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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

「実際に会う」ことの重要性

2011-02-18 15:02:11 | ビジネス
「実際に会う」ことの重要性:研究結果(WIRED VISION)
http://wiredvision.jp/news/201102/2011021722.html


世界がドットコム・バブルに沸いていたころ、多くの人は、インターネットの台頭によって「地理的な場所」が重要な時代は終わると予想していた。しかし、その予想は外れたようだ。

以下、この問題に関する、David Brooks氏による優れたコラムから引用しよう。


[ハーバード大学の経済学者Edward Glaeser氏は新著『Triumph of the City』(都市の勝利)において、グローバルな情報ネットワークの時代であるにもかかわらず、実際の都市がより重要になってきていると主張している。]なぜなら人間は、物理的に一緒にいるときに最もうまくコミュニケーションがとれるからだ。

[中略]

都市は人々の力を拡大すると、Glaeser氏は主張する。人が密集した環境では、アイディアがすばやく拡散しやすいためだ。グローバルな市場で競争したい人にとっては、都市の中心部近くにいることが大いに役立つ。業界の地理的な中心地の近くに居を構える企業のほうが生産性は高い。都市部の労働者は都市外に住む労働者よりスキルの向上ペースが速いため、年ごとの賃金上昇ペースも速くなる。(略)

大学出身者の数が多い都市は豊かになる傾向がある。大都市圏では大学出身者の数が10倍で10%多く、個人の収入額は7.7倍7.7%多い。都市部での高卒者の収入にも同じ傾向がみられる。



Mailや何らかのWebシステム、TV会議システムで仕事を
遂行したことのある人なら誰にでもわかることがある。

それは、業務を遂行するために必要なコストの内に占める
コミュニケーション・コストの割合が非常に大きくなるということで、
しかもそれは、業務やプロジェクトの規模が大きくなればなるほど大きくなる。

そして、TV会議システムではわかりえないことが、
出張して直接に1つのテーブルで話し合えば、即座に分かり合えたりする。

私自身、長い間、国内外の複数の物理的に離れているところに
拠点を構える企業と仕事をしてきたため、これは逃れようのない事実として理解している。

理由はリンク先の研究結果を待つまでもなく、実感としてわかる。
それは「絶対的な情報量の違い」のせいだ。

人は言葉だけで円滑なコミュニケーションをとることができない。
なぜなら、「言葉」というのが非常に不完全なコミュニケーション・ツールだからだ。
人は、言葉を使って伝えたい意図を正確に表現することができないし、
また、言葉を使って相手が伝えたい意図を正確に受け取ることもできない。
それが話し言葉であっても書き言葉であっても同じことで、
結局、人の思考は言葉ほどに単純ではないので、
人がテレパシーなどのような意図を正確に伝えるツールを持たない限り、
コミュニケーション上に生じる相互理解のギャップは生じてしまう。

さらに、コミュニケーション・ギャップは、単に相互理解を阻むというだけではなく、
人のコミュニケーションへの情熱を失わせてしまう。
人は、理解し合えないと感じるとやる気を失うのだ。
より正確に言えば、人はギャップを意識すると、より低レベルの相互理解で妥協してしまう。
到達可能な程度に目標設定を下げることをするということだ。

このコミュニケーション・ギャップを乗り越える最も有効な手段が、
原始的だが直接話し合うという行為である。
原始的ではあるが、直接対面して理解し合うという行為は、人が原始人の時代よりずっと前から、
もともと備え持っているコミュニケーション・スキルであり、より本質的な行為とも言える。
逆に言えば、このことは、人類が直接話合う行為よりも、
より本質的なスキルやツールを開発できていないことを示している。
人類がテクノロジの進化によって手にしたのは、
この本質的なスキルを補完するものばかりなのである。

直接会って話し合う行為で伝達される情報は言葉だけではない。
人と人のコミュニケーションの内、非言語コミュニケーションが90%以上だといわれているが
直接会って話し合えば、表情、声色、息づかい、身振り手振り、色気、雰囲気、などなど
そういったものはMailやTV会議システムでは伝えにくい。

言葉と言葉から零れ落ちる意味を伝えるために重要なのは、非言語コミュニケーションなのだ。

リンク先では「情報が拡散しやすい」などの理由を挙げているが
それもつまるところは絶対的な情報量が違うからである。

それともう一つ、これは忘れがちな視点だが、
情報を伝達する時、人はそこに意図を加えることがある。
入力された情報を解釈し、それを出力として伝える行為だ。
これは正確な情報共有という点ではマイナスな要素もあるのだが、
実は、一人ひとりに情報の解釈と加工という機会を与え、
新しい付加価値を生み出す可能性を持っているという点でプラスの要素もある。

ICTの技術で正確な情報共有が可能になったという話しはよくあるが、
その「正確な情報共有」のために一夫で失っている「人が考える機会」について
指摘する人はなかなかいない。

AKB48という破壊的イノベーション 第3話 ~グローバルローカライゼーション~

2011-01-06 19:37:54 | ビジネス
久しぶりのAKB48シリーズ。

AKB48に学ぶ証券化の基礎技術とCDO48(よそ行きの妄想)
http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20101230/1293682544


証券化商品と比較してAKB48に足りないのは保証会社による保証くらいのもので、それさえあれば前田敦子や大島優子にはJCRくらいであればAAA格が付き、農協あたりが間違えて投資してしまうだろう。


思わず吹き出してしまった。
いいギャグだ。


CDO48
このように考えると、AKB48関連ビジネスの次の展開も自ずと明らかになる。

いま、AKB48に続きSKE48やNMB48などの類似商品が次々とリリースされているのは、単なる2匹目のドジョウ狙いではなく、明らかに次の展開に向けての布石である。次の展開とは、他でもないCDOの組成だ。

AKB48やSKE48、NMB48などの各チームからメザニントランシェ的な微妙なメンバーを寄せ集めた新チームを組成し、さらに分散されたポートフォリオを演出するのだ。新チームの名前は是非CDO48にしてもらいたい。CDO48でも当然貢ぎ物によるランクをつけ、そこで1位になったメンバーについては、ナンバー1としてそれなりに売り出す。するとどうなるかというと、完全にイマイチだった女の子が、結果的にトップアイドルに変身することになる。

