最近のニュースで、大阪の中学校だか高校で部活の顧問が特定の生徒に対して体罰を与えて自殺させてしまった・・・というニュースがありました。
教育委員会では、教職員には事情聴取したけど生徒側には調査せずに「問題なし」で処理したことが問題になっているとか。
毎回、こういったニュースで思うこと。
じゃあ「体罰」の定義ってなんですか?
例えば、授業中や部活動でふざけていた生徒がいました。周囲の生徒はまじめに授業や部活動に取り組んでいますので、このふざけている生徒に言葉には出しませんが迷惑を感じています。
この状況下で顧問や担任であるあなたはどういたしますか?
通常は注意しますよね。でも、言葉で相手が理解しない場合には叱り付けることもありますよね。
例えば「居残り勉強」だとか「罰としてグラウンドをランニング」だとか。
これはいじめ問題でもそうなんですが、どこからが「体罰」なのか、「いじめ」なのか、「パワハラ」なのかの線引きが明確ではありません。
一応、ガイドラインはありますが、そんなの「被害者」からすれば関係ないんですから。
現代はこれまで「泣き寝入り」してきた事柄が表に出てきた時代でもありますが、それが妙に力を持ち過ぎて、過剰に反応する時代になっております。
その最たる例が「モンスターペアレンツ」や「クレーム客」です。
私は話して理解できない相手には、叱責等を行うのは当然だと思います。これが子供や部下や後輩ならむしろそのように指導していかないと本人が後で苦労をしますから。
でも、今ではそんなことはできない社会システムになっているようですね。
例えば、学校や企業では、たとえ生徒や部下でも「さん」付けで呼ぶようにしているようです。
私は呼び方など正直どうでもいいと思ってます。上司が「君」付けで呼ぼうが呼び捨てだろうがいいじゃないですか。
昔から女性には「さん」付け(どんなに歳が若くても)で呼ぶような風潮ですけど、男女平等なら同じ年代の人に男性だから「呼び捨て」、女性は「さん」付けってのもおかしなものです。
若干、お話がずれましたが、こういった問題だとほぼ被害者側の目線で物事が進みます。
まして自殺してしまったら。
もちろん、人によって感受性は違いますから、「体罰」や「いじめ」といったことを否定はしません。
陰湿なものもありますしね。
でも、自殺事件が起こったから「体罰」というみなし方をすれば、誰も相手に注意することはできませんよ。
よく、電車内や駅で注意した人が注意された方に殺されるという事件もありますが、これって現代の風潮が生み出した弊害ではないでしょうか?
子供が学校や地域社会で叱られなくなったら、最後は家族(とくに両親)がその役目を負わなくてはいけません。
でも、親にそこまではほぼ絶対無理です。
昔はそういった事情もあるので、周囲の大人が指導していたのですが、現代ではそれは「悪」となります。
これでいいんでしょうか?
それに、こういった周囲に相談相手が少ないことが自殺という最終手段を行いやすい一因になっているかもしれません。
もちろん、陰湿ないじめや体罰などは肯定してませんが、なんでも否定する風潮は社会に対してひ弱な人間を育て、我侭やかえって弱肉強食を促進するような閉鎖的な社会を生み出していくだけに思えます。
こういった問題は簡単な答えはありませんので、時間をかけて対処するしかありませんが、せっかく生まれた命を自ら絶つというのはあまりにもったいないことです。
子供もそうですが、大人も相手を理解しようとするコミュニケーション能力を高めていくことが必要ですね。
そうすることで、少しはトラブルを減らせることになると思いますから。
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