goo blog サービス終了のお知らせ 

AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

なんかもう

2008-09-30 02:07:10 | Weblog
 いろいろな意味でぐったり。

 なんか書きたかったけど、ブロガーとしては書かなくちゃいけないんだろうけど、無理そうなんで、今夜は寝ます。おやすみなさい。

今月半ば以降のチームA

2008-09-29 03:45:18 | Weblog
 とりあえずチーム A のその後。

 成田さんの表情がますます明るくなって、フリもヒジが良く伸びた大きなものになっていて、良いことだと思う。笑う門には福来るというから、そういう表情で日々の公演を務めていれば、いずれ良い話もやって来るのではないか。

 里菜てぃんは腰が再悪化していないと良いなあ。ちょっと心配。

 有名タレント様たちの中では、麻里子はやっぱりすげえなぁ、という印象。出る回数は少ないが、出た時には、少なくとも私が見た限りではしっかりやっているし、きちんと表情とか髪型も、劇場向きに、洗練され切らない頃の雰囲気に調整して来たような気がする。「あ、麻里子は昔の気持ちのまま変わってないのかも」と、つい思ってしまったほど。まあ体格的な面では、衣装によってはちょっと微妙かな、という印象は拭えないが、それでも、一時期の心配になるほどのガリガリではなくなったので、違和感は少なくなっているし、まあ良いのかなと。

 こじはるも「職業的な笑顔」と「気分の乗っている時」がシームレスになって来たような気がする。ステージパフォーマンスが安定して高い水準にあって「あれ、もしかしたら今日は気分が乗っているのかも」と思えることが多い。「んー、ほんとに気分乗ってるときのこじはるは、もっととんでもなくすげーはずだよなぁ」という気はするのだけれど、まあでも、今くらいの出来で安定しているってのは、プロとして大事なことだと思う。

 ギャルちんは…まあ相変わらずですか(^_^;)。9/28 の夜公演だけ出た時は、これまでよりはいくらかマシだった気がするけど。

 9/28 夜公演は、個々に見れば多少ゆるい人もいたけれど、公演全体としては、まずまず高い水準で安定して、なかなか良かったと思う。そうそう、A-4th-R の千秋楽が 10/11 に決まったと報告があった。「大声ダイヤモンド」の MV については、またいずれ、ネタバレにならない範囲で。

 ああもうこんな時間だ(^_^;)。そしてまた私の睡眠不足な 1 週間が始まる。

最近の研究生公演で思うこと・その1

2008-09-29 03:42:44 | Weblog
 AKB48 の状況がどんどん動いて行くのに、まったく対応できていない。申し訳ない。仕事辞めない限り無理だなぁ(^_^;)。一応、公演だけはそれなりの回数見るようにしているので、語る材料はあるんだけれど、ぜーんぜん書く時間がない。回数減らして書く時間を確保するべきか、それとも見るチームを絞るべきか。考えてみれば、かつてはチーム A 中心で、他のチームは月に 1 回くらいしか見ていなかったわけで、今のように各チーム + 研究生公演を満遍なく見ていたら、そりゃ時間もなくなるわな、と。

 で、最近の見ものはやっぱり、研究生公演に出ているメンバーと研究生 ( ああややこしい ) の伸びだなあ。いつも書こう書こうと思いながら書けずにいるのだが、今の研究生の中で私が今一番注目してるのは冨田さんである。どの公演でも、とにかく全力で生き生きと演じていて、見ていて非常に好感が持てる。ちょっと元気が余って、力任せに踊っちゃうところはあるんだけれど、その分を差し引いても、研究生にしておくのが惜しい出来。

 そのとみまゆにとっては、今、夢に向けて頑張る上で、良き併走者が必要なのかなあという気がしている。もちろん、誰もが夢に向かって頑張っているのだとは思うが、本人の意気込みや心構え、目標の高さと勤勉さ、といったような要素を包括して、つまるところ同じ目の高さで共感しあいながら、一緒に頑張れる人、というのが必要なんだと思う。見ている限り、とみまゆにとって、そういう存在であって欲しい人は、たぶんきたりえなんだと思うが、きたりえは先にメンバーに昇格しちゃったし、年齢のこともあってか、あるいはきたりえが全方位外交なのか(?)、客席の私がきたりえのみまゆへのシンパシーを感じることはあんまりない。

