粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

翁長知事訪米「大空振り」税金の無駄遣い

2015-06-04 20:31:55 | 沖縄の虚像と実像

想像していたとはいえ、まるで絵に描いたような空振りであった。翁長沖縄県知事が辺野古移設反対を訴えるために訪米して、米国の要人たちと面談した。しかし、相手側皆は「日米両政府で合意した辺野古移設が唯一の解決策」と判を押したような回答だった。つまり、日本政府側の立場を全面支持しているわけで、翁長知事の主張に耳を傾ける米国要人はいなかったということだ。

イゲハワイ州知事、マケイン米上院軍事委員会委員長、ヤング国務省日本部長、アバクロンビー国防総省副次官補補代行、彼ら米国要人は日本政府の政策支持を表明しながらも、翁長知事に最低限のリップサービスを忘れなかった。「基地のある沖縄の立場を理解する」ということだった。しかし、これは単なる外交辞令、早い話が「義理立て」でしかないだろう。こんな一首長のわがままを聞きたくはないが、無下にあしらう訳にもいかない。

そんな中、米戦略国際問題研究所のマイケル・グリーンという人物とも翁長知事は面談しているが、ブッシュ政権時代で政府官僚であった彼は会談後に、翁長知事のことを「知事は反対ばかりしている」と酷評している。本当はこれが米国の本音であると思うが、この発言を後で聞かされた翁長知事が「(日米政府は)つくることしか考えていない認識。お互い様で、それを非難される筋合いではない」と反論した。

その様子をテレビのニュースで見たが、これはどう見ても翁長知事の「逆切れ」にしかみえない。この人物、自分の痛いところを突かれるとすぐ逆切れして感情に訴える。上から目線、銃剣とブルドーザー、政府の堕落、高飛車…。これを日本の多くのメディアがまるで「沖縄の良心」のごとく祭り上げるのはどうしたものだろう。

今回の米国訪問でも「対話継続で一致」(朝日新聞)「(翁長知事の訪米で)一筋の光見えてきた」(NHK)など、翁長知事の好き勝手な自己評価をそのまま垂れ流している。日本のメディアは翁長知事を甘やかしているというか、つるんでいるというかその擁護ぶりは異常というほかない。しかし、翁長訪米は「主張は平行線」であり、「米国は日本政府支持」であり、完全に翁長知事の大空振りで成果ゼロだった。

もしかして、翁長知事は最初からこうした結果は予測していたかもしれない。それを承知の上で訪米を敢行したのは「アリバイ工作」のためだったのではないか。県民の皆さん、与党の共産党、社民党さん、私は辺野古反対でアメリカまでいってこんなに頑張っています。だから、私のこと、これからも支持してください…。

しかし、この訪米に与党議員や名護市長、さらには沖縄選出参議院議員らを引き連れて1週間も大名旅行を敢行する。それに県の大事な税金が使われる。しかし、これが「アリバイ工作」のための活動費だったら…。これでは空出張の元兵庫県議を笑えない。いずれ、県民の怒りが爆発する!?

 

中島啓江「千の風になって」

2015-06-03 21:45:29 | 音楽

この名曲、数多くの歌手が歌っているが、自分の好みで言えば、新垣勉と中島啓江がベストだと思う。共に歌唱力が抜群だが、それ以上に歌詞に心を込めて歌い上げている。

ただ上手に美しく歌う歌手がよいとは言えない。やはり、最後は人の心を揺さぶることができるかにかかっている。その点、この二人の歌手は文句なく聴く者の魂に強く訴える力をもっている。

このうち、中島の方は昨年11月に57歳の若さで突然この世を去った。彼女のプロフィールを見たら、なんと生前は最大180キロの肥満体であった。これが心臓に過度の負担となり死期を早めたのかもしれない。以前から彼女のオペラ歌手として音楽性にはその巨体から醸し出される天真爛漫な人間性とともに注目していただけにその急逝は残念でならない。

動画で2010年3月銀座博品館のコンサートで「千の風になって」を歌っているのを見つけた。5年前であるが往年の力感溢れる歌唱は衰えて弱々しさが見られるのは残念だ。この曲は、やはり発売されているCDや音楽配信でベストの状態で聴くのはいいが、動画でもその情感を込めて切々と歌う彼女の音楽性は失われていない。もしかしてこれは彼女が死を意識して友人やファンのために捧げた「白鳥の歌」かもしれない。

彼女の一生は必ずしも幸せであったといえない。幼い頃は父親の暴力に苦しめられ母親とともに逃げ惑ったという。彼女が成人になってオペラ歌手としての栄光をつかもうとするときにもこの父親は彼女につきまとい、無心を強要する有様だ。彼女の肥満症は実生活でのストレスの反映かもしれない。

