AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

握手会の私的記録

2008-10-22 02:12:25 | Weblog
 今回握手に行ったのは、チーム A から卒業が決まっている 5 人と、ソロデビューのイベントに行けなかったのでめーたん。本当はチーム B から卒業していく井上さんの握手にも行っておきたいのだけれど、残念ながら時間が合いそうにない。

 めーたんには「おめでとう」と言ったまでは良かったが、つい「ちょっとイロモノだよね」と言ってしまい、危うく出禁になりかかる(笑)。でも、めーたんでムード歌謡、ということについては、このブログではわりと早い時期から言っていたことでもあるので、個人的には「この路線はアリ」だと思っている。

 それに、イロモノだろうが何だろうが、芸能界はとにかく「前に出た者勝ち」である。過去に卒業したり脱退したりしたメンバーや研究生も含めれば 100 人以上の芸能界を目指す女の子たちがいた中で、誰よりも先にソロ CD を発売するのだ。イロモノだろうが企画モノだろうが、最初のソロデビューという勲章は間違いなくめーたんのものなのだ。これは誇って良い。冠番組の中で相当な時間を、たった一人のプロモーションのために割いてもらえるのだ。めーたん本人にとって決して損な話ではないと思うのだが、どうだろう。

 もちろん、本人の中で迷いも残るだろうし、イロモノとしてイジられることには、つらい思いもあるだろう。だが、風が吹いている時はとにかく、その風に乗って行った方が良い。そうやってある程度の知名度と仕事の安定を勝ち取った後になら、少しずつ方向転換を図っていくこともできる。とにかく今は全力で頑張って欲しいと思う。

 卒業組はみんな、すっきりした笑顔をしていたと思う。そもそも AKB48 がどういう場所であったのかを考えれば、これから進むべき道が見えて、世話になる事務所が決まった時点でさっさと卒業するというのは、正しい選択なのだろう。省みれば、最初から「突然いなくなってしまうかも知れません」という言葉とともに始まった AKB48 で、そう言われていた初期メンバーの誰一人として「突然いなくなって」しまうことはなかったし、最終的には例外なく、次の事務所が決まっての卒業という形になった。これがめでたいことでなくて何だと言うのだろう。

 今回卒業する 5 人が、それぞれに自分の行く先を見据え、しっかりとした意思を感じさせる口調で語ってくれたのを見て、とてもうれしく、そして、ああ、いつの間にか 3 年も経っていたんだなぁと、しみじみと感じた。なんだかすごくほっとしたのと同時に、結局ファンなんて、彼女たちに何もしてあげられないんだなぁと、我が身の無力を感じた。彼女たちは彼女たち自身で努力し、迷い、悩み、その中で道を見出して来た。私はただ、そうした頑張りを見ながら、勝手なことを言い散らかしていただけだった。せめて「地熱」にくらいはなれたんだろうか。その地熱も今や、不思議な方向に向けられてしまっているような気がして仕方がないけれども。

とりあえずA-5thの感想・その2

2008-10-21 16:57:15 | Weblog
 先にお断りを一つ。このエントリは,A-5th 公演の内容についての記述を含むので,自分の眼でステージを見るまで内容を知りたくないという方は,読まないでおくことをお勧めする。

 さて,今回,まず驚くのはオープニングだろう。他の公演では Overture の途中でするすると開いていた幕が,Overture が終わるまでほとんど開かない。「ぇ,幕が故障したか ?」などと思っていると,遅れつつ開きだし,しかし曲が始まってしまう。ぉぃぉぃタイミング大丈夫かと思っていると,中央に人影。ああそうか,そういうことなんだ! と気がついたところで歌い出し。そういや A-2nd で,ユニットで始まった時にすごく驚いたもんなぁ。ソロで始まるのもアリか。ということは,残るのは「幕が開いたら無人」てやつだな(笑)。というわけで,B-4th は「幕が開いても無人のまま前奏が鳴り始めてしまう」オープニングになると妄想しておこう。って,話がそれた。

