粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

オスプレイ事故、日本だけが騒いでいる

2015-05-19 21:50:44 | 沖縄の虚像と実像

今月17日にハワイで起きたオスプレイ着陸での事故、1人が死亡し21人が負傷する惨事であった。誠に痛ましい事故であるが、それにつけても日本の一部メディアの騒ぎようは閉口する。今回事故を起こした米国海兵隊仕様のMV-22オスプレイは既に世界各地で200機以上配備されているが、今回の事故でも、海兵隊基地周辺で飛行訓練や配備そのものに反対する動きは日本を除いて起きていない。

それは、MV-22の事故率は2012年時点で10万時間の飛行時間で深刻な事故は2.12で全ての海兵隊機の平均2.5より低い事実による。2015年の現在、配備数は増えているが逆に安全性は高まっているようだ。したがって、今回の事故を考慮してもその安全性には少しも揺らいでいない。もちろん、今回の事故も事故原因をしっかり究明して一層の安全性向上に努めてほしいと思う。

「週刊オブダイジェストというネットメディアで、その辺りの真相を伝えている。

…この為、オスプレイの安全性に付いてアメリカでは全く騒がれていません。例えば配備数が1500機近いアメリカ陸軍の汎用ヘリコプター、UH-60ブラックホークに至ってはこの機種だけで年間総飛行時間が数十万時間になるので、毎年のように事故で数機失われています。それでも問題にならないのは事故率で見ると別に悪くはないからです。オスプレイは現在200機以上が実戦配備されていますが、将来的には400機以上になる予定です。当然、事故件数は増えていくでしょう。しかし安全性に付いて論じるならば事故発生率で見なければならないのです。他の米軍機との具体的な事故率比較は別表に詳しく出ている。)

オスプレイ事故でその「本場」である米国では危険性を叫ぶ声が全く聞こえない。しかし、日本だけがなぜか騒がしい。朝日新聞の本日朝刊では1面でこの事故を記事にしているばかりでなく、2面の大半を使って特集記事を組んでいる。さらに、社説で駄目押しする有様である。まるでこうしたオスプレイ事故を内心喜んでいるのかと疑うほどのはしゃぎぶりだ。

それも、今基地問題で沖縄が揺れ、また本土でも新たに横田基地でのオスプレイ配備で反対の声が上がっている矢先でそのタイミングのよさに?に余計気合いがはいっている。さらにこれから安保法制を巡る国会審議にも安倍政権を揺さぶる材料にすることにも朝日は余念がない。

そして、こうしたメディアの加勢でリベラル左翼運動家であるプロ市民が一段と安倍政権に攻勢をかける。主戦場は今や沖縄であり、彼らの過激な反基地運動が沖縄県民を盛んに煽動する。その渦中で踊らされているのが翁長沖縄知事である。基地反対の県民集会でアジ演説をぶち上げ、この事故では県内のオスプレイの訓練停止を要請する。

しかし、こんな日本の反オスプレイ騒動は世界では異常な姿に映っているに違いない。今月27日に翁長知事は辺野古移設反対を訴える米国行脚を予定している。その際オスプレイ配備反対を主張するのだろうか。もし敢えて訴えるとしたらおそらく嘲笑の対象になることだろう。

 

慰安婦問題で勉強不足が目立つ欧米研究家たち

2015-05-16 18:12:50 | プロ市民煽動家

欧米の日本研究者187人が出した慰安婦問題に関する声明を読んで、彼らにとりこの問題の知識はこの程度なのかと正直言ってがっかりした。

たしかに、この問題は、日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました。」とある通り、中韓が日本叩きするために事実をゆがめて政治利用している実態を批判しているのは評価できる。しかし、「大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです。」としているが「その資料と証言」は本当に「恐ろしい暴力」を「明らか」に証拠立てているのだろうか。

自分の知る限りでは公的資料で具体的に示しているのは皆無といえる。むしろ、米軍の公文書や当時の慰安所従業員の日記などでは、慰安婦が比較的自由で高額の報酬を得ているといった内容のものばかりである。

