いろいろあってこのブログにも書けずにいるが、そうこうしているうちにもうファーストシーズン ( という呼び方はどうだろう ) もあと数日を残すのみだ。思えば昨年 12 月から、メンバーにとってはその 1 ヵ月前から、目まぐるしい勢いで日々が過ぎていった。ふと気がつけばもう、本当に桜の花びらたちが舞う時季になっている。どうしても今のうちに語っておかなければならないと思ったので、お台場に行くのをやめて、この文章を書いている。
宇佐美友紀さんが卒業を決めた。ちょっと早い気がするが、このファーストシーズンを文字通り駆け抜けたと言えるだろう。もともとアイドル好きではあっても、ご自身の進路としてはアナウンサー志望だったと聞く。最年長でもあり、AKB48 以前にそういう学校を出た後、地方 TV 局のレポーター歴もあったようだから、ご自身がアイドルになったというのは、かりそめの姿であったのかも知れない。だが、あの劇場で、このファーストシーズンを共有した我々ファンにとっては、宇佐美さんは間違いなくアイドルそのものとして記憶に残り続けるだろう。
彼女の卒業は、もちろん宇佐美さんファンにとってはショックであろうけれども、やや不謹慎な言い方を許していただくなら、AKB48 にとって、宇佐美さんイチオシ以外のファンにとって、そしてたぶん宇佐美さん本人にとっても、実は大変良いタイミングだったのかも知れない。
AKB48 に予め運命付けられていた 1・2 軍制とか、「どんどん卒業していきます」「いつのまにかいなくなってしまう子がいるかもしれません」 ( 初期パンフレットの秋元康氏の緒言より ) などの言葉が、実際にステージが始まって濃密な時間を経てみると、容易ならぬ重さでファンを、そしておそらくはメンバーを、そして事務所を苦しめるものになっていたように思う。それはそうだ。あれだけ一生懸命な彼女たちを見て、それに魅せられて来たのだ。そんなに軽々しく別れを口にできるはずがない。
そんな中で、宇佐美さんが自分の意志で卒業を決めた。AKB48 の一員でいれば、当分は上げ潮に乗っていけそうなのに、それに比べれば卒業後の進路に保証があるわけでもなさそうなのに、あえて冒険的な選択をしたという気がする。だが、ご本人の夢の形と、そこへの道のり、そして年齢を含めたタイミングとを、彼女なりに考慮したのだろう。
その決断と行動によって、すべての AKB48 ファンにとって、「桜の花びらたち」の歌詞が、いっそう重みを増すこととなった。いちいち挙げればきりがないが「それぞれの未来へと旅立っていくんだね」「新しい世界のドアを自分のその手で開くこと」などは、その象徴的な一節だろう。AKB48 というリアルなストーリーが、楽曲の世界とシンクロして、物語はより深みを増した。
また事務所にとっても、これまではあいまいだった「卒業」に、1 つの形を示すことができたという点で、意義は大きかったはずだ。Office48 所属の MC というだけで、具体的な仕事のめどはまだないようだが、宇佐美さんは自身の卒業によって AKB48 の物語に厚みを増した、いわば功績者である。彼女の今後の進路についても、手厚くフォローしてあげて欲しいと思う。そこまで見えて初めて、我々 AKB48 ファンは「卒業」を前向きなものとして捉えることができるからだ。
そして宇佐美さんご自身にとっても、このタイミングでの卒業は、それなりに悪くないものになるのではないかと思う。ファーストシーズンを共有したファンのすべてが、彼女一人だけの卒業を見送るのだ。ファーストシーズンの代表曲である「桜の花びらたち」は、まさに彼女の卒業を象徴するかのように記憶されるだろう。アイドルファンの心情に最も近かった ( と言うより、ファン心理を共有していた ) 宇佐美さんへの親近感は、彼女がアイドルの座から降りた後も、AKB48 ファンの心に生き続けることになるはずだ。
