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突然・春日記

2006年の4月からはじめた
このブログ。
よく続いてるもんだ!

手術の巻 2014 術後2~3週間

2014年03月17日 | 健康

3月4(火)~10(月) 術後2週間~

術後2週目の採血&レントゲンも問題なし

アタシの担当PTさん気配り上手のイカツイ男前。おまけに優しい褒め上手。この時期になると捩れるほど痛かったお腹と脹脛の筋痛はおさまり リハビリメニューに合わせて太腿へ筋痛が移動してます。モモのウラが痛すぎる。

そして消えない右膝痛。加重のない現段階で安静時痛・自動痛・他動痛すべてアリ。こんな状態で右足に荷重かけられるんだろうかアタシ。かなり不安だ~~。

3月11(火)~17(月) 術後3週間~

今週は採血もなくなりレントゲンのみ。経過は異常なし( ̄▽ ̄)

リハビリの筋トレ ➆両膝に挟んだ柔らかボールを締め付ける が追加になりました。右膝が痛すぎる…どう考えてもこの右膝痛は今後の歩行状態に影響する。ヤバい。湿布や痛み止めにマッサージすべて効果なし。せっせと看護師&理学療法士&医師に訴えてみる。看護師さんはやさしくホットパックを持ってきてくれるけど温かく気持ちよい程度で痛みには効果なし。理学療法士からは右膝外側の筋が硬いとマッサージ追加。足つぼマッサージのような激痛だけど半日程度は痛みが和らぎます。医師の山崎センセと担当Dr.君からは放置プレー。まぁ右膝痛は年数を経た慢性痛で原因の特定は困難でしょうが医師に放置されると処置なしです(/ω\) せめてもの救いは左股関節痛が和らいでいること。

シャワー時に両足の太さを比べてみると やっぱり手術した右が細い!測ってみると左右差が1.5センチありました。体重測定してみたら200gの増加…術後ストレスどこいった。納得いかん(-“-) 現在 摂取カロリーは1日1500カロリー…間食ほぼ無し。動けてないが日々 大汗かいてるのに 納得いかん”(-“”-)” なぜに減らない この体重 食っちゃ寝ばかりしてるからでしようね…


手術の巻 2014 術後1週間~

2014年03月03日 | 健康

25(火)~3月3(月) 術後1週間~

手術をした火曜は採血(炎症反応 / 血栓反応 / 貧血)とレントゲンの日。大きな問題もなく経過は良好。レントゲンの結果も問題なし(*^^)v

この頃になると洗拭タオルで体を拭くのが嫌になり「風呂入りたい~シャワーしたい~」って気持ちが大きくなります。たしか抜糸の翌日にはシャワー浴が許可になってた(*’ω’*) 抜糸は通常 術後10~14日後ですが担当Dr.君に聞いてみたら「んじゃ抜く?」と術後9日での抜糸となりました。

翌日にはシャワー浴 解禁! 信じられないくらいアカがっ( ;;) 垢を洗い落とし体を拭くと垢が出るのでまた洗うの繰り返しさ(-_-メ) 自由に使える個室シャワー室が許可になるまでは介助浴室の隅っこで週2回のシャワー使用です。寒くて不便でも我慢がまん。リハビリより疲れるけどサッパリして一息つけますね(´▽`*) 切開部も洗って見た目がキレイになりました♪ 縫い目にカサブタができてますが、 カサブタを取ってしまうと必要以上に痕が残りそうで、ちょっとイヤですよね。我慢 がまん ガマン( ̄▽ ̄) 前回の切開場所とほぼ同じところを切ってくれているので一本線路ですんでますねー。

広大では内反骨切りするとプレートにスクリュー(ボルト)が2本とピンが2本 装着されます。以下は アタシのエックス線画像ですが…みた瞬間「んっ?」となる。なぜかスクリューが3本ついてます。

拡大 スクリュー打ち込まれた場所がオカシイぞっ( ; ・`д・´ )!!! 

