AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

メンバーの所属と劇場公演について・その1

2007-12-31 15:45:27 | Weblog
 紅白を控えたおめでたい時期に、こういうことを書いて良いものかどうか、ずいぶん迷った。書いたところで、誰もが今は紅白、アルバム発売、そしてテレビ番組の開始といった、新しい展開にかかりきりで、こんなところで私ごとき者が発言していることに誰も注目しないだろう。でもやっぱり、そういう今だからこそ、私としては書いておきたい、書いておくべきだと思った。メンバーの所属と劇場公演の問題だ。そろそろ何か対策が必要ではないか。

 チーム A、K それぞれの公演から、ひまわり組というシステムになったこと自体は、私としては良い試みだったと思っている。もちろん、いろいろ問題がなかったとは言わないし、これで永続的に行くのが良いとも思わないけれど、しかし、チームをいったん解体するという試み、そしてダブルスタンバイという試みは、それ自体は悪くなかったと思う。ただやはり、そこでの人の手当ての問題が、あまりにも不自然だった。そして、その問題は、ひまわり組-2nd になって、なおのこと混乱を大きくしているような気がする。

 まずは、研究生を研究生のまま、ひまわり公演に入れたこと。人数の手当てが必要だったのは分かる。だが、それならそれで、真っ先にやるべきだったのは、チーム B に移した 3 人を戻すことだったのではないかと思うのだ。それでも足りない数人についても、本当ならチーム B から持って来るべきだったと思う。確かに、すでに動いている B 公演から人を抜けば、そちらを補充する人のレッスンも必要だ。それがかなりの負担を伴うことは分かる。二度手間になるという理屈も分かる。

 でも、そういう「大人の理屈」より何より、一番大事なことは「あの劇場で頑張った時間の重さ」ではないかと思うのだ。その時間は決してメンバーだけのものではない。それを共有して来たファンにとってのものでもある。チーム A、チーム K とも、原則としては ( 例外は篠田さんだけ )、劇場で横並びに始まった 20 人なり 17 人なりの中から、それぞれの客が好きな子を見つけ、応援していくというやり方だったはずだ。そこで何よりも重視されるべきは、その時間の重さではないのだろうか。

 オーディション合格から 1 箇月での劇場デビューや、出番の多少やポジションの良し悪しに悩んだことなど、メンバーはいろいろな苦労をして来た。それを応援しているファンも、その時間と感情と物語を共有して来た。ところがここに、はるか後から AKB48 に入って来て、いきなり「1 軍」に相当するひまわり組に、ぽんと入ってしまえる人たちがいる。客はまったくその人 ( たち ) を知らないのに、これまでチームごとに物語を共有して来たメンバーと横並びにされてしまうのだ。これは、篠田さんがカフェにいながら客からの人気が高いということでメンバー入りしたのとは、まるで性質が違う。

 もちろんオーディションをしているのだから、ある程度はプロジェクトをリードしている人たちの意向とか好みといったものを前提にメンバーが選ばれていることは間違いない。しかし、チームごとに 10 数人から 20 人程度の人数をずらっと並べた後、そこからの選択は客に委ねる、というのが「あの劇場のやり方」だったのではないか。もちろんユニットの配置や出番の多少の差はあるとしても、基本的には誰も特別扱いせず、経験者であろうがズブの素人であろうが、横並びで切磋琢磨しなければならない。しかしそれが単なる競争ではなく、一方では協力し合って一つの公演を成り立たせて行くという協調性をも求められた。だからこそ「チーム」というのが、緊張感ある集団たり得たのではないか。

 ところがひまわり組では、研究生の何人かはオーディションに受かってほどなく、かなり良いポジションで劇場デビューする。どう見たって「飛び級」だ。じゃあプロジェクトをリードしている人たちの眼鏡にかなえば、どんな「飛び級」も優遇措置もありということなのか。そうだとすると、客が日々の劇場公演から彼女たちを見出し、選んでいくことの意義は、もうどうでも良いということなのだろうか。