これはリスクロンダリングならぬ、アイドルロンダリングなのであって、まさに現代の錬金術である。米金融業界が狂乱したこの素晴らしい仕組みを応用し、全部自分の懐に入れてしまおうというのだから、秋元康氏のマネタイズ・パワーには心底感服する他ない。


実は、このCDO48の発想はハロプロで既に実践済みであり、新しいものではない。
複数のグループから特定の軸でメンバーを抽出して期間限定グループなどで売り出す。
人気者同士をグルーピングしてもよいし、
身長の小さい者同士や、ロリータ軸でグルーピングしてもよい。
様々な組合せが可能だ。

さらにいえば、都合よいペルソナみたいなもので、普段とは違う顔をすることが許される。
例えば、いつもはカッコよさで売っているグループを可愛さで売るなどだ。
母体となるグループではできないことが、違うグループでは実行可能であったりする。

さらにさらにいえば、人気グループと未認知グループを組み合わせての広告効果も期待できる。

ただ、AKB48でこのCDO48を実践することによる意味は、ハロプロで実践するよりも大きい。
それはリンク先のブログでも述べられているように、AKB48にはランキングシステムが存在するからだ。
これこそがAKBビジネスモデルの中核であり、CDO48の成功の秘訣でもある。
AKBビジネスには保証会社の保証は必要ない。
ランキングシステムがあるからだ。

そういう意味で前から述べているように、
AKBビジネスモデルはこれまでのアイドルビジネスをよく研究した結果なのであり、
アイドル業界におけるイノベーションなのである。

ちなみにSKE48にしろNMB48にしろ、このビジネスの特徴は、
SKEは栄、NMBは難波、という地名に由来しているところからもわかるが、
グローバルローカライゼーションの実践なのである。
AKBビジネスモデルを地域ごとに適応しているのである。

海外展開にしても、秋元康氏はAKB48を展開しようとしているのではなく、
AKBビジネスモデルを展開しようとしているのだ。
これは、料理の鉄人の番組モデルを海外輸出するのに似ている。

[つぶやき] アイデンティティの無い者はプロデューサを目指す

2010-10-27 01:12:13 | ビジネス

2つともためになるな~。

ビジネスモデルを理解しないビジネスマンかぶれのエンジニア達に聞かせてやりたい言葉たちだ。

[翻訳][ポール・グレアム]ポール・グレアム「Yahooに起きてしまったこと」
http://d.hatena.ne.jp/lionfan/20100815



[前略]

メディア企業のフリをするのは、マイクロソフトの追求を逃れるにはいい手だっただろう。だが残念なことにYahooは、本当にメディア企業的なものになろうとしてしまったのだ。たとえばYahooのプロジェクト・マネージャは「プロデューサー」と呼ばれた。そしてそれ以外の人々は「プロパティ」と呼ばれた。だがYahooは本当はハイテク企業を目指すべきだった。それ以外のものになろうとしたことで、結局は中途半端になってしまった。それが企業としてのYahooが、ついに明確なアイデンティティを持てなかった理由だ。

メディア企業を目指した最大のツケは、プログラミングに専念できなかったことだ。(かつての)マイクロソフト、Google、Facebookにはすべて、ハッカー中心の文化があった。だがYahooはプログラミングを商品のように扱った。Yahooでは、ユーザ向けのソフトはプロダクトマネージャーとデザイナーが管理していた。プログラマの仕事は、プロダクトマネージャーとデザイナーの仕事を、コード化して仕上げることにすぎなかった。

この慣習による明らかな結果の一つは、Yahooの作るものが最高ではないこともしょっちゅう、ということだった。だがそれは最悪の問題ではなかった。ダメなプログラマを雇ったことこそ最悪だった。

[中略]

それでは、どんな企業にはハッカー中心の文化が必要となるのだろう? この場合「ソフトウェア業界」とはどんな企業だろう? Yahooが発見したように、このルールが適用される領域は、ほとんどの人々が思っているより広い。答えは「良いソフトウェアを必要とするすべての企業」というものだ。

[中略]

ハッカー文化は、しばしば無責任に見える。だからハッカー文化を破壊する人は「オトナの管理」といった言葉を使う。Yahooでもそんな言葉が使われていた。だが、無責任に思われるよりも悪いことがある。たとえば企業間競争に負けることだ。



Yahoo! JAPANを退職しました(nokunoの日記)
http://d.hatena.ne.jp/nokuno/20101026/1288105003
当然の帰結。

3D TV が売れると思っていた人はいるのか?

2010-10-05 10:33:36 | ビジネス
・・・う、売れるわけないじゃん。

ニュースにするために「期待外れ」ってしているだけで、実際には「想定通り」だと思う。
そうでなければ・・単なるアホというか何と言うか。

3Dテレビ全然売れない!主要4社参戦も「期待外れ」(zakzak)
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20100729/dms1007291615007-n2.htm

3Dコンテンツを使ったサービス(教育とかね)をビジネス・モデルとして展開すべきなんだな。
その一環で3D TVを導入すればいい。
パッケージ(ビジネス全体)で儲ける仕組みを考えなければ。

3D TVに短期的な需要がないことくらいわかってたわけで、それをトップの大号令に基づいて展開しちゃったわけだ。
こういうハードの売り切りモデルを未だに踏襲しようというのが、日本メーカーの愚かしいところ。
そういうビジネス・モデルでは結局、規模の拡大によるスケールメリットを生かす以外の手がなくなる。
そうなれば韓国・台湾勢に勝てないことが骨身にしみているだろう。

IBMがハードメーカーから転進したように考えないとね。
メーカー脳の限界か。

「モノ」偏重主義の日本

2010-09-16 23:38:54 | ビジネス
ふむふむ、ためになる。
しかし、ちょっと違うと思う。

新幹線が売れない本当の理由(鉄道技術者のひとりごと)
http://railwaysignal.kitaguni.tv/e1696622.html

[前略]

「日本の新幹線は一列車あたりの遅れが1分未満といいますが、アメリカではそんな鉄道は求められていないと思います。むしろ二酸化炭素の放出量が削減されるという観点から・・・(後略)」