プレートじゃなく直接 骨に刺さってるよ~ 理由を山崎センセに聞いてみましたが「理由は教授じゃないと分からない」とのことで、①術中に大転子にヒビ ②暴れん坊だから念のため多めに打ってみた ③他院で抜釘できないように多めに打った あたりを妄想中。

術後1週間を超えると 怒られることが色々とでてきます。禁忌事項としては「立った時 右に過重をかけるな」くらしいしか聞いてなかったんですが、横向いて寝ては怒られ、うつ伏せで寝ては怒られ、右足が10センチ自力で持ち上がったと喜んで報告しては怒られ"(-""-)" 最悪だったのは深夜に装着している外転(防止)枕から足を引き抜き寝てるところを叩き起こされた事。どうやって抜いただの聞かれても寝てる時のことなんて覚えてない。両手を添えても持ち上げるのに悪戦苦闘する右足…自力では内外転できない右足…どうやって抜いたかなんてアタシが知りたい(ノД`)・゜・。 翌朝は 看護師&医者みんなに「なにかやっちゃった(^◇^)?」と聞かれる始末。引継ぎで知ってるのに聞くな~~っ。※広島弁の「〇〇しちゃった」は過去形で茶化しているわけではなく どうも現在進行形の丁寧語らしい。

その日の夜からは「外転枕は付けてるほうが暴れて危険」と使用中止になりました(*^_^)v ←喜べる理由ではない

骨切り術を経験した人なら分かるでしょうが、この時期 まだまだ「やれ」と言われても痛くてできない事のほうが多く、禁忌事項の指示が甘いわけなんですが「知らなかった&聞いてない」と後悔したくないので医者に確認しました。担当Dr.君は「内転と外転はダメ」・准教授の山崎君は「骨も肉もくっ付いてないから右足を自力で動かすな」 フムフム('ω') ちなみに教授は「痛ないなら なんでもせぇ」 とまぁ三者三様の回答。山崎君は慎重派なうえにアタシの性格をよく知っているから『くっ付いてないから変に動くと千切れますョ('_')』と サラッと分かりやすい言葉で脅してくれました。 千切れるって 千切れるって… キャーっっっっ 

でも行動の制限については理学療法士(PT)さんに聞くのが一番 丁寧で分かりやすい。まぁ山崎君と同様の内容で「動かすときは手を添えろ」つまり「右足にチカラ入れてイランことするな」って感じです。にもかかわらず 色々と聞いた後に 正座して怒られました。アタシなりに「胡坐は外転だからダメだけど正座は屈伸だから大丈夫」と考えた結果だったんですが…。痛くなかったから教授OKレベルなはずなんだけどダメだった。だろうな(-_-;) ハァ 正座したら膝の痛みも消えて気持ち良かったんだけどなぁ。そうそう!悪戦苦闘していた靴下とパンツの脱ぎ履きもできるようになってます。股関節の可動域がまだ悪いため気合いがいりますけれど、真っ向勝負で手が足先に届く 


手術の巻 2014 術後5~6日目

2014年02月24日 | 健康

23(日) 

本日より洗濯も自分でやってます たしか前回(2006年)は両足の手術だったため立位厳禁で洗濯に困ったんだよなぁ…洗濯機から洗濯物を取り出せない事に洗濯してから気が付いた 今回は片足が使えるので 洗濯物を取り出して乾燥機へ放り込めます(*^^)v

今まで1センチ以上ある分厚いガーゼが切開部分についていたのだけど、ガーゼ交換で薄くなり身軽になりました。記念に写真を一枚パチリ 

薄くなると患部に熱感があるこことに気が付く。切開部を洗浄したわけではないので縫い目に血が少し残ってますね。相変わらず廃液チューブを付けていた場所からは少しずつ廃液がでています。と言っても1日数ミリも無い程度の量。皮膚は閉じてるけど中はまだ戦後処理中なんだねΣ(・ω・ノ)ノ!

