goo blog サービス終了のお知らせ 

進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

業の成ると成らざると

2010-03-31 12:45:10 | ビジネス
ソフトバンクの来年新卒採用の学生に向けた、孫正義氏による講演会がUStreamで公開されている。
(1週間限定公開らしい)

孫正義LIVE2011 2010/3/29
http://www.ustream.tv/recorded/5801731
http://www.ustream.tv/recorded/5802425
http://www.ustream.tv/recorded/5802937

孫正義、【志】を語る。「孫正義 LIVE 2011」書き起こし(その1)
http://kokumaijp.blog70.fc2.com/blog-entry-40.html

泣いた。

感動した

こともあるがそれだけではない。

悔しくて泣いた。

自分の不甲斐無さに

「ちくしょう。」これが私の本音だ。

まだ諦めてないが。

とにかく、このくらいブットンデないと大業は成せん。
孫正義は日本経済界最後のビジョナリストである。


道の精なると精ならざると、業の成ると成らざるとは、
志の立つと立たざるとに在るのみ。
(吉田松陰 17歳)

「Sony + Google」は可能か

2010-03-19 10:12:55 | ビジネス
Apple と Googleの最終戦争 - Sonygleの誕生か (渡部薫)
http://agora-web.jp/archives/960941.html

こんな記事もある.

グーグルとインテルとソニー、「Google TV」デバイスを共同開発か--米報道(CNET)
http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000056025,20410610,00.htm

いい!とてもいい!
Sonygoleはナイスな視点です。
でも多分、買収するのはGoogleだろうから「Goony」かもしれませんね。
Google Japanの社長はSony出身の辻野氏だから、彼個人の野望としてのSony買収もあるかもしれませんね。
買収すれば自分がSonyの社長になれるじゃないですか。
もし実現すれば、異例の返り咲きですね。
まぁ、今更Googleに比べて鈍重なSonyに魅力を感じているかわかりませんが。

書いてある内容は、当Blogで「SCE解散から読み解く日本製造業の未来」で書いたものと同じす。

当Blogでは、アメリカ側のアーキテクチャと日本製造業のエンジニアリングが融合すれば、これは強いと述べました。
リンク先のページでは、Appleの対立軸としてSony+Googleの必然性が生まれるという説明になっているが、ほぼ同じ内容といっていいでしょう。

ただ、Googleの立場からしてみれば、Sony全体を買収するのはあまりにも重過ぎる。
大量の資産を抱え込まなければならず、リスクが大きい。
しかも、ソニー自身が台湾メーカーの活用などによりハードウェアから離れようとしているこの時期に、GoogleがSonyを買収するメリットはない。
Googleが欲しいのはSonyのデザイン力とコンテンツだけです。
そして、それはSonyにとっても同じなのです。

(もちろん有効資産を活用することを前提ですが)
つまり、Sony自身がGoogle化しようとしていて、古いSonyを捨て去りたいと考えていると。
だから、GoogleがSonyを買収するなら、Sonyを切り貼りする必要がある。
むしろ、SonyはSony自身を切り貼りできないからこそ、苦しんでいるわけです。
それを資本の論理でGoogleがSonyを切り刻めるか。
そんな大変な労力をGoogleがかけるわけがない。
現実解として有り得るのは、Sonyが破綻してからGoogleが部分的に買うか、SonyがGoogleを買収することだね。
でも、Googleはオーナー企業で買収できないだろうし、資本力からいっても無理。

だけれども、Sonyにとって日本の他の電機メーカーとくっつくより、Googleとくっついた方が価値はあるとは思う。
このウルトラCは可能だろうか。
結局、50%:50%のジョイント・ベンチャー作るのが限界ではないだろうか。
いや、是非それでやってもらいたい。
それが、日本製造業のため。

[追記]
こんなのもある

アップルとグーグルを財務諸表で比較する(日経ビジネスオンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100305/213172/

「ムラ社会」と「マッチョ起業」

2010-03-14 21:30:28 | ビジネス
どんだけマッチョじゃないと起業できないんだ、日本は。(My Life in MIT Sloan
)
http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/bc5334feeac78f36c238c20608c92325

激しく同意ですよこれ。
ほんっとマッチョさ求めてくる人に嫌気がさします。
マッチョ求める人っていつも偉そうに上から目線ですよ。
自分が賢いと勘違いしている人々が多いのも特徴ですね。
今度から当Blogでは上から目線で新しいことを見下す人を「マッチョマン」と呼ぶことにします。
(マンはジェンダー的に問題ありなのか・・マッチョパーソン?マッチョ?)

まぁ感想はそれはそれとして。

既定の路線とちょっと違うことやろうとすると、ものすごいコストを求める国なんですよ。
日本という国は。

「場の親密性」を共有することを求めるのです。
共有できる関係の中だけで考えれば、安定して安全だからね。
だから、強制する。
「ムラ」を創るわけ。
安定を壊すやつは「村八分」にするわけです。

「ムラ」だけで生活できる分にはいいですが、残念ながらグローバル化はそれを許してくれないのです。
だが、未だに「ムラ」を強要する文化は日本のいたるところに溢れています。
犯罪の抑止など必ずしもデメリットばかりではないので、うまく「ムラ」が進化できるといいのですが、「新しい公共」なんかもその一つなんかだと思いますが、まぁうまくもいかないみたいです。

とりあえず、私は小さい頃から「ムラ」社会が大嫌いだったので、うまいところ考えていけたらいいなと考えている次第です。

[トヨタ]フェイルセーフは難しい

2010-03-12 12:31:53 | ビジネス
最近のエントリは質が・・

フェイルセイフ(ある女子大教授のつぶやき)
http://iiaoki.jugem.jp/?eid=3459

近年改善が見られるものの、日本の自動車、電機産業におけるソフトウェアの立場というのは総じて低い。
どの企業の経営者もソフトウェアの重要性について語るものの、いかんせん社内に占める技術者の割合は圧倒的にメカトロニクスや電気系が多いし、また平均年齢もソフトウェア関係者の方が低いため、社内の論理としてはどうしてもソフトウェアの地位は高まらない。

マイクロソフトのビルゲイツは、ソニーに対してこういった。
(ソニーは脅威にあらずという意味で)
「ソニーはソフトウェアが作れない。」と。
それは、ソニーのソフトウェアエンジニアの能力が低いということではなく、ソニーという会社としてのソフト開発力は低いという意味であった。

また、少し前であるが、私はトヨタのソフトウェア担当役員の話を聞く機会があったので、少しこの件について感想を述べたいと思う。
トヨタも例外ではなく、ソフトウェアの立場が低かったようで、近年組織的な改変によって改善が行われてきたようである。
やはり、自動車技術の花形と言われたエンジンなどを長年やってきた人からすれば、「ソフトウェアなんて付加価値でしょ?」という認識しかなく、ソフトウェアが商品やサービスの価値を決めるという発想が希薄なのである。