[中略]

元・ワシントン特派員である飯田氏は、アメリカ人が新幹線のようなpunctualな鉄道を求めているはずがないことは、肌で感じていたはずです。

[中略]

さらに私なりに踏み込んで言うならば、よく日本の鉄道関係者が口にする言葉に「日本の政治家は新幹線の売り込みに熱心でないから、外国に先を越されるのだ」というのがあります。はっきり申し上げて、それは新幹線のあまりの成功に目がくらんだ、日本の鉄道関係者の慢心にしか聞こえません。新幹線が売れない最大の理由は、何のことはない、相手のニーズに合った鉄道を売ろうとせず、新幹線は素晴らしい、これを導入しないのはおかしい、という戯言を繰り返す、日本の鉄道関係者の傲慢な態度に他なりません。

前原さんを担ぎ出す前に、本当にアメリカ人がほしがっている鉄道を提案できているのか、手遅れにならないうちに自らを見つめなおす必要があると考えます。


「パクス・アメリカーナ」的な価値観の押し付けを日本人が海外に行っているような切り口の分析ですが、ちょっと違うと思う。

なんで日本人が新幹線の品質に酔いしれるかっていえば、「モノの価値」が「モノゴト」の価値基準の大きな部分を占めているからに他ならない。

「モノがいいんだから、認められて当然だろ」的な発想だ。

これは全くの間違い。
世の人々にとっては「サービス」や「コト」に価値があるのである。

「モノ」に価値があるように思えるのは、「コト」の構成要素としての「モノ」の価値が高いからであって、「モノ」そのものに価値があるわけではない。
たまたま「モノ」の価値が高いことが「コト」の価値の高さに繋がっているだけに過ぎない。

この辺が日本人のハード偏重主義に表れてるわけだ。
戦艦大和なんか作っちゃうわけです。

市場規模を考えても、ハードの部分と非常に小さくて、ほとんどはサービス部門なのだよ。
まだまだ・・道のりは遠い。

Global View

2010-09-08 10:23:40 | ビジネス
グーグル、シンクタンク「Google Ideas」設立を計画--統括者は米国務省OB
http://japan.cnet.com/news/business/story/0,3800104746,20419665,00.htm

最近グーグルは政治との結びつきが強くなってますね。
「Google View」は「Global View」「Think Global」ですか。

戦略の前に政策、
政策の前にビジョン
ビジョンの前に理念が必要なのです。

そして理念のスケールが違いすぎる。

これまで歴史上の数多の偉人達が残してきた言葉の中に、

「人は見たいものしか見ない。」
「事実だと思いたいものを事実として見ているに過ぎない」

といった類のものがあります。
これは全くその通りなのですが、
「何を事実として見るか?」は、「視点」によって決まる問題です。
どの角度から物事を見るかによって見えてくるものは違いますね。
広い視点を持てば、より多くの側面が見えてくるはずです。

以前、当Blogの口癖だった言葉で終わります。


「事実」は「視点」によって創られ
「視点」は「信念」によって創られる。

医療に破壊的イノベーションが起きる

2010-07-09 12:14:01 | ビジネス
近い将来、10~20年内に医療の世界に破壊的イノベーションが起きる。

医療業界の大きさは全産業の中で圧倒的に大きい。
公的部門が占める割合も大きいが、その潜在需要は全人類に共通しており、限りがない。
他にも、製薬業界上位10社が占める利益には、他産業が束になっても勝てない。
製薬業界では2010年問題が指摘され、今後は低減方向に向かうようだが、それで他を圧倒している。

なぜそんなことが可能か?

「健康」が人間にとっての最高の贅沢品であると同時に、その参入障壁の高さだ。
医療は強固な擦り合わせアーキテクチャによって成立している。
しかし、英サイエンス誌が言うように、どれだけ科学技術が進んでも病気は地球上から消え去ることはないし、万人に通じる医療も存在しない。
それに、実は多くの病気は気持ちで治る。
多くの臨床実験が物語っているが人間の自然治癒力は圧倒的で、この潜在力をいかに引き出すかも重要なのだ。

人類の前には、一体どういう道がある?

人間はいつか死ぬ。
なら諦めるべきなのか?

ただ死ぬだけか。
どういう生き方がある?

何を考えるべきなのか。

道はある。

人類の英知がこの壁を越える。
答えは「人類」が知っている。
我々は知らない。
「人類」が教えてくれる。

今、Googleが最も近いところにいるが、前にも当Blogで紹介したが、彼らは2007年に23andMeに出資し、2008年にGoogle Healthを立ち上げてから特に動きがない。
Google Healthからスピンオフしたアダム・ボズワースが立ち上げたKeasだが、彼らも何かピンボケたことを言っている。
初めは、わざととぼけているとばかり思っていたが、どうもGoogleはビジネスモデルとプラットフォームのそのほとんどを持っていながら、肝心の中核部分となるものを持っていないのではないか。
いや、もしかすると、KeasもGoogleも、既存のGoogleのビジネスモデルのそのパラダイムから抜け出せていないのではないか。
であるならば、KeasもGoogleも、あくまでも情報工学の分野からのアプローチでしかない。
もし、そうなら何度も繰返すように、ここに千載一遇のチャンスがある。

先日、私がこの破壊的イノベーティブなビジネスモデルを発想する元となった研究をしている研究者の話を再度伺う機会があったのだが、彼も全く同じ発想をしていた。
元ネタは彼だから、キャッチアップしたのは私の方だが、見ている方向が同じということでより自信を深く持った。
また、私だけでなく彼の説明を聞いてもこのアイディアを理解できない人達がほとんどなのである。
これで私の確信はより先鋭化されリアルになる。