 

24(月)

広大病院の整形は月木が入退院日で火金が手術日。入退院の日は看護師さんたちも慌ただしく忙しそう。

アタシは7時半に起床。洗顔に歯磨き、朝食をとって歯磨きして、リハビリして朝寝して、昼食とって歯磨きして 洗髪して洗拭して昼寝して洗濯して…お喋りして…超ヒマ(*´з`) あとは同室のババ様ズに自主トレのプレッシャーをかけられあがいてます(-_-;) 昼寝から目覚めると「もぅ3回自主トレした」と笑顔で報告される


手術の巻 2014 術後3~4日目

2014年02月22日 | 健康

21(金) 激痛で目覚める(ノД`)・゜・。 なんだコレ

痛い場所はお腹と右膝から下。まさしく筋痛です。ハラとフクラハギ。ハンパなく痛い。涙が出るほど痛い。ベットから足をおろすとき&車椅子からベットに横になるとき、足枕に足をのせるときなど足を使おうとするとお腹が痛くて息が止まる。そう言えば前回も腹筋痛かったんだよなぁ(-“”-) チッ お部屋でDVDを見ていて憤死しそうになりました。笑ったら痛みで息が止まる。笑いを我慢しても当然 息が止まる((+_+))

 

22(土) 術後4日もたつと生活パターンも出来上がりつつあります。朝晩の注射(クレキサン)が 筋肉注射みたいな痛みでヤだなーって程度。そう言えば点滴を外すまでヘパリンも使ってました。

比較的 経過が良いらしく想像以上に放っておいてくれるため中庭に出かけたり売店で買い物したり。一番 困るのは着替え(靴下とパンツ)くらいです。どうあがいても足先に手が届きません。腹と脹脛の筋痛は取れる気配なし。

今日は母が見舞いにやってきました。本日は術後初の洗髪。はぁースッキリ 🎶♬♫  夕刻には初の足浴。優しい看護師さんに洗ってもらい ぽっかぽか 🎶♬♫

 

【現在のリハビリメニュー】

①   ゴムバンドを右足の先にかけ引っ張り 足先を伸ばしたり立てたりする練習

②   両脹脛の下にピーナッツ型のボールを置き 転がして引き寄せる練習

③   右足の下に摩擦の少ない板を敷き 屈伸(曲げ伸ばし) の練習

④   および開脚 (一人では動かせないので理学療法士さんの添え手付) の練習

⑤   伸ばした左足を30~40度ほど持ち上げ停止

⑥   マッサージ

すべて寝っ転がってやる お気楽メニューなんですが、全力で取り組まなければこなせない。初日に20回だったのが翌日には50回、②~④の角度もどんどんキックなり日々ハードになります。でもイチバン苦しいのは⑤ です。この程度の運動で2月に大汗だよ(-_-メ)

自主トレは①と③と⑤だけでーす。


手術の巻 2014 術後1~2日目

2014年02月20日 | 健康

術後翌日の19(水)も昨日と同じ様な状態ですが 体や腰が痛くてロキソニンを一錠内服しました。

この日は総回診もあり朝から病棟内はピリピリした状況。アレですよアレ。白い巨塔の世界ですよ(-_-;)

そして実習に来ていた看護学生さんが割りあてられウハウハ( *´艸`) で~す 来週の金曜まで午前中アタシの相手をしてくれることになりました

午後からは麻酔科医が来たりリハビリ科の医師や理学療法士が来たり、体を洗拭してもらったり なんとなく忙しい感じ?寝たきりだけど。リハビリは担当PTと挨拶した記憶はあるものの 何をしたのか全く覚えてません。ベットのジャッジアップが45度まで許可になりました。広大の電動ベット…リモコンに角度が表示されます。良かったり悪かったりだぁ(-“”-) 

 