これまで日本輸出製造業が世界に誇ってきたのはハードウェアの力であり、ソフトウェアの力ではなかった。
その視点に立てば、「ソフトウェアなんて付加価値でしょ?」と思うのも当然かもしれない。
「商品」をつくる「事業部」からすれば、ソフトウェアも「部品」の一つなのであり、「部品」のくせに「商品」の価値を決するかごとき論理は、彼らにとってみれば暴論なのである。


実はそれだけではなくて、新しい技術への心理的抵抗がある。
人間は「わからないこと」について寛容ではない。
知らないことを認められる人は、それほど多くなく、たいていは「よくわからない=嫌い」と情緒的判断を下してしまうのだ。
これは、ヒトが生きていくために備えた機能でもある。
人間は知らないことについて合理的に判断できない。
しかし、生きていくためには、その時々の環境に応じて判断しなければならない。
知らない食べ物、未開の土地、未知な他民族、などなどだ。
滅亡リスクを考慮にいれると、漸進的にしか行動様式を変えることはできない。
新しいものについては、少しずつ、恐れながら取り入れていくということだ。

まぁ、なんにせよ日本企業でソフトウェアの重要性が認知されてきたのは、ほんと最近のことであり、ソフトウェアに対する認識が広がるのはこれからなのである。
これは外部要因による強制的構造変化になるだろう。
幕末の黒船は、今は新興国である。

で、トヨタのフェイルセイフがどうなっているのかだ。
詳細を知っているわけではないが、思うところを述べてみる。

まず、ソフトウェアについて知っている人なら誰もが認めることであるが、「不具合ゼロは有り得ない」である。
どんなに優秀なエンジニアと、十分な資金とスケジュールを確保したとしても、不具合はゼロにはできない。
いや、これはソフトウェアに限ったことではないが、人間が作ったものに完璧など存在しない。

もちろん、ソフトウェアにも品質があって、不具合の質と量の違いは出てくる。
単に不具合が存在するといっても、致命的な不具合と些細な不具合との差はある。

当然、トヨタがつくる車に搭載されているソフトウェアにも不具合が多数入り込む。
これは、誰もが認める事実である。
だが、重要なことは「最終的に車の走行に影響がないこと」であり、不具合の有無ではない。
なので、ソフトウェアを開発するにあたっての方針としては、「不具合も想定して、最終的に走行に支障が出ないこと」であるはずだ。

例えば、これは単純すぎる例だが、
「ブレーキ制御システムに不具合がみられる場合は強制的に油圧ブレーキを効かせる。」とか。
しかし、
「Aというエラーが起きたら安全策としてA-Aという方向に倒す。」
「そうすると他のデバイスとの状況矛盾が起きるので、そちらも初期化する。」
などとやっているとその初期化処理に不具合が発生したりする。
そう、不具合処理が不具合に起こる可能性も想定しなければならない。

また、
「Aというエラーが起きたら安全策としてA-Aという方向に倒す。」
「しかし、A-Aが動かない場合はどうするのか。」
という問題も想定されるわけである。

つまり、
「じゃA-Aが動かない場合はA-Bでいきましょう。」
「でも、A-Bも動かない場合は?」
などという無限ループにはまるのである。

さらにいえば、
「AとBというエラーは想定していたが、まさかCエラーが起きるとは・・」
という話も往々にしてあるわけあ。


ソフトウェアを設計する際には「何を問題として想定するか。」ということが非常に重要となるが、これは結局「どこまでを問題として想定するか。」という問題に置き換わる。

実はこれ、当Blogで繰り返し述べている「科学」についてのお話全く同じである。
カール・ポパーの「反証できなきゃ科学じゃない。」、転じて「科学的理論はどこかに必ず反証可能性がある=完全理論は存在しない」なのである。

不具合が存在しないシステムは存在しない。
だから、システムを開発するためには、どこまでの不具合を想定するかという設計が重要である。
システムの品質の良し悪しは、その設計段階で決まるといってよく、その設計段階で失敗するとどれだけ完璧に近いプログラムコードを記述できても不具合は発生する。

ゆえに、ソフトウェア開発は知的産業なのであって、誰にでもできるわけではない。
本当に優秀なソフトウェア設計者は数が少なく、シリコンバレーなどいけば給料も高いのである。
優秀なプログラマーが優秀な設計者とはならないのである。

話がそれてしまった。
トヨタでも同様に、考えられる不具合を想定して、その場合の処理が定められている。
なので、基本的に"考えられる"不具合に対して最低限の対応はできているのである。
特に、車の場合は、どんな不具合でも、つまり想定仕切れていない不具合に対しても、システムがどう転んでも安全方向に倒すように設計してある。

たまに、その対応の仕方が、一般消費者とズレていることもある。
技術者からよく聞くのが「それは不具合ではありません、(設計通りの)仕様です。」
技術者からしてみれば、「それがいいと思ってやったのに」という思いもあるだろうが、何がいいかを決めるのは技術者だけではないので言い訳にしかならないのだろう。

最も危険なのは「想定仕切れない不具合」の、さらに想定漏れなのだが、もう話が長くなってきたのでおわり・・。

[就職]権威主義を排すると人気職業はこうなる

2010-03-12 10:01:35 | ビジネス
あくまでもアメリカの話だけど、面白い。
「権威主義」を排すると、ランキングがこうなるのか。

シリコンバレーで今最も優位な職業はソフトウェアエンジニアだそうです。
ITバブルがはじけてから、コンピュータ・サイエンスの人気は低下傾向だったようですが、最近はCSの学位を持つ人は待遇がいいそうです。

アメリカの職業別勝ち組ランキング(GIGAZINE)
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100311_best_job_in_usa/

The Best Jobs In America(http://www.focus.com/)
http://www.focus.com/images/view/7362/


柔軟性やストレス、将来性・満足度などを総合したランキングになっており、必ずしも収入が多い職業が上位にランクインしているわけではないようです。

1位はシステムエンジニアで、年収の中央値は8万7100ドル(約790万円)、最大年収は13万ドル(約1200万円)になっています。
システムエンジニア以上に収入が多い職種があるにもかかわらず、1位になるということは、最もバランスがよい職種とされているからなのかもしれません。

2位:医師助手、医師よりも助手の方がランクが上なのが意外。
3位:大学教授、
4位:ナース・プラクティショナー、
5位:ITプロジェクトマネージャー
6位:公認会計士(Certified Public Accountant)、
7位:理学療法士(Physical Therapist)、
8位:コンピューターネットワーク・セキュリティー・コンサルタント(Computer / Network Security Consultant)、
9位:情報アナリスト(Intelligence Analyst)

10位:セールス・ディレクター(Sales Director)
11位:麻酔専門医(Anesthesiologist)
12位:ソフトウェア開発者(software Developer)
13位:薬剤師(Pharmacist)
14位:作業療法士(Occupational Therapist)
15位:麻酔専門看護師(Nurse Anesthetist)
16位:ソフトウェア・プロダクト・マネージャー(Software Product Manager)
17位:IT企業アナリスト(Business Analyst , IT)
18位:弁護士(Attorney / Lawyer)
19位:内科医/一般診療(Physician / General Practice)
20位:人事部長(Human Resources Manager)
21位:上級証券アナリスト(Senior Financial Analyst)
22位:内科医/産科医/婦人科医(Physician / Obstetrician / Gynecologist)
23位:臨床心理士(Clinical Psychologist)
24位:精神病医(Psychiatrist)
25位:獣医(Veterinarian)
30位:テレコミュニケーション・ネットワーク・エンジニア(Telecommunications Network Engineer)
33位:有価証券トレーダー(Securities Trader)
34位:記載無し
35位:教育/トレーニング・コンサルタント(Education / Training Consultant)