 で,A-5th ではなんと,宮崎さんのソロからステージが始まるわけだが,あくまでも私の妄想では,これはおそらく,本来は高橋さんのポジションということなんだろうと思う。曲がりなりにもチーム A の看板を背負っているステージで,ソロで歌い始められる人なんて,高橋さんくらいのものだろう。A-4th リバイバルで前田さんポジションに藤江さんがスライドしていたのと同じく,宮崎さんは本人のポジションと,高橋さんの代役ポジションの両方を務めることになるんじゃないだろうか。ただ,高橋さんだったら,そのままソロで 1 曲歌い切っても良さそうなものだが,実際には全員曲のソロパートという位置付け。このあたりは,ユニットでの活動やドラマ撮影で高橋さんの休みが多くなりそうなことを見越して,あえてそうしたのかも知れない。

 当日いなかった人の話ばっかりしてしまったので,宮崎さんに戻すが,歌の説得力という点ではちょっと心許ないけれど,ステージ度胸があるのだろう,オープニングのソロでも臆したところのまったく見えない宮崎さんは,さすがといったところ。ただ現状では,宮崎さんは他の曲も含めて,どうしても表情に乏しいというか,感情の込め方が浅いのが残念なところ。特にオープニングは,客の耳目を一身に引き付けるとともに,気持ちも惹きつけなければならないところなのに,それだけの説得力がない。これからステージを重ねていく中で,試行錯誤しながら,表現を高め,説得力を増して行って欲しいと思う。

 ただ,ちょっと話はそれるけれども,そもそも宮崎さんが高橋さんの代役ポジションに相応しいのか,という問題はあると思う。タイプが違うのだ。まあ,高みなに近いタイプがいなかったんだから仕方がないのだろうとは思うが,みゃおにはみゃおに合ったポジションを上げたほうが,もっと伸びるんじゃないかという気がしないでもない。一方,高橋さんのアンダーにするなら,実はSKE の小さい方の松井さんがかなり近い。そういう意味では,あれだけ推されるのも理解できるのだが,それにしてもあのごり押しはいただけない。もし松井(珠)さんが AKB48 で研究生ポジションから始めるか,あるいは SKE 独自の物語の熟成の中で伸びて来ていたら,私としてもこだわりなく推せたかも知れないなぁ,と思う。って,さらに話がそれてしまった。

 で,またずーっと話を戻して 1 曲目なんだが,曲はそんなに悪くないと思うんだけれど,全員で踊るパートが,もう見事なくらいに高まらないんである。あくまでも「私が」高まれないということなので,この曲が好きとか,高まれるとかいう人には申し訳ないんだが,私の感想では揃って「お遊戯」をしているように見えてしまう。PARTY 公演だってこんな単純に並んで顔見せしてるだけのフリはなかったような気がする。「これがチーム A なのか,3 年の 時間と 6 種類 ( ひまわり組含む ) のセットリストを積み重ねて到達したところなのか」という残念な気持ちが先に立ってしまう。

 というところで,さすがにそろそろ,推しメンに手紙を書くので,この辺でまた一区切り。

やや必死モードで握手会に参加してみた

2008-10-21 15:36:17 | Weblog
 握手会自体は土曜日曜もあったのだが,土日に賭けてズッコケるのが怖かったので,こんな時に使わずしてなんのための有給か! ということで会社を休んで,握手会に来た。私が勤め人の真似事をするようになってかれこれ 1 年以上経つので,久しぶりの平日の秋葉原。

 今回は中西さんにいくつか伝えたいことがあったのと,ほか何人かのメンバーにも挨拶に行きたかったので,計 8 枚。いつもは多くても 2 枚程度なので,今回はやや必死モード。うち 3 回を中西さんのところに行ったんだけど,相変わらずテンパってうまく話せず,言いたかったことの 2 割くらいしか言えなかった。良い歳をしてこの甘酸っぱさは我ながらどうかと思う(^_^;)。

 同じ回の別のメンバー数人のところにも 1 回ずつ行って,まだまだ時間が余っている状態。CD ( というか参加券 ) もまだ買えるし,思わず買い足してあと何回か行こうか…という気分になったが,何とか踏みとどまる。なるほど,握手会で必死にループしちゃう気持ちがちょっと分かった。そうそう,某メンバーさん,「前途洋洋 ( ぜんとようよう ) 」の意味は,リンク先で見られるようです。携帯だとリンクが見えないかも知れないので,パソコンから見てみてください。アイドル相手にしゃべる時に,こんな言葉を使う方が間違いか(^_^;)。

