「愛するべき」で愛する人は、その愛によって滅ぶ。
人の心は理性で制御することができない。
理性で制御できるのは人の表面的な振る舞いだけだ。
何人も自分に嘘は付けない。
心は嘘をつくことができないからだ。
嘘をつけるのは理性によってだけで、心を騙すことはできない。
人の心が変わらない限り、永遠に理性によって嘘をつき続けなければならない。
偽りのない愛を知りたければ、心が変わらなければならない。
しかし、愛さないということを知らなければ、愛するということを知ることはできない。
つまり、愛さないということを通してのみ、愛するということを知ることができる。
この葛藤の中に身を置いてこそ、人は成熟し、愛を知ることができる。
「愛したい」で愛する人は、その愛によって栄える。
らしいですね。
じゃそれらを統合してるのはまた別のものですか?
いつもコメントありがとうございます。
ご指摘の通り、「心」の定義とは何かから議論を始めなければならないテーマですね。
むしろ、発想としては、心と理性を統合しているものなんてないと考えるのも有りではないかと考えています。
理性によって統合しているように思えているだけで。
また心にも先立つものがあると思います。
「愛すべき」は愛することが可能である。または愛せずにいられない。という意味です
うそです(笑)
おっしゃる通りです。
凡ミスというか、語学力の低さを露呈した形ですね。
いやいや、まいりました。
という点で、些か失礼な書き込みだったかもしれません。
今後の、愛すべき日本語、日本人との出会いをお祈り申し上げます
コメントありがとうございます。
頂いた指摘のおかげで自分のミスに気づけました。
非常にありがたいことです。
>「常識」は、誰かを貶める手段として使うものではない
含蓄のあるお言葉です。
貶めるかどうかは、発信者の動機もさることながら、受信者の理解によるところも大きいかと思います。
それゆえ教育における葛藤もあろうかと思います。
なんにせよ、今回、Unknownさんの「常識」をありがたく頂戴いたしました。
>今後の、愛すべき日本語、日本人との出会いをお祈り申し上げます
お上手ですこと(笑)
今後もよろしくお願いいたします。