粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

「隣国とは話し合いで解決!」その究極が鳩山由紀夫

2015-08-13 19:53:19 | プロ市民煽動家

鳩山由紀夫元首相が韓国にある日本統治時代の刑務所跡地を訪れた。そこは朝鮮独立活動家たちが収監されていた場所だという。鳩山元首相は、記念碑の前で土下座をして謝罪の意を表明した。

「日本が貴国(韓国)を植民統治していた時代に、独立運動家らをここに収容し、拷問というひどい刑を与え命を奪ったことを聞き、心から申し訳なく思っている。心から申し訳なく、おわびの気持ちをささげていきたい」

 あのルーピー首相のことだから、いまさらこんなパフォーマンスや発言も驚かない。首相時代「友愛外交」を旗印に憲法前文にあるように「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して我々の安全と生存を保持しよう」としたのだから。

こちらが誠意を示せばば善意の隣人は応じてくれる。いわば「愛こそすべて」、ジョン・レノンの「イマジン」の世界である。しかし、これが歌の世界では可能だが、現実の世界では到底かなわないのは残念ながら明白だ。

かつて、鳩山首相時代にアドバイザー役を務めた元外交官の孫崎享氏が今朝ラジオの番組で、今回の元首相の土下座について、半ばあきれるように「韓国の利益にはなっても日本の国益には全くならない」と厳しく批判していた。一時は元首相の「知恵袋」的存在であった人物にしてこの有様だから、大半の日本人は元首相のパフォーマンスを不愉快に思っていることだろう。

それにしてもどこに安倍政権になって「物が言いづらい雰囲気」があるのか。サンデーモーニングの関口宏キャスターが最近はよく口癖のように首を少し傾げてつぶやくフレーズだ。しかし、こんな売国的政治家がのさばっているのを見ると、日本は自由で言いたいのことがいえる天国のような国に思えてくる。

しかし、最近思うのだが、政治を「友愛」で進めようと考えているのはひとり鳩山元首相の専売特許なのだろうか。実はその究極があのルーピーなのであって日本の政界やメディアには程度の差はあっても「鳩山的」な要素を多分に持った人間は多いのではないか。

最近安倍首相が安保法案に関して、中国の脅威をはっきり公言するようになった。実際最近の中国の軍事的な挑発は目に余るし脅威は格段に高まっている。しかし、野党政治家やリベラル左派の評論家がこの期に及んでも「安倍首相は積極的平和主義の名の下、外交努力よりも軍事的志向を強めている」と非難している。

中国とももっと話し合いを続けて信頼関係を構築すべきという主張だ。これって鳩山元首相の「友愛」とどれだけの違いがあるのか。鳩山元首相のパフォーマンスは極端すぎて奇異にみえるだけではないか。これでは鳩山ルーピーを笑えない。


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