帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百三十二〕つれづれなる物

2011-07-31 06:02:03 | 古典


                  
                  帯とけの枕草子
〔百三十二〕つれづれなる物



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百三十二〕つれづれなる物

 つれづれなる物、所さりたる物忌。むまをりぬすごろく。ぢもくにつかさえぬひとのいへ、あめふりたるは、まいていみじうつれづれなり。

 清げなな姿

することもなく退屈なもの、他所にてする物忌。駒が出立せぬ双六。任官の日に官職を得ぬ人の家、雨が降りだせば、まして所在無くどうしょうもないのである。


 心におかしきところ
 どうしょうも無く退屈な物、山ばなど去った物、井身。武間折ってしまった双御露具。路毛具に、津嵩得ぬ人の井辺、おとこ雨うちふったのは、まして、ひどく退屈でどうしょうもないのである。


 言の戯れと言の心

「所さり…自宅を去り…所を去り…感の極みなど去り」「物…情況…物体…身の一つの物」「いみ…忌み…井身…女の身」「井…女」「むま…馬…駒…武間…おとこ」「をり…下り…下り立つ…双六で規定の賽の目が出て駒が出立する…折り…逝き」「ぬ…打消…完了」「す…女」「ぐ…具…伴うもの…身に付随のもの」「ぢもく…叙目…路藻具…路毛具…女」「路…女」「つかさ…司…づかさ…頭傘…おとこ」「人…ひと…女」「いへ…家…女…井辺」「あめ…雨…おとこ雨」。


 清少納言の言語観は「おなじことなれども、聞耳異なるもの、それが、われわれの言葉である」という。

同じ一つの言葉でも、聞く耳によって意味の異なるもの、それが、われわれの言葉であるということ。
 

 伝授 清原のおうな

聞書 かき人知らず    (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による


帯とけの枕草子〔百三十一〕円融院の御はてのとし

2011-07-30 06:19:48 | 古典

 



                               帯とけの枕草子〔百三十一〕円融院の御はてのとし



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百三十一〕円融院の御はてのとし

 
円融院(主上の御父)の喪が明けた年、皆、人は喪服など脱いで、哀れなことを、主上はじめ一同が院御在世の御事を、思い出している頃、雨がたいそう降る日、藤三位(主上の御乳母)の局に、みのむしのやうなるわらはのおほきなるしろき木に(蓑を着て蓑虫のような童子が大きな白い木に……身の虫のようなわらわの大きさの白い木に)、たてふみつけて(正式の書状のようにして…立て夫身つけて)、「これ、たてまつらせん(これ献上いたしたいのです……これ立てまつらせましょう)」と言ったので、取り次ぎが、「どちらからか、今日明日は物忌みですから、しとみ(蔀)も開けませんぞ」といって、下は閉じた蔀の上より取り入れて、そのことを藤三位はお聞きになられたけれど、物忌みだから見ないということで、蔀の上に突き刺して置いたのを、明くる朝、手を洗って、「さあ、その昨日の巻数(寺より送られる読経の目録など)」と、取り出してもらって、伏し拝んで開けたところ、くるみ色という色紙の厚いのを、変だと思って開けていくと、法師のたいそうな筆跡で、

これをだにかたみと思ふに宮こには はがへやしつるしひ柴の袖
(これをさえ、形見として偲ぶよすがと、思うのに、都では葉替えでもしたか、椎柴染めの喪服の袖……この白い木さえ、なお堅身と思うのに、宮こでは飽き色し葉替えでもしたか、喪服の女の身の端)。
と書いてある。まったくあきれる、憎らしいやり方だこと。誰がしたのでしょう。仁和寺の僧正のか、と思うが、よもや僧正がこのようなことはおっしゃらない。藤大納言(朝光)だ、あの院の長官をなさっていたから、それでこんなことをされたのだろう。これを主上、宮に早速お聞かせしょうと思って、心せくけれど、やはり違えればたいそう恐ろしいといわれる物忌みをし果てようと、我慢して一日暮らして明くる朝、藤大納言のもとに、この歌の返しをして、ただ置いて来させたところ、すぐさままた返歌をよこされた。

