脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

体験者しか知りえないこと。

2009年09月30日 | 心の葛藤
脳脊髄液減少症は、
戦争体験者と同じで、

体験した者にしか、知りえないことがあまりにも多いと思う。

経験のない人にも、想像が可能な事と、

想像できない、
体験者にしかわからない、想像を絶する世界が、

戦争にも、
脳脊髄液減少症にもあると思う。


体験者にしかわからない、
この病の微妙な症状、この病が引き起こす出来事、
日常生活や人生の困難さ・・・・

特に、
脳脊髄液減少症の症状の中には、
言葉や文字では、非常に表現しにくい症状が多数ある。


それは、どんなに身近にいる家族であっても、
どんなにこの病に詳しい、
理解ある名医であったとしても、

そして、・・・・
同じ脳脊髄液減少症症患者であったとしても、

実際に、
自分が、脳脊髄液が漏れたり、減少したりする状態になり、

同じ症状や
同じ経験がなければ、

絶対に理解できない症状だと思う。




同じ戦争の時代に生きた人々でも、

原爆や空襲での現場や、
戦場となった地で、
地獄を見、経験して生き延びた人たちと、

それを免れた地域で、
なんとか地獄絵は見ずにすんだ人たちがいたように、

同じ戦争体験でも、
人によって、さまざまな程度があると思う。


だから、
同じ脳脊髄液減少症という病名がついても、

その経験は人により、
さまざまな程度があると思う。


脳脊髄液の漏れがひどければひどいほど、
症状が重いかもしれない。


脳脊髄液漏れの箇所が多ければ多いほど、
症状は多彩で複雑かもしれない。

脳脊髄液減少症という病名にたどりつくまでの病名不明時代の
年月が10年、20年、30年と長ければ長いほど、

この病の本当の恐ろしさを
知っているかもしれないし、

この病の誤解や偏見が招く、二次的、三次的被害での、

患者の人生に与える甚大な被害を
経験して知っているかもしれない。


経験者にしか、
「知りえないこと」、
「気づきえないこと」はたくさんある。


戦争も、
脳脊髄液減少症も、

その本当の怖さや地獄絵を知らない人たちに、

どんなに言葉をつくして伝えようとしても、

理解してもらえないことの方がむしろ多いと思う。



でも、
だからと言って伝えなければ、

何も伝わらない・・・・。


だから、
体験者は、
体験したことのない人に、どんなに相手にされなくても、

「そんな話を聞きたくない」、

もう、「わかったからもういいよ」と嫌がられても、

繰り返し、

繰り返し、

その体験を語りつぎ、
伝え続けなければいけないのだと思う。



戦争体験者がどんどん高齢化し、
年々少なくなってしまう中、


戦後60年が過ぎても、
今も命のある限り、戦争のことを語りつごうとしてくれている人たちがいる。

戦争体験者の声を集め、

記録し続けて、間接的に世の中に伝え続けてくれている、若い世代の人たちもいる。


脳脊髄液減少症という病名がこの世に誕生する以前から
この事故後遺症に苦しんできた患者たちも、

やがて年月とともに、高齢化し、
この世から消えていなくなってしまうことだろう。


世間と医学に無視されながら、
生き残ってきた脳脊髄液減少症患者たちも、

自分達しか知りえない経験を
それを知らない人たちに語り続けなければいけないと思う。



そうでなければ、
脳脊髄液減少症が見逃されることの恐ろしさ、

この事故後遺症の早期発見
早期治療の重要さが伝わらないと思うから・・・・。




脳脊髄液が漏れたまま放置されたことで、
経験した、恐ろしい症状の数々、
それが引き起こした誤解や人生の試練。

私の人生に起こったことを、

少なくとも私自身は、
そのすべてを、
生きているうちにこの世に伝えきらなければと思っている。

そうでなければ、
自分の経験が全くの無駄になってしまう気がして、

悲しすぎるから・・・。

自分の人生がなんだったのかとむなしくなってしまうから・・・。



だから、

他のことができないくせに、
日常生活のことも、まともにこなせない日もあるくせに、
このブログに
しがみついているのかもしれない。


入浴や歯磨きや、自分の着替えや、
洗濯や、食事作りや、食事の後の片付けや、ゴミ捨てや、
洗濯物干しや、洗濯物のとりこみや、

「毎日最低限こなさなければならない日常生活の事がら」より、

「毎日自分がこなせる仕事量」が少ないために、

どんどんやるべきことが、できないまま、
毎日蓄積されていく・・・。

毎日、
どんどんできないままの仕事が毎日蓄積され、残っていく、


それなのに、
ついついここへ来て、

脳脊髄液減少症を伝えることを優先してしまう。

自分の持ちうるエネルギーを
この病を伝えることに優先して使ってしまう。

他のことには意欲が低下して
なかなか取組めないし、
できないというのに、

なぜだか、
この病を伝えようとする意欲だけは、
泉のようにこんこんと沸き起こり、尽きない。


もしかしたら、脳脊髄液減少症の抱える現実がつらくて、
ここへ逃げ込んでいるのかもしれない。



この病を伝えようと、
毎日沸き起こる私の原動力は、

怒りなのか?

悲しみなのか?

嘆きなのか?

警鐘なのか?

妬みなのか?

わからない。

そのどれもが含まれているのかもしれない・・。


戦争を知らない平和で安全な時代に生まれ、育ち、生き、

何の不自由もなく暮らし、安心して眠り、

おなか一杯食べ、
赤紙もこないで、自由に人生を選択でき、
幸せに生きる現代の人たちに


戦争の悲惨さなんかどんなに語りかけても、
真実までは伝わりっこないのに、

それでも、戦争のことを伝え続け、語り続ける、

戦争体験者の必死の思いと
少し似ているのかもしれない。


戦争の恐ろしさ愚かさを、
二度と繰り返さないために、
伝え続けてくれた、戦争体験者のように、

体験者にしかわからないこと、
知りえないことを

それを知らない人たちに、伝え、
語りつがなくてはいけないと思うのは、

人という生き物が、

人という種の命と健康を守るために、

人という生物をより賢く進化させるために、

DNAに仕組まれたことなのだろうか?。


どんな体験でも、
その体験者にしかわからないのは当たり前。


文字や、絵や、画像でなんとかして伝えようと、
しても、

伝えられることは、
経験した真実の、ごくごく一部でしかない。

その上、
それを知らない人たちに、
そのすべての内容が伝わるわけではないから、


繰り返し、

繰り返し、

忍耐づよく、

伝える努力をしなければ、決して伝わらないのだと思う。



戦争体験者たちがし続けてくれたことを、

私たちは見習わなければならない。



私がもし、

この病のことを、何かの事情で
伝えられなくなっても、

どうか、

誰かが、
この病のことを自らの体験の範囲でいいから、
語り続けてほしいと、心から願う。


ドラマ「白旗の少女」

NHK戦争証言プロジェクト


NHKの番組「証言記録 兵士たちの戦争」

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