 ということで,この後の回で,もう何人かだけ挨拶に行く予定。しばらく待ち時間があるので,いつものネットカフェ。さすがに平日なのでガラガラで,ゆっくりくつろぎつつ,このエントリを書いているところ。しかし,A-5th の感想が「その 1」で止まっていることについて,劇場でお会いした方から「その 2 以降はまだ ?」と厳しく突っ込まれたので(^_^;),それも書かなきゃなぁ。その前に推しメンに手紙書きたいんだが,どうしよう。てなことを書いていると「そんなエントリを上げる暇があったら…」と,またお叱りを受けそうだけれど。

とりあえずA-5thの感想・その1

2008-10-20 03:13:43 | Weblog
 いろいろ書きたいのだけれど、諸般の事情により時間がない。そこで、細切れになってしまうけれど、とにかく気のついたことを少しずつでも書いていくことにする。

 素人の見た目だけで語るのが失礼であることは承知の上だが、どうも全般的にフリつけを簡単にしてあるように思える。フォーメーションもあんまり凝ったことはしていない印象。全般的にはたぶん、A-2nd よりも簡単。A-3rd、4th という、見るからに小難しそうなフリとフォーメーションを見て来たあとに「これが A-5th です」と言われても、何だか気抜けがしてしまう。まあ、そもそも「チーム A」としての連続性自体が失われているのだから、そこを細かく言うべきではないのだろう。実質的に研究生主体の公演となること、そしてたまにメンバーが顔を出すことはあっても練度の低い状態であると予測されること、などを考え合わせれば、現実的な選択と言って良いのだろう。

 楽曲はいずれも分かりやすく騒ぎやすいのかなという感じだけれど、ちょっとバラバラな印象。意図しているのかどうか、物語色が希薄。メロディなどがいくらか印象的な曲もあるけれど、いわゆる「神」曲レベルはないかなあ。私としては物足りない。

 「大声ダイヤモンド」を除けば、前田さんがセンターのユニットの曲だけ、図抜けて名曲のような気がした。また、衣装もフリも印象的で、前田さんがずいぶん引き立つ。劇場デビューから 3 年経ち、体つきや顔つきも変わって来て、今がちょうどアイドル適齢期、つまり大人の女に近づく時の揺らめくような美しさを湛えたタイミングだと思う。ごく初期、どーしよーもないほどダメダメだった前田さんを、ずっとセンターに置き続けて来た意味が、やっと出るかどうか、というところまで来た。この曲でユニットデビューしても良いんじゃないか、くらいの印象を持った。ついでに、今日の前田さんは、ムラっ気は相変わらずだが、全体を通してみればなかなか良かった。これからの前田さんには、「良い時の前田敦子」を、持続的に出して行けるかどうかが問われるだろう。

 今日はここまで、おやすみなさい。

A-5thに向けての妄想

2008-10-18 14:33:07 | Weblog
 こんなに高まらない気分で新セットリストを迎えるのも、初めてのことかも知れない。何しろ私にとっては一推しがいない。チーム A の中でそれぞれに個性的な魅力を放っていた 4 人もいない。おいそがしいタレント様たちがまともにレッスンをできているのかも怪しい。チーム A にとって、AKB48 にとって最後の頼みの綱であるはずの高みなでさえ、今はドラマの収録などで相当いそがしいのではないか。もしも、実際にステージに出るのは研究生ばっかりで、たまに出て来るメンバーはやっつけ仕事が見え見え…なんてことになったとしたら、それはもはや「チーム A 公演」と言えるのだろうか。

 ただ、期待していないかというとそうでもない。私はもちろん中西さんが一推しだけれど、それとともに、AKB48 全体が好きだった。私がはっきり中西さん推しになったのも、劇場に通い始めてから 1 箇月半くらい経ってからで、それまではメンバー全員が同じくらい好きだった。外の仕事がいそがしくなったチーム A のメンバーたちが、劇場公演をゆるーくこなすタレント様たちになってしまった今でも、かつて「ひみつきち」だった劇場を、あの時間を共有したメンバーたちへのシンパシーは、まだ完全にはなくなっていない。ひょっとしたら、私が「さすがはチーム A のメンバーだ、劇場の外でも活躍するだけの実力があるのだ」とうならずにはいられないような、すばらしいパフォーマンスを見せてくれるのではないか、という微かな期待は、私の中でくすぶっている。