総合力で勝る日本が、なぜ、韓国に負けるのか

2010-03-09 16:56:29 | ビジネス
最近見直しもしない、文章校正もしない適当ネタが増えてきました・・更新をいそぐあまり

ソニー・ウオッチャーとして、久しぶりにソニーネタを。

日経ビジネス2010年3月1日号
「ソニーのジレンマ アップル・サムスン包囲網を崩せるか」

週刊ダイヤモンド2010年2月27日号
「ソニー・パナソニックvsサムスン」

を読んだ。

まず、日経ビジネスの記事について。
ソニーの経営幹部に直接インタビューをするための交換条件だと思うが、特に偏ってはいないが基本的にソニーに好意的な記事。
経営幹部の発言についての評価を避けており、雑誌としての格調というか、体裁を整えるために無駄なインタビューをつけた感じすらある。
読んでも薬にも毒にもならない内容で、ここから得るものは何もない。
(日経ビジネスがつまらないのは、何の役にも立たない情報が多すぎるからだ。)

日経ビジネスは発行部数30万超で経済誌として国内断トツ1位であるが、たった30万である。
優良顧客であるであろうソニーグループを礼賛するのは仕方もないのであろう。

あと、私が愕然とするのは、ソニーの経営幹部から主張される戦略がここ10年以上進歩していない点だ。

「ネットワーク化によってアップルのような専門店に対して、総合百貨店の強みが出せる。」

こういうフレーズを聞き続けて10年は経つが、その強みが何なのか、いい加減説明してくれないだろうか。
結局、時代に振り回されているような印象しか受けない。

週刊ダイヤモンドの方は、サムスンを礼賛して日本人の危機感を煽る内容。
(終盤にアップルを持ってきて、少し中長期的な観点も述べているのでサムスン礼賛とまではいえないかもしれないが)
記事を書くにあたって事実ベースに成らざるを得ないから、どうしても統計などの数値をベースとした内容に偏り勝ちになる。
専門的に研究する余裕があるわけではないので、公開情報の垂れ流し気味になるのも仕方がない。
ただ、もう少し企業研究の専門家(がどこにいる?という問いもあるが・・)の意見を載せるなりすればよかった。
当Blogでも紹介した「ソニーvsサムスン」の内容を超えるものは特になく、単に新しい情報が掲載されているというだけに過ぎない。

TV事業だけがやたらクローズアップされているのだが、今日ソニーから新製品がプレスリリースされたのでリンクする。

臨場感あふれる3Dに対応した機種やシンプルで美しいモノリシックデザインを採用した機種など
液晶テレビ〈ブラビア〉新シリーズ発売 (プレスリリース)
http://www.sony.jp/CorporateCruise/Press/201003/10-0309/


液晶テレビ〈ブラビア〉などホームエンタテインメント機器に共通の新たなデザインテーマであるモノリシックデザインを採用。華美な装飾を省いたシンプルなデザインの機器を組み合わせることで、美しい空間を演出します。


サムスンにデザインで圧倒的に負けて、今更デザインで勝負してきた感もあるが、少しやり方を変えてきたところは評価できると思う。
しかし、出井政権末期からそうであったが、最近のソニーは小手先の技術で奇をてらうものばかりになった。
ちょこちょこ早すぎる中途半端な商品やサービスをやっては引っ込めやって引っ込める。
少しソニー視点に立ってみれば、「他との違いを出さねばならぬ」というジレンマに苦しめられている。
他と同じことをやっても「ソニーらしくない」といわれてしまうからだ。

ただ、そういう後ろ向きな発想では新しいコンセプトを導き出すことは難しいだろう。
他者との違いを出そうとすると、他者を動静に注意がいき、視点が狭まり、自ずと後追いになる。
他者をフォローすることを自ずと課してしまうので、独自の方向性を打ち出しても、他者が打ち出した他の方向性に分がありそうになるとすぐ諦める。
もちろん、逆に行き過ぎると問題で、これはトレードオフなのだが、最近のソニーはあまりにも業界動向や他社動向を気にしすぎて、完全に振り回されているように見える。
もはや市場を牽引するプレーヤーとして見なされなくなってしまった。

大きな組織を維持するためには、どうしても官僚的組織が効率がよいから、官僚的構造に蝕まれてしまう。
そうなると、組織が硬直化して新しい発想を育てにくくなるのだ。

では、サムスンはどうか。
まず、サムスンと日系企業を単純比較してはいけない。
事業ポートフォリオが違うとか、そういうことは前にも述べたが、今日は違う視点から述べる。
まず、韓国の名目GDPが約100兆円で、サムスンの売上高、時価総額ともに10兆円程度。
サムスンの時価総額が韓国株式市場全体に占める割合は約10%。

日本のGDPが約500兆円だとすると、韓国の経済規模の大きさは1/5。
二乗で効いてくるかもしれないが、単純に倍数で考えると、韓国におけるサムスンのプレゼンスは、日本に換算するとその5倍になる。
最近落ちたがトヨタ自動車の時価総額が高いときで30兆円程度だから、それよりも大きいことになる。
単純比較はできないが、GDP100兆円の国で売上高10兆規模の会社ということは、日本にとってみると売上高50兆円規模の前人未到の領域になるわけ。

それでもって、サムスンはすごいドメスティック経営の会社なので、彼らは韓国を代表しているといっていいくらいの規模の企業なのである。
日本で換算すると、日本の総合電機企業を全て集めたくらい、それ以上のプレゼンスがある。

これは少し戦略論的な話になるが、韓国は「敵の弱いところに戦力を集中して戦う」を実践しているのである。
日系総合電機だってもっと集約して「ヒト、モノ、カネ」を集中すれば、サムスンと余裕で戦えると思うけれど、そうできないところが「日本としての弱さ」なわけだ。
要は、「日本という国は総合力では勝るが、戦闘ではことごとく負ける」のである。
「政策」もなければ「戦略」もないからである。
日系企業は個別の戦闘で苦心して、それこそ素晴らしいパフォーマンスを発揮するが、いかんせん全体の戦略がないものだから、戦争には負ける。
同様の理由でスポーツも負け続けているのだ。

これは、太平洋戦争で見られた日本軍と同じである。
精神論は取り払えないし、陸軍と海軍の組織の壁は埋まらないし、とにかく場当たり的戦闘が繰り返されるばかりである。
陸軍と海軍を統合するために大本営本部を作っても機能せず、大局を見誤って泥沼化、最後は行くところまで負けを認めなかったために、負け過ぎる結末を招いた。