 あと、研究生で高い水準なのが小原さんと中田さん。小原さんは、正直なところ私としては非常に苦手なタイプなんだけど、しかし、以前の妙に媚びたような、作り過ぎた物腰が少し後退して、落ち着いて来てからは、かなり良くなった気がする。以前はお姫さまキャラがくど過ぎたのだが、今はキャラ立ちはしたまま、嫌味にならない程度なので、かなり良いのではないか。最近の、無駄な装飾が取れてすっきりとしたフリの美しさ、歌う時の表情などは、思わず目を引かれることが多い。たとえ苦手な人でも、出来の良い人はつい見てしまうものなんである。

 中田さんは歌い踊りながら親密さを感じさせる表情をまんべんなく配れていて、見ていて安定感もあり、良い仕事をしていると思う。ただ、あえて言うと、ここからどう伸びて行きたいのかが、少なくとも「私には」感じられないのも事実。現状に満足していたら、今のままで止まってしまうだろう、という気もする。楽曲の世界をどう表現するかということと、この劇場での経験をこの先どう生かして行きたいのかといったことを、厳しく自らに問い、実践することで、もっともっと伸びて欲しいと思う。

 また、研究生公演で大きく力を伸ばしたのが、藤江さんだと思う。チーム A にいる限り、いつまでも「一番年下のフレッシュな子」としての役割になってしまうと思うのだが、研究生公演ではリーダーとしてみんなを引っ張らなければならない。その自意識が、彼女の輝きを大きく増したと思う。先日は「まだちょっと弱いかなあ」と書いたのだけれど、それから半月経った今では、チーム A の中でも他のメンバーにひけを取らないほどになって来ている。その調子で積極的に頑張って行って欲しい。

 一方、研究生公演で心配なのは、誰ということでなく全般に「私たちから元気をもらって帰ってください」とか「私たちのことが素敵な思い出になるように」とかいった MC が鼻につくところ。どこの大スター様ですか? という気がしてしまうのだけれど、本人たちがそういうところに気がついていなそうなのが、ものすごく心配。

 確かに今の劇場の客は、みんな優しい、というよりそもそもろくに見る目がないのか、何を言ってもやっても熱狂的な声援を送ってしまっているようで、そりゃ気分も良かろうとは思うのだけれど、それで客席をなめて何様気分になってしまい、たかが 250 人の劇場で変に客あしらいばかり上手くなっているようでは、先が知れている。劇場公演は毎日がオーディションであり、客の一人一人が審査員だ、という職コンセプトに立ち返って、謙虚に、ひたむきに取り組んで欲しいと思う。

チームB公演を見て気づいたこと

2008-09-18 03:02:36 | Weblog
 先日の 3 連休、土曜日だけ用事があって劇場に行かなかったら、今後はしばらく週末の B 公演がないようなので、9/17(水)に、仕事を早めに切り上げてチーム B 公演に行って来た。全体としてまずまずの出来だったと思う。

 ただ何人か、フリの細部がピシッと決まらず、やや流れ気味になっている人がいた。本人の表情を見る限りは、楽しそうに、そして一生懸命にやっているように見えるので、やる気がないとか、手を抜いているということではないのだと思う。ただそれでさえ、公演を何度も何度も重ねるうちに、細部が鈍って(なまって)来てしまうことがある。

 もしかしたら、たまたまその人が今日だけ、体調が今一つだった、激しく疲れていた、なんてこともあるかも知れないと思うので、あえて誰と誰みたいなことは言わないでおく。今のチーム B なら、そういうことを本人が気づいたり、メンバーどうしで指摘しあったりできるだけの力があることと思う。チーム B の和と結束が、単なる仲良し集団のなれあいでなく、目標に向かう人たちの切磋琢磨に基づくものであるところを見せてほしい。

 まだ書きたいことはあるけれど、今日もこんな時間なので、ここまで。またそのうちに。

AKB48における「記録」と「物語」の重要性について・その1

2008-09-17 02:26:26 | Weblog
 連日睡眠時間を削っていると体力が持たないので、今日は簡単に。

 AKB48 の人気が出て来るにつれて、大きく変わったことの一つに「物語の稀薄化」があると考えている。もっとも、AKB48 における「物語」について私が持論を語り始めると、睡眠不足どころか仕事にも行かずに何日も書き続けてしまいそうので、ここではその全体像を語ることは避けておく。ここではごく一面的に。