 それを二つとも持って、いそいで参上されて、「こんなことがですね、ございましたの」と、主上もいらっしゃる御前でお話しになられる。宮は、たいそうつれないご様子でご覧になって、「藤大納言の筆跡ではないようです。法師のものでしょう。昔の鬼のしわざとさえ思われる」などと、たいそう真面目におっしゃるので、「それでは、これは誰のしわざですか、好き好きしい心ある上達部・僧綱などは誰がいるかしら」、この人かしら、あの人かしらなどと、思い出せず不安そうで、知りたそうにおっしゃるので、主上「このあたりに見える色紙に、たいそうよく似ている」と、うちほゝゑませ給て(にっこり微笑まれて)、もう一つ御厨子のもとにあったのを取って差し出されたので、「いで、あな心う。これ、おほせられよ。あな、かしらいたや。いかでとくきゝ侍らん(あら、まあ、ひどい、このわけを仰せられませ。ああ頭が痛いわ。どうしてか、早速お聞き致しましょう)」と、ただ責めに責めて申し上げ、うらみごとを言っては、お笑いになるので、ようやく仰せになられて、「使いに行った鬼の童子は、台盤所の刀自という者のもとにいたのを、小兵衛(うぶな女房)が言い含めてさせたことであろうかな」などと仰せられると、宮もわらはせたまふを(宮もお笑いになられるので)、藤三位は宮をひき揺さぶられて、「どうして、このように謀らせられたの、それなのに疑うこともなく手を洗い伏し拝み、文を見奉ったのよ」と、わらひねたがりゐ給へるさまも、いとほこりかに、あいぎやうづきてをかし(笑い悔しがっておられる様子もたいそう満足げで愛嬌があってすばらしい)。

 
さて、清涼殿の台盤所でも、わらひのゝしりて(笑い騒いで)、藤三位は・局に下りて、この童子を尋ね、見つけて、文を受け取った人に見せると、「その者でございますようで」という。「誰の文を、誰が渡したのか」と言っても、なんとも言わないで童子は、しれじれしうゑみて(愚かもののようにほほ笑んで)走って行ってしまった。


 藤大納言はこれらのことを後にお聞きになられて、わらひけうじ給けり(笑い興じられたのだった)。

 
言の戯れと言の心
 
「みのむし…蓑虫…蓑を着た童子…身の虫…おとこ」「白…男の色」「木…男木…ぼく…こ…おとこ」「これを…このお…このおとこ」「かたみ…形見…片見…中途半端なまぐあい…堅身」「宮こ…感極まり至ったとろ」「葉替え…あき色となる…飽き満ち足りる」「しひ柴…喪服の染料…喪服」「そで…衣の袖…身の端」「むかしのおにのしわざ…みのむしのような子の君の親のしわざ…いにしえよりおとこの子の君は鬼っ子、親の言う事は聞かない」「小兵衛…このようなことはできないと誰でも知っているうぶな女房…この実行行為者は清少納言のほかに誰がいる」。


 
歌は、古今和歌集 哀傷歌の、天皇の諒闇明けに詠んだ僧正遍昭の「みな人は花の衣になりぬなり こけのたもとよかはきだにせよ(人はみな喪明けでことの終わりと思って花の衣になっている、涙に濡れる我が墨染の衣の袂よ、せめて乾いてくれ)」に倣ったもの。

 

藤三位(主上の御乳母)は憂うつ状態にあったが、明るさを取り戻したご様子を記した。これがこの悪戯の目的。「笑い奉仕」は成功でしょう。

 円融院の諒闇明けは、正暦三年(992)。これが、清少納言の「笑い奉仕」の初仕事だったかな。正暦二年(991)より長保三年(1001)まで、「十年ばかり」ここ九重で宮仕えをした。