私にはこれと同じに見える。
メンツや既得権に縛られて企業合併は進まず、ヒト、モノ、カネを集中できない。
負け戦なのにも関わらず、それを認識せずに無駄に戦力を浪費し続け、多くのヒトやモノを犠牲にするのだ。

「総合力で勝る日本が、なぜ、韓国に負けるのか」、それは日本人の精神性に深く起因している。

というところは内田樹の「日本辺境論」を基に私的日本論で繰り返し述べてきたので、ここでは繰り返さない。

後日またまとめたい。


[追記]

[経済]「世界に躍進する韓国企業に学ぼう」(日経社説)に反論する~韓国経済の抱えている大きな問題点に触れていない(木走日記)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20100309/1268116441


いかん、日経と内容がカブってしまったらしい。
しかし当Blogでは「韓国企業に学ぼう」などというつもりは全くない。
韓国企業にしても、韓国という国にしても、学べないところは多い。
当Blogの問題意識は、日本論であって、韓国にあるのではない。

ビジョナリスト

2010-03-06 23:17:11 | ビジネス
日本経済界、最後の大物ビジョナリスト、孫正義。

300年発展し続ける孫正義流「銀河系経営」 孫 正義・ソフトバンク社長に聞く
http://column.onbiz.yahoo.co.jp/ny?c=bi_l&a=017-1259645537

これはちょっと前に見たのだが感動したものだ。
慶應義塾大学SFC研究所 ネットビジネスイノベーション政策フォーラム キックオフシンポジウムにて孫正義氏の講演。

ネットビジネスイノベーション政策フォーラム 孫正義部分のみ
http://tamachan.jugem.jp/?eid=655

最近、経済界から日本を語れるような経済人が消えた。
いつも聞こえてくるのは、つまらない事業戦略だけ。
サラリーマン経営者では、それが限界なのだろう。
組織の中でのし上がる力と、組織の外に発信する力は別のモノだからだ。
日系企業では特にその傾向が顕著だ。

「株式市場の圧力があるから利益中心に・・」
とか言い訳ばっかりするアホな経営者が多いが、では時価総額の多い企業は利益中心主義な企業ですか?と。
日系企業ではビジョンもないのに優秀なら社長に選ばれる。
そういう人事をしている限り未来はないだろう。
グーグルにしてもアップルにしても違うじゃないか。
想像力がないから、社会や世界と、企業活動との繋がりを想像できない。
現実を洞察する力もなければ、これからの世界を構想する力もない。
国や世界の成長と、企業の成長との繋がりを豊かに想像させてくれるような、そんな語り部がいなくなった。

実に寂しい事だ。

ウケるキャッチコピーでも人は集まらない

2010-03-03 10:27:46 | ビジネス
純粋にウケてしまいましたよ。
一人笑いしちゃって恥ずかしいです。
たぶん、マーケティング的には熟慮された内容なのだろう・・読み解けないけど(笑)

大阪府の警官募集ポスターが、ハードル高すぎるよ!(メガネ王のblog:ぬくもり、時々、晴れ。)
http://blog.livedoor.jp/meganeou/archives/2369651.html


一瞬観て、面白いなーと思った。
クリエイターさんも楽しんで仕事してていいなーとかも思った。

でも。

このポスター、ハードル高すぎだろう。

出ていけるかこれ?
「優秀な若者」を指名してるんだぞ。

面接受けに行ったら、
(こいつ、自分のこと優秀だと思ってるんだw)
とか思われるかもだろ。

そのうえ、落とされたら・・・
俺だったら、一生ひきこもるぞ。


でも、ここでいう「優秀」ってなんでしょうね。
大阪府警のいう「優秀」にはリスク感じちゃいますよ私は。
私だったら受けたくない(笑)

まぁ、これはよくある話なのだが、キャッチコピーや組織の外形的な体裁整えることで人気を高めようという発想にはかなり無理がある。
所詮、一時の話題にはなっても持続的なものにはならない。
本当に人気を高めて意中の人を集めたいのであれば、組織そのものを変えないと。
自分達を変えずに、自分達が楽をするために、自分達が苦労しないために、小手先の技術で人気を集めようなんてものは邪道。
一時的に目的の人数を集めても、そう遠くない時期に組織や仕事に失望して辞めていくだろう。
「この職種は人気のない職種だから・・」なんて話をよく聞くが、だったら人が集まらなくて当り前だ。
人を集めたいなら、人気の出るような職業にしないと。
それが根本的に難しい仕事なら、人気出ないし衰退するしかないんだな。
もし、その仕事が社会的価値があるのなら、なり手がいなければ給料が上がるはず。
需要があるのだから。
もし需要があるのに給料が上がらないのだとすれば、どこかにボトルネックとなる障害がある。
たいていの場合は、行政や法だろう。

SCE解散から読み解く日本製造業の未来

2010-03-02 11:12:02 | ビジネス
散文的で読みにくいですが、まとめるのも面倒なので・・

このブログはわかりやすい。

SCE解散へ これから何が起こるのか考える(東京のはじっこで愛を叫ぶ)
http://d.hatena.ne.jp/tenten99/20100228/1267373500


私からは、もっと企業戦略的な観点から、雑感を述べたいと思います。

ゲームやソニーに関心のない人は知らないかもしれないが、SCE(ソニー・コンピュータ・エンターテイメント)という会社はソニー・グループの中でもアグレッシブで独善的で、そして先進的な会社で、一時期、売上高1兆円にもなったバブル崩壊後最大級の社内ベンチャー企業であると同時に、その動向は世界中から注目を浴びる会社である。
SCEは知らずとも、PS(プレイステーション)は多くの人が知っているはずだ。
少し前に、事業仕分けを起点としたスーパーコンピュータを巡る騒動で、PS3に搭載されたCELLプロセッサが改めて注目された。
CELLプロセッサは、Wintelに対抗すべくソニーが5000億円投資して、IBM、東芝と組んで作り上げたCPUで、その性能はスーパーコンピュータに匹敵するといわれている。
(ただ、コンピュータには「ムーアの法則」と呼ばれるトレンドがあって、処理性能は時とともに陳腐化する)
(最近では、東芝がCELL TVを出した。)
その企業精神は、ソニー本体の井深大、森田昭夫といった創業者からなる「ソニースピリッツ」というよりも、SCEの創業者といえる技術者、久多良木健氏の影響を多分に受けている。
とにかく、技術オリエンテッドな企業で、最先端のコンピュータ技術をゲーム業界に持ち込み、時代の寵児になった。
(ただ、久多良木氏の目標はゲームではなく、その先であったのだが、技術がついてこなかった。)

私は、久多良木健氏を近年稀に見るビジョナリストだと考えている。
今でいえばスティーブ・ジョブス級だった。
彼がアメリカにいけば、彼の話を聞きたいといって面会を申し出る人はごまんといた。
今、日本人でそれほどの人物がいるだろうか。

私が特に彼について驚いたのは、まだ携帯電話が普及する前の時点で「プレイステーションのライバルは携帯電話だ」と語っていたことである。
当時、その意味を理解できる人がどれだけいただろうか。
彼は、マルチメディアの最終目的がコミュニケーションにあることを見抜いていたのである。