20(木)になると朝から再び麻酔科医の問診を受けました。痛み止めの点滴を外すと聞いていたので外す前に 追加ボタン連打してみたところ2回分だけ追加を受け付けてくれました。ボタンを押し薬が追加されると 鈍い痛みも和らぎスッキリした感覚があります。即効性があり5分もすれば効果が感じられ 「コワッ」って気がしないでもない…さすがモルヒネ。

痛み止めの点滴を外し、体を洗拭してもらい術後から付けていたT字帯から おパンツにかわり病衣も新しいものに着替えさせてもらい…イキナリ昼一で車椅子へ移乗。そしてイキナリ導尿終了 トイレへ行かされる。両手と左足でバランスよく立てるせいか見守りもお手伝いもナッシン。

( ゜Д゜) マジ!? 早くない!?骨切り2日目だよ! 

ベット上で理学療法士さんと軽い足の動かし方を練習し そのままリハビリ室へ拉致られる。再び軽い足の運動のあと平行棒で立たされる。もう されるがまま 言われるがままのアタシ。手術した右は完全免荷に加え痛みをあまり感じないため、両手と左足で立位をとることに問題なし。辛くはないが疲労感がスゴイ。どうも右足の股関節付近には全く力が入らず、寝た状態で右足を持ち上げるだけで全身運動になります。そりゃあもぅ脳みその血管が切れそうなほど全力だ。酸欠で ちょっとしたランナーズハイを味わう。ちなみに右足はピクリとも持ち上がりませんでした(;_;)

点滴も全部はずれ排液チューブも取れ 身軽になり 切開部分のガーゼ交換をしてもらい1日終了。排液は総計で500ml程度かな。

フロートロンは撤去され、ベット上での動きが制限される外転枕の使用は夜間のみになりました。日中は足枕のみです。でも この足枕の上に右足を乗せたり上げたりするだけでもぅグッタリ…この足はアタシの足じゃないよっ全く


入院の巻 2014 術日

2014年02月18日 | 健康

18(火) 手術は喜ばしいことに今回も朝一発目ゲットです。朝一の利点は①スタートがずれ込まないので待ち時間のストレスが少ない ②絶飲絶食の時間が短い の2点。固形の物を口にできるのは前日21時、 水分は当日の朝6時が最終なので遅い手術は本当にツライ。

当日は朝から浣腸して 8時過ぎには病室で術衣に着替え弾性ストッキングを左足に履き、麻酔科医と股関節医と看護師に連れられ車椅子で手術室へ。

なんとー!! 手術室が新築された外来棟にありました。超・キレイです

今回は全身麻酔とのことで手の甲にプスッっと注射してルート確保。教授や山崎センセが来たらちゃんと挨拶しようと思っていたのに… プスッのあと記憶が全くありません( ;∀;)

挨拶どころか教授の顔なんて見て無い。アタシいつ眠った? 麻酔が覚めて目の前の時計を見たら11時10分でした。予定通りで終了のよう。前回のような朦朧とした状態でもなく スッキリした目覚め(´▽`*) まぁ次に気が付いたら病室にいたから半覚せい状態ですね。

バッチリ覚醒して思ったこと⇒痛み止めが効いているのか『痛くない!(^^)! 』

上半身は問題なく動く。下半身は…変な感覚。それもそのはずで、両足に血栓予防のフロートロンが装着されプシュープシューと唸りをあげてます。左足⇒重くて持ち上がらないものの足先は動く。手術した右足⇒足先は動く・動かしても大きな痛みはなし・鈍い痛みが右股関節付近にあり。なぜか一番痛いのは右膝で湿布を貼ってもらいました(*´з`)

ぐるりと身体確認すると抗生剤?な点滴バックが1個と痛み止めの点滴バックが1個。自己血を戻すための輸血バックが1個。導尿チューブが1個。切開部付近からドレージのための排液チューブが1個。あっ酸素マスクも、とまぁ こんな感じ。