 あくまでも「私の」妄想だが、メンバーたちにとっても戸惑いは大きいのではないか。チーム A、K が合同して、これまであまり知らなかった他チームの子とも人の輪(もしくは和)を作っていかなければならない大変さに加えて、よそでは経験があるかどうか知らないが、少なくとも AKB48 劇場では一から始めなければならないはずの研究生と組まされて、一緒にステージを成り立たせなければならない。研究生たちに足を引っ張られないよう、他のメンバーは協力せざるを得ない。他方、仮に研究生のパフォーマンスレベルが低くても、客も「新人だから」と大目に見るだろう。そんな風に研究生は、周囲のあらゆる人たちから「優しく」接してもらいながら、いわば促成栽培されることになる。これは他のメンバーに比べ、不公平なほどに恵まれてしまってはいないだろうか。

 もちろん、研究生たちには研究生たちなりの大変さがあることだろう。それはまたエントリを分けて述べるけれども、たとえその点を加味して考えたとしても、すでに出番に恵まれている一部の研究生は、AKB48 の中で一番「近道」を通れたことは間違いない。それもまた本人の持っている運であり、運も実力のうち…という考え方もあるだろう。だが、これを「運」だと言って良いのだろうか。1 人か 2 人が「たまたま」何かのタイミングで幸運を手にした、というのであれば、その言い方も分かる。だが、そうした「近道」は、運用によって構造的に生み出されているものであり、その数も 1 人 2 人ではない。

 じゃあどうしたら良いんだ、ということに、私も名案があるわけでもない。逆に、完全に「入った順」優先にするのが良いとも思わない。完全な「入った順」優先は、確かに誰の目にも分かりやすいものではあるが、それが劇場公演を成り立たせて行く上で、あるいはメンバー個々の成長を促していく上で、最適な方法だとも思えない。ただそれでも、今のように無原則に、オーディションで合格したての子を、AKB48 で最も格上であるはずの公演に投入していくというのは、やっぱりおかしい、と思うのだ。実を言えば、まったく腹案がないわけでもないのだが、それは別のエントリで述べる。

 ということで、とりあえずここまで。続きはまた別エントリで。

成田梨紗増量月間につき

2007-12-24 17:19:23 | Weblog
 成田さん増量月間のはずが、私は初日と 2 日目にひまわり 2nd を見て以来、ほぼ 2 週間、ひまわり公演そのものを見られずにいた。仕事が落ち着いたらまた平日にも見に来られるようになる予定なんだが、さていつになることやら。

 まあしかし、この週末でやっとひまわり公演を見られたので、私としては成田梨紗さん増量月間につき、成田さんに注目しようと思っていた。…いたんだが、実際にはその思惑は外れてしまったのだった。実際のところ、無理に注目しなくても、自然に目が行ってしまうくらい、成田さんは魅力的だったからだ。

 特に見ものは、「森へ行こう」の前半、スタンドマイクで高橋みなみさんと最前列の真ん中に位置するあたり。高みなは相変わらずスゴいんだけれど ( というか高みな、外の仕事だって相当あるだろうに、裏表通して誰よりも完成度が高いってどういうことなのよ、ってのはあるんだが、高みなについてはまた別に述べる )、身長とか笑顔の福々しさなんかも含めた総合力で言えば、高みなと並び立って、紛れもない 2 トップとしての魅力を感じさせてくれる。特に、高みなのスパッスパッと空間を切り分けていくようなフリに対して、成田さんは空間を円やかに包み込むような印象があって、その対比がまたすばらしいんである。

 そして、「愛の毛布」がまたすばらしい。ああいう、暖かく包み込むような楽曲は、本当に成田さんに良く似合っていると思う。衣装が衣装だけに、どの子も何割増かでかわいらしく見えるのではあるが、ここでの注目は成田さんのドレス姿の腰の位置と細さ。あれだけ健康的に見えるけれど、決してふくよかなわけではなくて、実はスタイルがすごく良いんだなと納得できるはず。

 成田さんもそうだが、そのほかにも、新しいセットリストで心機一転、これまでの翳りを振り払うように、すばらしいパフォーマンスを見せている人はいる。推しが誰であろうと、日々の公演での、個々のメンバーのそういう頑張りをきちんと見つけることが、私たちが客席から返してあげられる最上のものだと、私は思っている。そういうことのできる客が、今の劇場にどれだけ残っているのだろうか、と心配になる瞬間もないわけではないのだけれど、私はまだ希望を失っていない。あの劇場は今でも、そういうことに気づかせてくれ、そういう感動を与えてくれる場所だと思うし、そういう善意の客こそが、あの劇場を支え続けていくのだと信じたい。