 言葉の表向きの意味しか聞き取れない国文学的な読み方では、ここで起こっている笑いに全く付いてこれないでしょう。それなのに、枕草子の読み方を根本的に間違えているのではないかと、考えてみることもなく、「おかしくもない」読みに凝り固まっているのである。そんな呪縛から、心ある人々を解き放つために、当「帯とけの」古典文芸はある。

 笑うという情動の原因は色々あるが、もとより秘めておくべき性に関することが、適度に顕わになった時にも起こる。それは、千年経っても変わらないでしょう。



 伝授 清原のおうな
 
聞書 かき人知らず    (2015・9月、改定しました)
 
 原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による


帯とけの枕草子〔百三十〕五月ばかり

2011-07-29 06:03:24 | 古典

 



                                            帯とけの枕草子〔百三十〕五月ばかり


 
 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百三十〕五月ばかり

 五月ごろ、月もなくたいそう暗いときに、「女房はおられますか」という声がするので、「出て見よ、いつになく言うのは誰かしらね」と仰せになられれば、「こはたそ、いとおどろおどろしう、きはやかなるは(そなたは誰、とっても騒々しいのは…これは誰よ、おどろくほど際立っているのは)」と言う。ものも言わずに、みす(御簾…身す)をもちあげて、がさごそと差し入っている、くれ竹(呉竹)だったのだ。

 「おひこの君にこそ(おゝこの君ですね…感極まった子の君なのね)」と言ったのを聞いて、「さあさあ、このことを、まず殿上に行って語りぐさにしょう」といって、式部卿の宮の源中将、六位の者どもなど、居た人たちは帰って行った。


 頭の弁(行成)は留まっておられた。「変に帰ってしまう者どもだなあ、御前(清涼殿の庭)の竹を折って、歌を詠もうとしたが、同じことなら職の御曹司に参って、女房など呼びだしてと、竹を持って来たのに、くれたけの名(呉竹の別名…呉竹の意味)を早速言われて帰るとは、かわいいもんだ。あなたは誰の教えを聞いて、(女の)普通は知りそうもないことを、言うのだ」などとおっしゃるので、「たけの名とも知らぬものを。なめしとやおぼしつらん(竹の名だとも知らないのよ。おい!この君かと言って・失礼なとでも思われたのかしら)」というと、「ほんとうに、それを知らないのかなあ」などとおっしゃる。
 まじめな話もしていらっしるところに、
「うへてこの君としようす(植えてこの君と称す…種うえつけて子の君と称す)」とうたって、また集まって来たので、「殿上で話して決めた本意もないうちに、どうして帰って行かれたのかと、ふしぎがっていましたよ・清少納言と」とおっしゃると、「あのような言葉には、何と応えようか。なかなか難しいだろう、殿上であれこれ言って騒がしくしていたところ、主上もお聞きになられて興じておられた」と語る。

 頭の弁(行成)も共に同じことを返す返すおうたいになって、たいそうおかしかったので、人々はそれぞれ違った話をして、夜を明かして帰るときにも、なおも同じことを声合わせてうたい、左衛門の陣に入るまで聞こえる。

 
 明けてすぐに、少納言の命婦(主上付き女房)という人が、主上の御文を持って来られたときに、このことを宮に申し上げたので、局に下がっていた私を召されて、「そのようなことがあったのか」とおたずねになられるので、「知りません、何のことか知らないで言いましたものを、行成の朝臣がよいようにとりなしたのでございましょうか」と申し上げると、「とりなすとも(とりなすでしょうね、知らないことにしてくれたのね…鶏成すでしょうね、あけてまつ仲だからね)」と、うちゑませ給へり(にっこり微笑まれた)。