飲食許可がでるのをお手伝いに来てくれた家政婦さんとお喋りしながら待ちます。何を話したか覚えてないので やっぱり朦朧としていたのかもしれませんが 思い出すとプリンを食べたので買い物も行ってもらったんでしょうね(*’ω’*)

14時には水分許可、16時には食事許可になりベットも30度までギャッジアップできています。

夜の睡眠が浅い…。痛み止めのモルヒネは自動で体内に入ってます。でも「いつ激痛が?」と、そればかりが心配で不安で…なんでも「出産と同じくらい痛い」と言う同病患者さんの証言多数に付きビビりまくってました。

結局のところ術後の痛みは さほどでもなく、この日 痛み止め追加のボタンを押したのは明け方に一回でした。そんなに痛くなかったけど押してみたかったの f( ..)


手術の巻 2014

2014年02月17日 | 健康

広島に到着!手荷物はリュック1個とはいえしんどかったぁ(*_*; でも車と違って早い。乗換え時に休憩しながらでも自宅から病院まで驚きの4時間です。 

さてさて、到着した広島大学病院の入院棟。前回と同じ七階東(西は脳外)…元気な車椅子患者がゴロゴロいます(笑) 昼食を取ってから荷物が予定通り届く。冬場の入院のため、かさばる荷物が多く段ボール三箱!じつは今回 家政婦紹介所から お一人派遣してもらっていました。一緒に荷物を整理し、術後の付添い期間の打合せ。午後から2時間、買い物・洗濯・腰のマッサージ・話し相手を4日間お願いしました。

ウワサに聞く骨切り術後の激痛期間を なんとか乗り切らねばね( `―´)ノ

手術の前日ですが することはあまり無く担当医や麻酔科の医師や薬剤師、担当看護師と話した程度。山崎センセは准教授に出世しちゃってるからね~今回の入院担当医は若手くんです。

嬉し恥ずかしの毛剃りは自分でやりました。右足一本ツルツル(^_^;;

そう言えば、愁傷な態度で教授に挨拶する気持ちはあったのに廊下でバッタリ出会い 「来たか。いつぞ?」と言われ「あした!!(怒)」 と、いつも通り手短なもの…挨拶にすらなっていません=3

あきらめもつきヤル気もあり、移動の疲れと相まって22時には就寝。


転院先探しの巻

2014年02月07日 | 健康

広大で手術したあとの日程が いまだにハッキリしていませんが、良い経過なら7~8週間で退院(どう考えても4週は不可能と自己判断)です。無理もしたくないし、やっぱり転院先を探しておかねばなりません。

転院先は内科の了解もいるので浜ちゃんに「リハビリ(プール)に通っている整形へ転院しようと思う」と話してみたら、なんと浜ちゃん情報「その整形は入院治療やめたと思うよ」…今は外来とリハビリだけなんですって。あれだけ通ってたのに アタシったら  …知らなかった

最終手段の病院(↑)に 転院できないことが術前10日前に発覚! ギャー!! もっと早くに調べとくべきだった。股関節は急性期&回復期で90日までの入院は どこの病院も喜ぶけど それ以上は嫌がられる。難病は日数制限なかった気もするけど大きな病院へ転院してリハビリしなければいけないほど状態が悪いわけでもなく、急性期の病院のベットを埋めるのは心苦しい。適当な(小さ目)病院を探さねばっ 

理学療法士がいて内科系リウマチ医のいる病院って 基本的に急性期の患者を扱う大病院です。小さめ病院はSLEだと知ると高い確率で嫌がられ、自分で1件1件 問い合わせ受診して探してる余裕が無い。例によって浜ちゃんに「90日オーバーでも置いてくれSLEでも嫌がらないリハビリできる病院教えて 」とすがりつく。

速攻で顔見せ受診してきました

良い感じのセンセ発見 股関節専門じゃないけど それなりに経験もあり話がスムーズで「2ヶ月で在宅はキツイでしょ」と了解をもらえ、内科医常駐につきSLE治療も浜ちゃんと連携をとってくれます

