あるく あかるく

健康長寿 めざしましょう

昭和のプロレス:秘密の暴露

2023-04-14 06:29:19 | 日記
散々な結果

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」ではリングを盛り上げた脇役達
を振り返っています。
 WBCに助っ人参戦して日本中を盛り上げたのはラーズ・ヌートバー選手。
「ラーズ」と聞いて昭和のプロレスファンが思い起こすのは「タッグの名手、
ラーズ・アンダーソン」です。
 初来日は注目の大舞台でした。
日本プロレスが1970年9月に開催した第1回NWAタッグリーグで、
本格的なタッグのシリーズは初の試みでした。
 日本陣営は猪木と星野、馬場とヒライ、大木と山本、吉村と小鹿。
対する外人組は共に初来日のアニー・ラッド、ロッキー・ジョンソンが
優勝候補とされていました。
 だからシリーズ・パンフレットの外人紹介ページの筆頭はラッドと
ジョンソン、次いでニックボック・ウインケル。
ラーズは4番手に据えられ、日プロ側がかなりな期待を持っていたことが
伺えます。

 ラーズが組んだのはこちらも初来日のボブ・ループ。
生きのいい若手選手同士のタッグで旋風を巻き起こし・・たら良かった
のですが、結果は負け続き。
タッグの名手の評判を違えた結果でシリーズを終えています。

パンフレットの記述

 本場のアメリカマットにアンダーソン兄弟が誕生したのは66年のこと。
中堅レスラーのジン・アンダーソンが次男のラーズをパートナーにミネソタ
・レッキング・クルーを結成。
ミネソタ出身の兄弟タッグとして人気を獲得し、その後3男オレイが加入
した頃にラーズは脱退。
 でも喧嘩別れではなさそうで、思い出した様なタイミングで兄弟タッグ
を復活させNWAジョージアタッグ王座を獲得したりしています。
 ジンとオレイのアンダーソン兄弟が初来日したのは、ラーズが初来日
した年の1月のこと。
その頃ゴング誌が兄弟をインタビューしていますが、記憶に残るのはこのセリフ。
「三男坊のラーズが一番危ない奴」
 何故かラーズが三男坊として紹介されています。
更にはゴング誌の人気企画の「まだ見ぬ強豪」でもラーズが取り上げられ、
一躍ラーズは来日が待たれる選手の筆頭になったのでしたが、ここでも
三男坊と紹介されていました。

 そんな前振りがあって9月に初来日したラーズ。
アメリカマットで評判のレッキング・クルーに絡めた売り出しをされるか
と思いきや、ほとんど活躍の舞台はありません。
パンフの4番手に登場したのは何だったのかと訝るばかり。
 改めてそのパンフを読み返すとこんな記述が見つかりました。
<兄弟タッグで名を馳せたが本当の兄弟ではない。>
 当時は業界の舞台裏をばらすのは絶対のタブー。
掟を破ってまで兄弟の秘密を暴露したのは、ラーズをひとり立ちさせる計画
だったのか。
はたまた単に口が滑ったのか。
謎です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする