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強過ぎてテレビに映らなかったレスラー

2017-09-22 06:25:11 | 日記
名勝負が見当たらない

 178cm、107kgとレスラーとしては小柄なので、繰り出す技は必然的に飛び技が主体。
だからどうしてもイメージが軽くて、強さとは無縁と思われていました。
ところがこれを書くに当たり過去のデーターを調べると、実はとんでもない試合を残していました。

 毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」です。
現在のテーマはニューヨークを中心に栄えた歴代WWWF王者から、5人を選んでその活躍を
振り返るもの。
4人目に登場するのは「ラテンの魔豹ペドロ・モラレス」です。

 1971年2月、伝説の王者ブルーノ・サンマルチノを破り王座に就いていたイワン・コロフに
勝利しました。
そしてその座を73年12月にスタン・スタジャックに敗れるまで守り続けました。
 日本マットには1966年日プロのワールドリーグ戦で初登場、以後20年近く来日を続けました。
その間に馬場、猪木、坂口等の日本人エースとの戦いを繰り広げましたが、名勝負として記憶に
残る試合はありません。
ドロップキック等の飛び技主体のレスリングは、目の肥えた日本のファンには少々物足り無く感じ
られていたのです。

隠された試合
 
 モラレスの最高の見せ場は宙に舞っての腕固めです。
76年の新日第3回ワールドリーグ決勝戦でも、坂口相手に繰り出しました。
それはフライング・リバースドロップ、何とも強そうな名前ですが実はヘンテコな技です。
 肘関節を取られてアームバーを仕掛けられたモラレスは逆上がりをする様にジャンプ、坂口の
頭上を越えて背後に降り立ちます。
するとあら不思議、今度はモラレスが坂口の肘を固める格好になっているのです。
 たったこれだけの動作ですが、結構ファンは喜びます。
しかし素人目にもこれでギブアップが奪え無いのは明白。
見せ場は作るけれど、決して強くは見えません。
だから「モラレス恐れずに足りず」の思いが深まりました。

 ところが凄まじい試合を残していました。
79年の猪木とのNWFヘビー級戦です。
 序盤でモラレスは強烈なワンハンドバックブリーカーを繰り出しました。
高く持ち上げた猪木を自分の膝に思い切り叩きつけたのです。
悶絶する猪木、この一発で動きが止まります。
 試合は返し技の抑え込みで辛うじて猪木が勝利しますが、ファンの目には真の勝者は明らかでした。
負けはしましたが、モラレスが強さを隠し持っている事がしっかりと伝わりました。

 ただ不幸にもこの試合はテレビで放映されません。
モラレスの強さに触れたのは、この日広島の会場に詰め掛けた観衆だけでした。
猪木が一方的に攻め込まれた姿を放送する事を新日首脳は拒みました。
そればかりかDVD等他の媒体での公開も許しません。
 もしもこの試合を多くのファンが見ていたならば、それまでの軽いイメージは吹っ飛んで、
間違いなく「モラレス最強伝説」が生まれていたでしょう。
コメント
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