 私はあの劇場と、そこで真剣に頑張っている人たちが好きだ。そして、そこで輝きを放つ人が好きだ。もう「初期の」チーム A の物語は終わってしまったのだとしても、名前だけが同じで中身はまったく別の物語を、また紡いでいけば良いのだと思っている。もしかしたらその中から、私が推したいと思う人を見出せるかも知れない。無理に見つける気はさらさらないが。

 ちなみに公演タイトルは「恋愛禁止条例」だそうである。先日の一件を想起させるタイトルだが、そうやって客の神経に触った時点ですでに「有効」か「技あり」くらいのポイントを稼いでいる。あくまでも私の妄想だが、この時期にそういうタイトルをぶつけて来る以上、少なくともこの曲は相当な名曲であろうと想像する。もしこのタイトルで客の神経を逆撫でしておきながら、いわゆる「神」曲クラスでなかったとしたら、それはただの野暮だし、AKB48 にも作詞家の先生にも未来はない。作り手側は「仕掛ける」時ほど、自信のある作品で勝負して来るものだ。客の側は事前に「何だよ、そのタイトルは」という負の感情がある分だけ、なおさら聞いた後の「ぅおー、すげぇ!」という高まり感は大きなものになる。

 さらに妄想を進めると、歌詞の内容は「恋愛禁止条例」という言葉の額面通りであるはずもなく、当然逆説的なものであるのだろう。いくつかパターンはあるけれど、公演タイトルであることも考えると、「オトナはそうやって私たちを縛ろうとするけど、そんなの無理!あり得なーい」という感じで、若さが弾ける明るい感じの曲、というのが妥当なところだろうか。別パターンとしては、「涙売りの少女」や「軽蔑していた愛情」のように、抑圧された日常の中で喘ぐような苦しさを歌う曲、というのもありかなあ。もしくは、恋愛禁止条例によって追い詰められる中、それでも恋愛の自由を求めてレジスタンスを繰り広げるような、息詰まるサスペンス風とか。最後のこれは、わりと私好みかも。

 ついでにいくつか妄想しておこう。メンバーがメディアでご活躍のタレント様たちになった今、そして私を含めた劇場好きの古参がぶーぶー言っている状況を考えると、いたずら好きのプロデューサーは「なんてったってアイドル」の続編とも言うような、タレント様たちが我が世の春を謳歌するような曲を、あえてぶつけて来る、ような気がする。そしてもちろん、これもかなりの名曲になるだろう。しかし、そういうこともしておきながら、一方では卒業生・星野みちるさんの作曲による楽曲を、高橋さんあたりが中心になってしっとりと歌い上げたりして、古参の懐古的感傷にしっかりとサービスしておく、というのもありそうな気がする。

 そしてもちろん、セットリスト全体としても、B-3rd の「パジャマドライブ」公演に匹敵するか、もしくはそれを上回るような「神」セットリストになることだろう。これだけチーム A というものに、そして AKB48 という物語にヒビが入っている今だからこそ、そういう不安や暗雲を吹き飛ばすような、圧倒的なコンテンツの力が必要なはずだ。今の AKB48 には、それを生み出すだけの求心力があるはずだ。もう一度私に、やっぱり AKB48 が大好きだと言わせて欲しい。明日を楽しみに待ちたい。

さて、いよいよその日が

2008-10-11 14:28:11 | Weblog
 とうとう「その日」が来てしまった。今日は午前中に用事があり、この後また別の用事があってから劇場なので、見られるのは夜公演の千秋楽のみ。千秋楽を見られるだけ十分幸せなのだが。

 私は散々「悲しい」と書いている通りで、もちろん悲しい。ただ、一部の読解力のない ( というより、そもそもちゃんと読んでないんだろう ) 人たちに誤解されているように思うのは、私は「悲しい」の理由として


彼女たちとあの劇場で会えなくなるから、というのもあるけれど、それと共にこの出来事は、AKB48 というものが大きく変わってしまったことを象徴していると思うからだ。