彼は、出井政権時代のソニーショックの後、ソニー本体の副社長を任されるが、出井会長とともに経営不振について引責辞任させられた。
その後にSCEに戻るのだが、PS3で出した損失の責任をとらされてか、引退することになった。

その彼が去ってからのSCEは独善路線から一転、ハワード体制の下でソニーと共同歩調をとることになるが、ついにここまで至ってしまったかという思いがしてならない。
SCEがソニーの100%子会社ながらもソニー本体よりも強気の経営を続けてこられたのも、利益を上げることができたからだが、現在のSCEのビジネスモデルは破綻寸前であり、ソニー本体の助けなしにやってはいけない状態だ。
このような状況下では軍門に下ってしまう他あるまい。
(いや、債務超過なのだからSCE単体で見たときに会計的には破綻している。)

ソニー本体はというと、総合的ネットワーク戦略に力を入れているので、今回の吸収合併によってSCEのネットワーク部門が手元に入るのだからメリットが十分にあると考えているのだろう。(最近ハワードは腐るほどPSNの成功を主張している。ソニーにはそれしかないのか、とついつい思ってしまう)
SCEの下にあるとどうしてもゲームオリエンテッドな戦略にならざるを得ないので、ソニー・グループ全体としてネットワーク戦略を推進することを考えれば、指揮権を手に入れるのが得策だ。
しかし、私個人としてはSCEのベンチャースピリッツが失われるとデメリットの方が大きくなる可能性があると考えている。

ソフトウェア一般のことを考えれば、アイディアやアーキテクチャをアメリカ側で構想して、それを日本に輸入した方がいいが、たぶん、それをやろうとしているのだろう。
日本人社員は優秀で仕事は速いが、新しいコンセプトを構想する力がない。
新しいコンセプトを構想する力というのは、ビジネスモデルのことだ。
ネットワーク戦略を日本から引き離して、アメリカ側でヘッドハントしたアーキテクトにアメリカ側で構想させて、それを日本の優秀な社員を使って構築する。
(実際に手を動かすのはインドか中国かはわからないが)
私がハワード・ストリンガーなら、そう考える。
SCEというサイドウィングを失う以上、それしか選択肢はあるまい。
いや、むしろSCEの債務超過を解消すると同時に、SCEからネットワーク部門をソニー本体に引き込んで、それをアメリカからコントロールさせて、SCEというベンチャーを失うデメリットを相殺させる。
そうすると全てのチェインが繋がるではないか。
この戦略が可能になるためには、アメリカという登場人物が存在することが必要だ。
つまるところ、日本的製造業企業の未来を暗示しているのかもしれない。
しかし、これがグローバル化というものだ。
それぞれが得意なところを分業する。
日本人が得意なところに特化することこそ、自然なのだろう。
ビジネスに国境はない。

なにか寂しい思いもするが。

トヨタ問題の感想

2010-03-01 23:43:37 | ビジネス
持論述べる前にとりあえず前フリ。

↓この人は冷静に見てる。異論のある部分もあろうけれど出発点としてここレベルは欲しい。

トヨタ“推定有罪”の世論を作った
謎の人物とLAタイムズの偏向報道
~『ザ・トヨタウェイ』著者の米大物学者が語る衝撃の分析!
(ダイヤモンド・オンライン)
http://diamond.jp/series/dol_report/10036/

頂いた質問への返信コメントでも書いたが、今回の件の問題は、同情はするがトヨタのリスク管理の問題。
いちゃもんつけられた時の対応がまずかった。
いや、決してまずくはなかったが、よくもなかった。
わかろうとしていない相手に対して、わかってくれると思ってしまったのが間違い。
ただ、今回の騒動を防げた可能性はあるにはあるだろうが、おそらく誰がやっても同じ轍は踏んでいただろう。

↓こっちは毒されてる・・。

トヨタを百回提訴した辣腕弁護士が警告
「これは理不尽なバッシングに非ず!
米国人はトヨタに狼少年を見た」
(ダイヤモンド・オンライン)
http://diamond.jp/series/dol_report/10035/

彼は利害関係者だから、どうしてもポジショントークになってしまう。

組織論的に考えれば、案外納得いく話

2010-02-26 11:38:10 | ビジネス
トヨタ自動車がはまった本当の罠(宋文洲)
http://www.soubunshu.com/article/141926469.html

いつも宋文洲氏はいいこというな~。
いい意味で視点がジャパナイズされていないというかなんというか。
("中国人的な"というと語弊があるので言い方を変えて)
非日本人的な空気読まない感が、いい味を出していて、いつも傾聴に値する意見が多い。

日本的な「空気を読む」というのは、ちょっと意地悪な言い方をすると「推測で結論を先回りする」ということだ。
メリットとしては、議論を要せず場の雰囲気で結論が出せる。
無駄な抵抗に合わずに済むし、無駄な決まり事も定める必要がないので、キャッチアップが必要なスピードが求められる場面では強い。

その代わり、結論が正しいかどうかは、たいして検証されないため、誤った方向へ進む可能性がある。
議論しなくても答えがわかるような問題への対応は得意だが、答えのない問題への対処には向かない。
太平洋戦争に見られたように、トンデモな方向へ進んでも、それを止めることは難しい。

非日本的な人は、日本的な人がいちいち取り合わない点について問題視することが多い。
「場違い」や「空気が読めない」と批難されることもあるが、実は日本的な人にとって非常に有用である。
ろくな議論もせずに「既に答えが出ている」ものと思って思考停止している部分について、はっと気づかされるからである。
その代わり、既存のうまく回っている仕組みにまで、いちいち指摘される煩わしさがついて回る。

ありきたりで、かつ言うだけなら簡単だが、日本的組織は、ある一定の割合の非日本的なものを取り入れることが重要である。
組織論的にいえば、組織は環境へ適応し切ってしまうと、環境変化への適応能力を失うと同意なので、一定の割合の非適応領域を作っておくことが大変に重要なのである。

今回のリコールの件で、コーポレートガバナンスの観点から、トヨタは取締役会に社外取締役や非日本的人を入れろと注文を付けられているが、組織論的な文脈で読めば、案外トヨタのためにも納得のいく話なのである。

「トヨタ・バブル」の崩壊

2010-02-04 20:40:38 | ビジネス
「トヨタ・バブルの崩壊」
リーマンショックを契機にごく一部の識者が訴えていたが、公になることはなかった。
マスコミにとってトヨタは大スポンサーであるので、トヨタの機嫌を壊すことを恐れるからだ。
実際、トヨタやキャノンなどは自社に都合の悪い情報を流されると、そのメディアに対する広告を止める手段に出る。
民間放送局がスポンサーからの広告料から成り立っている以上、避けられない事態ではある。

My News Japanの渡邉氏は、この問題に最も詳しい一人だと思う。
彼は「企業ミシュラン」などで様々な企業のインサイダーに取材をしていて、見かけじゃなく企業の内実に詳しい。
トヨタの問題も以前から取上げていたが、どこも取り合ってくれなかったようだ。
(ジャーナリストの田原総一郎氏は、彼のことをえらく認めてくれているらしいが)

