは AKB48 と関係のない話を書かせていただく。個人的な話なので、読み飛ばしていただきたい。
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 死ぬんじゃねえよばかやろう。正月早々、ある二人の訃報に打ちのめされた。

 一人は私の知らない人だが、亡くなったという知らせは私にとってショックだった。二度とそういう人を出さないようにと、私を含めた皆が願い、祈っていたはずだったからだ。知らせのメールを読んだ時、私は歩いていた足の力ががくっと抜けて、隣にいた友人の肩を借りずにはいられなかった。なぜそうなる前に、踏みとどまってはくれなかったのか。誰かが止めて上げられなかったのだろうか。今となっては手遅れだし、もとより私の知らないところで起きたことではあるのだが、ただひたすらに残念としか言いようがない。

 もう一人は学生時代の友人だった。その頃から「僕らが日本を変えて行かなきゃいけない」と熱く語っていた。頭の回転の早い優秀なやつで、少し軽薄なところはあったが、至って純粋で、まじめな男だった。言葉通りの理想に燃えて、若くして大きな舞台に飛び出して行った。その世界でめきめきと頭角を現し、テレビでその姿を見ない日がないほどになってからも、友人としてふざけたメールを出せば、相変わらず冗談交じりの返事をくれる気さくなやつだった。身に余る重責に功を焦ったのか、人を疑うことをしないお人好しが災いしたのか、つまらない騙りに乗せられて大失敗をした。それは確かにあまりにもお粗末な失敗だった。だけど、一度の挫折に負けたまま、再度の勝負をかけることもなく死ぬんじゃねえよ。お前ほど優秀なやつが、その能力を使い切らずに死んで良いわけないだろう。恥を忍び時を待って再起してくれると信じていたんだぞ。ばかやろう。ばかやろう。

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 この件についての質問等にはお答えしないつもりなのでご承知おきいただきたい。コメントの内容が気に入らない場合は削除することもお断りしておく。

何が「良い」公演なのか

2009-01-03 05:49:23 | Weblog
 どういう公演を「良い公演」だと感じるかは人によってさまざまなので、ある人が「良い公演だった」と感じた時に、他の人もそう感じているとは限らない。同様にして、ある人が「あまり良い公演ではなかった」と感じたからといって、私もそう感じているわけではない。そしてまた、それが「客観的に」とは言わないまでも、せめて「多くの人にとって」良い公演だったのかどうか、ということは、そうした個々人の感想とは別のものであったりもする。

 ある人にとっては、テレビで見知った憧れのアイドル ( たち ) が目の前で歌い踊っているのを見られたというだけで「良い公演」になるだろう。たとえその人がフリの間違いを連発していようが音を外しまくろうが、声かぶせに頼って実際には全く声を出していなかろうが、たぶんそんなことは気にもならないに違いない。

 またある人は、客席の「盛り上がり」を重視するかも知れない。常連客同士で息のあった MIX ( と呼ばれているもの ) を盛大にうったりして「高まった」公演が「良い公演」と感じるかも知れない。さらにまたある人は、MC がノリの良いかけ合いで展開し、おもしろく聞ければ「良い公演」だと感じるかも知れない。

 私が信頼する友人たちと話していても、「良い公演」であったかどうか、という点については、時に意外なほど意見が分かれることがある。例えば個々のメンバーについて「この子は気分がノッていた ( ように見えた )」とか「あの子はちょっと元気がなかった ( ように思えた )」といった話をすると、比較的高い確率で一致するのだけれども、しかし、全体として「良い公演」であったかどうか、という話になると、全然違う結論になっていたりすることすらある。

 言うまでもなく、私や友人たちもただの素人ファンであり、平凡な一般人であるからして、例え同じ出来の公演を見たとしても、それをどれだけ楽しめるかは、本人の体調や気分によっても違ってくる。さらにまた、抽選や席 ( または立ち位置 ) などによっても、本人の気分の高まり具合は違う。私の場合、少なくともブログに書く場合には、そういう個人的かつ公演ごとに個別の事情を、ある程度は捨象した上で物を言うようには心がけているが、しかしすべてを捨象し切れるはずもなく、もとよりここは「個人的な」妄想を語る場であると断っている通り、最終的には私の思った通りに書く。だって何もかも捨象して「公平無私な」立場になんて、誰もなれるわけがないんだし、仮にそういうことが可能だったとして、それは至って無味乾燥な、つまらないものにしかならないに違いないから。

 結局のところ、誰が見て語るとしても、それぞれの人のバイアスというものがかかることはやむを得ない。だから、私が他の人のレポートサイトなどを読む場合には、その人なりのバイアスを理解しつつ、その分は割り引くなり、逆に「この人の目にはこう映ったんだな」ということ自体も楽しむなり、といった咀嚼の仕方をすることにしている。

何かを言う気力が萎えるとき

2009-01-02 03:22:12 | Weblog
 チーム A の 2008 年最終公演について、私の信頼する友人から「あの出来とあの発言でも、妄想ブログは何も書かないんですか」と突っ込みを受けたのだが、正直、その点に関してはもう期待していない、というのが近い。

 何人かの気分はだいぶノッていたようで、笑顔はそれなりに魅力的だった。さすがにステージ経験だけはあるので、粗が目ただないようにソツなく振る舞うことも出来るし、従ってステージそのものは破綻なく進行していた。だけど劇場の近距離では、どのメンバーが横をちらちら見ながら踊っているか、どのフリの初動で間違えて「しまった!」という顔や苦笑いをしているか、客席からはちゃんと見えているのである。

 で、そういうことを連発している人が、他メンバーを引き合いに出して「もう誰それは超えた」などと放言するのも鼻持ちならないが、それで超えられたと思ってしまっている人もいかがなものか。芸歴 3 年と数百回のステージ経験を経ながら、劇場では客に見せる水準でないものを演じているというのだろうか。「次までにちゃんとやる」なんて言葉を、まさかチーム A で、それも初期メンバーから聞く日が来るとは思わなかったよ。

 ステージは一期一会だ。今日の客は明日も来てくれるとは限らないのだ。劇場の外でいろいろな種類の仕事を経験して来たメンバーは、確かにタレントとしてのスキルとか、見た目に分かりやすい魅力といったものを増して来ているとは思う。しかし私にとっては、未熟なりに「今日の客」を何とかして納得させ、満足させて、感動させようとし、「♪明日また見に来るでしょ?」と必死に訴えかけていた頃の方が、素敵な人たちだったと思える。そういうチーム A の伝説も、すっかり埃をかぶってしまったけれども。

 コンサートのレッスンで、それまで出来が悪かったのに、「通しでやって問題なければ×時上がり」となった途端に一発でビシッと揃った、みたいな話をしていたけれど、だったらその力を、日々の劇場公演でも発揮して見せて欲しい。それが無理なら、せめて初期メンバーの皆さんは、「今の」チーム A でちゃんと努力して伸びて行こうとする人たちの邪魔をしないであげて欲しい。MC などで上から目線で後輩たちを威圧的にイジるのを見聞きしていても、客席の私たちは愉快な気分にはならないので。もうチーム A はあなたたちだけのものではない。いやむしろ、もはやチーム A はあなたたちのものではないのだ。客演に来たくらいのつもりでいて欲しい。

 というわけで当該の公演、私は高みなと研究生から昇格したメンバーたちを中心に見ていた。その範囲ではそれなりに悪くないステージだと思えたし、楽しかった。私は一ファンとして、何を言っても甲斐がないと分かっていることをぼやくより、劇場公演の楽しい部分をより多く見ていたいのだ。