1枚だけレントゲンを撮り問診を受ける。経過と希望も話し「無理せず根気よくだね。頑張っていきましょう。」とお言葉をいただき転院先の心配は消えました 


書類あれこれの巻

2014年02月03日 | 健康

今回、手術するにあたり色々と書類を用意しなくてはなりません。それが まぁ~手間のかかること 

特定疾患医療受給

まず医療費を大きく抑えるため公費負担の受給にむけた申請が必要です。もちろん過去に"大腿骨骨頭壊死症"の認定を受けていたのですが、医療費の給付を受け続けるための更新申請をしていませんでした。この制度、年一更新しなければならないのですが、経過観察中のアタシみたいな患者には申請の手間がかかるだけで 金銭的なメリットが少ない。広大は受診しても診察とレントゲンで三割自己負担・千五百円未満。更新しなかった理由は ①診察は年に1~2回だった ②骨壊死症は認定基準が経過で左右される疾患ではなく(膠原病は経過中に認定基準を満たさなくなる場合があり更新中断はお勧めしません) 再び申請すれば確実に認定される確信あり ③地元で骨壊死症を診てもらうのにアタシはSLEの特定疾患医療受給者証が使えた(医師がSLEの関連疾患と認めてくれた)、と言うように広大受診のためだけに更新続けるメリットを感じず放置  広大で手術することが決まってから再び新規申請いたしました。

必要書類は①申請書類 ②臨床調査個人票(医師記入) ③住民票 ④健康保険証のコピー ⑤所得に関する書類(※源泉徴収票など) です。※市民税非課税になっているため市役所発行の課税証明書も必要でした ※②の文書料は(健康保険ではないから)各病院で違い、これまで公的病院はおおむね無料。でも昨今の流れにのり広島大学も②の書類に対し4月から文書料(2100円)が かかります

必要書類をそろえて保健所に提出し申請受付されたのが昨年12月初旬。何事もなく交付され医療受給者証は1月末に届きました。受給者証は申請日で交付されるので 広大で受けた今回の各種検査など すべて公費対象になります。2月になり転院先が決定したので医療機関追加の申請をしています。※愛媛では交付された医療受給者証に医療機関名が記入されており自分で申告した病院でしか使用できません。

【傷病手当金の申請】

健康保険から支払われる休職時のお手当です。入院中のテレビ代ほどの日当ですが…ケチケチモード突入したアタシにとっては貴重なお手当。ちなみにお手当は4~6月分の給与をもとにした標準報酬月額で計算するらしい。細かい規定とか日数があって 正確にはよくワカリマセンが、おおむね三分の二が支払われます。現在アタシは障害厚生年金の給付を受けているため、通常より必要書類が少し多い。なぜ年金がかかわってくるかと言うと、年金分がお手当から差っ引かれるからでーす。要するに年金と傷病手当金を合わせて月給の2/3をこえることは無く 年金額が上回っている人はお手当ナッシング。収入の減り幅が健常者より大きいんですね。驚きましたのことよ 本当にテレビ代だー

必要書類は ①診断書 ②傷病手当金請求書(医師の意見書付) ③傷病手当金請求副申書(給与状況などを会社が記入する) ③年金証書 ④年金額改定通知書(現在の支給額の状況報告) です。 ※②と③は毎月分必要 

副作用被害救済制度

2007年に請求し骨壊死が副作用被害と認められているので 簡単に請求できるはずだけれど…念のため電話で問い合わせてみた。通称パムダ。フリーダイヤル窓口の対応が格段に良くなってます。電話をまわしてもらった給付課でも疑問点一発回答。骨壊死症に関しては請求する患者さんも多くなっているのか話しもスムーズ。ちなみに「医療費=健康保険診療を受けた場合の医療費自己負担分に対する給付」のことで「医療手当=入/通院(基本的に通院のみは非該当)した場合の手当」です。アタシは上の特定疾患医療受給を受けるため医療費の自己負担は無く医療手当のみを請求します。コピー機がインク切れおこしてるから必要書類は送ってもらいました。1週間かかりました~。

