粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

SEALDS「だって戦争に行きたくないじゃん」は日本国家への甘え

2015-08-07 18:49:46 | プロ市民煽動家

安保法案に反対する若者のデモ活動(SEALDS)での発言に対して、自民党の武藤議員が「極めて自己中心的」と批判して物議を醸している。確かにそうした側面はあるが、一番感じるのはこんな若者たちの日本という国に対する「甘え」だ。

そもそもこんな「行きたくないじゃん」という物言いが今風の言い方をすれば「とってもきもい」。学生の合コンで遊びの話のついでに男たちが女子大生に少し見栄はって語るようなものだ。自分の「社会性」をピーアールするつもりが、どこか安っぽくてある種「ファッション」程度にしかみえない。

そんなノリの若者たちがどれくらい日本の国防を真剣に考えているのだろうか。現在の日本では「戦争に行きたくない」と思えば、わざわざ外国への戦争に行く義務はない。そんな「意思表示」も必要ない。だから、彼らはもともと行くこともない戦争を単なる観念でしか見ていない。いわば「フィクッション」の世界である。

その一方で彼らは外国が侵略してくる戦争には全く意識がない。始めから日本ではそんなそんな戦争はありえないと決めつけている。しかし、彼らがそうなるのはある面仕方がないのかもしれない。戦後日本は日米安保と自衛隊で完璧に守られ、経済大国を謳歌できた。かつてのソ連や中国も米国を中心とした西側諸国の圧倒的軍事力の前には結局敵になり得なかった。

「安全と水」はタダという戦後日本の神話が定着してしまった。日本から進んで軍事行動をしなければ戦争は起こらない。外国から攻めてこられることはない。これが今回の安保法案に反対する人々の認識であろう。

しかし、時代は今や変わりつつある。中国の軍事的台頭が顕著になり日本の安全を脅かし始めている。沖縄の尖閣諸島は中国の海警が連日領海を侵犯し日本の漁船はすでに周辺に近寄れない状態である。いや中国は沖縄どころか小笠原の海さえも軍事的な野心を露にしている。南シナ海での中国の傍若無人の活動はいずれ東シナ海をも及ぶことは火を見るより明らかだ。

これまでの圧倒的軍事力に陰りが見え始めた米国がアジアのプレゼンスを後退させるようなことになれば、これまでの「安全神話」は一変する。想定する必要がなかった「他国が攻めてくる」ということが現実味を帯びてくる。そんな時に「戦争に行きたくないじゃん」と軽口を叩けるだろうか。「降参してでも中国領で生き続ける」などと開き直った日本の漫画家がいたが、かつての米国の占領とはちがう。アジアの隣国はこんな甘えた人間に対しても骨の髄までしゃぶってくるだろう。

ただそれは最悪の事態で可能性は薄い。日本の誉高い自衛隊が同盟国の米国の支援とともに撃退してくれると信じている。しかし、それは日本国民の圧倒的支持という条件がつく。「戦争に行きたくないじゃん」という甘えた人間ばかりでは自衛隊の士気を大きく損じることだろう。なりよりも自衛隊そして日本国家に対する敬意が必要不可欠であると思う。


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