夢破れ故郷に帰る日

2007-12-16 04:29:50 | Weblog
 最初に断っておくが、このエントリは AKB48 とは何の関係もない、個人的な感傷の話である。

 木曜の夜、慣れない仕事に思いのほか時間を取られ、22:00 過ぎにやっと自宅の最寄り駅を降りた私の携帯に、着信記録があった。同じ駅を最寄りとする友人から久しぶりの電話だった。折り返してみると、実家に帰ることにしたという。もう荷物は送ってしまい、翌日、業者が部屋の確認に来るのを待つ状態だという。ちょうど駅前に出て来ているというので、合流して軽く飲むことにした。

 彼はあるジャンルのクリエイターをしていた。していた、と過去形で言うのは失礼かもしれないが、ここ数年は仕事に恵まれず、名前の出る仕事はできずに過ごしていたのも事実だ。クリエイターなどと格好をつけて言うほど上等なジャンルでもないのかもしれないが、一部のマニアックな人たちの中では、それなりに知られていた名前ではあった。

 私は彼のファンだった。正確に言うと、彼の「作品の」一ファンに過ぎなかったのであって、作者その人に、特に興味もなかった。それが、今から 10 年ほど前、まさかという場所で作者本人と出会ってしまった。私が実家を離れていた時期だったので、地元で会ったというわけではない。どちらの仕事部屋からも遠い、ある町の小さな飲み屋に、どちらもまめに通っていたのだった。

 本人と話してみて、どうして私が彼の作品に惹かれたのか、あまりにも納得できる話ばかりだった。彼が良いと思ったり、影響を受けたりしたものが、私とかなり似通っていた。そして、好きな女の子のタイプも、その当時入れ上げていた女の子まで一緒だった(笑)。加えて、彼が東京に出て来て数年前から住んでいる場所が、私の実家の近くだったのも、作り話にしても出来過ぎていると思ったものだった。ほぼ同じくらいの歳だったこともあり、友人づきあいをするようになった。

 だが、それからの 10 年というのは、どちらにとっても、あまり良い状態ではない時期だった。ちょうどどちらも 30 代に入る前後だった。20 代の時はそこそこうまく行っていた仕事が、いろいろなことが重なって、うまくいかなくなった。生活も苦しくなるし、何よりも気持ちの面で追い詰められ、そうするとなおさら、良い仕事ができなくなっていった。彼と私の仕事は全然違ったけれど、状況はひどく似ていた。

 どちらも苦しい状態だったから、たまにどちらかが少しばかり金が入ると、おごるから飲もう、みたいな誘い方をして、年に2、3回くらい会う程度ではあったが、細々とした友達づきあいが続いていた。会うとどちらも弱気に「この先、続けていけるのかなあ」「まあ頑張ってみるしかないよねえ」などと言い合うだけだったけれど、四苦八苦しながらも自分が思い決めた仕事にしがみついて頑張っている友人の存在は、心の支えでもあった。ちなみに、まったくの余談だが、確か A-2nd の時だったと思うが、一度だけ劇場に連れて来たこともあった。

 私は結局、今年の夏に仕事部屋を畳んで実家に戻って来た。その時、身の回りのものはほとんど処分したのだけれど、彼の作品だけは処分し切れずに持って帰って来た。私は夢を追うことから降りてしまったけれど、彼にはまだ頑張ってもらいたかった。私は今でも彼のファンであり、彼の新作を見たかったから。でもその彼も、ついに仕事を手仕舞いにして、実家に帰ることにしたという。

 救いだったのは、彼が意外に明るかったことだった。さばさばとしていた、とも言えるのだが、しかし、決して自棄になっている風ではなく、「また戻って来るよ」とも言っていた。たぶんもう、今の彼や私の歳では、今から力を蓄えて再度の勝負をかけに出ることは難しいはずだ。でも何だか、その言葉を信じてみたくなった。そうだよな、まだ全部の答えが出たわけじゃないんだよなと、何だかこちらがかえって力づけられてしまった。

 今の時代に限ったことではないのかも知れないが、少なくとも今の時代、夢を追って生きることは、かなりリスクが大きい。堅実に暮らした方が良いのだろう。夢を追って成功すれば良いけれど、そういう人はわずかだ。そして成功しなかった側の人生に、どれだけのダメージが残るかということも、身を以って知っている。だから、もし目の前に「このまま夢を追っていて良いのだろうか」と迷う人がいたとしたら、夢を追うことを選ぶべきだなんて、うかつには言えない。