確かに元慰安婦たちは「暴力体験」を声高に訴えている。しかし、それが北朝鮮女性の発言であったり、韓国人女性で背後にいかにも市民団体の指示で語っているしか思えないほど信憑性に欠けるものばかりだ。彼女たちの証言が真実なら、なぜ「加害国」で堂々と主張しないのか。彼女たちは日本の支援団体の集会に参加することはあっても、国会やプレスセンターなどの公の場で発言したのを聞いたことがない。発言で「ボロ」が出るのを恐れているとしかいいようがない。

欧米研究者たちは、基本的に韓国や日本の反日市民団体の慰安婦宣伝を無批判に受け入れるだけで自分たちで実態を追求しようとはしない。韓国などの過激な日本叩きそのものは批判するが、「日本研究者」としてははなはだおぼつかない。

あるいは慰安婦の数についても、論理の展開がとても乱暴だ。

「最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません。」

 

欧米研究者たちは「何万人」か「何十万人」かどうかは重要ではなく五十歩百歩といいたいのだろう。日本研究者を標榜するのなら、そんな曖昧な認識は致命的である。この声明以前に日本側の慰安婦研究家たちが慰安婦数に関して極めてリアルな証拠を出していた。つまり当時中国に駐留していた日本軍はおよそ100万人、駐留地近くに慰安所があるとして慰安婦が20万人が毎日各々が5人を相手にすると1日100万人になる。

1日で全ての日本軍人が慰安所でお世話になることになる。そんなことは現実的ありえない、というのが日本人研究家の主張であり、慰安婦はせいぜい2~3万人程度でありそれも日本女性が多く、朝鮮女性は1万人以下ということも合わせて唱えている。だから「何十万人」などと欧米研究家が可能性を示唆すること自体、過去の伝聞に影響を受けている。アメリカのグレンデール市の慰安婦像碑文ではアジア人女性が日本軍によって強制連行されたと書かれているが、その内容と大差ない。

そして、特に自分自身が違和感を覚えた箇所がある。

二〇世紀に繰り広げられた数々の戦時における性的暴力と軍隊にまつわる売春のなかでも、「慰安婦」制度はその規模の大きさと、軍隊による組織的な管理が行われたという点において、そして日本の植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた若い女性を搾取したという点において、特筆すべきものであります。

慰安所の「規模の大きさ」は前述の通り論理が曖昧であるが、「軍隊の組織的管理」を「搾取」としてあくまでも絶対悪としているのも問題がある。確かに軍の要請で設けられ軍の管理もあったが、これを全て否定的に捉えるのは間違いだ。女性の健康管理を施し性病防止にも努めたのは事実だ。また民間業者が彼女らを虐待するのを監視し不本意な妊娠も防ぐという肯定的な側面もある。あの左派系論者の宮台真司などは慰安所は管理をもっと徹底すべきだったといっているくらいだ。

だから軍隊が「若い女性を搾取した」という主張には疑問符が付く。もちろん、彼女たちの生活は少なからず苦痛が伴っていたことは否定できない。しかし、単純に軍隊による性暴力と決めつけるのは実態を十分認識しているとは思えない。これも従来の反日勢力による慰安婦観を踏襲しているといえる。

これでは欧米研究家の「日本の日本史研究」の底がしれる。「日本の歴史家を支持する」といわれても当の我が国の歴史家は面食らうというか片腹痛いという気持ちになるのではないか。

確かに安倍政権を慰安婦問題などで歴史修正主義だと非難するこれまでの欧米知識人やマスメディアと比べたら、少しは日本を擁護する傾向は見られる。しかしどうもまだ中途半端で逆に引贔屓の引き倒しになってしまう恐れがある。ともかく、彼ら187人がもっと信頼できる公文書を頼りに、慰安婦問題の実態を正確に勉強することが先決である。


「官邸前デモ」風評被害の種は尽きない

2015-05-14 22:25:15 | プロ市民煽動家

この人たち、いろいろな「官邸前デモ」を繰り返す。その発端はどうもあの「反原発」のようだが、安倍内閣が誕生して以来その頻度が増えている。特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認、基地問題、最近では中東での日本人人質事件が記憶に新しい。イスラム国のテロを全く批判せず安倍首相の中東政策を批判する不可解な主張は一般国民の理解の域を超えている。

