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木簡臨書 (半紙)
以前読んだ「われ笑う、ゆえにわれあり」(土屋賢二著 文藝春秋)という本の
一節に書いてあったんだけど。
古代ギリシャ時代、人間を定義しようという試みに対して「羽のない二本足の動物」
「理性的動物」「政治的動物」「笑う動物」などというのが挙がったらしい。
それにはそれぞれ「?」がついて、結局どれも定義としては失敗だったようで。
つまりは、人間を定義するのは不可能である、と。
それにしても、人は定義することが好きであるような。
好きというか、その方が何かと樂なのかな
で、最近この「定義したい欲求」を持つ人が増えたような。
こうあらねばならないに始まり、情報過多の割に目に付きやすい情報に流れ易く
たぶんこうであろう論にやっきになるというか
「事件」(人間)は、現場で起きて(生きて)いるのであ~る。
半紙という狭い中で、書いてしまった点、線の、次の方向、量を決めるのは
定義ではなく、瞬発力とバランスのセンスであるような。
現場では、定義なんか役に立たないことも多々あるのであ~る
なので・・瞬発力とバランスを鍛えよう
木簡の臨書は、その鍛錬にはもってこいだと思う。
・・なんて、偉そうなこと言ってみた
無駄が削り落とされて洗練された形。
そういう形の定義やルールは必用かなあと思う。
ただダラダラと自由がいいというのは、逆に慢心や自己満足から抜け出ないもので、、、。
書でも絵でも、追い求めているものの核心的定義にたどり着いた時、世界観がかわるんだろうなあ、なんて。
何かを探求するというのは難しいです。毎回の記事に沙於里さんの探求心がひしひしと伝わってくるので、私はそんな差於里さんの生き方にエネルギーを貰っております。
この書、今までとちょっと違う質感で新鮮。こういう真ん丸い感じは、下流の石のようでどこか優しく包容力を感じます。こういうのもいいですねえ。
必要最低限の必須・・無駄なものを削ぎ落としたあとに何が残るのか
その作業の必要性に気づくことも大事だし、それができるかできないかで、得られる世界も違ってくるんでしょうね。
いえいえ・・私は偉そうに言ってますが、怠け者ゆえなかなか見つけられずにおりますが
私の方こそ、ichiiさんの力強いメッセージに、いつも、おっし!と気合を頂いてます