「原子力明るい未来のエネルギー」、福島県双葉町に残った看板の撤去を決めた地元町議会に対して、この標語を考えた町民がこれに反対し、「永久保存」を求める6502人の署名を提出した。この町民は39歳の男性で現在茨城県の古河市に避難しているようだが、「歴史的価値がある看板を原発遺構として残し、町の未来を考えるきっかけに」と署名を呼びかけたという。(東京新聞本日記事)
どうも男性の心境がよくわからない。普通なら、この標語をつくったことで、事故を起こした東電や推進した政府の片棒を担いでしまったという忸怩たる思いがあるはずだ。一刻も早く撤去して欲しいと望むはずなのに、「歴史的価値」があるなどと固執するのは全く腑に落ちない。
おそらく、ご本人は井戸川双葉前町長のような反原発色の強い人物でないかと想像される。「鼻血」が出て「福島は住めない」とでもいいたいほどに、原発はとんでもない凶器だと思っているのかもしれない。しかし、事故以前は前町長同様、原発を推進し東電城下町に住んでその恩恵を受けていたはずだ。そして避難には同情するが、その補償は十分受けていることは、容易に想像される。だから東電などへの思いはもっと複雑であるはずだ。
双葉町議会が看板の撤去を決定したことは理解できる。いつまでも事故の忌まわしい記憶から脱却して、新しい双葉をスタートさせようとすしているのに、こうした看板は厄介な刺でしかない。
確かに双葉町は原発の廃炉作業や中間貯蔵施設の操業で今後とも原発の地元として何十年も継続していかなければならない。しかし、双葉町同様に原発立地自治体の大熊町では、これらを町の基幹産業として再生を目指す雄々しさをみせている。
双葉町もそんな逞しさが求められるのではないか。それを、看板を歴史的価値」などと考えるのはいかにも過去を引きずっているようで感心しない。こんな看板、反原発デモのプラカードとは違った意味で、自分には空々しく感じる。