必要書類は ①医療手当 請求書 ②医療手当診断書 ③受診証明 

アタシの今回の請求では「投薬証明」不要です。じつは診断書や請求書には、薬剤名や薬剤を使用した治療内容を書く欄がありますが 書いても書かなくてもOK。書き間違うと返品されるので書かないほうが賢明

【生保の医療保障】

アタシのたった一つの医療保障。アタシこの医療保障が無ければ本当に生活が行き詰る。コレがあるから じっくり治療&療養できます。アタシの保証は一入院につき最大124日まで。目一杯もらう予定 コールセンターに申し込み必要書類を郵送で送ってもらいました。

必要な書類は ①請求書 ②診断書

まぁアレです。公的機関より民間の会社が一番 素早く丁寧で 間違いのない 爽やかな対応をしてくれますわ

 

手術とは関係ないけれど【県営住宅申し込み】まぁ2年後に援助なく自活できるレベルじゃないと困る最大の原因

2月初旬に受け付けているので申し込んだ。必要書類は ①県営住宅入居申込書 ②入居資格自己チェックリスト ③誓約書・同意書 です。

県が勝手に抽選して空き部屋がでれば抽選上位者からお知らせしてくれます。市営住宅よりは優先枠があるため入居確率が高いので、申し込み住宅を2個に絞り今年は当選しなくても良いくらいの勢いで応募しました。そういえば昨秋の市営住宅の申し込みでは、抽選会場に行かねば棄権になるため くじ運が激烈に悪い姪っ子カホゴンを指名して連れていきました。想像通り 14組中14番目を引き当てた彼女は「14番大好きなんよ~出席番号も14番。14番がエーなー思いよったんよね。すっごい嬉しい 」と大喜び。…ある意味くじ運 最強


手術説明の巻

2014年01月29日 | 健康

今回 手術するにあたり、はじめて まともな説明を受けることができました。今まで内反(ないはん)とアタシが言ってた手術ですが "本当に内反なのか まさか回転じゃなかろうか?"と多少の疑いの目を向けていたので 書面で説明していただけて一安心です。 術中に術が変わることもあるだろうけど内反できなきゃ置換だからね

術式は希望していた 【大腿骨彎曲内反骨切り術 (だいたいこつわんきょくないはんこつきりじゅつ)】です。

術時間は2時間ほど。翌日にはベットのギャッジアップ可。5日目頃から車椅子の使用可。5~6週頃から部分荷重開始。順調な経過だと7~8週で退院(転院)だそうです。アレッ 4~5週で退院とか言ってたのに…聞いてたより長いぞ。退院4月やん

先週の股関節レントゲン画像を見せてもらうと やはり潰れた範囲が広がっていて「チョコっと内反」では荷重部にくる健常部が想像してた以上に少ない。…気がする。

この術式 術後の健常部占拠率で術後の経過が分かれる報告があります。骨頭を内側に傾けることで荷重部分に35%の健常部を確保できれば比較的良好な経過をおくれるらしい。もちろん健常部は多いほうが良い。当然ながら健常部の確保を最優先して傾ける角度は決まるはずだけれど、その辺の説明が書面にない。内反による脚長差は回転に比べさほどではないはずなので角度は分からなくてもいいけれど、健常部占拠率は教えていただかないと術後経過の予測がたてられないのでは? 健常部占拠率の予測を教えてほしいと手術説明の医師に質問してみるも「3分の1はありますよ」って。3分の1は35%未満なんですが…適当に答えてみた感ありあり  この医師が知らないのか、言いたくないほど率が低いのか、はたまた広大が率には重きを置いていないのか。ナゾです。