 だけど、夢を追いながら生きることの張り合いも、魔性の楽しさも知っている。ほとんどの人は、迷っているうちはたぶん、そこから降りられない。ましてや、他人が引き止めたりなどすれば、なおのこと本人はしがみつきたくなるものなのだ。だから私は、最後の答えは、本人が自分で出すしかないのだと思っている。

もう戻って来なくて良いよ

2007-12-12 02:44:27 | Weblog
 もう戻って来なくて良いよ、と言ってあげる方が、本当は心優しい人なのかも知れない。ここに戻ってくれば、あなたはきっとまたくたくたに疲れてしまうだろうから。たくさん傷ついて、ボロボロになるほどつらい思いをするだろうから。

 大変なこともあったけれど、輝きに満ちた 2 年間だった。あなたと共にあった日々を、楽しい思い出を、私たちは決して忘れない。だからもう、これ以上苦しまなくて良い。孤独の荒野をさまよわなくて良い。暖かい愛に包まれて、心安らかな日常を送って欲しい。

 けれど、言葉でそうは言いつつも、私は本当のところ、あなたはまた帰って来るだろうと思っている。なぜなら、あなたは「本物の」gifted だからだ。光り輝く場所へ向かうことを、他の誰でもない、あなた自身がが望むだろうからだ。

 それは子どものぼんやりした憧れでもなければ、少女の甘い夢でもなく、青春の明るい希望でもない。もっとはるかに業の深い、ほとんど宿命としか言いようのない何かが、きっとあなたを突き動かすだろうから。

 誰もが止めるだろう。あなたを愛する人たちが、真剣に怒り、泣くだろう。しかし、その人たちの思いを振り切り、愛情を裏切るようにしてまでも、いつかきっと、この荒涼とした月の砂漠へ戻って来ずにはいられないだろう。gifted というのはそういう悲しみを負わねばならない存在なのだ。

 だから私は、あえて「待たずに」時を過ごしている。今のあなたには、ゆっくりと、疲れた心と身体を癒して欲しい。何箇月、いや何年かかっても良い。でもいつか、あなたはまたここに戻って来て、つらく苦しい茨の道を歩き出すだろう。残酷な話だと思いながらも、私はその日が来ることを信じて疑わない。

成田梨紗増量月間宣言

2007-12-11 02:17:46 | Weblog
 いつもしつこく繰り返しているように、このブログはあくまでも私の妄想、あくまでも「私には」こう思えた、という話なので、見方や考え方の違う人はいくらでもいるだろうし、私の見方が「事実」だという主張はしないので、その点をご承知おきいただきたい。

 と、断った上で本題だが、今月の当ブログはごく勝手に成田梨紗増量月間にすることを、あらかじめ宣言しておく。紅白まんじゅう手渡しでもらってうれしかったからではないので念のため(笑)。増量って別にご本人の○○とかを増量するって意味でもないぞ。あ、でも、もし笑顔とかやる気を増量する手助けができるならファンとしてはうれしいわけだが。

 まあたいていの人はすでにお気づきのとおり、私がそんなことを言い出す時はたいていロクなことを言わないんである。はっきり言えばひまわり-1st「僕の太陽」公演後半の成田さんは見ているのがつらかった。とにかくフリが小さくなってしまい、小手先だけでこね回してるようで、ひじが全然伸びていなかったし、キメるべきところでもフリが流れてしまっていた。加えて、息が切れて上体が静止しないし、表情も冴えなかった。

 ただ、決してそれが、ご本人が怠けてそうなっているわけではない証拠には、そういう時でも、ステップは常に軽やかに、そしてどういう組み合わせの 16 人の中でも必ず 3 本の指に入るくらい、ちゃんと高く足を上げて踊っていたのである。なので私としては「つまり、ご本人の気持ちがステージに対して後ろ向きになってしまっているんだろうな」と感じざるを得なかったのだ。

 そりゃそうだろう、というのは、傍目に見ても分かる。ひまわり-1st についての妄想ブログ的総括は別に書くけれども、いわゆる「表」メンバー偏重の起用はあまりにも露骨過ぎた。特に成田さんは、ほぼ連日、劇場に出ていた月があったかと思うと、ぱったり出演が減ったりと極端だったし、さまざまな他人の事情のしわ寄せを食っている印象で、成田さん一推しではない私のような者から見ても、ちょっと義憤を覚える時があった。