そういう「オイシイ」タイミングを見極めて、さらっと卒業しちまうあたりが、実にゆっきーらしくて良いぜ、という賛辞とともに見送りたいと思っている。宇佐美さんはきっと、えへへ、と笑いながら「してやったり」という表情をしてくれるんじゃないだろうか。
宇佐美友紀さんが卒業を決めた。ちょっと早い気がするが、このファーストシーズンを文字通り駆け抜けたと言えるだろう。もともとアイドル好きではあっても、ご自身の進路としてはアナウンサー志望だったと聞く。最年長でもあり、AKB48 以前にそういう学校を出た後、地方 TV 局のレポーター歴もあったようだから、ご自身がアイドルになったというのは、かりそめの姿であったのかも知れない。だが、あの劇場で、このファーストシーズンを共有した我々ファンにとっては、宇佐美さんは間違いなくアイドルそのものとして記憶に残り続けるだろう。
彼女の卒業は、もちろん宇佐美さんファンにとってはショックであろうけれども、やや不謹慎な言い方を許していただくなら、AKB48 にとって、宇佐美さんイチオシ以外のファンにとって、そしてたぶん宇佐美さん本人にとっても、実は大変良いタイミングだったのかも知れない。
AKB48 に予め運命付けられていた 1・2 軍制とか、「どんどん卒業していきます」「いつのまにかいなくなってしまう子がいるかもしれません」 ( 初期パンフレットの秋元康氏の緒言より ) などの言葉が、実際にステージが始まって濃密な時間を経てみると、容易ならぬ重さでファンを、そしておそらくはメンバーを、そして事務所を苦しめるものになっていたように思う。それはそうだ。あれだけ一生懸命な彼女たちを見て、それに魅せられて来たのだ。そんなに軽々しく別れを口にできるはずがない。
そんな中で、宇佐美さんが自分の意志で卒業を決めた。AKB48 の一員でいれば、当分は上げ潮に乗っていけそうなのに、それに比べれば卒業後の進路に保証があるわけでもなさそうなのに、あえて冒険的な選択をしたという気がする。だが、ご本人の夢の形と、そこへの道のり、そして年齢を含めたタイミングとを、彼女なりに考慮したのだろう。
その決断と行動によって、すべての AKB48 ファンにとって、「桜の花びらたち」の歌詞が、いっそう重みを増すこととなった。いちいち挙げればきりがないが「それぞれの未来へと旅立っていくんだね」「新しい世界のドアを自分のその手で開くこと」などは、その象徴的な一節だろう。AKB48 というリアルなストーリーが、楽曲の世界とシンクロして、物語はより深みを増した。
また事務所にとっても、これまではあいまいだった「卒業」に、1 つの形を示すことができたという点で、意義は大きかったはずだ。Office48 所属の MC というだけで、具体的な仕事のめどはまだないようだが、宇佐美さんは自身の卒業によって AKB48 の物語に厚みを増した、いわば功績者である。彼女の今後の進路についても、手厚くフォローしてあげて欲しいと思う。そこまで見えて初めて、我々 AKB48 ファンは「卒業」を前向きなものとして捉えることができるからだ。
そして宇佐美さんご自身にとっても、このタイミングでの卒業は、それなりに悪くないものになるのではないかと思う。ファーストシーズンを共有したファンのすべてが、彼女一人だけの卒業を見送るのだ。ファーストシーズンの代表曲である「桜の花びらたち」は、まさに彼女の卒業を象徴するかのように記憶されるだろう。アイドルファンの心情に最も近かった ( と言うより、ファン心理を共有していた ) 宇佐美さんへの親近感は、彼女がアイドルの座から降りた後も、AKB48 ファンの心に生き続けることになるはずだ。
そういう「オイシイ」タイミングを見極めて、さらっと卒業しちまうあたりが、実にゆっきーらしくて良いぜ、という賛辞とともに見送りたいと思っている。宇佐美さんはきっと、えへへ、と笑いながら「してやったり」という表情をしてくれるんじゃないだろうか。