ときちんと書いているはずだということと、少なくとも「推しが卒業するから」という理由で事務所を批難したことはないはずだ、という点だ。私が嘆いているのは、この件が、AKB48 がとうとう「引き返せない曲がり角」を曲がったことを象徴しているからだ。この件についてはいずれまた詳しく書く。ただ現状、「そうは言ってもまだ、すべてが失われたわけではない」とも思っているので、たとえ推しがいなくなっても AKB48 のファンをやめるつもりはないので念のため。

 話を戻して、一推しの中西さんはじめ、5 人に会えなくなるのは寂しいし悲しい。けれど、私は「個人の感情として」悲しいと言っているだけで、彼女たちの将来についてはまったく悲観していない。全員が芸能人として大成功するなどとは思っていないけれど、うまく自分の持ち味を出して行ければ、5 人ともそこそこの芸能人として、それなりにやっていけるだろうと思っている。例えば、成田さんは事務所移籍も決まり、はっきり「グラビアアイドルとして」、つまり彼女の強みを生かした活動をして行くと言っている。チーム A でいつまでも都合の良いアンダーとして飼い殺しにされているより、かえって良いと思う。

 私の推しの中西さんについては、腰の病気が理由だけに、正直言って「現状での」先行きは暗い。しかし、ある意味で私は、中西さんのことは一番楽観視している。あれだけの人が世に出ず、このまま埋もれるということはあり得ないからだ。たとえ周囲の誰が見逃しても、彼女が意思と意欲を失わないでいる限り、神さまが放っておかないだろう。本当に gifted な人というのは、そういうものだからだ。

 ただ、むしろ心配なのは、彼女はまじめ過ぎるので、「意思と意欲」が裏目に出ることがあるということだ。腰を傷めたこと自体もそうであるように、一生懸命に頑張り過ぎる人は、そのせいで自らの身体や心を追い詰めてしまうことがある。AKB48 を卒業したからといって、すぐに腰が良くなるわけではない。卒業後すぐ、慣れない小さな仕事ばかりやっていたら、心身になおさら無理が蓄積していくだけだろう。それよりは今回の卒業を機に、いったん事務所からも芸能界からも離れ、帰郷して療養し、半年後なり 1 年後なりの再起を期してもらいたいと「私は」勝手に思っている。

 さて、午後の用事のあと、劇場に向かおう。千秋楽を「笑顔で見送る」なんて不可能なことは言わない。私は涙もろいので、たぶん泣く。泣きながら微笑んで…ってのはどこかの曲の名前みたいだが(笑)、そういう感じで彼女たちの門出を見送りたい。

前エントリへのコメントから転記

2008-10-08 02:18:56 | Weblog
 研究生公演を見て来たこともあり、こんな時間にならないとコメントも書けない状態です。すみません。昼間から書こうと思っていたことの大半は、のぞみすとさんが書いてくださったようですが、一応私からも補足として。

 何人かの方が、ここぞとばかり「冷静で、大所高所から見た見方」を気取っているのが、大変に気持ちが悪いです。何をどう勘違いされているのか分かりませんが、私は素人の一ファンであり、評論家でもなければ芸能関係者でもありません。そして、ここはあくまでも「私の」「妄想」を書き綴るブログです。彼女たちを見て喜び、泣き、時に怒り、その思いをありのままに書き記しています。それ以上でもそれ以下でもありません。

 ただ、私は私個人の感情として「悲しい」とは書いていますけれども、それによって他人を無闇に攻撃したりはしていません。むしろ、この物語の最初から予期していた「その日」が来たことを、変な誤魔化し方をして納得してしまうのでなく、悲しみと共にしっかり受け止めようとしているだけです。そして、この程度の記述は誰を傷つけるものでもない以上、個人のブログ上に書くことに何ら問題はないものと考えています。

 以上の点を踏まえて言いますが、私のブログのどのエントリのどこを読めば「理性を失っているのでは?」などと思えるのか、その人の読解力が根本から欠如していると思わざるを得ませんし、仮にそう感じたところで、悲しみの最中にある者に向かってそのような言葉を直接ぶつけられる人の神経を疑います。しかも、捨てハンドル一つさえも名乗らないという非常識なコメントの仕方なのですから、呆れて笑うほかありません。