『報ステ』トヨタ報道がデタラメな件(渡邉正裕)
http://www.mynewsjapan.com/blog/masa/107/show


トヨタは国内では既に、2004年と2005年に188万台超のリコールを出して、国内販売台数を超えていたからだ。国内でも起きたことが海外でも起きただけ。国内の部品メーカーに作らせようが米国現地メーカーに作らせようが、設計はトヨタがやって下請けに作らせるだけなのだから、企業の国籍は関係がない。

[中略]

国内でもリコール王だったトヨタが、その体質のまま、相似形で世界のリコール王になっただけ。本来ならば、グローバル展開を急激に進める前に、品質管理などを徹底し、過去のリコール車の改修を終え、準備が整ったところで世界1000万台を目指すべきだった。なにしろ、リコール台数ナンバー1企業だ。

しかし、トヨタを止める者はいなかった。ここに、今回の問題の本質がある。ジャーナリズムも、国交省も、政治家も、全部グルの共犯だった。1000億円の広告宣伝費で口止めされたマスコミ、愛知万博などイベントで協賛を得たい官僚、政治資金と選挙の票が欲しい政治家。政官業のパーフェクトな癒着だ。

[中略]

そのモデルは、あくまで日本でしか通用しない仕組みであって、それをグローバル展開できると勘違いしたところに、今回の問題の本質がある。つまり、今回のリコール事件は「日本の戦後モデル崩壊の象徴」ともいえる。


いや、実は私も以前から「トヨタ・バブル」について書きたいと思っていたが、個人的心情により書けないでいた。
なぜなら、私にとって「トヨタ」とは、生まれた時から生活の一部であったからだ。

あまり個人的なことは書くのもどうかと思ったが、せっかくだから少しだけ語らせてもらおう。
(興味のない方はここから先は読まない方がいいです。)

実は、私の親も祖父も職業はトヨタ社員である。
祖父は戦前からトヨタであったし、私の父もその後をおった。
父は初め電力会社に行くつもりだったようだが、トヨタの方が金になると思って決めたとか。
小学生の頃、親に「どうしてその仕事についたのか?」を聞いてくる宿題が出たことがあった。
同級生達がそれは素晴らしい立派な大人の意見を述べている中、私だけ「金。」ただそれだけという理由だった。
周りの反応がシラケたものだったことを覚えている。
今なら「ユーモラスな親だ」と思えるかもしれないが、当時の私には恥ずかしいだけであった。

また、私の父は仕事人間で、朝早く夜遅いうえ、休日もいなかった。
年に何日か休みがあると思ったら、趣味のため外出していて、時代も時代であったが家族サービスなんてものはほとんどなかった。
そういう家庭に育つと親への愛を渇望する子供に育つらしいが、私は違った。
休日に父親が家にいると邪魔で仕方なかった。
子供心に思ったが、私にとって父親とは単にスポンサーという位置づけになっていた。
そう思わざるを得ない環境が、そう思わせたのかは定かではないが。
彼がいないと生活ができないが、できるだけ彼には自分の生活に入ってきて欲しくないと思っていた。
何時からかわからないが大学に入学するまで会話をした記憶がほとんどない。
私は自分自身が結婚するまで家族なんて信じていなかったが、こういう生い立ちに要因があるように思う。
ポストモダン的目覚めに助けになったという意味では感謝している。
人は師匠がどっち向いていたって学べるのだ。
学べるなら教師でも反面教師でもいいことに気づかされた。

父は私が生まれる前は製造にいたらしいのだが、その後営業に転進したようだ。
もともと彼は商売上手な人なので、そこで彼の才能は如何なく発揮された。
成績優秀で表彰されたことは数え切れない。
昔、休日営業が主流でなかった頃に、彼は休日営業に力を入れていた。
周囲はみな反対したらしいが今では主流になったと、今でも私に自慢をする。

彼の営業によって築かれた人脈は広く、父は何をするにもコネを利用して生きていた。
私は小さい頃、どこへ行くにもコネで割り引いてもらう父の姿がとてもあさましいものに見えて、嫌だった。
彼の立場からすれば、むしろ誇らしいことだったのかもしれないが、私は他とは違う条件を引き出すということが良いことのようには思えなかった。
時代が違うとはいえ、コネが優先される社会を見てきたからか、真面目に競争するのがあほらしく思えた。
レースというものに平等を期待する方が間違っていると子供心に思ったものだ。
見かけとは関係が無く、なんでもルールを作るほうが有利なのだ、ルールの抜け道を知っていて、それを面従服背で使いこなすのが日本人というものだ、私の心にはそう刷り込まれた。
だから、私は今も一部のパワープレーヤに有利なルールを改めるべきだと主張している。
私の利権政治嫌いはここから着ているのだろう。

話がそれすぎたが、私が生まれた時から「トヨタ」は私のそばにあって、当たり前の存在であった。
それは親近感とも反発とも違う、複雑な感情だ。
「他人じゃないけれど、でも抱き合いたくはない、あえて言及もしたくない感じ。」と言ってわかってもらえると嬉しい。

だから私には「トヨタ」を批判する気になれないでいる。
多分、今私が勤めている会社よりも、批判できない。

ただ、父に聞いたことがある次の言葉を思い出した。


私:「なぜトヨタは日産の2倍も売れるの?」

父:「ん?」

私:「車の性能がいいの?」

父:「性能に違いはないね。」

私:「え?じゃなに?」

父:「販売力の差だよ。」


今になって響くこの言葉。
わかってもらえるとうれしい。

戦略は細部に宿る

2010-01-25 12:31:47 | ビジネス
考えさせられる。

http://twitter.com/tatsurot/status/8142408986


JALとANAの両社に、マイルをハイチに寄付したいと要望を送ってみた。
JALの回答:「そのようなサービスはございません」、
ANAの回答:「過去にもお客様ご要望で四川大地震などで臨時対応したことがあり、早速担当部署に検討させます」。
ユーザーと向き合う姿勢がまるで違う。


他の部分を見ずして、ここだけ見て全ての判断するのは早計だ。
なので、本エントリでは、この2社の対応の違いが何を表しているかだけ私見を述べたい。

この違いは、「組織的な体制」の違い。

JALが「個人に与えられた個人の立場」でサービス対応しているのに対して、ANAが「個人に与えられた組織の立場」でサービス対応しているのである。
JALの担当者に問いただしても「権限がない。」「マニュアルに書いていない。」「ずっとこれでやってきた。」「言ったところで組織が変わらない。」などと言われるだけだ。

「マニュアルの違い」だけと指摘する人もいるだろう。
「カスタマーサービスのマニュアルがANAの方が作りこまれているだけに過ぎない。」と。
そうかもしれないが、それでも組織的な違いがある。

マニュアルがどういう観点に基づいて作られているか、
マニュアルがどういうサービス対応者を想定して作られているか、
ということだ。

要は「組織的な観点から見て、どうするのが最適なのだろうか。」という問いについて組織的な答えを用意している組織と、そうでない組織では、現場レベルの細部で差異が表れる。
何か問題が起きたときの対応方法についてどう対応するか、その時の行動原理をどう組織として定義できているかである。