この破壊的イノベーションは、医療の強固な擦り合わせアーキテクチャを破壊する。
人類社会にこれだけ貢献することもあるまい。

健康レボリューション

2010-06-11 21:25:40 | ビジネス
医療は必ず伸びる。

「健康」が「商品」化され「サービス」化されるからだ。
普及品から贅沢品まで様々な健康商品・サービスが世界に溢れるようになる。

外科手術を要せず「治癒」できるというばかりではなく、
そうではなく、手術を必要としない「予防」こそがメインターゲットになる。

そのときの医療は、今の医療とは違うものになっている。
パラダイムが変るのだ。

そのとき、人類に精神的変革が訪れる。
健康は生き方に関わってくるからだ。

科学技術が人類に貢献する最大のチャンスだ。

簡単なイノベーションの復習

2010-05-28 22:01:47 | ビジネス

イノベーションについて素養のある人にとっては釈迦に説法なので読み飛ばしてください。

クレイトン・クリステンセンの名著「イノベーションのジレンマ」は、イノベーションを語る上で大変有意義な"教材"である。
この書籍が語りかけるイノベーション・モデルについての本質的な分析は、この書籍を古典と呼ぶに十分なレベルのもので、イノベーションを学ぶにあたってまず最初に用いられる教科書になるであろう。
本エントリでは、当Blogのイノベーションに関する主張の理解を、より深めるために、この教科書から、いくつかの興味深くかつ有用なトピックスを取上げる。

英語を日本語に翻訳した感じで書いてみました。
でも疲れるので、以降はいつも通り流して書きます(笑)

まず初めに、イノベーションに対するありがちな誤解を解くカギについて取上げる。

書籍「イノベーションのジレンマ」では、ディスクドライブ・ビジネスの歴史からイノベーションがどのような形で起きてきたのかを解き明かすのだが、この中で「持続的イノベーション」「破壊的イノベーション」を使い分けている。
これは非常に重要な示唆を我々に与えてくれる。
彼は「破壊的技術」が果たした役割は大きいものの、「破壊的技術」そのものが「破壊的イノベーション」を起こすとは言及していない。
逆に彼が言うのは、「破壊的技術」それ自身では「破壊的イノベーション」にはならないということだ。

どういうことか。

ディスクドライブの歴史は、小型化・高密度化の歴史でもあるが、大まかにみるとディスクの大きさに従って幾つかのステージにわかれていることがわかる。
14インチ、8インチ、5.25インチ、3.5インチ、2.5インチ、1.8インチ
ディスクドライブは時代が進むにつれて小型化していく。
また、これとは別に、同インチ数内での容量の高密度化において技術革新が行われている。

よくある解釈は、同インチ数内での容量の高密度化における"技術的革新"を「持続的イノベーション」とよび、14インチから8インチへの"技術的革新"を「破壊的イノベーション」と呼ぶ。
が、これはありがちな誤解を含んでいる。

まず、端的に技術革新度からいえば、14インチから8インチへの移行よりも、同インチ数内での高密度化の方が高度である。
容量という性能からしてみれば、大きいインチ数の方が遥かに有利なわけだから、インチ数の小さい方が技術革新というのは、少しおかしい。

では、なぜインチ数の小型化が、破壊的イノベーションと関係があるのか。
それは、14インチ、8インチ、5.25インチ、、、が何と結びついているかに深い関係がある。

(世界初のディスクドライブは24インチらしい)
14インチ:メインフレーム
8インチ:大型汎用コンピュータ・ミニコン
5.25インチ:大型汎用コンピュータ・パソコン
3.5インチ:デスクトップパソコン
2.5インチ:ノートパソコン
1.8インチ:携帯音楽プレーヤ
フラッシュメモリ:

ディスクドライブが小型化されるのと同時にモデルが置き換わっているのだ。
いわゆるモデル創新(イノベーション)である。
新しいビジネスが始まっている点が破壊的イノベーションの由縁である。

これで何がいいたいか。
それは、ディスクドライブの小型化だけでは、イノベーションは起きないのだ。
「破壊的イノベーション」は「破壊的技術」によって起こされるわけではない。
それだけでは、イノベーションになれずに忘れ去られる名もなき戦士達で終わりだ。
既存の枠組みの置き換えを迫るものが、イノベーション。
そして、その仕組みをイノベーション・モデルといっているのである。

[イノベーション] 10年後のプラットフォーム競争が見えた

2010-05-27 12:31:17 | ビジネス
ここ数日、うなされています(笑)
悪夢ではありません。
自分が取り残される危機感に抗おうとしています。

今、私の頭の中では10年先のプラットフォーム競争が繰り広げられています。
そこで私は敗北感にさいなまれているのです。
人間というのは実に不幸な生き物です。
起きてもいない想像の世界のことで不安に駆られ、恐怖し、不幸を感じるのです。

「未来に対する不安は、その対象そのものよりも大きい。」
これは有名な言葉ですね。
だからフランクリン・ルーズベルト大統領は就任演説でこう言いました。
この言葉もあまりに有名です。


So first of all let me assert my firm belief that the only thing we have to fear is fear itself - nameless unreasoning, unjustified terror which paralyzes needed reforms to convert retreat into advance.

まず初めに、私の強い信念を自信をもって断言する。
私たちが恐れなければいけない唯一つのことは、「恐れ」そのものである。
後退を前進へと変革するのに必要な改革を麻痺させる、
名付けがたく、理性的でなく、不当な恐れそのものである。


私は不安に駆られています。
不安は恐れを生み出します。
わからないから不安になる。
不安だから恐れる。
恐れるから避ける。
避けようとして閉じこもる。
また避けようとして攻撃する。

マザーテレサが「愛の反対は無関心」という意味がここにある。

私が抱く不安がどういう不安か。

最近、電子書籍のプラットフォーム競争の話が繰り広げられていますが、私が思うにこれはもう手遅れです。
日本企業が今からこの業界でプラットフォームをとる可能性は極めて低いと思います。
アプリだとかフォーマットだとか。
皆が気づいた時には先行されているんです。
AmazonにしろGoogleにしろAppleにしろ、もうずっと前から構築し進化させているビジネスモデルに基づいて行動しており、コアとなるプラットフォームは絶対に逃がさないように戦略が練られている。
日本企業がとれるのは精々「プラットフォームと呼ばれるモジュール」だけです。
先進企業が将棋でいえば詰る寸前のところで競争しているのに、大逆転できると思い込んでいるだけです。
いや、戦局を理解していないから、自分達が目指しているのが「大逆転劇」だということにさえ気づいていないのです。
kindleやiPadが出てくるとわかってから騒いでも遅いのですよ。
いいですか、考えればすぐわかることです。
kindleやらiPadやらを世に出そうとする人々が、その端末だけに熱中しているわけないでしょう。
kindleやiPadを構想する時点からビジネスモデルを作りこんでいる人々からすると、少なくても3年は遅れています。
日本を代表する企業の担当者からこんな今更感のある発言が聞く度に、正直がっかりします。
期待していたのに、なんだ結局何も考えていなかったのかと。