中島啓江の存在を自分が初めて知ったのは、テレビ深夜の「いかすバンド天国」(1989年~90年)というアマチュアバンドのオーでション番組に審査員として出演したときだった。彼女はどんなバンドの演奏にも批判めいたコメントはせず、優しい言葉で激励していたのを今でも思い出す。当時見た目は「ふっくらとしたお姉さん」というイメージしかなかったが、私生活にめげず明るさを忘れないことを若い音楽家たちにメッセージとして訴えていたことだろう。

あの巨体には悲しみと溢れんばかりの涙が詰まっている。しかし、よき友だちとかけがえのないファンに囲まれ、彼らのために歌い続ける喜びもいっぱいだったろう。だから、彼女が歌っている姿がまるで天女のように美しくみえる。そして、今や、まさに天女になって下界を優しく見守ってくれているように思えてくる。

♪千の風に 千の風になって

あの大きな空を 吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ

冬はダイヤのように きらめく雪になる

朝は鳥になって あなたを目覚めさせる

夜は星になって あなたを見守る



原発自主避難者の「悲劇」

2015-06-01 17:03:21 | 過剰不安の先

原発事故で福島県内の避難指示区域外から県外に自主避難している住民は1万3700人ほどだという。彼らは避難指示区域の住民が東電から支給される諸々の補償を受けることはできない。ただ、彼らが「避難する」県外の住宅手当は行政から支給される。しかし、その手当も平成28年度末(2017年3月)で打ち切られるという。

これに抗議して、東京と京都への自主避難民たちが先月29日、国会で記者会見を行った。

 

自主避難者にとっては死活にかかわる決定だ。住宅支援が打ち切られれば、福島に帰らざるを得ないからだ。さりとて子供の健康を考えると放射線管理区域に相当する場所に帰るわけにはいかない。

…いわき市から都内に避難している女性は「子供(8歳)が『おかあさん、いつここを追い出されるの?』と夜起きて聞くんです。どうしてそんな酷い事をするんですか?助けてください。延長してください」と声を震わせながら語った。(田中龍作ジャーナル記事より)

 

正直言って、自主避難者に事故から4年以上経っても住宅手当が支給されていることに驚きを覚える。記事に登場する一人の女性はいわき市の住民であるが、いわき市と言えば、避難指示区域から住民が多数避難している「受け皿」の都市として広く知られている。いわば一般には線量が低く、特別、「被曝の影響を気にしなくてもいい」場所のはずである。そんな「安全」ともいえる地域から県外に避難して「住宅手当支給を延長して欲しい」と訴えてもどこか違和感を覚える。

ただ、事故当時は反原発のメディアを中心に、自主避難者の苦悩がしばしば取り上げられ、原発事故の悲劇として盛んに喧伝された。しかし、あれほど煽ったマスコミがこうした人々を現在全くといってよいほど話題にしていない。必要以上に避けていると思われるほどの冷遇ぶりだ。反原発のプロパガンダには利用する価値がないといわんばかりの扱いだ。自主避難者たちが「行政に見捨てられた」と非難しているが、その怨念はこうしたメディアにも向けられてしかるべきだろう。

だが、思うに彼らは見捨てられた側面もあるが、一方では見捨てた相手もいることを忘れてはならない。故郷の人々、親戚、そして両親、さらには夫も…。

記事で別の女性は「県への怒りをぶちまけた。

「福島県は全員避難しなければ。命令されても帰らない。本当に子供を守ろうと思ったら福島県には住めませんよ。福島県はどうして皆で立ち上がらないんですか」。彼女は声を荒げた。(同記事)

「故郷を見捨てた」人間によるこんな「福島非難」は、福島に留まっている人々には果たしてどう映るのだろうか。被曝の不安を心のどこかで感じながらも、地元福島に留まって生活しているのに、こんな「福島には住めない」という発言は暴言以外の何ものでもないだろう。冷たい言い方だが、こういう自主避難者たちはもはや普通の「移住者」とみなすべきではないか。だから、国や福島県が住宅手当を支給するのではなく、移住先の自治体が面倒みるのが妥当な感じがする。自主避難者の多くは、帰還の意思はなく福島を捨てた人々であるからだ。

追記:自主避難者に少し同情すべき点があるとしたら、彼らの中には、避難指示の線引きでわずかに区域外になってしまい、諸々の補償を受けられない人々もいることだ。

区域内にいたことで驚くほどの高額の補償を手にした人々の中には福島県内の避難先であまりの豪奢ぶりに地元民の顰蹙や反感を買って問題になっている。この問題は自主避難者問題とは切り離して考えるべきだろうが、事故による金銭を巡っての後遺症は複雑で深いといえる。