 「物語」が成立しにくくなっている理由の中でも、特に大きいのは、やはりファンの絶対数が増え、物事の規模が大きくなった、ということが挙げられる。客層の変化もあるだろうが、今回はそこに踏み込む余裕がないので、とりあえず量的な問題にとどめておくが、しかし、かつて劇場に足しげく通い、独自の観察眼と語り口でブログを書き、ファンの中で物語を紡いで来た「語り部」たちが、なかなかメールが当たらず、劇場公演を見にくくなり、カフェ観しようにも MC が聞き取れる状態ではない、といった状況になっていることは事実だろう。たとえば「48現象」にも登場しているようなブログの書き手が、そういう理由で AKB48 から離れかねない状況というのは、あの時期からずっと走り続けて来た同志としてとても残念に思っている。

 かつて私が「AKB48 をめぐるレポート」というサイトを作った時に考えた、多声的なアプローチというものが、今ではほとんど成立し得ないほどになっている。誰かが記録していることは大事だけれども、誰か一人が記録していれば、ほかが要らないということではないはずだ。というのも、ある人は MC を事細かに取っているかも知れないけれど、別の人はその時のメンバーたちの表情の動きを細かく見ているかも知れない。ある人はフリの細部から個々のメンバーのその日の体調を見抜くだろうし、また別の人は歌や MC の声の調子からその時々の心理状態の良し悪しを聞き分けるだろう。つまり、同じ劇場の中で同じ時間を過ごし、同じ公演を見ていたとしても、個々の人に観察され聴取されるものは決して同じではないのであり、それぞれが言葉にするプロセスを経て、まったく異なる「物語」として紡ぎ上げられるのだ。

 そんなわけで、「48現象」にも登場していたり、またはこのあたり http://wiki.livedoor.jp/akb48fan/d/Bookmarks でリンクしているファンブログは、時に辛口であったりもするけれど、どれも読み応えがあって、AKB48 の「物語」を語る上で重要なブログだと思っている。このあたりの人たちには、何とか AKB48 のファンに踏みとどまってもらいたい ( と私は勝手に思っている )。

 簡単に、のはずがこんな時間。まだ書きたかったことの何分の一かしか書けていないので、とりあえずここまでを「その 1」ということにして掲載しておく。続きはまたいずれ。

私事の連絡: 携帯忘れました

2008-09-16 09:08:36 | Weblog
全くの私事ですが、私は今日、常用の(本名で使っている)携帯電話を家に忘れて来てしまいました。いつもの番号とメールアドレスでの連絡は夜遅くまで取れません。
予備の、カギとして使っている携帯(元テレビ電話用(笑))は持っていますので、お急ぎの方はこちらの番号とメールアドレスにお願いします。

高みなが研究生公演に出た時のこと

2008-09-16 00:55:50 | Weblog
 可能な限り公演を見ようとしているために、ブログがなかなか書けない、と言い訳ばかりしているので大変恐縮なのだが、実はそう言っているだけあって、公演はそこそこ見ていたりするのである。

 ちょっと前になってしまったが、高橋みなみさんが研究生公演に出た時も、幸いにして見ていた。まあ私としてはかなり前から、高みなはどのチームのどの公演のどのポジションでも、人が足りなければ出て行って歌うだろう、的なことを言っていたので ( もはやどのエントリでどういう言い方をしたかすら記憶が定かでないが、探せば多分そういう趣旨のことを書いているはずだ )、特に驚きはなかった。私が妄想するまでもなく、たぶん高みなにとっては、どこのチームだろうが誰と一緒だろうが何のセットリストであろうが、AKB48 とあの劇場は「自分の場所」なのだから、必要なら出て行って歌うのは当然のことなのだろう。

 むしろ驚いたのは、高みなが入った時の公演の出来だった。何と言うか、たった 1 回の公演の中で、後半になるにしたがって、引きずられるように(笑)して、研究生たちの出来が良くなっていくのである。おそらく研究生公演に出ていた人たちの中でも、それを自覚できた人はほんとの数人だったのではないかと思うけれど、しかし私の目には、あのたった 1 回で、一皮か二皮くらいむけた人が何人もいた。

 こういう話を書くと「研究生公演に出ている顔ぶれの多くは、チーム A 公演にアンダーとして出ていて、高みなと共演したこともあるはずだ」という指摘が入るかもしれない。もちろんそれは事実で、そしてたぶん、そういう経験を通じて、影響を受けた人もいることだろう。しかし、人にとって時と場所と状況というのは非常に大きい。例えば同じ人であっても、チーム A にアンダーとして入っているとどこか「借りて来た猫」なのに、研究生公演では生き生きと歌い踊っている、という例は珍しくない。つまり「自分たちのステージ」に高みなを迎えた、ということが大事で、そのことが多くの研究生に、非常に大きな影響を及ぼしたように思うのだ。