で、こんな批判的なことを書くと「じゃ、お前どうなんだ?」と、そう言われると思います。
だからちょっとアイディアを紹介します。
これはもう私の中でプラットフォーム競争が始まっており、私自身どう関わるのかというところでもがいています。


「環境エピジェネティクス」+「クラウド」+「○○○」これです。(○○○は伏せます)

これは、「人類にとってのプラットフォーム」になる話です。
○○○のところが重要で、競合他者は「Google」です。
10年後に現代を振り返って、この産業の歴史を振り返る時、おそらく出てくるであろう企業名が「23andMe」です。
アイスランドの会社ですね。

で、気づくとGoogleは布石を打っている。
これはGoogleの行く先を考える上で、極めて重要な情報です。
2007年の時点で。
この先見の明は流石Googleという他ない。

グーグル、バイオ技術企業23andMeに390万ドル出資(CNET Japan)
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20349348,00.htm

で、Googleが2008年に立ち上げた「Google Health」

グーグル、「Google Health」を発表--個人健康記録を集約(CNET Japan)
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20368434,00.htm


 「なぜGoogleがここに参加したか」。Google最高経営責任者(CEO)のEric Schmidt氏は、同社としてこれまで参加したことがないというトレードショー「Health Information Management Systems Society(HIMSS)」での基調演説でこう語りかけた。「最も重要な検索とは何か?」

 答えは健康だ。Schmidt氏は、米国人の約2人に1人が慢性の疾患にかかっていると述べた。一方でSchmidt氏は、同社に報告があった、Googleを使って心臓発作の症状について検索し、その後救急車を呼び一命を取り留めた男性を例に上げ、人々は既にウェブから情報を集めている、と語った。

 Schmidt氏は、「われわれは、医療分野の主要企業と提携して相互に交流し、(中略)インターネットの原理の活用を通じて」業界の改革を図っていくと語った。「第一の原則は、それがユーザーのデータであるということだ。別の医師の診察を受けたり保険会社を乗り換えたりした場合、消費者がどこに行こうとそこにデータは付随していく」


シュミット氏は本音を出していません。
多分、とぼけています。
先乗りされないようにね。
これがとぼけてではなくマジなら、それこそGoogleに先行する大チャンスがあります。

重要なのは次の部分です。


 現在、特定の医療制度での利用に用途が制限された個人健康記録システムは200以上存在すると同氏は言う。

 Google Healthは、米国で年間行われる20億回のX線検査、6200万回のCATスキャンなどの健康データを、患者がオンライン上でアクセスできるようにすることを目指す。

 将来的には、Walgreen、Aetna、Wal-Mart Store、カリフォルニア大学サンフランシスコ校、American Heart Association、Quest Diagnostics、Longs Drugs、American Medical Association、Cedars-Sinai Medical Center、スタンフォード大学Lucile Packard Children's Hospitalなど大規模病院、薬局、保険会社とも提携していく。


多分、これだけでこの話を理解できる人もいるでしょう。
今すぐ取り掛かかれば、10年後に世界の覇者になれるかもしれません。
人類社会に貢献するチャンスです。

先日、偉そうな人が環境エピジェネティクスでどうやってビジネスするのか偉そうに疑問を呈している姿を見たのですが、故にチャンスです。
現代を生きるビジネスマンは、このビジネスモデルに気づけていない。


本エントリをかなり偉そうに書いたので、ご気分を悪くされた方もいらっしゃると思うのですが、これは今の私の心境を表しているのです。
焦って不安に駆られているのです。
やられてしまう可能性を真剣に危惧しているのです。

これが破壊的イノベーションになる理由は、まだ技術が確立されていないということです。
"今存在していない市場(見えない敵)"なのです。

このイノベーション・モデルについては、クレイトン・クリステンセンの名著「イノベーションのジレンマ」を参照すれば理解していただけると思います。

研究開発の段階でまだ世に存在しない技術だが、必ず浮上する技術です。
その時からビジネスモデルを考えていたんでは遅いのです。
妹尾堅一郎氏の言葉を借りれば研究開発戦略、事業戦略、知財戦略の「三位一体経営」です。

イノベーションを起こすのに、研究開発が先行していなければならない理由はどこにもありません。
イノベーションは「技術革新」ではなく、「モデル創新」「新結合」といった意味の言葉で、故に技術は必要十分条件ではないのです。
よく考えて欲しいのです。
人間社会に影響を与えるものは、何らかの枠組みの変更ですね。
イノベーションは常に結果としての影響をいうのです。
結果として、何かの枠組み、パラダイム、フレームが変る。
その変える仕組みをイノベーション・モデルという。

侍とビジネスマンが仲良くする必要があると思うんだ

2010-05-25 18:43:53 | ビジネス
最近、当Blogで扱っているGoogleのビジネスモデルについてのわかりやすい説明。
ただ単にアクセスを集めるだけではなく、どう買い物をするユーザのアクセスを集めるかが主戦場だ。
囲い込み戦術をとる企業は全てGoogleの敵なわけだ。

GoogleとAmazonの競争(経済学101)
http://rionaoki.net/2010/05/4136

これも最近話題にしているビジネスモデルの内容についてのわかりやすい説明。
垂直統合されているものを如何にモジュール化して、解体して、コアとなるモジュールを取れるかが重要。
というのは、利潤は価格支配力があるところに生まれるからで、その支配力は非競争力があるかどうかで決まる。
どんなシステムでもモジュール化されると参入障壁が下がるので、競争しないで利益を上げたければコア部分はモジュール化してはならない、もしくはモジュール化してもインタフェースだけ公開して内部を秘匿する必要がある。