 だから、今だから言えるけれど、ひまわり-1st の後半は「成田さんはいつ卒業宣言しちゃうんだろう」と本気で心配していたのだ。そうなってしまうと、もうどんな励ましの手紙も空々しくなりそうで書けなかった。

 ひまわり-1stの千秋楽も間近になって、成田さんのステージングが久しぶりに生き生きとして見えた時も、うれしく思う反面「いよいよカウントダウンに入ってしまったのだろうか」と覚悟を決めたくらいだった。いやもちろん成田さんに対しては大変失礼な話で、今となっては全面的にお詫びするけれども、妄想野郎なんてそんなものなのでお許しを願いたい。まあとにかく、ほんっっっとに心配してたんだよ。

 しかし、ひまわり-2nd の初日、ちゃんと成田さんはステージに立っていてくれた。そして! きちんとひじが伸びているし、笑顔も戻っていた。さらに、新キャッチコピーも、これまでと違って、自分の強みをしっかり前に押し出して来た印象がある。何よりも、新しいセットリストの曲を、これまでよりはずっと楽しそうに歌い踊っているように見える。ファンとしても本当にうれしかった。

 で、成田さんが良い状態で歌い踊っている時は、やっぱりすごく魅力的なんである。あの健康美、そして見る者に無条件に多幸感を与えるような笑顔。ちょっと濁点多め(笑)の声もかわいいじゃないか。ファンはみんな、たとえ一推しが誰であろうとも、ステージの真ん中あたりに成田さんみたいな人がいてくれると、そのおかげでずいぶん幸せになれるのである。いつも推ししか見てないよって人でも、ふと視線を動かす時に成田さんのあの笑顔が視界の端に入るだけで、お日様に照らされたみたいに幸せになれちゃうんである。

 持ち上げ過ぎだろ、と思うだろうか? だったらぜひ、ひまわり-2nd 公演の成田さんに注目してみてほしい。私が嘘を言っているわけではないと納得してもらえるはずだ。少なくとも初日と、空けて日曜の昼公演はかなり良かった。そしてたぶん、今の成田さんはそれを長く持続してくれるだろうと思う。これまでさんざんつらい思いをして来た分、今の成田さんはきっと、自分が何者であるかを自覚して、それだけの強さを備えて帰って来たに違いないと思うからだ。

 A-1st のころは、成田さん自身、自分がどうして「推され」側にいるのか分からなかっただろう。だから逆に、2nd 以降、じりじりとポジションが下がっていくことも、どうしてなのか分からなかったかも知れない。しかし、1 年以上の雌伏の時を経て、今の成田さんの笑顔には、芯の通った強さが備わった気がする。「推され」るかどうかが大事なんじゃない、その前にまず、本人が輝こうとすること、輝いて見せることが大事なのだ。成田さんは、確かに一度「推され」のベルトコンベアーから外れたけれど、それよりももっと強い「自分で輝く力」を手にしたはずだ。それこそは、劇場 2 年の蓄積が与えてくれた最大の財産なのではないか。

劇場2周年おめでとう

2007-12-10 04:02:46 | Weblog
 劇場グランドオープンから 2 年が経った。私にとっての 2 周年には、あと数日あるのだけれど、2 年も経つとそろそろ数日の差は誤差の範疇になって来るような。真の「俺的 2 周年」である 11 日には自分の都合で劇場に来られない可能性が高いので、気分としては一緒に祝ってしまおうということで。

 ガラガラだった劇場、という話は、もう昔話に過ぎないし、それは本来メンバーにとっての「苦労時代の思い出」であって、客である私がどうこう言うことではないはずなのだけれど、個人的な思いとしては、あの閑散とした劇場で、メンバーのあまりにも真剣なステージングに心打たれた日がなかったら、ここまで深く思い入れて、のめり込むこともなかったと思う。

 懐古厨と謗られたり、古参ぶりやがってウザイと罵られたりすることは承知の上であえて言うが、私としてはあの「ガラガラの劇場」を知っていることは今もなお内心の喜びであり誇りであり、あの時から一緒に歩んで来た同志のつもりでいる。この 2 年、AKB48 をめぐる一つ一つのことが、我が事のようにうれしかったり、悲しかったりした。

