粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

「SEALDs、感じ悪いよね」

2015-12-06 13:13:21 | プロ市民煽動家

今年の流行語大賞のトップ10にも入ったSEALDs、安保法制に抗議するデモを展開した学生団体だ。しかし、この団体の言動に違和感を持つ同世代の若者は少なくない。たとえば、現役の慶応大学女子大生でオピニオンサイト「iRONNA」の特別編集長である山本みずきさんの評価は極めて手厳しい。

 

シールズのパフォーマンスは運動のスタイルは斬新でも、安倍首相をヒトラーにたとえたり、「アベ死ね」などと聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせたりする表現手段には、残念ながら知性の欠片も感じられませんでした。 

国家の安全保障に関するシールズの認識と主張も、とうてい看過できるものではありません。 

シールズは、安保法制とは戦争法案であり、「この法案が通れば徴兵制が始まる」と主張してきました。 

しかし、安保法制は、抑止力を高めることで他国から攻撃される可能性を低くするのが狙いであることは言うまでもありません。 

同じ学科のある友人は、「政権に異議を唱えることは、日本国憲法が保障した表現の自由の行使なので運動自体には肯定的」としながら、「自分たちの意見のみが正しいという視点に基づくシールズの言説(戦争法案というワンセンテンスポリティックス)は許容できない」と言います。 

この意見には私もまったく同感で、シールズに対する違和感の源泉がここにあります。 

自分たちの主張こそが民意であると疑わず、異論や反論から耳をふさぐという排他性に危うさを感じるのです。 

「戦争をするような国には住みたくない」という気持ちはわかりますが、それを叫んだところで中国の横暴が止まるわけではありません。彼らの論に倣えば警察も自衛隊も暴力装置ということになりますが、それらに守られながら、「暴力はいけない」と叫ぶことにも大きな矛盾を感じます。 

 

まさに山本さんの主張する通りであり、特に「自分たちの主張こそが民意であると疑わず、異論や反論から耳をふさぐという排他性に危うさを感じるのです。といった指摘は鋭く、この集団の本質を的確に言い当てていると思う。「民主主義とはなんだ!」とはSEALDsが好んでデモで叫ぶフレーズだが、彼らの実際の言動は逆にこの民主主義を否定する行為ではないか。

また、「それら(警察や自衛隊)に守られながら、「暴力はいけない」と叫ぶことにも大きな矛盾を感じます」という山本さんの感想もSEALDsの弱点を見抜いている。こんな反政府的なデモが許されるのは民主主義を担保する国防や治安がしっかり機能しているからである。現在の中国では決してこんなデモはできない。逆に民主主義を抑圧する装置になっている。最近の韓国を見ていると、こんな表現の自由も怪しくなりつつある懸念を覚える。

山本さんのような知的な女子大生は別にして、世間一般の若い女性から見れば、SEALDsのデモそのものが「感じ悪いよね」となってしまう。ちなみにトップ10にはならなかったが流行語大賞にノミネートされたフレーズに「自民党感じ悪いよね」があった。本当は自民党の代わりにSEALDsにしたほうがよかったのではないかと思う。

それにしても、今年の流行語大賞の選考は極めて異常であり偏向していた。大賞の一つの「トリプリスリー」は全くといいくらい流行らなかった。トップ10には「アベ政治を許さない」とこの「SEALDs」といった安保法案に関連したが選ばれたが、これは選考委員の意向が強く働いていた。それもそのはず、選考委員には鳥越俊太郎、姜尚中、やくみつるといった左翼文化人たちが名を連ねている。

特に鳥越俊太郎は「アベ政治を許さない」をプラカードを掲げて安保法案成立阻止の実力行使に動いた張本人である。それこそ、安保法案の中身を議論する以前の倒閣運動であり、SEALDsのデモ活動と本質的に同じである。鳥越はまさにSEALDs老人会代表といってよく、流行語大賞という既存の全国的企画を私物化してSEALDsを援護射撃していると言わざるを得ない。

そのSEALDsが最近は沖縄の辺野古での反基地闘争に活動場所を移しているという。鳥越俊太郎も昨年の沖縄知事選では辺野古移設反対の翁長現知事への露骨な応援活動をしていた。沖縄の基地問題が裁判闘争という新たの段階に入った今、老若のSEALDsたちがタダでさえ左翼活動家の巣窟となっている辺野古に乗り込んで空虚な「平和」運動を活発化させることを想像するとやりきれない思いに駆られる。

 

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