電子書籍はフォーマットとアプリを制したものが勝つ(My Life in MIT Sloan)
http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/13f8195b8bcf97e42f9e5a23e7088876

と、わかったように書いているが、実は私は妹尾堅一郎氏の二番煎じ。
この1冊を読めば、今、ビジネスモデル競争の世界で何が起きているのか、だいたいのことは理解できる。
Googleの話は出てこないけれど。

技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか―画期的な新製品が惨敗する理由(妹尾堅一郎)

ただ個人的な経験からすると、この本を読んでも理解できていない人は多数いるようだ。
別に難しいことは書いていないのだが、パラダイムシフトは人々を置き去りにするのが常。
よく例えられるのは、時代の重点が制空権争いに移っている時に大鑑巨砲主義をやり続ける愚だ。
人間は、過去の成功体験を拭い去るのは難しい。
長らく環境変化が激しくなかった状況で生きてきた人類からすると、成功体験を即座に捨て去るのは合理的でなかったからだ。
だから「失敗から学ぶ」これしかない。
第2次世界大戦初期に先進的な戦術を駆使した日本に対し、連合軍は失敗から戦略的前進を遂げ、戦局を変えることに成功した。
失敗の本質―日本軍の組織論的研究


「負けに不思議の負けなし(野村克也)」
これだ。

しかしながら、まず、「勝つ」「負ける」ということの基準を明らかにし、そしてそれを乗越える必要性があると思う。
この時点で思い込みによって相互不理解が発生していると、いかんともしがたいし、実際日本で起きているのはそれだ。

例えば「試合に負けて勝負に勝つ」みたいな言葉がある。
これは「侍魂」を基礎とする精神文化内でかなり支配的な考え方である。
(当Blogでは合理を求めない姿勢を「侍」とするのである)
何をもってして勝ちと言うのか、つまり何に価値基準を置くのか、という問いである。

「利益を上げるために姑息な手は使わない、一体何のためにビジネスをやるのか」といった考えを持つ日本人は多いだろう。
「利益至上主義」などと言っては否定されることがほとんどだ。


「ビジネスとは何なのか」これについては様々な議論が可能なので、ここでは深堀しない。
また日を改めよう。

しかし、ビジネスモデルの変革を訴える人々が主張するのは決して「利益至上主義」などではない。
彼らが問いかけているのは「モノ/コトの本質的な意味・価値」である。

もちろん、誰にも使われないが高い技術力を必要とする十文字槍を鍛冶屋が赤字で作り続けることに意味を感じる人もいるだろう。
誰にも見向きもされなくなった古びたオモチャを唯一人コレクトすることに価値を置く人もいるだろう。

それらを否定するものではない。
ただただ「モノ/コトの本質的な意味や価値」を追い求める点では同じことだからだ。
違いは、それを一般化することに意味や価値を見出そうとするかどうかである。
要は、どこに自己を充足し得る意味や価値があると信じるかだ。
そこに善悪も正誤もない。

「道」なのか「到達点」なのか。
前者が侍で、後者がビジネスマンだ。
道には終わりはない。
極まらないのが道。
ゴールを求めるのが到達点。

「到達点」を求める人にとって、「道」を求める人は牧歌的なおめでたい奴だろう。
「道」を求める人にとって、「到達点」を求める人は早急な未熟者に見えるだろう。

両者とも互いに馬鹿にし合っているだけで理解し合おうとしていないように見える。
この両者を橋渡しする広い意味での哲学が求められている

ような気がする。
途中で論点が摩り替わった気もするが、たぶん気のせいだろう。

「Google TV」 ソニーの秘策はどこにある?

2010-05-21 09:59:52 | ビジネス
先にNYTが報じたSony×Google×Intelの噂は本当だった。

グーグル、「Google TV」プラットフォームを発表--テレビとウェブを融合(CNET)
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20413776,00.htm

Google、テレビ向けプラットフォーム「Google TV」発表 ソニーと提携(IT media)
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1005/21/news020.html

この情報を知ってからずっと考えているが、私にはソニーのこの手を読めないでいる。
報じられている情報だけでは何もわからないが、どう考えても私には、IntelとGoogleに利することはあっても、将来的にソニーの首を絞める手に見える。
一体、ソニーはどういう戦略を描いているのか。

秘策はなんだ?
ソニーは、どんなウルトラCを隠している?
他社に先行して提携した以上、他社に先んじる戦略があるはずだ。
昨日のエントリで述べた通り、IntelのCE向け戦略LSIと、GoogleのAndroid+Chromeを搭載しただけの製品では、他社もすぐ追従可能なので、これで差が出せるのは最初の1,2年だけだ。
Intel×Googleプラットフォームに乗っかる連中は、みな競争させられて価格競争の渦に巻き込まれるだけだ。
これは、Intel Inside型のビジネスモデルそのものであるし、Googleの広告収入・ビジネスモデルそのものでもある。
だから、ソニーには「プラットフォーム競争」に関する戦略が必ずあるはずだ。
Intel×Googleプラットフォームがdiffusionすることで、ソニーが利益を上げられる仕組みだ。
そのWin-Winの戦略なくして、これは対等の提携とは呼べない。
単にIntel×Googleに利用されるだけの、GoogleからSonyへODMされただけの話ではないか。
しかも、SonyのCE機器製造ノウハウをプラットフォーム側に技術流出して、他社がプラットフォームに乗りやすくなるオマケもつく。

まさか、ソニーが昨日のエントリで書いた「差異化原理主義」思想による迷走をしているとは思いたくない。
「プラットフォームに乗るしか選択肢がないのだから、その上で他社との差異化をする。」みたいな愚策を指向していないことを望む。


今思えば、久夛良木健氏がPS3を立ち上げる時に構想したWintelに変るプラットフォームとしてPSプラットフォームを提唱したことが懐かしい。
「プラットフォーム競争」を前提とした主張だったのだが、あの時、多くの人がその主張の意味を理解することができていなかった。
今、SonyがIntel×Googleプラットフォームに乗ろうとしている姿を見て、非常に残念に思う。
Cellが金食い虫だったということもあろうが・・Sonyにプラットフォームを前提とした戦略的思考がなかったことが大問題だ。
もうイノベーションを捨てた企業なのかもしれない・・