 しょせん一ファンでしかないのに、どうしてこんなに熱くなっているのかと自省し、自制しようとしたことも一度や二度ではない。一ファンでしかないが故のもどかしさを感じ、無力感に苛まれ、いっそ離れてしまおうかと思ったこともたびたびあった。それでも、衝撃とともに「この子たちを見続けていくしかない」と思い決めたあの日が、私をいつも引き戻した。劇場が彼女たちの夢を育む場所である限り、あの日の思いは今も私の胸に新しい。

 ただ、オープン当日から来ていた人を含め、ごく初期から 2 年、ずっと劇場に通っている良心的なファンの人たちが、「キャン待ちのキャン待ち」に並んでいたり、「もうメールも当たらないよなあ」といったことを言いつつ ( あるいはブログに書きつつ ) そもそも劇場に来ること自体をあきらめていたり、という例をいくつも見たのは、ちょっと胸が痛んだ。今回は公演初日が重なってしまったという事情はあるにせよ、お祝いの日くらい、最初の 1 週間のチケットを持っている人を優先で劇場ご招待、なんてのもあって良いような気がするんだけどなあ。まあ、そういうのまで高値で取り引きされかねないってのは分かるけれど。

 話を戻して、私は今回、お祝いの紅白まんじゅうを成田さんからもらった。…んだけど、成田さんのところに行ったら意外そうな顔をされた(笑)。というか「この人誰だろう?」と思っていそうな顔つき。まあ確かに私は中西さん一推しということもあって、いつも 50 音順でお隣の成田さんには毎度失礼いたしておりますが(^_^;)、でも 2007 年 1 月のカラオケ大会の後の「お年玉」とか、先日の「文化祭」とか、たまには成田さんのところに来てるんですよ…などという話をする暇はまったくないまま、高速に流されて帰途に。ま、2年経ってもメンバーにあんまり顔バレしてないくらいがちょうど良いかも(^_^;)。

ひまわり組-2ndの第一印象・その1

2007-12-10 02:49:15 | Weblog
 12/8(土)のひまわり組-2nd「夢を死なせるわけにはいかない」公演初日と、2 回目となる 12/9(日)昼公演を見た。まずはその範囲での第一印象を、ぽつぽつと書いていきたい。ネタバレがいやな人は読まないことをおすすめする。また、いつものお断りだが、あくまでも「私の」感想を述べるもので、私の感想が「正しい」などと主張するつもりはないし、感じ方の違いもあろうかと思うので、意見の違いに対しての抗議はご容赦願いたい。

 まず気がついたことは、振り付けの雰囲気がかなり違うということだった。どこがどう、というのを言語化するのは、素人の私には無理なのだが、強いて私なりの言葉で表現するなら「細部に、夏先生のフリで良く使われるパーツがない」ということになる。

 たとえば、というのもまた難しいのだけれど、たとえば指クルもそうだし、また、AKB48 のスタンダードと言える「桜の花びらたち」を例に挙げれば、「♪桜の花びらたち」のところの指の形もそうだし、その後の「♪咲くころ」の手の振り方もそうだし、「♪鳴り響く」のところの指の形と振り方なんかもそうだ。それはたとえば「未来の扉」の「♪花が揺れて」ても使われていように「ひらひらするもの」の表現であったり、「PARTYが始まるよ」の「♪星の鐘を鳴らしたら」のところで何人かがやっていたように「鐘の音」の表現であったりと、ある種、言語における単語のようなものだった、のだ。

 もっとも「夢を死なせるわけにはいかない」にも、ある種、夏先生的パーツに近いものはある。それが振り付けというものにおいて一般性のあるものなのか、あるいは、AKB48 のこれまでの振り付けというものを意識して似せているものなのかは分からない。しかし、似ているけれどもどこか違う、のだ。先ほどの言語のたとえに即して言うならば、なんとなく「母国語の違う人が話している言葉」のような違和感を感じるのだ。

 どちらが良い悪い、ということでなく、単に慣れのようなものなのだろうと思う。それだけ私がこの 2 年間で夏先生の振り付けに慣れ過ぎただけだ。ただそれでも、改めて思うのは、夏先生の振り付けというのは、やはり私たちが考える「AKB48 らしさ」の一部だったのだなあ、ということだ。

 ただし例外があって、小嶋さん・高橋さん・峯岸さんの 3 人によるユニット曲「Bye Bye Bye」( ←音だけは MC で発言されているが、表記については適当 ) という曲だけは、夏先生の振り付けで良く見られたパーツがてんこ盛りである。これは初日の MC での発言によれば、ユニットの 3 人が自分たちで協力しあって振り付けをしたそうだ。

