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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

書評という名のシーリング・シグナリング

2009-12-18 23:38:12 | TV・書籍
たまにはこんなエントリもしてみます。

ネットを徘徊していると、世の中には驚くほど読書家の人が多い。
1日1冊とか、子飼氏や勝間氏にいたっては1日3冊くらい読むとか読まないとか。
速読技術を身につけている人には可能なのかもしれないが、私には無理。
私はだいたい1週間に1本のペースで、年間20万くらい書籍代に使っている。
読書のみの時間などというものは私の人生にほとんど存在しなくて、だいたい通勤中とか何かの待ち時間の暇つぶしに興味のある本を読むだけである。
(何かを調査するために読むというのはあるけれど。)
趣味的に小説やフィクション系のものはほとんど読まない。
(最近、感性が鈍ってきた気がするのはそのせいか?)
そういえば仕事の片手間で恋愛小説でも書いてみようと思った時期もあったのだが、今は昔と言う感じだ。

そうそう、だいたい本を読む人は、自分が読んだ本を人に薦めたがるクセがある
気持ちはわかる。
自分の言葉で説明するよりも「本を読め」と言う方が楽だから。
「俺の言いたいことはここに書いてあるから。」と。
実は私もその言葉を何度も使ったことがあるし、自分の文才の無さなんかを自覚してるから、言いたいことを本で伝えようとするところもある。

だけど、こういう心理もあるかなと思う。
俺はこういうことわかってんだぜ。」と。
「この本には、こういうこと書いてあるから、勉強しておいた方がよいよ。」
というなんとなく上から目線である。
いろんなBlogで書評なんかを眺めていると「良いと思うものを誰かに伝えたい」という意思の他に、「俺を決して甘く見るなよ」的な自己顕示欲を感じるのである。

そもそも、ネットで書評をするっていうのは、同級生によい参考書を薦めるのとはワケが違う
ほとんどの場合。仕事としてやってる人は除いて。
相手が求めてもいないのに薦めるのだから

たぶん、ネットのように不特定多数の人間と、しかも属性情報がかなり少ない中で接する可能性のある空間では、自分がどのような人間なのかを宣言することがシーリングの意味でもシグナリングの意味でも有効だからだと思う。

だから、「俺は普段難しいこと考えてんだぜ」的な人は難しい本の書評を書いてたりするし、特定の分野のマニアなら、その分野のマニア本の書評を書いていたりする。

もちろん、みんながそうだとはいえないけれど、なんとなくネット上の書評ってシーリングとシグナリングの意味があるのね。
と思ってしまうのである。

そう思うから、私は書評をしていないのである。
でも、やっぱり薦めたくなるんだよね。


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