いや、必ず秘策があるはずだ。

頭の中がグールグル音を立てて混乱している。

[追記]

Sonyのプレスリリースを見てみた。

ソニー、“Sony Internet TV”を開発
~世界初の“Google TV”プラットフォームを採用したテレビの開発により、これまでにないテレビとインターネットの融合を実現~
http://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/201005/10-067/


ソニーは新たなビジネスカテゴリーの創出を目指し、これまでの視聴概念を覆す視聴スタイルや、ダウンロードによる拡張性、さらには快適な操作性やマルチタスクを実現する「進化するテレビ」の開発を進めてまいりました。
 “Sony Internet TV”は、これらを実現し、インターネットとテレビを融合させることで今までに無い楽しみ方を提供するだけではなく、アプリケーションのダウンロードにより進化し続けるという、新しい時代のテレビです。Googleのオープンプラットフォームを活用することで、お客様に向けてより魅力ある豊富なコンテンツやサービスをタイムリーに提供することが可能になります。


し、「進化するTV」!!
当Blogの名前は「進化する魂」なので、妙なシンパシーを感じます(笑)

やはり、あれですね。
ソニーは「User Experience」を思想的に前面に押し出してきますね。
「最終商品としてのユーザ体験価値」から戦略が出発している。
あくまでもConsumerブランドなわけですか。
これに対してプラットフォーム競争は、「ビジネス領域のどこで価値形成ができるか」という命題を考えるところから戦略が出発している。
この両者は全く違う。
一見すると、ソニーの戦略は、インテル・インサイド型ビジネスモデルではなく、アップル・アウトサイド型ビジネスモデルの方に近いように思えるが、本質的に違う。
アップルにはiPod×iTunesという排他的プラットフォームが前提だ。
最近ではAdobeとも争っているが、アップルは支配的プラットフォームを構築することに躍起だ。
それに対してソニーはこの商品によって何かのプラットフォームを構築できるのか?
アップルが魅力ある商品によって利益を上げているかのように見るのは浅い理解で、本質的には排他的プラットフォームの存在がiPodのビジネスを支えている。
スティーブジョブスの独善性と、その独創性ばかりに注目が集まるが、ビジョンとビジネスは全く違うものだ。
ビジョンを支えるビジネスモデルがその前段であるのだ。

アメリカにおけるビジネスとは戦略であるが、日本ではビジネスは自己実現なのである。
その差だ。
つまり、ビジネスが手段なのか、目的なのかの違い。
さらに違う言葉で言えば、「ビジネス=仕組み」なのか「ビジネス=事を成す」なのかの違い。
ビジョンとビジネスは違うものなのだが、日本だと混同しちゃうんだな。
日本人はすぐに手段の目的化に走っちゃう。
(この理由はこれまで当Blogで繰返してきたので省略)

それが悪いというつもりはないんだけども。


いつも日本人は・・っていうけど、ソニーのCEOのハワード・ストリンガーはイギリス人じゃないか!って批判が予想されるが、戦略を立てる中心人物は日本人達なんじゃないの?って思ってます。
まぁ具体事例について国籍を根拠に批判するのは間違いですね・・あくまでも「日本人が・・」は一般論としてですよ。
Sonyとは関係ないですね。すみません。

[再追記]

分かった気がする。
CNET記事の次の部分。

Best Buyは、それらを販売する最初の小売店となる。

なるほど。
流通チャネルをSAMSUNから奪い取る戦略だな。
流通チャネルの覇権争いでSonyは完全にSAMSUNの後塵を排しているが、これを挽回する気だ。
言葉悪くいえば、中途半端に「国際斜形分業型イノベーション」のつもりね。
もちろん、商品の魅力の向上という面もあろうけれど、それも含めたより総合的な戦略のつもりなのではないかという気がしてきた。
私の問題提起が「なぜSonyはTVという枠組みにこだわりプラットフォーム競争から外れるのか?」だったわけだが、SonyがあくまでもTVにこだわるのは、既存のTVマーケット内での覇権争いが念頭にあるからだ。
新しい商品群を作り上げるとか、プラットフォーム競争で覇権を取るという発想ではない。
あくまでも、やられっぱなしのTVマーケットを挽回するために、TV商品像の軸をずらす発想。
SAMSUNに勝つための発想で、アップルがiPadやるのとは次元が違う話だ。
あくまでもTV事業の収益力の改善が目的なのであって、新しいTVを世に問いたいわけではない。
最初からプラットフォーム競争なんて副次的要素でしかなかったわけだ。

なんか肩透かしにあった気分だな。
そしてちょっとがっかり。

プラットフォーム競争の意味

2010-05-20 11:10:27 | ビジネス
最近、どこにいっても「日本はプラットフォームを取れない。」という嘆きを聞く。
しかし、よくよく聞いてみると「プラットフォーム競争」などと言っている人が、「なぜプラットフォームを取ったら勝ちなのか?」について全く説明していないことに気づく。
もちろん、専門家の人々は理解しているのだが、その話を聞いた人達がだ。
わからないままに「プラットフォームをとるのだ!」と皆が声を張り上げるもんだから、みんな混乱する。

「ゲームのルールを自分に都合よく作った者が勝つ」と言うが、その意味はなんだろうか。
この言葉は誤解を生みやすいと思う。
まず、どんなゲームでもよいわけでもないし、どんなルールでもよわけでもない。
ゲームは魅力のある人を惹きつけるものでなければならないし、都合のよいルールが認められるためには、ルールに従わせる必然性がなければならない。

そもそも、なぜゲームのルールを作った物が有利なのだろうか。
おそらく理由は2つある。

1つは、自分の得意分野に有利なように、不得意分野によって差が出ないようにルールを決めれることだ。
多くの人は、ルールメーカーが優位な根拠を、この理由に求めるだろう。
だけれども、多分この考えは陥りやすい罠だ。
日本企業がよく口にする言葉「差異化」がその端的な証拠である。
私はこれを「差異化原理主義」と皮肉をこめて呼ぶのだが、このような発想をする時点でプラットフォーム競争の意味を理解していない。
それに、多分このやり方で優位な立場を維持するのは楽ではない。
ルールもルールメーカーも研究されるから、常にルールを変更する立場を維持しなければならない。
だが、これは難しい。
格闘技の絶対王者もいつか敗れるようにだ。