 そのこともあってか、この曲を歌い踊っている時は 3 人ともすごく表情が良いのだが、中でも峯岸さんの得意げな ( というのはあくまでも「私の」印象だが ) 満面の笑みは見もの。かつて、ダンス経験があることがかえって足かせになったこともあった峯岸さんが、初めて自分たちで振り付けた曲で、夏先生的パーツを散りばめているというのは、いろいろな意味で感慨深い。いろいろあったけれども、やっぱりチーム A メンバーにとっての 2 年という歳月は、夏先生との深い深い結びつきとともにあったということなのだろう。

 あと、振り付けについてもう一つ思ったのは、フォーメーションの点で「センターが厚い」ということだった。逆に言うと「上手 ( かみて ) 下手 ( しもて ) ブロックで見るのは、ちょっとつらいかも」ということだ。まだセンターブロックでしか見ていないので、あくまでも想像だけれど。

 それなりに左右への展開もしているのだが、短時間でステージ中央部に再集合してしまう印象が否めない。また、横に展開する際も、基本的に同じフリの人を横に並べるだけで、たとえば「涙売りの少女」で象徴的だったような、柱の外でまったく別世界が展開しているような、つまるところ「柱を前提とした横展開」は、あまりないように思える。まあ、普通の劇場には柱なんかないわけで、仕方のないことなのかも知れないが。

ひまわり組-2ndの第一印象・ジョーク編

2007-12-10 01:43:12 | Weblog
 ふざけた感想を先に上げるのもどうかと思ったんだが、これを書かないとまともな感想を書くのがなかなか進まないもので、先に。

 私としては、この「夢を死なせるわけにはいかない」公演の別名として

「へそを見ないわけにはいかない」

を提案しておきたい。短く言うならへそ祭り。とにかくへそ出し衣装がこれまでになく多いのだ。

 まあ確かに、ひまわり組-1st「僕の太陽」公演で、あえて誰とは言わないが「へそ人気」と呼べるほど、おへそが注目された人がいたことは事実なのだが、あれはたとえば「ビバ! ハリケーン」の「♪愛はいつだって」のあたりのフリなどで、ちらっと見えるのがかわいらしくて良かったのであって、最初からおなか丸出しというのも、あんまりうれしいわけではないのである。

 それよりむしろ、おなかが冷えそうで心配になってしまう。実際、メンバーたち自身も MC でそういう旨の発言をちょこちょこしているし。ええ、もはやすっかり「お父さん目線」ですとも。それが何か?

紅白について思うこと

2007-12-04 16:33:41 | Weblog
 先に断っておくが、いつものように単なる妄想。

 出場歌手を見て思ったことは「紅組が多い」ということ。先に報じられた「アキバ枠」というのがどこまで本当なのかどうかわからないけれど、そこをひとまとまりと考えると、数的にはつじつまが合う。一方で、某女性アイドルプロジェクトで、1 枠で 3 組の出場歌手になつているのも目を引く。もし「アキバ枠」が個別に「出場歌手」として扱われるなら、某アイドルプロジェクト側の新人も「表看板の応援に駆けつけました」ではなく、「出場歌手」として扱うべき、みたいな配慮を感じるなあ。

 しかし、どうせなら AKB48 としては、チーム A・K・B と劇場デビューしている研究生までをフルメンバーで送り込んで欲しいという気がする。そのためなら、劇場公演が今月いっぱいほとんどなくなっても構わない。ステージに立ちきれなかったら、客席の通路にまで一定間隔でメンバーを立たせて、会場全部で「桜の花びらたち」をやるとか。もちろん NHK 側の意向が第一だとは思うので、何ともいえないけれど、ファンの妄想として。

 でも、噂されている「アニメの主題歌を合唱」は、演出のやり方によってはちょっと嫌かも。アニメの主題化が嫌なんではなく、持ち歌でないものを、ってのは、明らかに AKB48 のカラーと違うわけで ( 持ち歌にだってアニメの主題歌はある )。まあ、紅白の威光の前では我慢しなきゃいけないこともあると、覚悟しておくことにしよう。