誰のことであっても、殿上人が褒めたなどとお聞きになられると、そう言われる人を、よろこばせ給もをかし(お喜びになられるのもおかしい)。


 言の戯れと言の心

 「みす…御簾…身す」「す…女」「呉…おおきい…娯…たのしむ…娯楽」「竹…君…男…おとこ」「おひ…おい…(驚いて)おお!…老い…追い…ものの極み…感の極み」「おいこの君…おい、此の君…感極まったおとこ…呉竹…娯楽中の子の君」「とりなし…取り成す…取り繕う…(竹…男君)とは知らなかったことにしてくれる」「とり…取り…鶏…鳥…言の心は女」「なす…為す…成す」。

 


 男たちが朗詠した詩句は、
 種而称此君、唐太子賓客白楽天、愛而為我友(藤原公任撰、和漢朗詠集・竹)。
 清げな意味はともかくとして、心におかしきところは「……種うえつけて子の君と称す、唐(大きい)!太子(太い子)! 嬪脚、白楽、天! 愛でて(女は)わが友となす」。男の言葉も戯れる。

 話に花が咲いたわけは、わかるでしょう。紫式部が「賢ぶって、まな書き散らし、よく見れば、また、耐えられないことが多くある(紫式部日記)」と批判することもわかるでしょう。

伝授 清原のおうな

聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による

 


帯とけの枕草子〔百二十九〕頭弁の

2011-07-28 06:08:17 | 古典

 



                     帯とけの枕草子〔百二十九〕頭弁の



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百二十九〕頭弁の

 頭の弁(行成)が識の御曹司に参られて、話などされていたときに、「夜がたいそう更けた。明日は御物忌なので籠もらなければならない。うしになりなば(丑の刻になると…憂しになると)、ぐあいがわるい」といって、内裏へ参上された。
 
明くる朝、蔵人所の紙屋紙(事務用紙)ひき重ねて、「けふはのこりおほかる心ちなんする。夜をとをして、むかし物がたりもきこえあかさんとせしを、には鳥のこゑにもよほされてなん(今日は名残が尽きない心地がします。夜を通して昔物語でもお聞かせして明かそうとしたのに、庭鳥の声にうながされてですね・帰ったもので……京は思いが多く残っている心地がする。夜を通して武樫の物語でもお聞かせして明かそうとしたのに、女の声に急きたてられて・夜深いのに帰されたので)」と、たいそう言葉多く書いておられる、いとめでたし(とっても愛でたい)。
 
 言の戯れと言の心
 「うし…丑の刻…憂し…うんざり…わずらわしい」「けふ…今日…京…絶頂…宮こ…感極まったところ」「には鳥…鶏…朝を告げて鳴く鳥」「鳥…女」。

 お返しに、「いと夜ふかく侍ける鳥のこゑは、まうさう君のにや(たいそう夜深いときに、いたしました鶏の声は、孟嘗君の偽ものではないの……とっても夜深いときにしました女の声は、偽りの声ではないの・誰が明けた帰れといったのよ)」とお応えすると、たち返り、「まうさうくんのにはとりは、かんこく関をひらきて三千のかく、わづかにされり(孟嘗君の庭鳥は函谷関の門を開いて三千の食客、かろうじて去った……孟嘗君の偽りのとりの声はあの関門を開いて大いなるきゃく、かろうじて出で去った)とあるが、まろが言うのは、あふさかのせき也(逢坂の関です…女と男の合う坂の関門ですよ)」とあれば、

 夜をこめて鳥のそらねははかるとも 世にあふさかの関はゆるさじ 心かしこき関もり侍り

(夜をこめて鶏の似せ声で謀るとも世に逢坂の関は開くこと許さない・逢坂には心賢い関守がいます……夜をこめて女のにせ声で謀るとも、夜のうちは合坂の門は出て去ること許さないわ・合う坂には心の堅い門守りがいるのよ)。
と言う。またたち返り、
 あふさかは人こえやすき関なれば 鳥なかぬにもあけて待とか