 以下のことは、「これだから古参は思い上がっている」と言われることを承知の上で書きますが、今回のことが持つ意味を理解できず、悲しみや怒りといった感情をまったく持たない人は、しょせん AKB48 に対してその程度の思い入れしかなく、その程度の理解しかなく、その程度の浅い関わりしか持ち得ない人たちなのだろう、と「私は」思っています。本当のことを言えば、それは古参かどうかで決まるものではありません。少なくとも「これまでの」AKB48 の、どういう点がどうして楽しかったのか、その真髄を知っているかどうか、ということです。AKB48 のファンになって日が浅い人でも、知っている人は知っていますし、いわゆる古参と呼ばれる人でも、分かっていない人はいるかも知れません。

 ただし、安心してください。今度のことを契機に、そういう「物語の共有」による「あまりにもディープな心理的紐帯」は、次第に衰退していくでしょう。これからは、ごく普通の「束ものアイドル」として、ライトな楽しみ方に向いたお手軽なグループになっていくと思います。小うるさい古参ファンは一掃され、ステージ上のパフォーマンスの良し悪しなどまるで見なくても身勝手に馬鹿騒ぎのできる「ノリの良い」劇場になるでしょう。他人の気持ちを慮ることもなく(口先で共感するフリだけはするみたいですが)、評論家気取りで「冷静」な意見を吐きたい皆さんの時代がやって来るでしょう。

 そうやって何もかも他人事としてアイドルを客体視している「ファン」層は、いったん風向きが変われば、誰よりも苛烈で執拗な攻撃を繰り返す最大の「敵」になるということは、過去のアイドルたちの実例を見れば、枚挙に暇がありません。しかし、ビジネスとしての AKB48 は、そういうことも承知の上で、マスにアピールして大きなリターンを得なければならない時期に来たということなのだと思っています。それは「私にとっては」悲しいことですが、一方では「予定されていた敗北」なのだろうとも思っています。

妄想の度が過ぎていると思いつつ

2008-10-07 01:30:18 | Weblog
 例によって妄想し過ぎなのは分かっているのだが、どうしても、私が「チームAは解体の時が来たのではないか」というエントリを上げたことが、今回の事態の引き金を引いてしまったような気がして仕方がない。まさかこんな解体の仕方を予想してはいなかったけれども。

 たかが一ファンブログの書き込みなど、仮に読んでいたところで、メンバーが自分の進路を決める重大事に、いささかも影響など与えることはないはずだ…と思いたいけれど、タイミングがあまりにも合致しているのだ。そして、悪い妄想ほど脳裡に取り付いて離れないのだ。

 もし私が、あんなことを書かなければ、もうしばらく楽しい時間が続いたのではないか。私は私にとって大切なものが壊れるきっかけを作ってしまったのではないか。それはほとんど、自ら手を下したに匹敵するのではないか…。そんなことを考え始めると、さらに苦しくなって来る。


青空のそばにいて

2008-10-06 19:47:51 | Weblog
 今日は会社を休んだ。…と書くと「いつもエラソーに好き放題なこと書いてるカギも、推しが卒業するとなればその落ち込みようか、だらしねーな」と言われてしまいそうだが、そういうわけではない。午前中に抜歯したら予想以上に痛みが激しく、午後から出社予定だったのを休みにしただけだったりする。夕方近くなってやっと痛み止めが効いて楽になったので、久々にゆっくりとブログの文章など書いてみようという次第。

 とは言え、もちろん 5 人の卒業は個人的には悲しい。彼女たちとあの劇場で会えなくなるから、というのもあるけれど、それと共にこの出来事は、AKB48 というものが大きく変わってしまったことを象徴していると思うからだ。

 私はもともと芸能関係に疎いし、AKB48 にハマるまでの 10 数年間は、アイドルのステージなんてまるで見ていなかった。だから、そもそも芸能界がどういう場所で、とか、昨今のアイドルビジネスとはこういうもので、なんて話を大上段に語れるほどの知見はない。それらは、私があまり関わりたくない世界であり、ただ遠巻きに、無関係に眺めていれば良いものだった。2005 年 12 月、たまたま劇場に足を踏み入れて、AKB48 に出会ってしまうまでは。

