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脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

ありがとう、神戸新聞と記者さん。

2012年06月18日 | つぶやき

 

神戸新聞に先週金曜日、脳脊髄液減少症講演会の記事が載りました。

 

2012年6月15日 神戸新聞記事

神戸新聞と言えば、

今から7年前の2005年にも記事にしてくださいました。

 

おそらく、最近の患者さんは、神戸新聞の功績を何もご存じないかもしれません。

 

まだ、医学界で「脳脊髄液減少症なんて事故後遺症はない」

「髄液はそう簡単には漏れない」などと

いう医師が大多数を占めていました。

 

脳脊髄液減少症患者治療にかかわる医師たちは、

いんちき医師とバッシングされ、

ブラッドパッチで症状が和らいだと経験を伝える患者たちは、

「おまじない効果だ。」「暗示効果だ。」と反対派の医師にバカにされていました。

 

あれから7年、

「ありえない」とされていた、髄液漏れという事故後遺症の存在が認められ、

おまじない効果、暗示効果だと批判されていたブラッドパッチが

先進医療に認定されました。

医学の常識は時代とともに変わることを、目の当たりにしました。

 

2005年当時、

脳脊髄液減少症という誰にでも起こりうる事故後遺症の存在について、

懐疑的な大多数の医師の意見を元に、

ほとんどのマスコミは、私たちの主張に見向きもしませんでした。

 

私たち当時の患者の声に、耳を傾けなかったし、

あまり記事にもしませんでした。

 

一部の新聞が、

ときどき連載したり、

記事にしてくれていました。

 

でも

そのくらいでは、認知度はなかなか上がりませんでした。

 

私は髄液漏れの記事が新聞に載ると、

ひそかに、髄液漏れに対して否定的立場の人たちから、

記事に対して批判がきて、

記者さんが記事にするのをやめてしまわないかなと心配していました。

 

 

でも、毎日新聞の渡辺暖記者は、

継続して、脳脊髄液減少症患者の声を記事にし続けました。

 

これと同じことは、

きっと「水俣病」でもあったのでしょうね。

批判を恐れて記事にしない新聞記者もいれば、

原田先生の側に立ち、患者の声を取材し、生の患者の声を聞き続け、

記者としてできることは何かを考え、批判や圧力を恐れることなく、確信を持って

水俣の真実を伝え続けた記者と。

いろいろいたのでしょうね。きっと。

 

脳脊髄液減少症について、

まだまだ社会に認知が低く、マスコミも報道に慎重だった2005年、

神戸新聞は果敢にも、むちうちとの関係について連載記事を書いてくださいました。

神戸新聞記者の津谷治英様が

早い段階から、おそらく患者の声を耳にし、報道の必要性に気付いたからでしょう。

 

「地方新聞記者の中に、脳脊髄液減少症について報道することで、

人々を救おうとしてくださる記者さんがいる。」

そう思うだけで、

当時、私は、

髄液漏れの激しい症状で動けないほどで、地元で救ってくれる医師もいない中、

死さえ考えた絶望の中で

その神戸新聞記事に光を見た思いでした。

 

一人の記者の一つの記事が

人に気づきや勇気や希望を与え、

人の命を救うこともあるのです。

 

 

おそらく、当時の記者さんも今も、

神戸新聞記者さんの中に、

原田先生と同じ視点で弱者に対し寄り添える人間性を持ち、

苦しむ罪もない弱者のために、

「記者として自分にできることは何か?」を考えることができる

記者が当時から神戸新聞にはいるのだと察します。

神戸新聞と記者さん、ありがとう

 

 

7年たった今も、当時の記事がネット上で消えていないのは、

この記事を広く人々に伝え続けなければという

神戸新聞社としての意思をも感じます。

ありがとう神戸新聞。

 

人間も捨てたもんじゃないですね。

人を傷つけ続け、苦しめ続けるのも人だけど、

人を助けようと動いてくれるのも人。

 

だから、どんなに激しい症状で、苦しくてたまらない状態の患者さんであっても、

けっして絶望して

早まって死なないように・・・。

 

2005年8月15日 神戸新聞記事 名医はどこに (上)

2005年8月16日 神戸新聞記事 名医はどこに(中)

2005年8月17日 神戸新聞  名医はどこに(下)

 

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