(実際の逢坂は今や人越えやすい関だから鶏も鳴かないのに開けて待つとか……あなたの合坂は人越えやすいところだから、とりが泣かずとも、門開けて出入り待つとか)。

とあった(行成の)文どもを、初めのは僧都の君、いみじうぬかをさえつきて(たいそう拝み倒して)お取りになられた。後のと後々のは、宮の御前に・差し上げた。
 
 
さて、逢坂の歌は、へされて(圧勝されて)、返しをせずになってしまった。「いとわろし(返してこないのでひじょうに悪い…あなたの立場はとっても悪い)。さて、あの文は殿上人、皆見てしまったのよ」とおっしゃるので、「真にわたしのことを思ってくださっていたと、それによって知りました。愛でたいことを人が言い伝えないのは、かいのないことですものね。また、見苦しい言が散るのがわびしければ、御文はたいそうに隠して人にお見せいたしません。気遣いの程度を比べますと等しいのですよ」といえば、「そのように、ものを思い知り悟ったように言うのは、やはり普通の女には似ないと思える。『思い巡らすことなく軽率に、わたしの立場を悪くして』などと、普通の女のように言うかなと思ったよ」とお笑いになられる。「こは、などて、よろこびをこそきこえめ(そんな、どうして・おあいこなのよ、わたしも君の文を乞われるままに人に差し上げた・喜びをですね、申し上げたいわ)」などという。
 
「まろがふみをかくし給ける、又、猶あはれにうれしきことなりかし。いかに心うくつらからまし、いまよりも、さをたのみきこえん(まろの文を隠して頂いていましたね、それもまたやはり感激して嬉しいことですよ。隠していることはどれほど心憂く辛いことでしょうか。これからも、そのように、この男をお頼み申します)」などとおっしゃって後に、経房の中将(源経房)がいらっしゃって、「頭の弁は、あなたのことをたいそう褒めておられるのは知っていますか、先日の文にあったことなど話されてね。思い人が人に褒められるのは、ひじょうに嬉しい」とまじめにおっしゃるのもおかしい。

「嬉しいことが二つです、彼が褒めてくださるのに、そのうえにまた、わたしが君の思い人の中に居たことですわ」と言えば、「それを珍しう今知ったことのように、お喜びなさいますなあ」などとおっしゃる。


 言の戯れと言の心
 「鶏…鳥…女」「孟嘗君…捕らわれの身を逃れ函谷関に来た夜、夜明けを告げる鶏の鳴き真似をして門を開けさせて三千の食客と共に去ったという人」「函谷関…関所…かんこくかん…歓喜を告げるところ」「三千…おおい…大いなる」「客…食客…脚…おとこ」「あふさかのせき…近江と京の関所…越え難き男女の一線…合い難き男女の山ば」「あけて待つとか…(門)ひろげて客(訪れる男)待つとか…開けておとこの出入りを待つとか」「関…関門…門…女」「へされて…圧されて…門あけて待つ女にされては行成の圧勝」。



 
枕草子はおとなの読物。言の戯れを知り、歌のさまを知り、事の情と言の心を心得る人は、おかしさがわかる。

 貫之のいう「言の心(古今集仮名序)」を心得ないで、「鶏…女」「門…女」などの戯れは、有り得ないと思っている人。および、「同じ言葉でも、聞き耳によって(意味の)異なるもの、男の言葉、女の言葉」 という清少納言の言葉を空耳と思って聞き流している人には、枕草子のおかしさがわからない。

 公任が捉えた和歌の様式「心深く、姿清げに、心におかしきところがある(新撰髄脳
)」を知らない人。および、俊成の「歌は、浮言綺語の戯れに似ているけれども、ことの深き趣旨も(そこに)顕われる(古来風躰抄)」というにことを無視して知らない人には、歌のおかしさがわからない。

伝授 清原のおうな

聞書 かき人知らず    (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による


帯とけの枕草子〔百二十八〕故殿の御ために

2011-07-26 06:13:07 | 古典

 


