粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

集団的自衛行使の主戦場は南シナ海

2015-06-10 20:42:43 | 国内政治

安保法制を巡る国会審議、確かに政府と野党の間でやり取りされる論議を聞いていてもよくわからない。だから、国民の多くは、法案に賛成か反対かという以前に「よくわからない」というのが正確なところではないかと思う。

そもそも、集団的自衛権行使を限定的に可能にするという政府の方針が、いわゆるポジティブリストを対象にしているので、これを具体的に国民にわかりやすく説明することは困難だと思う。それを明らかにすれば、日本を敵対視する国を利することになってしまう。安倍首相以下、具体例の説明に腰を引いているのはそのためであろう。

たとえば、中東ホルムズ海峡での機雷除去などがその行使の例として挙げられるが、実際今後可能性としてありうるのかといえばそれは低いのではないか。確かに、イランの核開発は問題だが、これはイスラエルとの緊張は十分想定される。しかし、アメリカや他の中東諸国とイランの全面戦争に発展するとは考えにくい。むしろ、日本は機雷除去ではすぐ対応できるという立場は表明することが、紛争への抑止力のひとなるという意味はあるだろう。

集団的自衛権行使で実際安倍首相が念頭に置いているのは、南シナ海だと思う。もちろん、東シナ海を巡る緊張は日本にとって深刻であるが、これは従来の日米安保条約での対応で十分可能である。しかし、南シナ海は日米安保では適用外であった。現在、中国は南シナ海を自国の領海だと言い張り、現に西部の岩礁を埋立て滑走路を建設している。その上、これが「軍事目的」と開き直る傍若無人ぶりである、

今後、南シナ海で事実上場中国の海になってしまったら、日本にとってはそれこそ行使の3要件に該当する。すなわち、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」事態だ。来日したフィリピン大統領が日本の法制整備を希求しているのは、そんな事態が差し迫っていることを示している。

だから、憲法改正などと悠長に構えている余裕はないはずだ。どうも、最近やたら憲法学者が登場して集団的自衛権行使の違法性を主張している。しかし、彼らは日本の国防というものを深刻に考えているのか大いに疑問を感じる。憲法栄えて国が滅ぶ誰かが言っていたが自分もそう思う。

戦後、つい最近まで憲法改正はタブーであった。改正が政治課題になり始めたのはつい最近である。国民が憲法改正に覚醒するのを待っていたら時間がいくらあっても足りない。そこは応急手段として、残念ながら、憲法解釈で対処するしかない。それほどに日本を取り巻く国防環境は緊張を増してきており、早急の対応を求められていると思う。

もちろん、日本が南シナ海で中国と近い将来軍事衝突するということではない。これも行使できることを中国に示すことで抑止力になりうる。ただ、日本の海上自衛隊が南シナ海に出動して中国に揺さぶりをかける事態は考えられる。しかし、それはあくまでも「戦争できる国」であって、「戦争する国」を意味していない。