粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

県紙がつぶれないと沖縄はよくならない

2015-06-28 19:55:43 | 沖縄の虚像と実像

これは真実だと思う。自分自身、沖縄の新聞を最近、よくネットで調べているが、知れば知るほど沖縄県2紙は左翼のイデオロギーに固執していて、まるで新左翼並みのアジビラのようだ。辺野古移設を「新基地」と煽ってこれに反対するプロ市民を英雄扱いにする。

米軍基地前の公道に堂々とテントを張り、基地のフェンスを汚し、出入りする米兵の車に襲いかかりヘイトクライムを繰り返す連中、辺野古の埋立て工事を沮止するために湾内の進入禁止内にカヌーで乗り越え海保に抵抗する活動家、こうした違法者たちを県紙は何の批判をすることなく、むしろこれを取り締まる警察や海保を悪者扱いする。沖縄の無法を背後から支援しているのが沖縄の新聞だ。

当然、現在の翁長知事に対しては全面的な支持を露にし、知事の恥部には一切触れようとしない。龍柱建設での不明瞭な使途、知事選で協力した地元の企業に対するこれまた露骨な論功行賞と利益誘導、中国との不正な関係、挙げればキリがないが、県紙はひたすらこれらに目をつぶり知事の応援団としてありもしない「功績」を掻き立てる有様だ。

したがって、作家百田尚樹氏の「沖縄の新聞はつぶさないといけない」という発言は当然だと思う。百田氏の自民党の勉強会での発言を多くのメディアが非難し、沖縄選出の国会議員に至っては「謝罪」を要求しているが不可解という他ない。百田氏はNHKの経営委員を既に辞職しており、著名作家とはいえ既に一私人に過ぎない。

自民党の内輪の会合に呼ばれ単なる本音を吐露したに過ぎない。しかも記者団を退けて内々の話になっていたはずだ。しかし、一部記者がその後の会合を盗聴して百田氏のジョークに過ぎない「沖縄県紙をつぶせ」というつぶやきを大袈裟に取り上げて問題にした。その記者の卑しい根性こそ問題にすべきなのに。

一作家の本音に過ぎない発言をまるで「言論弾圧」のように騒ぐことは、逆に個人の表現の自由を侵害することになるのではないか。これでは北朝鮮の恐怖政治を笑えない。北では酒の内輪の席で現状不満のつぶやきさえも密告されて当局者に連行されてしまうという。本音を吐くことが圧殺される社会は日頃左翼の言論人がしばしば口にする「ものが言いづらい時代」そのものではないか。