                                 帯とけの枕草子〔百二十八〕故殿の御ために



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百二十八〕故殿の御ために

 
故殿(道隆)の御為に、宮は月毎の十日に経、仏の供養をなさっていらっしゃったが、九月十日は識の御曹司にておこなわれる。上達部、殿上人がたいそう多く居る。清範、講師として説くことは、やはりとっても悲しかったので、とくにもののあわれ深く感じていない若い人々もみな泣いたようである。果てて、酒飲み詩を朗詠したりするときに、頭の中将斉信の君が、

月秋ときして身いづくか――
 
(月は秋と期して身何処へ・去ったのか…つきは飽き満ちる時と期して御身何処へ・去ったのか)。

ということを吟じだされた、詩もまたひじょうに愛でたい。どうして、このように(適宜に詩を)思い出されるのだろうか。宮がいらっしゃるところに人かき分けて参るときに、宮も立ち出でこられて、「めでたしな、いみじう。けふのれうにいひたりけることにこそあれ(愛でたいねえ、ひじょうに。今日のために用意したことを言ったにちがないのです)」とおっしやられるので、「それを申し上げようと、物見してましたのを、しさしで参りました。やはりとっても愛でたく思いました」と申し上げると、「まいて、さおぼゆらんかし(意見が一致して増してそう思うでしょう…彼を憎らしがっていたから増してそう思うでしょうよ)」と仰せられる。


 斉信がわざわざ呼び出したりして、会う所毎に、「どうして、まろを、まことに近しくして語り合ってくださらないのだ。それでも憎いと思っているのではないと知ってはいても、ひどく不安に思えてくるのだ。これほどの年数になった気心知った仲が、疎遠なまま終わりはしない。行く末殿上で明け暮れない時期もあれば、何事をば思い出にしょうか」とおっしゃるので、「言うまでもないこと、(近しくなるのは)難しいことでもないけれど、そうなってしまった後には、お褒めして差し上げられなくなるのが残念なのです。主上の御前にても、役目と与えられて褒め申し上げるときに、どうなるか、ただ思ってもみてくださいよ、かたはら痛くなって、心に鬼が出て来て、言いにくくなるでしょう(夫を褒めるなんて)」と言えば、「どうして。このような男をですねえ、妻より他にほめる同類がいるんですか」とおっしゃるので、「それが(褒めるのは、君を)にくからず思っているからでしょう。男でも女でも近い身内を思い、片ひいきして褒め、人がいさかでも悪く言えば腹立ちなどするのは、やりきれないなあと思えるのです」と言えば、「たのもしげなのことや(頼みがいのないことよ…頼もしげではないってことか、まろが)」とおっしゃるのも、いとをかし(とってもおかしい)。

 

 頭の中将斉信は故道隆のいとこにあたる。その言動は〔七十八・七十九〕などにも記したように、憎らしい男。この度、朗詠した詩句は和漢朗詠集 懐旧にもあり、「金谷酔花之地(金谷園、花見酒に酔ったところ)」とはじまる。実は酒のために亡くなった道隆を懐かしむのに相応しい。


 「花毎春匂而主不帰。南楼嘲月之人、月与秋期而身何去(花は春毎に匂えどもあるじ帰らず。あの南楼にて月を嘲りし人、月は秋と期してのぼれども、御身はいづこにか去る)」。
 道隆はのぼりつめた人、月を観賞するにも酔って「さるがう言」をした人。「嘲月」は翫月(月をもてあそぶ、月の詩や歌を作りあそぶ)ではなく、月をあざける。道隆お得意の「さるがう言」は、月を愛でるにしても、先ずあざける。たとえば業平のように「月を愛でる若くは無い諸君よ、月なんて積もれば人の老いとなるものですぞ、やめたまえ。老いても『つき』を忘れてはいけませんがね」などと。「月…月日の月…大空の月…月人壮士…男…突き…尽き…おとこ」「秋…飽き満ち足りるとき…厭き」。

伝授 清原のおうな

聞書 かき人知らず    (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による