粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

渡辺謙と坂本龍一

2015-08-03 20:16:12 | プロ市民煽動家

どうして日本の芸能人にはこんなに「リベラル左翼」が多いのだろうと嘆息してしまう。一人の人間として平和を希求するのは悪くはない。しかし、あまりにも自分たちが営む「ファンタジー」の世界に浸りすぎてはいないだろうか。

たとえば、今やハリウッドでも活躍する国際俳優の渡辺謙、最近つぶやいたツイッターが物議を醸している。

 

一人も兵士が戦死しないで70年を過ごしてきたこの国。どんな経緯で出来た憲法であれ僕は世界に誇れると思う、戦争はしないんだと!複雑で利害が異なる隣国とも、ポケットに忍ばせた拳や石ころよりも最大の抑止力は友人であることだと思う。その為に僕は世界に友人を増やしたい。絵空事と笑われても。

 

確かにこれは理想であり、世界はこうありたいと願う。しかし、現実は隣国が連日我が国の領海を侵犯し日本の警告に「ここは我が国の領海だからおまえたちこそ立ち去れ」と開き直っている。あるいは南シナ海では勝手に岩礁を埋立て基地をつくろうとしている。傍若無人極まれり、話し合いもあったものではない。

この隣国と友人をつくることは結構だが、その友人たちは国内で言論表現の自由を抑圧され、政府を批判することが困難だ。日本のように政権反対のデモをしようものならたちまち逮捕されてしまう。

そんなファッシスト政権で周辺諸国に脅威を与えている国が日本の目の前にある。日本が隣国に悪いことをしなければ平和だというのはそれこそ「絵空事」にしか思えない。日本は外交交渉にあっては「ポケットに拳や石ころをしのばせて」あたることが残念ながら現実的に必要だと思う。

そして、渡辺氏は不服かもしれないが、戦後70年の平和を保ってきたのが何より日米安保と自衛隊だということは明らかだ。逆に北朝鮮の工作員にやすやすと領土侵入を許し、多くの同胞を拉致させる原因となったのが憲法9条の存在だといえる。本来ならば、拉致が発覚すれば、日本は軍事的制裁をちらつかせながら威嚇して拉致者の帰還を北朝鮮に要求できたろう。元々日本がそれができるならば、こんな拉致問題など起こっていなかったに違いない。

渡辺謙氏といえば、「ラストサムライ」や「硫黄島からの手紙」などでそれこそ日本伝統のサムライ気質をもった大和魂の体現者のように自分は想像していた。しかし、こんなツイッターを見せられるとそのギャップに驚かされる。もちろん世界で友人を増やすことはよいが、それだけでは決して現実の平和は望めない。逆に隣国の脅威が増している現実世界では、「サムライ」の毅然とした姿勢が必要だと思うのだが。

話は変わって坂本龍一氏、「音楽家」としては優秀だが、「思想家」としては今イチ、というより落第のようだ。あのどうしようもないアジビラ夕刊紙「日刊ゲンダイ」によれば、坂本龍一氏は国会での安保法案を巡る動きに「怒り」を示したという。(坂本氏と言えば、昨年自身が中咽頭がんであることを公開して療養にはいっていた。いまさら「放射線治療」なのかという野暮な詮索はすまい。)

 

安保法制は、正面から改正することなく、解釈によって憲法をなし崩しにしようという、クーデターに近いものだと思っています」

世界的ミュージシャンも安倍政権に「反対」ののろしを上げた。学生たちでつくる「SEALDs」と大学教授らが31日、都内で安保法制反対の集会を開催。約4000人が参加した集会で、坂本龍一氏(63)の怒りのメッセージが読み上げられた。

 

この人、本来のクーデターの意味がわかっているのか。武力を使って時の政権を倒そうという反政府的行動だ。政権側の安倍首相が自分の政権を打倒しようとするなんて矛盾も甚だしい。また、安倍首相は昨年7月集団的自衛権行使容認を閣議決定したが、その後総選挙の洗礼を受けている。

確かに、当時は消費税増税ばかりに焦点があてられ、この問題は注目されなかった。もし、国民がこの問題に反発や嫌悪を感じていたのなら投票結果に影響がでていただろうが、結果的には安倍政権の政策は消極的であるが容認だった。そして現在の国会で法案が粛々と審議されている。どこに「クーデターに近い」ことが行われたのかさっぱりわからない。

坂本氏には他人事ながら、もっと自分のがん治療に専念して欲しいと思う。「クーデター」などと意味不明な言葉を発し「怒り」を露にすることはご本人の体調に障るに違いない。ファンタジー(幻想)は音楽の世界にこそふさわしいが、クーデターなどと息巻くような「幻想」では殺伐さしか残らない。


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