 よそがどうであるかは知らず、しかし少なくとも AKB48 には、私が「こうあって欲しい」とか「こうだったら良いのに」と思う要素がたくさんあった。だからこそ夢中になり、さまざまに妄想し、一ファンの分際でありながら、あたかも自分が AKB48 プロジェクトに参画しているような一体感を味わいながら、日々を過ごして来た。それはとてもとても楽しい時間だった。たまたまブログが事務所側の人の目に止まり、コンサートツアーのパンフレットや「48現象」に寄稿させてもらうなど、私自身も「あり得ない物語」に巻き込まれていたように思う。

 この楽しい日々がいつまで続くのだろう、というのは、それこそ 2005 年当時から思い続けていたことだった。2005 年の大晦日が、どれほど幸せだったか。あれほどうれしかった 1st CD「桜の花びらたち」の発売 ( 2006 年 2 月 1 日 ) が、どうして切なかったか。いつか物語は終わって、私たちは現実の残酷さに呑み込まれてしまうのだろう、とは思っていた。でも、もうちょっとだけ夢を見ていたい、もうしばらくの間だけ、この物語の中にいたい。あろうことならば、この物語が現実の残酷さを突破していくだけの力を持って欲しい…と願いつつ、少しずつ時間を延長して、結局は 2 年 10 箇月を過ごしていた。

 今回の 5 人卒業で、「私にとっての」AKB48 の物語には、一区切りがついたのかな、という気がしている。もちろん、これが AKB48 の終わりではないし、これまでと同様の劇場公演の日々が続いて行くのだろう。私自身も、どこまで熱意が維持できるかは分からないけれど、これで AKB48 のファンをやめるつもりはない。けれど、私が「大好き」だった AKB48 とは、大きく変わってしまったのだな、という気がしている。

 これまでにも AKB48 は、ずっと現実の残酷さに侵食され続けて来たのだが、それでも何とか、独自の物語世界に踏みとどまっていたように思う。それが今回、ついに陥落したという気がするのだ。平たく言えば「ああ、結局、芸能界ってそういうところなんだなぁ」ということであり、もうちょっと比喩的に言うなら、一般的なアイドルビジネス、ないし芸能界というものの軍門に下ったということなのだと思う。それは予定されていた敗北だったのかも知れない。もともと芸能界に向かおうとする子たちを育成する場なのだから、芸能界のありようとかしきたりとか、そういったものと無関係に、超然とした立場を貫けるはずもない。むしろ、芸能界の独特のルールに早く乗った方が「勝ち組」になれるのは当然なのだろう。

 今、卒業していくメンバーに、そして残ったメンバーおよび研究生に言いたいことは、ただ「青空のそばにいて」ということだ。青空のそばにいようとすることは、時に「損な」ことのように思えるだろう。夜の近道を抜ける方が、手っ取り早く目標に近づけると思うかもしれない。だが、天網恢恢の喩えではないが、世の中というのは、長い目で見ればちゃんと因果が巡るように出来ている。近道をした人は、そういう道しか歩けなくなるだろう。浮かれて油断した人は、いつかそのしっぺ返しを食うことになるだろう。いつも「青空のそばに」い続ければ、その時は遠回りのように見えても、いつも晴れ晴れとした心のままで生きて行ける。それぞれに、自分の良心に恥じない生き方をして行ってほしい。

悲しい

2008-10-05 21:56:07 | Weblog
成田、大江、駒谷、戸島、中西が卒業発表。

ゆるゆるの芸能人さまたちは安泰で、日々の劇場を支え続けたメンバーが軒並みAKB48を去る。AKB48ってそういうものだったんだろうか。

悲しい。今はただそれだけ。

引き続きぐったり

2008-10-05 16:31:55 | Weblog
 相変わらずぐったり。いつも、土日で計 3、4 回は公演を見るようにしているのに、昨日は劇場にも行かず、今日もここまで在宅。頑張って夜公演に行けるかどうか。

 何がぐったりの要因かと書くのも憂鬱だし読む人も憂鬱だろうとは思うが、ブログは書かないと話が進まないので書いておくことにする。例によって仕事の要領が悪くて時間がないとか、そのせいで寝不足になって体力がないとかいった個人的な問題もあるけれど、それはまあいつものことだし、そういう疲れがあっても劇場に行く意欲だけは萎えなくて、劇場に行けば元気になれる、というのがいつものパターンだった。劇場に行く元気が出ないというのは、それだけダメージが大きいということなのだ。