JALの社員は悔しがるだろう。
個人レベルでは努力をしているからだ。
(だから個人を責めても仕方がない。これには官僚批判においても同じだ。)
それが結果に結びつかないのは、組織的な働きが弱いからである。
努力の方向性(戦略)が皆バラバラで、統合されていないから、個別局面ではうまくいっても、全体として期待した結果に結びつかない。

往々にして日本の組織では、どういう組織的な仕組みがあれば「一人ひとりの能力を引き出して、そしてそれを組織的な力に昇華できるのか」について、戦略的思考が欠けている。
この原因は、意思決定における最大の決定要因が「人的関係」であるからだ。

この組織論的論考については後日述べたいと思う。

ソニーは普通の会社になったのか ~番外編~

2009-11-28 13:37:01 | ビジネス
こちらのエントリ(ソニーは普通の会社になったのか~前編~)のコメント欄で非常に有意義な議論がなされたので、整理したものを新しいエントリとしてUpします。
(Snowbeesさん、いつも鋭いコメントありがとうございます!)

Sonyが力点を置くべきはCCC(Cash Conversion Cycle)である

パンソニック・中村会長が在米時に、起用した米人・経営コンサルのコメント。
http://www.ondisruption.com/my_weblog/2007/05/qa_with_francis.html


May 2007 ... My advice to Howard Stringer is simple: set the inputs of cash conversion -- days in inventory, receivables, ... At Apple's current growth rate it will be as large as Sony in only eight quarters or so and with a product/service portfolio a fraction as large. ... or not you can scale up profitably Wal-Mart style, your cash conversion cycle is your critical management tool. ...


要約すると、経営者はオペレーション速度を向上させなければならないというもので、経営速度を「早く」「軽く」するという意味合いでよいと思います。
ただ、言葉でいうのは簡単ですが、グローバルな大企業でこれを実現するのは容易ではありません
例えば、在庫回転日数をグローバルで機会損失を防ぎながら適切な値に保つためには、強力なサプライチェーン・マネジメントシステムが必要です。
世界中の国々の販売状況やその予測、資材調達状況やその予測、輸送状況やその予測、設計開発状況やその計画、etc...などの情報をリアルタイムに集約して、リアルタイムに総合的な計画を立てるというのは、かなり有能なCIO(Chief Information Officer)と理解力と説得力のあるCEOの下でなければ実現できません。
世界中に分散する各現場から有意な情報をリアルタイムに取得するのからしてまず大変です。
世界中の末端の社員まで隅々まで経営の意思が行き渡り、それを理解できる社員がいて、それを実現できる仕組みがなければとてもできないのです

以上を踏まえた上で、ソニーという会社とサプライチェーン・マネジメントの関係性についての私見を述べます。
(まくまで私個人の調査に基づく私見です。誤解が含まれる可能性は多いにあります。)

もともとソニーは創業者の一人である盛田氏がグローバル・ローカライゼーションを掲げて以来、分権統治を経営スタイルとする企業でした
この思想は出井政権でも継承されまして、彼は「複雑系経営」のような言葉を使って経営スタイルを進化させようとしました。
ソニーがこのような経営スタイルを採用した理由は、大きく二つあると考えています。
一つは、盛田氏の時代には、ビジネス領域が急拡大するにあたって(特にアメリカの)人材が不足したこと(日本人スタッフだけでは対応できなかったこと)。
もう一つは、出井氏の時代には、個性や創造性を尊重することで成長してきたソニーという会社をカリスマ性なしに統制することができなかった(創業者以外の人物が権威を持つことができなかった)ことです。

-<>-<>-<>-<>-<>-

ソニーという会社は日本の企業の中でも先んじてグローバル企業を目指したパイオニアだったのですが、その経営実態は世間的な「グローバル企業」の華々しいイメージとは異なり、日本的経営とアメリカ式経営が中途半端に混合して出来た「擬似グローバル企業」だったのです。
大賀社長時代にはソニー・アメリカという子会社のコントロールすらままならぬほどでした。
ただし、完璧な経営スタイルというのは現代においてまだ発見されていません。
完全な政治制度がその姿を現していないように、我々は完全な経営スタイルを求めて今も手探り状態なのです。
その意味では、私はソニーの経営スタイルが他と比べて劣っているというような評価はしていません。
ソニーはソニーの経営スタイルを追い求めている、そう考えております。

-<>-<>-<>-<>-<>-

このため、ソニーという会社はハワード・ストリンガー氏が出井氏の後を継いで会長に就任して「Sony United」というスローガンを掲げるまで、グループだけでなくソニー本体ですら全くバラバラな企業体でした
外部には、ソニーグループの多様な事業ポートフォリオの利点を主張しておきながら、その実態は「(ストリンガー氏曰く)サイロの壁」だらけだったようです。

このあと、ストリンガー・中鉢体制下で行われた構造改革にて、この分権体制はかなり見直されたようですが、如何せんぽっと出のストリンガーにシニア・マネージャー達の暗黙的な抵抗があったようで、その改革は中途半端に終わったようです。
(正確にいえば、世界的好況で問題点がボケたというべきでしょうか。)

その後、リーマンショック以来の世界的需要縮小で業績が悪化すると、ストリンガー氏は、このシニア・マネージャー達を切って経営陣を刷新します。
(次期社長候補まで切ってしまったので社長をやれる人材がおらず、ストリンガー氏自身が会長と社長を兼務する形になってしまったが・・。)
これでようやくストリンガー氏は中央集権的権力を手にして、グループ全体かつグローバルでの改革に乗り出したようですが、この結果を注視しなければならないようです。
この改革には、Cash Conversion Cycleも入っているはずです。
(でなければ私はソニーという会社に失望する)
私が聞いた話では、とにかくスピードを重視しているようです。

サムスンが躍進したのは中央集権的な経営が当たったからだと言われますが、果たしてソニーにはそのような経営が可能なのかどうか、ここが正念場でしょうか。
ただ、サムスンのビジネスモデルは成長が期待できる既存ビジネス領域への資本の集中投下ですので中央集権的な経営スタイルでよかったのですが、今後自らイノベーションを起こして新しいビジネス領域を開拓していく道を模索していくのであれば、ソニーと同じ経営の悩みにぶち当たるはずです。

一つだけ、補足です。
私はソニーという会社が中央集権的企業になることが良い事なのか悪い事なのかわかっていません。
(もちろん、サムスンのような独裁企業にはならないと思いますが)
しかし、私はソニーという会社がどういった経営スタイルをとるのかについて非常に興味を持っています。
これは戦後60年経った今、日本企業の行く末を占う意味で一つのベンチマークとなると考えるからです。

Sonyの新しいブランド・イメージ「make.believe」をどう考えるか

SONYの新しいブランド・メッセージをご存じですか?(大西宏)
http://news.livedoor.com/article/detail/4468812/


SONYのイノベーションと言えば、なんと言ってもウォークマンが象徴的ですが、ウォークマンのイノベーションは、スピーカーを省いて小型化したということではなく、人びとが移動中に気に入った音楽に浸って楽しめる世界を生み出したことであったはずです。それが中核価値のイノベーションです。