これまでの経過中「説明がない&質問しても回答がない&自らの希望すら話しにくい」という不満が澱のようにたまり続け、なにかと疑惑の目を向け不信感のかたまりのアタシ。説明してくれる医師がハキハキ喋るわりに患者の話も聞く人だったので、再び念には念を入れて自分の希望を伝えてみた。「術後の経過が悪くても2年は頑張る。でも2年後に痛み少なく動ける足にならないと思ったら置換する。教授が反対してもそれ以上の経過見は無し!」

いつも通りの医師から目線の話を聞かされました。「痛みは100パー取れるとは限らないし 杖が手放せるとは限らない。」そんなことは分かってるのよ。歩く姿が悪いとかそんな話をしてるんじゃない。アタシは生活の話をしている。自分のADLスコアが悪くないこと分かってるのよ。でも食事を自分で食べるから満点とか更衣ができるから生活に問題ないってオカシイでしょ。日々の食事の用意は?更衣も椅子がないとできないし衣類の洗濯は?気持ちよく入浴したいしお部屋だって清潔にしたいのよ。仕事もしないと経済的にも立ち行かないでしょ。基準は杖の有無じゃない。まわりの援助を前提とした経過観察に付き合えるのは2年だけ。2年たって援助が必要な状態では困るから置換すると言ってるだけ。手術の決断もしくは右足が潰れたの1年早ければ3年我慢できたけど、1年遅ければアタシは骨切りではなく置換を選択してる。ラッキーだったのかアンラッキーだったのかは10~20年後の話です。

そしたらば…置換術のリスクを延々と説明されました あんたら鬼かっ!!  一応アタシなりの希望(着地点)に理解は示してもらえましたが、今回の術後経過が悪いと教授とまたバトルになること必至です。まぁ退院したら経過観察は愛媛の予定だから教授に会うこともないだろうと思っていたのに、話をしていると術後も要・通院   歩けないし車も運転できないし「無理っ」と言うと広島市内に転院すれば良いと言われる始末。あげくにプレートの抜去も広大でと言われる オカシイ。すでに話が違ってきている。プレート抜去は経過の良い人で1年半後が標準的らしいがビミョーな期間だ。そして(なぜか)プレートを付けたままだと置換できないと言われる。なぬ!?そんな話は初耳だ。抜去前に置換する人だっているだろうに…どこまで本当でどこから嘘なのか…ともかく、そんな話を飲んだら「結局は経過も抜去も 置換も広大」って意味やーーーん どんだけ患者の囲い込みする気なん…? もうマジで許してください 

もぅイイよ。一先ず目先の話だ。ようは教授が上手く回せ(内反すれ)ばすむ話だ。勢い余って「ジジーには(置換が嫌なら)10年持つよう回せ!! 信じてるって言っといて!!」 ←怒りのため教授をジジー呼ばわり。医師苦笑い。

じつはアタシに手術説明をした医師…説明中オカシイと思うことが何度かあり、股関節班の医師なのか聞いてみたら「股関節手伝ってます。大学院にいます。」みたいな回答。股関節入局希望の院所属研修医かと思ってたのに違うのかもしれない。医師免許持ってる大学院生か?帰宅して調べても立ち位置がワカリマセンでした。高い確率でアタシがジジーと言ってしまったことは伝わらない変わりに、この日聞いた話の中でアタシ的に大切な部分は 入院後に要・確認 イイけど。

そんなこんなの術前説明で、医師がよーく説明しておきたいはずの合併症などの話はおざなり まぁ恐いのは麻酔による全身状態の悪化や感染症、深部静脈血栓症。あ゛ぁ~術後骨折や骨癒合遅延、神経障害あたりもイヤだなぁ ともかく不慮の事故や合併症など予期せぬ事態は自身では対処不能ですからね、それはお医者様に気を付けて早期発見&対応していただきたいと思います。


SLE・ION・SS・APSについて

上記疾患について検索でたどりつかれた方へ… 非常にブログ内検索がしにくくなっています。 ひとまずカテゴリーの「健康」欄にあつめてますのでご覧くださいね。