 一つは井上さん問題。卒業してしまう人が出ること自体は、つらくても仕方がないと思う。せめて彼女の今後に幸あれと見送ることしかできない。ただ、それにしても、もう芸能関係でその姿を見ることもなさそうな ( と予測される ) 卒業で、当日発表で即サヨナラってのは、最悪のやり方なんじゃないだろうか。たとえ千秋楽まで続けられないのだとしても、せめて 2、3 週間の間をおいて、何回かの公演で名残を惜しむくらいのことはできて良いんじゃないだろうか。推し順位が高いとか低いとかとは関係なく、あの劇場で一時期を過ごしたファンとして、それくらいの別れ方はしたいと思うんだがなぁ…。

 もう一つは「大声ダイヤモンド」選抜問題。実は先日、MV の初披露は幸い劇場で見ていた。柱の陰で 4 分の 1 くらい見えなかったが、大体の雰囲気はつかめた。曲も映像も「大好きだ」と叫びたいくらい好きだった。ただ一つ、全然知らない子がフィーチャーされ過ぎている点を除けば。

 噂はいろいろ耳に入っていたけれど、公式にちゃんと分かるまで、あえて黙っていた。その時は、もし分かってからも、あんまり騒がないでいようと思っていた。SKE を売り出すにあたって、利用できるものは利用したい、というのも分かる。そして、最近あからさまに緩んでいる AKB48 の選抜常連メンバーたちに危機感を持たせるには、それくらいの抜擢をしてみせないといけなかったんだろうというのも分かる。どうせやるんだったら、選抜の端っこに入れるだけじゃ意味がないのだ。

 そして、プロモート側は批難を承知の上で仕掛けて来るんだろうから、そこでファンが騒ぐのは思う壺だ。そして悔しいことに、どんなに騒いだって、私は結局は付いていくしかないと分かっている。もちろん私には、もう AKB48 のファンをやめる、という選択肢もあるけれど、今のところたぶん、そこまでは踏み切れない。だったら、「大人の事情でいろいろ大変ですよね」ってさらっと流しておこうと思っていたのだ。

 だけどやっぱり、黙っていられなくなった。ものには限度というものがある。AKB48 として出すシングルのジャケットが、全く知らない子のソロカットって、それはどう考えたってやり過ぎだ。素質のある子なら専用劇場でのステージ経験もファンの評価も何も要らない、AKB と SKE の垣根さえも飛び越して、70 人近い先輩の頭越しに即センターに大抜擢っていうことなら、劇場って何の意味があるんだろう。

 まだつぼみでさえもなく、それどころか芽吹いたかどうかも定かでないような、そしてどちらに伸びて行けば分からないでいるような子たちが、劇場のステージに立つ中で次第に成長し、やがて大きな花を咲かせて行く…そういうプロセスを見るために、いや、そういうプロセスに参加するために、私たちファンは足しげく劇場に通い、基本的には暖かく、時には厳しく、彼女たちを見守って来た、つもりだった。あらかじめ野に咲いている花を刈り取って来て花瓶に放り込むだけなら、劇場もファンも要らないじゃないか。

 実を言えばこの 1 週間くらいは、本当に「もう劇場に通うのをやめてしまおうか」という気分になっていた。あとは遠くから、たまに CD でも買う程度で良いんじゃないかと。そんな気持ちになったのは、3 年近い劇場通いの中で初めてのことだった。でも、ここまで虚仮にされたら、さすがに心が折れる。ついでに、このげんなり感がなければ、SKE48 の初日も見に行こうと思っていたのだ。センターに抜擢された子が悪いわけじゃなく、もちろん大人たちの決めたことなんだけれど、でも、こんな気持ちで SKE48 の劇場デビューを祝えるはずもないので、やめておいた。

 私は仮に AKB48 のファンをやめても失うものはないけれど、でも、まだ秋葉原の劇場には、そう簡単にやめるわけにもいかないメンバーと研究生たちが、それでも明日を信じて頑張り続けている。だから私も、折れた心を修復しながら、まだ劇場には通って、彼女たちを応援し続けたいと思う。ただ、今回の CD は、最低限の枚数だけしか買わず、ジャケットは裏返すか、どこか見えないところにしまってしまおうと思っている。