これらのデモには、なんとかの一つ覚えのようにともかく「反対」で彩られる。まるでプラカードはそれぞれの課題に応じて「差し替え」しているかのようだ。そして、その顔ぶれをみると、以前のテーマで集まったかのような「リベラル左翼」の人々だ。それも一介の市民を装った「プロ市民」である。

その証拠に本日の「戦争法案、絶対反対」「閣議決定、勝手に決めるな」のデモを主催したのが作家の鎌田慧なる人物だ。この人、こうした左派系のデモには必ず登場して一席をぶつ「札付き」の人物である。これに大江健三郎、澤地久枝、瀬戸内寂聴、湯川れい子、落合恵子といった常連が加わる。そして彼らの煽動に「プロ市民」たちが群がってあの独特の「官邸前デモ」が形成される。

彼らの主張の特徴は一般国民の「情」に訴えることだ。「放射能汚染から子供たちの未来を守れ」「若者を戦場に送るな」「将来を自由のない暗黒社会にするな」などと「母性」を強く意識したものが圧倒的に多い。今回の安保法制に関しても「戦争法案」と決めつけて子供を持つ母親たちへの恐怖感を煽る。

それは、別な言い方をすればいわゆる「風評被害」といえるのではないか。風評被害は原発事故の際盛んにこうしたリベラル左翼から仕掛けられた。今にも子供たちが被曝して健康被害が拡大するような煽りぶりだ。そして「福島には住めない」といった究極の風評被害が生まれる。

しかし、原発事故による被曝で一体何か健康被害があっただろうか。将来起こりうる予兆でもあるのだろうか。「否」である。また原発事故で大地が汚されたというが、魚や動物が大量死したり奇形が生まれたりしただろうか。植物が枯れて荒涼たる大地が出現しただろうか。

次に最近の話題ではいえばオスプレイだ。東京の横田基地に米国空軍がオスプレイを配備するということで周辺の自治体がこの決定に抗議した。しかし、これも「オスプレイ危険」を喧伝するプロ市民たちの抗議電話に自治体が過剰反応したものと考えている。

2年前に沖縄普天間基地にオスプレイが配備されたとき沖縄でも危険だとして配備反対運動が起きた。その先頭をきってデモを主導したのが当時の翁長雄志那覇市長である。しかし、その翁長氏は知事になって辺野古移設に反対はしても、オスプレイの「危険性」については完全に沈黙している。もはや沖縄でオスプレイの危険をとやかく言う声は聞こえない。結果的に「風評被害」そのもだった。

今回の安倍内閣の安保法制もその類いのものだと思う。世界の軍隊が当然持ち合わせている集団的自衛権のほんの一部(ポジティブリスト)を日本が新たに法制化するのに過ぎない。極めて限定されたものだ。それで戦争になるというのなら、世界中で戦争だらけである。自衛隊の活動範囲が広がっただけで戦争になるというのはある種「風評被害」と考えてよい。

世に「風評被害」の種は尽きない。しかし、現在の特徴はその多くがいわゆる「リベラル左翼」によって撒き散らかされていることだ。もういい加減、一般国民はその風評被害のうさん臭さを認識して冷静な対応すべきだと思う。


かぐや姫「赤ちょうちん」

2015-05-12 23:14:19 | 音楽

かぐや姫といえば「神田川」という大ヒット曲であまりにも有名だ。「赤ちょうちん」(1974年)はその次につくられた曲で内容も「神田川」の続編のようだ。いわゆる「四畳半フォーク」といわれる貧しい恋人たちの純愛を歌ったものだが、今の若者が聴けば「ダサイ」歌の典型にも思えるだろう。

曲が作られた当時も自分自身、学生時代だったが、多少はそんな印象を持っていた。しかし、その後就職した会社で入社間もない頃、同僚数人で近くの居酒屋で飲みに行ったときのことだ。2歳年上の先輩女性が歌の話に及んだときに「赤ちょうちん」を挙げて「この歌、好きよ」と意外なことを口走った。特に歌の最後の「生きてることはただそれだけで悲しいことだと知りました」という歌詞がすごくいいというのだ。

