既に幾人もの識者が提案しているが、日本は高等教育ではなく幼児教育に投資を集中させるべき。
これは日本の長期戦略を考える上でも最重要項目の内の1つでなければならない。
これを怠れば明日の日本はない。
幼児教育や初等教育に力を入れずに、高等教育で有能な高度人材を育成するのは、不可能に近い。
なぜなら、高等教育における"教育効果"なんてものがほとんどないからだ。
高度知識労働者にとって最も重要な能力は専門性などではなく、「思慮深い」「誠意がある」「一貫性を持っている」「信頼できる」といった基本的人格に紐づく「人間性」であり、この能力は高等教育で修練することはほぼできない。
高等教育で習得できるのは、知識や方法論だけである。
そして、最近の就活議論の中で全くもって軽視されているのが、上記の論点である。
日本企業の雇用慣行を批判するのは間違っていないが、長所を読み解かずに短所のみを強調して批判するのは辞めにすべきだ。
日本の雇用関係を破壊してアメリカ型もしくはヨーロッパ型にすればよいという短絡的な発想では、明るい未来は望めないだろう。
まずもって求められる専門性などというものは、時代の要請によって変わるものである。
この宇宙に永続性を保証してくれるものなど何もないのだ。
ゆえに、一時の繁栄を謳歌するために専門性にロックインすることほどリスクの高いことはない。
それでも短期利益を重視する大人たちは、専門性こそ反映の基礎と考えるから、若者に専門性を持つことを期待する。
「これだけは人に負けない領域を持て」「なんでもいい、自分のオリジナリティを持て」と言うのだ。
日本を覆う一つの病「差異化原理主義」である。
だが、若者は無意識的にでも直感的にこの言葉の嘘を見抜いている。
その言葉は、あくまでもそれを"今"求める人々の声であり、その人の人生を慮っている言葉ではない。
専門性を持つことほどリスクのあることはないのだから、誰しも「何の専門性を持つべきか」に思い悩むことになる。
「なんでもいいわけがない」のである。
だから受験エリートはリスクの小さい専門性である医者を目指す。
そうではないのだ。
「人間性」を磨き上げることこそ最も有用なのであり、差異化を考える必要性は低いのだ。
専門性は人間性さえあれば後から付いてくるからだ。
企業は、新しい製品、新しいビジネス、新しい産業、新しい分野に挑戦していかねばならない。
こういう変化に対応するために必要なのは専門性ではなく、人間性である。
高度知識社会において必要な能力は「人間性」である。
いや、正しく言おう。
専門性は人間性のないところに宿ったりしない。
専門性は人間性のあるところにしか存在しないのだ。
人間性のないところに、うわべだけで存在する専門性などは、時代の変化とともに廃れていく。
使い古されたら捨てられるだけだ。
向かう先は、使い捨てられる有期労働者になるだろう。
人間性こそドラッカーのいう組織社会を生き延びるために必要な能力であり、人間にとって獲得すべきより高次な能力である。
幼児教育・初等教育をさぼって、うわべだけの理解を高等教育で与えることはできない。
人格形成に強い影響を及ぼせる幼児教育にこそ、投資を集中させるべきである。
それと、何も経済合理的な理由からのみ幼児教育に投資すべきといっているわけではない。
社会的問題に対する建設的な世論の形成、治安・風紀の向上、文化的な質的向上などにも十分に効果を発揮するであろう。
幼児教育が人生に与える影響:研究結果(WIRED VISION)
http://wiredvision.jp/news/201102/2011022320.html
政府の財務状況がますます乏しくなる中で、社会にとって有効な公共への投資は何かについての判断が重要になってきている。
シカゴ大学の経済学者でノーベル賞受賞者のJames Heckman(ジェームズ・ヘックマン)氏と、ペンシルベニア大学の経済学者Flavio Cunha氏が2010年7月に発表した論文は、そのような賢い公共投資の例を挙げている。幼稚園教育だ。
[中略]
興味深いのは、この実験が「IQスコアの向上」に長期的な効果をもたらしたわけではないことだ。就学前教育を受けた子どもたちは、最初のうちは一般知能の向上を示したが、この傾向は小学2年生までに消失した。代わりに就学前教育は、さまざまな「非認知的」能力、例えば自制心や粘り強さ、気概などの特性を伸ばすのに効果があったとみられる。
われわれの社会は「頭の良さ」に価値を置く傾向が強いが、冒頭の論文を執筆したHeckman氏とCunha氏は、こういった「非認知的」な能力こそが重要であることが多いと論じる。彼らは、信頼できる人間性こそ雇用者が最も評価する特性であり、「粘り強さや信頼性、首尾一貫性は、学校の成績を予測する上で最も重要な因子」だと指摘する。
これらの有益な能力は、むろん一般知能とはほとんど関係がない。そして、それはおそらく喜ぶべきことだ。非認知的な能力はIQに比べて、はるかに順応性が高いからだ――少なくとも、早い年齢から介入を行なう場合は。幼児教育はわれわれの知能を賢くすることはないかもしれない(知能には遺伝の影響が大きい)が、われわれをより良い人間にするし、それはより重要なことなのだ。
[中略]
Cunha氏とHeckman氏は、早期教育の効果は明白であり、リスクのある幼児に教育を行なうための1ドルで、社会全体は8ドルから9ドルの「益」を得ると計算している。税金の使い方としては望ましいものと言えるだろう。
[低所得層および中所得層の学生における認知力の発達を扱った長期の研究で、子ども時代の貧困とストレスは、成人になってからの記憶力等に影響するという結果も発表されている
