(半紙1/2)
禅語の「廓然無聖」(かくねんむしょう)
達磨さんと武帝の問答から。
廓然とは、広々として澄みきった様子のこと。
そして廓然無聖とは、ちっぽけな価値判断に捕らわれないで
聖だの凡だのと執着することのない「無」の境地に到達する世界のこと、とある。
年を重ねるごとに、なかなか他の意見を聞き入れにくくなるものらしく
自分が正しいのだ~という執着というか思い込みも強くなり。。
こだわりや執着も、にんげんだもの・・って思うけど、
それで苦しくなるのは自分なんだしなぁ・・って思ったり。
なるべくならば、いいんじゃな~いって心のゆとりを袂に置いて
過ごしたいものでごじゃいます
頭ん中にイライラ虫とか、ごちゃごちゃ虫がやってきたら、
この廓然無聖ってことばを呪文のように唱えてみておくんなさいましし~
禅語の「廓然無聖」(かくねんむしょう)
達磨さんと武帝の問答から。
廓然とは、広々として澄みきった様子のこと。
そして廓然無聖とは、ちっぽけな価値判断に捕らわれないで
聖だの凡だのと執着することのない「無」の境地に到達する世界のこと、とある。
年を重ねるごとに、なかなか他の意見を聞き入れにくくなるものらしく
自分が正しいのだ~という執着というか思い込みも強くなり。。
こだわりや執着も、にんげんだもの・・って思うけど、
それで苦しくなるのは自分なんだしなぁ・・って思ったり。
なるべくならば、いいんじゃな~いって心のゆとりを袂に置いて
過ごしたいものでごじゃいます
頭ん中にイライラ虫とか、ごちゃごちゃ虫がやってきたら、
この廓然無聖ってことばを呪文のように唱えてみておくんなさいましし~
年を重ねると細かいことは気にしなくなるタイプと
いちいちが気になるタイプってあるかも~。
私はやっぱり、どんどん余計なもの落として
ぽわわ~んと年をとりたいなぁ・・
私もichiiさんとこにお邪魔すると、気持ちがすこ~んって軽くなります。
響き合えるって、なんだかうれしいです
普段は割りと人の言うこと気にならないタイプだと思うんですけど、
どうも身内となると、「い~や違う」って譲らないことも多々あり
よく父とはバトルしてますう
でも確かに子供の言うことを何でもいいんじゃな~いってしちゃうと問題ありかもしれないですね。
やっぱり子育てって、お互い学びの場なんですね。
ただ、意外と子供は怒られても愛情は感じてるようですよん。
体験し吸収してきたものも其々に違う。
自分の見え方や価値観なんて
数多のうちのひとつと分かっていても、
年をとっていくと
何故か考え方に柔軟性がなくなる……う~ん。
こうしてブログでたくさんの個性に触れることは、
いいタイミングなのかもです。
あたまが固くなるのを予防してくれるというか、
沙於里さんのところでほぐしてもらってます。
この世で生きていくにあたって「正か否か」決めれる事ってそう多くはないですよね。私も「いいじゃない」マインドでいこう!!と思います。・・・でも子供の教育に関してはなかなか・・・子供の意見を大きな心で受け入れる事って難しいかも。今の私の一言一句でこの子の人間性が決まるかも?!って思うと、なかなか柔軟に対応出来ませんっ!!それが目下の悩みでもあります・・・(悲哀)