そんなことを考えると、あの"make.believe”(メイク ドット ビリーブ"はちょっと、的確な方向を示していないのではないかという気もします。


私は「make.believe」について、ソニーが対外的に発表している内容しか知りませんので(特に誰かにインタビューしているわけではありませんので)、ソニーの本意を掴め切れているのかは自信がありませんが、思うところを述べさせていただきます。

まず、ソニーは「make.believe」を新しい「ブランド・メッセージ」だと主張されているわけです。
昔、ブランド研究の専門家の方に「ブランドとは象徴(キャラクター)である」と教えて頂いたのですが、私が思うにその意味するところは結局のところ「ブランドとはある種の"信仰"である。」ということになるかと思います
「信仰」というのは、悪い言葉でいえば「思考停止」ですが、良い意味でいえば「信頼」です

その意味で考えると、ブランド・メッセージが「make.believe」というのは、全くその通りで、むしろそれがブランドというものなのだから、"ビジネス的な意図"がなければ、あえて言うことでもないと思います。

ということですので、ここでの主題は「ビジネス的な意図」が何かというお話になるかと思います。
大西宏氏は「中核価値」と「make.believe」との繋がりが見えないという指摘をされておりますが、ここはもう少し考えて欲しいところです。

というのも、ソニーが近年主張している「ユーザ体験(User Experience)」という価値基準は「中核価値」そのもののことです。
ソニーは「make.believe」を提唱するにあたって「ユーザ体験」を引き下げたわけではないのですから、一般的な受け方として正しい解釈は「make.believeはユーザ体験という価値基準を包含している」となるのだと思います。
つまり、中核価値を一次元メタ的に見ると「make.believe」になるのだとソニーは主張している、と私は考えます。

何やらわかりにくい話になりそうなので、簡単に私見を説明させていただくと「「make」と「believe」が「.」で結ばれることで、そこにユーザ体験価値(中核価値)が生まれる。」とソニーは主張しているのだと思います。
「believe」が中核価値のメタファー(1次元抽象的な概念)なので、それを「make」という「行動」で1次元具体化する、その役割を担うのが「.(Sony)」のようなイメージでしょうか。

日本人はメタ認識が苦手と言われておりますので(宗教的背景の差異もあるかもしれませんが)、そのあたりで真意が伝わらないのかもしれません。

いや、これは私の勝手な解釈なので、正確にはソニーに聞いて見ないとわかりません(笑)

ソニーは普通の会社になったのか ~前編~

2009-10-19 23:25:59 | ビジネス
ソニーよ”普通の会社”にまで堕ちてどうする!(池田信夫blog)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/0d5611a694129a39b34d60aa7a6f78b6

ソニーの株主でもある池田信夫氏がネットに出回っている怪文書の内容を肯定しつつ、今のソニーを憂いている。
彼は出井伸之氏が社長に就任したことがソニーの転落のはじまりだと分析している。


株主として20年近くソニーを見てきた私も、ほぼ同感だ。ソニーの最大の失敗は出井氏を社長に選んだことなので、彼が次期経営陣を決めるのは、失敗を拡大再生産する結果になろう。「ものづくり」を脱却するというのはハードウェアを捨てることではなく、メーカーが「コンテンツ」のような水商売を手がけても成功しない。最大の問題は、社内に経営陣への求心力がなくなり、厭戦気分が広がっていることだ。


(実は私も長年のソニーウォッチャーで)
私もソニーについて似たような分析をしているのだが、しかし出井氏が社長にならなかった場合の問題もまた考えなければならない。
私が特にソニーについて酷いなと思ったのは、大賀氏が社長だった時代に経営企画に在籍していたインサイダーによる暴露本を見たときだ。
これは、あくまでもソニーの一側面を書き表したに過ぎないが、大賀社長時代の放漫経営と過大な有利子負債、何よりも大賀独裁によるワンマン経営の実情は、劣悪なものだった
ソニーがいかに企業(経営)設計のないままにカリスマによって支えられてきた会社かがわかる。
ソニーは大賀社長時代に一度窮地に陥っている。

ソニー本社6階(竹内 慎司)

そんな大賀経営の尻拭いをさせられたのが出井氏であり、彼の最初の仕事の大半はそのことに当たられた。
ワンマン放漫経営によるソニーの失速を見てきた出井氏が、経営改革に乗り出すのは自然な流れだった。
米国流の経営手法を取り入れて経営のワンマン化を防ぐブレーキを構築し、どんぶり勘定だった会計を見えるようにした。
彼は大賀氏とのミーティングの度に「君は何を(事業を)つくるのだ?」と聞かれ困り、いつからか「私は商品ではなく経営をつくった。」と言うようになったそうだ。
おそらく、それはソニーの中で出井氏にかかる"事業を創出できていない無実績社長"というプレッシャーに対するアンチテーゼだったのだろう。
そのコンプレックスがより一層、彼を経営改革への道へ走らせた。
自己顕示欲の強い出井氏は、劣悪な経営をしてきた無能経営者に無能と呼ばれることが許せなかったのだ。と私は思う。

私個人の勝手な意見を言えば、出井氏は5年で経営から手を引くべきだったと思う。
出井政権の10年間のうち会長に退くまでの5年間の彼の仕事は評価すべきところも多い。
大賀時代からの脱却、それこそが彼に科せられた使命だったように思うが、彼は後継に(ソニー歴代社長の中でも最も影の薄い)安藤氏を選び会長に退いた後も実権を握ってしまった
私はここが(もし事後的な批判が許されるなら)ソニーにとっての最大の失敗だったように思う。

大賀時代を将来への先行投資として捉えれば、その後始末として出井時代は必要だった。
組織を立て直すために果たした出井氏の役割はある程度認められてよいと思う。
ただ、その後の成長戦略に関する部分は事業を引っ張れる後進に譲るべきだったのだ。
しかし、彼は事業を創出する基盤を創ろうとして失敗した。
本社機能を投資銀行に見立てて各事業ユニットにイノベーションを求めたが、イノベーションなどというものは事前には予測不可能なもので、リスクをとる必要のあるものだ
独立採算制を取り入れた各事業ユニットにリスクなどとりようもなく、この試みは失敗する
彼はイノベーションを管理しようとしたのだ。
自分がイノベーションを起こせなかったアンチテーゼとして誰かにイノベーションを起こさせようとして失敗した。
その意味で、彼に足りていなかったのは、まさに彼のコンプレックスのまま、イノベーションとは何かを知らなかった点につきる

出井氏はクレイトン・クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」に強い影響を受けたという。
成功体験を拭い去ろうと新たなイノベーションにこだわった結果、イノベーションの芽を摘んでしまったのだ
それがまさにイノベーションのジレンマそのものである。

後編へつづく。。。

このエントリの内容はかなり情緒的なもので、エントリ内で行われている各主張の根拠は何も示されておりません。
論理的な説明を必要とされる方には不満が多いと思いますが、一つの物語として読んでいただければ幸いです。