これは日本の長期戦略を考える上でも最重要項目の内の1つでなければならない。
これを怠れば明日の日本はない。
幼児教育や初等教育に力を入れずに、高等教育で有能な高度人材を育成するのは、不可能に近い。
なぜなら、高等教育における"教育効果"なんてものがほとんどないからだ。
高度知識労働者にとって最も重要な能力は専門性などではなく、「思慮深い」「誠意がある」「一貫性を持っている」「信頼できる」といった基本的人格に紐づく「人間性」であり、この能力は高等教育で修練することはほぼできない。
高等教育で習得できるのは、知識や方法論だけである。
そして、最近の就活議論の中で全くもって軽視されているのが、上記の論点である。
日本企業の雇用慣行を批判するのは間違っていないが、長所を読み解かずに短所のみを強調して批判するのは辞めにすべきだ。
日本の雇用関係を破壊してアメリカ型もしくはヨーロッパ型にすればよいという短絡的な発想では、明るい未来は望めないだろう。
まずもって求められる専門性などというものは、時代の要請によって変わるものである。
この宇宙に永続性を保証してくれるものなど何もないのだ。
ゆえに、一時の繁栄を謳歌するために専門性にロックインすることほどリスクの高いことはない。
それでも短期利益を重視する大人たちは、専門性こそ反映の基礎と考えるから、若者に専門性を持つことを期待する。
「これだけは人に負けない領域を持て」「なんでもいい、自分のオリジナリティを持て」と言うのだ。
日本を覆う一つの病「差異化原理主義」である。
だが、若者は無意識的にでも直感的にこの言葉の嘘を見抜いている。
その言葉は、あくまでもそれを"今"求める人々の声であり、その人の人生を慮っている言葉ではない。
専門性を持つことほどリスクのあることはないのだから、誰しも「何の専門性を持つべきか」に思い悩むことになる。
「なんでもいいわけがない」のである。
だから受験エリートはリスクの小さい専門性である医者を目指す。
そうではないのだ。
「人間性」を磨き上げることこそ最も有用なのであり、差異化を考える必要性は低いのだ。
専門性は人間性さえあれば後から付いてくるからだ。
企業は、新しい製品、新しいビジネス、新しい産業、新しい分野に挑戦していかねばならない。
こういう変化に対応するために必要なのは専門性ではなく、人間性である。
高度知識社会において必要な能力は「人間性」である。
いや、正しく言おう。
専門性は人間性のないところに宿ったりしない。
専門性は人間性のあるところにしか存在しないのだ。
人間性のないところに、うわべだけで存在する専門性などは、時代の変化とともに廃れていく。
使い古されたら捨てられるだけだ。
向かう先は、使い捨てられる有期労働者になるだろう。
人間性こそドラッカーのいう組織社会を生き延びるために必要な能力であり、人間にとって獲得すべきより高次な能力である。
幼児教育・初等教育をさぼって、うわべだけの理解を高等教育で与えることはできない。
人格形成に強い影響を及ぼせる幼児教育にこそ、投資を集中させるべきである。
それと、何も経済合理的な理由からのみ幼児教育に投資すべきといっているわけではない。
社会的問題に対する建設的な世論の形成、治安・風紀の向上、文化的な質的向上などにも十分に効果を発揮するであろう。
幼児教育が人生に与える影響:研究結果(WIRED VISION)
http://wiredvision.jp/news/201102/2011022320.html
政府の財務状況がますます乏しくなる中で、社会にとって有効な公共への投資は何かについての判断が重要になってきている。
シカゴ大学の経済学者でノーベル賞受賞者のJames Heckman(ジェームズ・ヘックマン)氏と、ペンシルベニア大学の経済学者Flavio Cunha氏が2010年7月に発表した論文は、そのような賢い公共投資の例を挙げている。幼稚園教育だ。
[中略]
興味深いのは、この実験が「IQスコアの向上」に長期的な効果をもたらしたわけではないことだ。就学前教育を受けた子どもたちは、最初のうちは一般知能の向上を示したが、この傾向は小学2年生までに消失した。代わりに就学前教育は、さまざまな「非認知的」能力、例えば自制心や粘り強さ、気概などの特性を伸ばすのに効果があったとみられる。
われわれの社会は「頭の良さ」に価値を置く傾向が強いが、冒頭の論文を執筆したHeckman氏とCunha氏は、こういった「非認知的」な能力こそが重要であることが多いと論じる。彼らは、信頼できる人間性こそ雇用者が最も評価する特性であり、「粘り強さや信頼性、首尾一貫性は、学校の成績を予測する上で最も重要な因子」だと指摘する。
これらの有益な能力は、むろん一般知能とはほとんど関係がない。そして、それはおそらく喜ぶべきことだ。非認知的な能力はIQに比べて、はるかに順応性が高いからだ――少なくとも、早い年齢から介入を行なう場合は。幼児教育はわれわれの知能を賢くすることはないかもしれない(知能には遺伝の影響が大きい)が、われわれをより良い人間にするし、それはより重要なことなのだ。
[中略]
Cunha氏とHeckman氏は、早期教育の効果は明白であり、リスクのある幼児に教育を行なうための1ドルで、社会全体は8ドルから9ドルの「益」を得ると計算している。税金の使い方としては望ましいものと言えるだろう。
[低所得層および中所得層の学生における認知力の発達を扱った長期の研究で、子ども時代の貧困とストレスは、成人になってからの記憶力等に影響するという結果も発表されている
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