粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

いまだ日本国内外を跋扈する反原発の怪しい人々

2014-03-24 16:16:12 | プロ市民煽動家

どうもこのインド人の発言には首を傾げる。昨年、国連の人権理事会で福島の事故の「厳しさ」を報告したアナンド・グローバー氏が今月に入って東京や福島で講演した。

朝日新聞の記事では、低線量被曝(ひ・ばく)について流布されている「(生涯で)100ミリシーベルト以下なら安全だ」との説を「科学的根拠がない」と批判し、さらに、「正確には『分からない』と言うべきだ。危険でないと証明できない以上、慎重すぎるぐらいの対策を取るのが人権の立場だ」と強調した。

「科学的根拠がない」とグローバー氏はいうが、これは広島長崎で被爆した人々を対象に日本の研究者が長年の調査で出した一つの結論であることを氏は承知しているのだろうか。もちろん、統計上の結果であって100%科学的な証明にはなり得ないが、少なくとも有力な根拠である。

そして、グローバー氏は危険を証明できないから、慎重に対処せよと声高に叫ぶ。これを「人権の立場」だともいう。一見頷いてしまいそうだが、、よく見ればとも科学的な分析をする努力を軽視して、放射能はともかく恐い、福島での被曝も危険だと煽っているとしか思えない。

それを人権という美名で隠して情緒的に訴える。それも国連の報告者という権威を借りる。この国連人権理事会というのが曲者だ。以前も旧日本軍の慰安婦問題がその強制性が捏造され性奴隷という虚偽が堂々と報告された。これが結果的に米国連邦議会での非難決議へと拡大する。

科学的根拠といえば、同じ国連で科学委員会、世界保健機関、そして国際原子力機関も原発事故における福島県内の健康被害は極めて軽微であり将来的にもその影響は少ないということが異口同音に報告されている。こうした国連機関の報告を人権理事会とりわけグローバー氏は軽視しているといえる。

もちろん、被曝の不安に悩んでいる人々は現在、福島やその周辺で確かにいる。そうした人々への心のケアは必要だが、ただ危険を煽るだけではマイナスの効果にしかならないことは、肝に銘ずるべきであろう。

ところで、グローバー氏同様、低線量被曝を極度に強調して「慎重過ぎる対策」を訴える日本人は少なくない。Kさんのブログ「やわこく まあるい おばちゃん」で宗教学者である島薗進上智大学教授のことが紹介されていた。「通販生活」という季刊雑誌にこの教授と作家落合恵子氏の対談が掲載されている。

通販のサンデーモーニング?と思しきこの通販誌はなぜか反原発の記事を絶えず掲載しており、Kさん自身非常に違和感を覚えているようだ。自分自身も日頃からそれを感じていてある種、社会の公器を私物化しているのではないかと疑っている。

そして実際この対談記事を読んで、まさに原発事故に対する認識がこのグローバー氏とほとんど変わらないではないかと思う。対談の中で「低線量の健康影響については『よくわからない』というのが正しい認識」と発言している。「健康被害が科学的にわからないから、用心しなさい」という話で街中の一般のおじさんの言葉にすぎない。そこには科学も宗教もない。

居酒屋の仲間同士の語らいで発せられる分には別に問題がない。しかし、「80年代からの約30年間で低線量放射線の『安心論』が完成されました」なんて雑誌に公言された日にはやりきれない。これまた限りなく怪しい。

以上二人の怪しい人物を挙げたが、これを助長するのがメディアである。グローバー氏を朝日新聞が早速取りあげ、島薗氏を通販生活が持ち上げる。これらメディアもどうも掲載には特別な意図や目的を感じないわけにはいかないず、やはり怪しい。怪しい×怪しい=超ヤバいというところか。

追記:この朝日新聞の記事を早速投稿サイトで反原発で名高い「阿修羅」が取りあげている。なぜか9番目のコメントに自分の過去のブログ記事が引用されている。こうしたことはこれまで何回かあった。

引用された記事は今回の話題とは直接には関係がないが、参考資料になるのだろうか。ただ投稿者の立ち位置は自分とは逆なのだが、「いいとこ取り」のつもりで取りあげるてくれるのも複雑な思いがする。

お詫び:当初アナンド・グローバー氏のことを「アナンド・クローバー」と表記してしまいました。訂正してお詫びします。また一部新しいリンクも加えてあります。



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