 少し前からこのブログでは、毎度のように高みな大絶賛なので、読んでいていい加減うんざりだ、と思う人もいるかも知れないが、しかし、見る目のある人が見れば、ほぼ全員が確実に同じことを言うだろう。今、どんなに外の仕事が多く、華やかそうに見えるメンバーでも、高みなと同じことはできないだろう。周囲の人たちをこれだけ引き付け、そしてその力を引き出せる人は、少なくとも今の AKB48 の中にはいないし、それどころか、世の中のどこを見ても、そうそういる存在ではない。

 だから、メンバーに上がったばかりの人や、研究生の皆さんには、そういう人と身近に接し、同じステージに上がれることを喜びとして、彼女を見習い、多くのことを吸収してほしいと思う。良く滑る MC はあんまり見習わなくても良いけど(笑)。

 ちなみに、そういう風に、多くの人の輪の中心になってしまう人には、そういう人にしか分からない重荷があり、苦しみもある。そして、そういうつらさや苦しみを分かち合ってくれる人は、あまりにも少ない。けれども、もしそういう重荷からどんなに逃げようとしたところで、きっと思わぬところから、運命がその人を呼びに来て、必ず表舞台に連れ出されてしまう。結局はそういう自分の立場、ないしは役割を自覚し、真正面から引き受けて生きていくしかない。それは神様がその人に与えた使命だからだ。仕方ないな、と苦笑いしながら、全力で重荷を担っていってほしい。

 そしてまた、たとえ一人でも二人でも、彼女の近くにいてその思いを理解し、共有できる人は、どうか彼女を支えてあげてほしい。神様は重荷はくれる割に、フォローはほとんどしてくれないものなので、身近な人の助けが必要なのである。

チームAは解体の時が来たのではないか

2008-09-08 02:07:52 | Weblog
 相変わらず貧乏暇なしで、それでも劇場に通う回数だけはそこそこ確保したいなどと思っているものだから、例によって第一に推しメンに手紙を書く時間がなく、第二にブログを書く暇がない。日比谷野音の感想も書けずにいる間にすっかり過去の話になりそうな気配だ。そればかりか自分の身の回りのこともあれやこれやと疎かになっていることが多々あるものだから、この土日は公演を日に 1 回ずつだけに留めて ( 今となってはそれだけ見られることすら贅沢なことになりつつあるが )、自分の身辺の雑事やら家族の手伝いやらを少しばかり。今日もまたこれを書いてると夜更かししそうなので、ざっくりと。

 チーム A 公演は、相変わらず緩い。そんな中で、高みなの奮闘ぶり、その高みなを辛うじて「孤軍」奮闘にしていない里菜てぃんの頑張りが救い。次いで、マイペースではあるけれどひたむきな気持ちは伝わって来るおーいぇ、一時期に比べてだいぶ表情が明るくなって ( 最近は女子高生ファンの絶叫がすごいせいもあるかも )、腕がそこそこ伸びたフリができているなたり、あたりが、まあほっとできる要因。次点として相変わらずのんびりしたのぞフィスと、「あー、まぁ、やることはやってますから」的な人を食った花ちゃんくらいまでが、「私が」今のチーム A 公演を見て、プラスの印象を持てる人たち。あみなとれいにゃんは、一生懸命やっているのはわかるけれど、アクの強いスターティングメンバーの中に入っちゃうと、まだちょっと弱いかなあ。

 こじはるはきちんと職業的な笑顔で職業的に無難なパフォーマンスができているので、それ自体はほめて良いことだと思う。たぶん「劇場公演」というものに思い入れのある人でなければ、あれで十分なんだろう。でも私としては、昔のムラっ気があるこじはるの、気分が乗っている時の圧倒されそうなくらいの輝きは、もう多分見られないんだろうな、というのが残念に思える。前田さんは相変わらずムラっ気がありまくりだが、最近は割とご機嫌がよろしいようには見える。ただやっぱり、本人の機嫌がどんなに良くても、もう劇場公演の中では、かつてごく稀に(笑)見ることの出来た、あっちゃんの弾けるような魅力は、たぶん出て来ないんじゃないかという気がする。あくまでも妄想だけれど、こじはるもあっちゃんも、もう劇場と劇場のお客さんのことを「好き」じゃないんだろうな、という感じがしてしまうので。

