原発事故で福島県内の避難指示区域外から県外に自主避難している住民は1万3700人ほどだという。彼らは避難指示区域の住民が東電から支給される諸々の補償を受けることはできない。ただ、彼らが「避難する」県外の住宅手当は行政から支給される。しかし、その手当も平成28年度末(2017年3月)で打ち切られるという。
これに抗議して、東京と京都への自主避難民たちが先月29日、国会で記者会見を行った。
自主避難者にとっては死活にかかわる決定だ。住宅支援が打ち切られれば、福島に帰らざるを得ないからだ。さりとて子供の健康を考えると放射線管理区域に相当する場所に帰るわけにはいかない。
…いわき市から都内に避難している女性は「子供(8歳)が『おかあさん、いつここを追い出されるの?』と夜起きて聞くんです。どうしてそんな酷い事をするんですか?助けてください。延長してください」と声を震わせながら語った。(田中龍作ジャーナル記事より)
正直言って、自主避難者に事故から4年以上経っても住宅手当が支給されていることに驚きを覚える。記事に登場する一人の女性はいわき市の住民であるが、いわき市と言えば、避難指示区域から住民が多数避難している「受け皿」の都市として広く知られている。いわば一般には線量が低く、特別、「被曝の影響を気にしなくてもいい」場所のはずである。そんな「安全」ともいえる地域から県外に避難して「住宅手当支給を延長して欲しい」と訴えてもどこか違和感を覚える。
ただ、事故当時は反原発のメディアを中心に、自主避難者の苦悩がしばしば取り上げられ、原発事故の悲劇として盛んに喧伝された。しかし、あれほど煽ったマスコミがこうした人々を現在全くといってよいほど話題にしていない。必要以上に避けていると思われるほどの冷遇ぶりだ。反原発のプロパガンダには利用する価値がないといわんばかりの扱いだ。自主避難者たちが「行政に見捨てられた」と非難しているが、その怨念はこうしたメディアにも向けられてしかるべきだろう。
だが、思うに彼らは見捨てられた側面もあるが、一方では見捨てた相手もいることを忘れてはならない。故郷の人々、親戚、そして両親、さらには夫も…。
記事で別の女性は「県への怒りをぶちまけた。
「福島県は全員避難しなければ。命令されても帰らない。本当に子供を守ろうと思ったら福島県には住めませんよ。福島県はどうして皆で立ち上がらないんですか」。彼女は声を荒げた。(同記事)
「故郷を見捨てた」人間によるこんな「福島非難」は、福島に留まっている人々には果たしてどう映るのだろうか。被曝の不安を心のどこかで感じながらも、地元福島に留まって生活しているのに、こんな「福島には住めない」という発言は暴言以外の何ものでもないだろう。冷たい言い方だが、こういう自主避難者たちはもはや普通の「移住者」とみなすべきではないか。だから、国や福島県が住宅手当を支給するのではなく、移住先の自治体が面倒みるのが妥当な感じがする。自主避難者の多くは、帰還の意思はなく福島を捨てた人々であるからだ。
追記:自主避難者に少し同情すべき点があるとしたら、彼らの中には、避難指示の線引きでわずかに区域外になってしまい、諸々の補償を受けられない人々もいることだ。
区域内にいたことで驚くほどの高額の補償を手にした人々の中には福島県内の避難先であまりの豪奢ぶりに地元民の顰蹙や反感を買って問題になっている。この問題は自主避難者問題とは切り離して考えるべきだろうが、事故による金銭を巡っての後遺症は複雑で深いといえる。