彼女はとてもきれいな瞳をしていて、実は自分自身入社早々密かに憧れていた。ただ彼女を週末に飲みに誘うとしたが、いつも断られた。彼女は山登りが好きで専門雑誌で知り合った同好会で週末はしばしば山登りにいっていた。程なくして同好会仲間の男性と結婚してしまい自分自身ショックを受けたことを覚えている。

そんな彼女に、「今外国なら何処へ行きたいか」と聞いたことがあった。そしたら、意外な答えが返ってきた。「サハリンがいいな」と。自分自身、想定外の場所に絶句してしまった。あるいは普段の家にいる時のことをたずねると「一晩中泣き通すことがよくある」などと自分をドキッとさせることも語っていた。

赤ちょうちんの歌詞、山登り、サハリン、そして夜通しの涙…。自分とはまるで違う彼女の生活空間に戸惑いながらも自然に引き込まれる。そしてじっと人を見つめる彼女の眼差しはどこまでも清いが、自分には一瞬寂しさが垣間みえるようだった。それは彼女がふとつぶやいた「生きてることの悲しさ」なのだろうか。

昔、ある大学教授が日本人は独特の死生観をもっていると指摘していた。それは「人間は悲しい存在」ということだ。日本人は人間を正義の名の下他人の悪を裁くような極端には走らない。人間は神にも悪魔にもならず、欠点と弱さをもった存在であることを、日本人が本音では自覚している。彼女の思い出とともに赤ちょうちんの歌にもそんな死生観がうかがわれるのだ。

追記:この「赤ちょうちん」を志村けんがパロったコントを動画で見つけた。往年のTV番組「だいじょうぶだ」の1シーンだが思い切り笑った。「キャベツばかりをかじってた」のフレーズだけがしつこく繰り返され、遂には部屋中がキャベツだらけ。最後は「仕事行くよ、俺」こんなわかりやすく面白いコントは志村けんしかできないだろう。こうしたパロディには南こうせつや作詞家の喜多条忠も苦笑どころか喝采しているにちがいない。


翁長知事「絶対反対していきたい」

2015-05-09 17:23:39 | 沖縄の虚像と実像

言葉尻を捉えていうのも何だが、本日の翁長雄志沖縄県知事の発言で気になる部分があった。中谷防衛大臣との会談で知事が辺野古に基地を建設するのは不可能であり、沖縄県として絶対に反対していきたい。地元の理解を得ることがないまま、計画が頓挫しても、すべて政府の責任だ。かたくなな固定観念から脱して、計画の中止を決断し、話し合いを継続してもらいたい」と語った点だ。

なぜ「絶対反対します」とはいわないのか。これでは「願望」であって、現実に無理であれば「仕方がない」とも聞こえる。さらに「話し合いを継続してもらいたい」と最後に念を押しているのもどこか弱々しい感じがする。最初から移設を阻止できなかった時の「予防線」に感じるのは自分の思い過ごしだろうか。

今月17日には、基地移設反対の県民集会には参加するという。すでに3万人が参加するという情報がある。知事はこれまでこうした県民集会にはなぜか欠席していた。しかし、これほどの規模とあれば知事自身なかなか参加を見送るわけにはいかないのだろう。それでなくとも最近知事の煮え切れない態度に一部支持者から疑問の声が出始めていたようだ。

おそらく、集会で翁長知事は支持者の前では威勢の良い発言をすることだろう。ただ、知事の立場上もしかしたら、どこか歯切れの悪い曖昧な表現があるかもしれず、自分はその点注目している。

それと、翁長知事は当初6月に訪米して政府や議会の要人と会って「移設反対」を訴えたいとしていたが訪問が延期されたようだ。日頃の発言とは裏腹に移設阻止活動は停滞している印象が強い。「辺野古」問題で知事に当選した「シングルイシュー」知事であるから、これで所期の目的を果たせないとなれば、知事の存在儀が問われることになる。