 麻里子さまは稀に劇場に出た時はプロとしてソツなくやっているけれど、そもそも滅多に見かけないし、すっかりモデル体型になってしまっていて、劇場の衣装がちぐはぐに見える。表情も雰囲気も、もうアイドルという感じではない。あそこまで方向性がはっきりして来たなら、そろそろ卒業でも良いような気がするんだけどなあ。まいまいさんは相変わらず強気なキャラで、それはそれで良いんだけれど、劇場のファンに対して上から目線で見ているような気がすることが増えて来た。あと、某ギャルちん ( 仮名 ) は、さすがにそろそろ、緩い踊りっぷりをどうにかした方が良いと思う。彼女が一推しというファンまでもが「もう俺らがどうこう言って聞く子じゃないし」とあきらめ顔で語っているのを聞くと、何のために劇場公演を続けているのだろうという気がする。あと、ゆかりんも回を追うごとに緩くなって、フリが小さくなっている。疲れなのか、それとも劇場公演に意義を見出せなくなっているのか分からないけれど。

 私はずっとチーム A が好きで、チーム A を大事に思って来たけれど、さすがに最近は「もうチーム A は解体で良いのかな」と思うようになった。チーム A が「チーム」として存在している意味が、ほとんど感じられない。チーム K のあまりにも強固な結束と排他性も、それはそれでどーなのよ、という感じはするが、しかしそれゆえにこそ、まだ「チーム」としての存立意義はあるようにも思える。だがチーム A は、もともと「チーム」らしさが希薄だったのに加えて、一向に「緩さ」が解消しないどころか、公演を重ねるにつれて劣化していくあたりからして、もうチームとして「お互いを高めあう」機能はなくなってしまったという気がするし、したがって「チーム」として存在する意義もなくなったと思うのだ。

 出演回数がかなり少なくても、他の仕事で休む期間があっても、その人が劇場に「戻って」来た時に良いパフォーマンスを見せてくれて、「劇場が好き」だということを示してくれるならば、私たちファンとしても「ぜひ外の仕事を頑張っておいで」と言える。だが、もうその人にとって劇場が大切でないなら、無理してまで劇場に出なくて良いのではないか。ここからは本人だけでなく、所属事務所も含めての問題になるが、さっさと卒業して、「会いにいけるアイドル」の枠からは外れてもらいたい。月に 2、3 日だけ顔見せのために劇場公演に出て、ゆるーく公演をこなせば「AKB48」の看板を背負っていられるというのは、何だか変な話だ。もしいろいろな大人の事情で、どうしても AKB48 の看板を背負っている必要があるなら、AKB48 の新チームとして「棚上げ組」でも作って、劇場公演をしないメンバーですと言ってしまってはどうか。今のように「ごくたまに出て来て、ゆるーく歌い踊る」だけなら、チーム A としての新セットリストには参加して欲しくない。

 まあどうせ、こんなことを書いても、高みなと里菜てぃんがなおさら頑張るだけで終わりそうな気がするわけだが(^_^;)。ご立派なタレント様たちは、こんなウザいファンブログなんて意にも介さないだろうから。

夏が行っちゃったね

2008-09-01 01:45:35 | Weblog
 それまで普通に「ああ、いい曲だね、いい歌詞だね」と思っていた曲が、ある日突然に、まったく別の意味を持って、胸に迫って来ることがある。

 8月、怒涛の夏休みが終わった。メンバーにとって、ファンにとって、楽しいけれども大変で、そして時に大変に残酷な夏だった。8/31(日)夜のチーム B 公演を見た後、友人の車で変える途中、ぽつりと「夏が行っちゃったねぇ」とつぶやいた言葉で、A-3rd から「夏が行っちゃった」を聞きながら帰った。

「♪Summer has gone./大切な人を連れて/Summer has gone./切ない痛み残して…」

うっかり泣きそうになった。そこでは踏みとどまったのに、どういう巡り合わせか、カーステレオに次に流れた曲が「初日」だったものだから、そこでボロ泣きしてしまった。

 大切な仲間が突然いなくなったこの夏を、私たちは忘れないでいよう。一推し二推しだったかどうかはともかく、間違いなく私たちの劇場の、大切な仲間だった。その仲間がつまずいて転んだ時に、助けてあげることもできなかった私たちの無力を、手を差し伸べることもできなかった無念を、行く夏の記憶と共に心に刻んでおこう。