違うのだ。
プラットフォームを取るとなぜいいのか。
その理由は簡単だ。
「競争に巻き込まれないから」だ。
プラットフォームをとると自分は非競争領域に身を置きながら、他者を競争させることができる。
これが優位点なのだ。
差異化という発想自体が「競争」を前提とした発想だと気づかなければならない。

プラットフォームに乗る者は、同じくプラットフォームに乗る者同士で差異化を目指して激しく競争する。
すると何が起きるか?
プラットフォームに乗っかるアプリや商品などが切磋琢磨して品質が向上する。
競争するからコスト競争が起きて、最終サービスなり最終商品の値が下がる。
商品の魅力が向上し、値も下がるから、結果として、市場拡大が起きる。
プラットフォーム自体は非競争領域だから利益を確保することができるが、プラットフォームに乗っかる起業は利益を上げることが難しい。
単純な話だろう。

有名なインテル・インサイド型、アップル・アウトサイド型のビジネスモデルは上記を忠実に指向している。
最近ではGoogleという企業を考えると、面白い。
GoogleがAndroidというOSを無償で作る意味があるか?
プラットフォーム自体では利益を上げないのだ。
しかし、意味は多いにある。
Androidが普及すれば、Androidの上で作られるアプリはGoogleのサービスを使う。
Googleは広告収益で儲けるビジネスモデルだが、ここで稼ぐ。
だからOSというプラットフォームで儲ける必要がない。
だから多くの企業や人が参加する。
Androidというプラットフォームに乗っかる製品が広がる、するとGoogleの検索プラットフォームに乗っかるものが増えるということを同時に意味する。
Googleはフハフハなわけだ。
だから、日本企業がAndroidに乗っかれば、いいところをGoogleに持っていかれるだけ。
日本企業が考えているのは、Androidに乗っかって、その上で他社製品との差異化を・・となるのだが、差異化できるのは最初の数年だけで、あとは低コストの新興国に駆逐され、シェアを落とす。

さて、日本企業はどのような方法でこのプラットフォーム競争を勝ち残るのだろうか。
他にも言いたいことはあるが、とりあえず今は概要レベルにしておこう。

今度、妹尾堅一郎氏の話を聞きに行くので、その前に考えをまとめただけです・・。

離婚式ビジネス

2010-04-23 18:38:00 | ビジネス
これはすごい!!

「離婚式」で新たな門出 親類らに別れを披露 (神戸新聞)
http://www.kobe-np.co.jp/news/keizai/0002899036.shtml

離婚式ビジネスですか。
葬式ビジネスとはまた違うテイストで、その視点はなかったです。

離婚したことはしばしば人生の汚点になりがちではありますが、その主な原因は、解決しきれなかった問題が残り続けるからなのではないかと思うのです。
つまり、離婚式なるものの登場で、それらの問題が解決されれば、いわゆる「明るい離婚」「前向き離婚」が増加するかもしれませんね。

結婚ビジネスほど市場規模は大きくはならないだろうと思われますが、結婚と同じくらい人の幸せに関わるお仕事のような気がします。

匿名指向から実名指向へと変わるのか

2010-04-23 14:35:57 | ビジネス
IBMが社員個人のブログに実名と所属を明記することを奨励することにしたという。

「実名・勤務先明記」へ(経済学101)
http://rionaoki.net/2010/04/3942

これは非常にいいことだと思う。
日本ではサラリーマンが実名でブログを書くことは難しいのではないかと思う。
ましてや勤務先を明記することなど恐ろしくてできない。
いや、書けるのだけれども、何かあったらまずいというリスクを過大評価する傾向にはあると思う。
別にインサイダー情報を書くわけでもないのに、会社の方針がわからぬので過剰に神経質になる傾向はあるし、勤務先を記さずに個人名でブログをやっていても、何か問題が起きればその人が所属する企業が叩かれるのが日本的風土というものであって、それゆえ、個人も会社も実名をさらすことに躊躇せざるをえない。
アメリカでは個人名を売ることが自己利益となるので実名指向なのだろうけれど、日本の場合、雇用が硬直化しているので、特に大企業に勤務する人ほど実名をさらすインセンティブがない。
会社を辞めても個人で食っていけるような人物ならそれでも実名をさらすだろうけれど、多くの人にとってメリットがないのだ。

しかし、最近流れが変ってきてもいる。
最近ではTwitter営業なるものまで持てはやされているが、単純化してしまえば「社員の見える化」であろう。
会社そのものに人格があるわけではないので、実際に仕事をする担当者の顔や考え方がわかるというのは、ノミニケーションでしか得ることのできなかった情報を手に入れることができるということで、非常にいいことだ。
どこの人がどういうことを考えているかがわかれば、コーディネーションがこれまでよりうまく成立し、そこにビジネスチャンスも多く生まれるであろう。
むしろ、そういう流れは旧来型のビジネスをしている人にとっては嫌なものになるだろう。
なぜなら、ラベルではなく実態勝負になってしまうと、これまで肩書きで仕事をしてきた人々にとっては嬉しくない。

私は古いタイプの人間かもしれないが、私は上場企業の役員くらいになったらブログの一つでも実名でやるべしと考えている。
社会貢献やらリーディングカンパニーやらを主張するのであれば、実際に権限を持っている役員がそれを個人名で堂々と主張したらいい。
主張するビジョンがないのなら、会社として主張するのも馬鹿げている。
そんな会社の言うことなんて誰も信じたりしない。

しかしながら、そうなってくるとより一層息つく間もない世の中になってくるなとも思う。
「見えないところを残してよ」という意見が聞こえてきそうだ。
しかし、そうはいってもその裏では誰かが損している事実もあるわけだ。
労働環境が柔軟化しない限り、どこにいても競争にさらされる恐怖は増幅し続けるのだろう。