増山加弥乃さんの卒業に思う

2007-12-01 06:20:56 | Weblog
 先日、速報として出口陽さんの卒業のことを書きながら、その後、そのことを全然書いていないのだが、まあこのブログに誰もレポート的な内容を求めていないだろうということでご容赦願いたく。また、実は前に「増山加弥乃さんの卒業延長はあるか」ってエントリタイトルをつけてしまったわけなんだが、これは日本語としておかしかった(^_^;)。「卒業延期」か「在籍延長」のどっちかであるべきだった。まあそもそもお馬鹿ネタなんで、誰もまともに相手にしていませんかそうですか。というわけで私としては、相変わらず勝手な妄想をほざいておくことにする。

 11/30 の千秋楽をもって、つつがなく増山加弥乃さんは卒業したのであった。良い意味で、これほど「湿っぽくない」卒業というのは初めてだった、ような気がする。

 これまでずっと、チーム A では年長の方から順番に卒業が続いて来た。その中でチーム A 最年少の加弥乃ちゃんがあっさりと卒業していくというのは、ちょっと意外でもあったけれど、しかし別の意味ではとっても良いタイミングだと思うのだ。

 増山さんは 2 年前、まだ劇場がガラガラだった頃、20 人の中で目立って小さかったけれども、当時はメンバーの中で一番「ステージの上に立つ人」としての立ち居振る舞いができていた。年末のお台場、まだ舞台袖で着ているベンチコートすらない時期、薄手の「PARTY が始まるよ」衣装でステージに立った時は、小さな身体に寒さが一際厳しそうだったけれど、唇どころか顔色まで青ざめるほどの厳しい条件の中で、しっかりと歌い踊っていたものだった。

 ただ、一方では「子役くささ」が目立つ部分もあったためか、その後も AKB48 の中では、あまりポジションに恵まれた方ではなかったと言わざるを得ないだろう。けれども、次第に背が伸び、それとともにすんなりと伸びていく手足を生かしたフリは、なかなかきれいだった。あと 1、2 年もしたら、もしかしたら AKB48 の中でもトップクラスに入っていたかも知れないと思う。だが、それを待たずに、本来の目標である女優を目指す方向に、軽やかに駆け出して行った。

 見送るファンの側としては、正直なところ、「チョコミミ」1 つだけで出て行って良かったのかな、という気がしないと言えば嘘になる。「チョコミミ」 は確かに大きな仕事ではあるが、石橋を叩くというか、もう少し将来の展望が確実なものになってから、あるいはせめてあと 1 つか 2 つ、同水準の大きな仕事を経て、劇場に出られないことが常態化してからでも良かったんじゃないか、みたいな気がしてしまうのも事実だ。

 だが、そう考えて改めて劇場を見渡してみると、そうやって卒業するタイミングを失ったまま、AKB48 のトップ付近に滞留している人が少なからずいることにも気づく。そしてそのことが、AKB48 に「上が詰まっている」感覚をもたらし、一部のメンバーに無力感をもたらし、AKB48 全体にある種の「淀み」を生じている印象は否めない。この辺の話を始めると長くなるし、話がそれるので、また別のエントリで改めて書くこととしたいが、ともかく、今の AKB48 につきまとう、ある種の淀み感というのは、「卒業」というものに前向きなイメージを持てるほどの成功事例が少ない→卒業を先送りする→卒業による成功事例がなかなか生まれない、という悪循環に原因があると思うのだ。

 卒業に不安が伴うからといって、そういう淀みの中に居残ることを選択すれば、自身もまた悪循環を促進して、淀みの一部となっていくだけだ。これがまだ、アイドル志望、歌手志望の人であれば、あの劇場で日々のステージを重ね続ける意味は大きいだろう。しかし、アイドルを通過点として、その先にアイドルではない何かを夢見ているのであれば、その淀みからさっさと飛び出して、違う流れの中に身を投じることもまた、意義のある選択なのではないか。そういう選択を、身をもって示してくれたのが、加弥乃ちゃんだったのではないか。

 加弥乃ちゃんの卒業が、結局は彼女が AKB48 に入る前から持っていた子役としての才能や経験を元に出て行ったことになるのか、あるいは彼女がこの 2 年、AKB48 での経験を通じてつかみ取った何かがあるのか、それは分からない。できれば AKB48 でしか得られなかった何かが、彼女の力になっていてくれればと思うのだけれども。

 増山加弥乃さん、本当に卒業おめでとう。これからのあなたの進む道が、輝かしいものでありますように。