帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第九 雑上 (四百二十三)(四百二十四)

2015-09-30 00:10:01 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読んでいる。

公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。勅撰集に採られるような歌には、必ずこの三つの意味が有るだろう。

今の国文学の和歌解釈方法は棚上げしておくが、やがて、平安時代にはあり得ない奇妙な表層のみの解釈であることに気付くだろう。すでに、江戸時代に解釈方法を根本的に間違えていたのである。

 

拾遺抄 巻第九 雑上 百二首

 

天暦御時に伊勢が家の集めしければたてまつるとて       中務

四百二十三 しぐれつつふりにしやどのことのはは かきあつむれどたまらざりけり

        天暦の御時に、伊勢の家の歌集を、お召しになられたので奉るとて (中務・伊勢の娘)

(しぐれつつ・しょぼしょぼと、降ったわが家の言の葉は、枯葉のように流れて・掻き集めても、溜まらなかったことよ……その時のお雨、降りつつ・古びた女の、遺した浮き・言の葉は、沢山あっても、はずかしくて・たまらないことよ)

 

言の戯れと言の心

「しぐれ…時雨…初冬の冷たい雨…厭き果てて降るお雨」「ふりにし…降った…古くなった」「やど…宿…わが家…宿(屋・戸・門)の言の心は女…おんな」「ことのは…言の葉…歌…文」「かき…掻き…書き」「あつむれ…集める…多くつみ重なる…沢山になる」「たまらざり…溜まらない…流布した…流れて消えた…たまらない…こらえられない…たえきれない」「けり…気付き・詠嘆を表す」

 

歌の清げな姿は、しぐれに散り落ちた古びた言の葉、掻き集めても残っていなかった・書き集めました(謙遜、謙譲の心を添えて母の歌集を献上)。

心におかしきところは、母の古びた「浮言綺語」の戯れ、かき集めたけれど、はずかしくて・たまらないことよ。

 

 

御製

四百二十四 むかしよりなたかきやどのことのはは このもとにこそおちつもるといへ

(天暦御製・村上天皇の御返し)

(昔より、名高い家の言の葉は子供の許にこそ、落ち積ると言う・その通りだなあ……むかしをはじめ、いまも・名高き、おんなの言の葉は、子の許におちつもるとはいえ・おとこのもとだったかも)


 言の心と言の戯れ
 「むかし…「より…「やど…宿…「ことのは…言の葉…和歌」「このもと…子の許…木の許…おとこの許」「といへ…と言えば世の常…とは言っても」

 

歌の清げな姿は、なるほど、沢山、書きあつめてくれたね。(ねぎらいの御言葉)

心におかしきところは、男どもを魅了した、名高い女の言の葉、この許につもるとはいえ(女性に頼むべきではなかったかも)。


 

村上天皇の御祖父、宇多天皇の寵愛を受けた伊勢の御は、多くの男や女たちに「心におかしい」と思わせる歌を詠んだ。古今和歌集の女流歌人の第一人者。

伊勢集より一首聞きましょう。「思ふことありけるに」詠んだ歌。

身のうきをいはばはしたになりぬべし 思へば胸のくだけのみする

(我が身の憂き事を言えば、はしたない言葉になるでしょう、思えば胸がはりさけるばかり……身の浮きを、言葉に出せば、はしたないでしよう、思えば、武根が砕けるばかりの、見をする)

 

「身…心身の内の身の方…見…覯…媾…まぐあい」「うき…憂き…つらい・いやだ…浮き…浮かれた」「胸…むね…武根…強いおとこ」「くだけ…砕ける…心砕く…身を砕く…武根を砕く(普通は折るという)」「のみする…ばかりである…の見する…の覯する」


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

和歌の解釈について述べる(以下の主旨は再掲載)


 紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って、平安時代の
和歌の表現様式を考察すると次のように言える。「常に複数の意味を孕むやっかいな言葉を逆手にとって、歌に複数の意味を持たせる高度な文芸である。視覚・聴覚に感じる景色や物などに、寄せて(又は付けて)、景色や物の様子なども、官能的な気色も、人の深い心根も、同時に表現する。エロチシズムのある様式である」。

万葉集の人麻呂、赤人の歌は、この様式で詠まれてある。彼らが高め確立して広めた様式である。ゆえに彼らを「歌のひじり」と貫之は言う。

歌は世につれ変化する。古今集編纂前には「色好み歌」と化したという。「心におかしきところ」のエロス(性愛・生の本能)の妖艶なだけの歌に堕落し、「色好みの家に埋もれ木」となった。そこから歌を救ったのは、紀貫之ら古今集撰者たちである。平安時代を通じて、その古今和歌集が歌の根本となった。三百年程経って新古今集が編纂された後、戦国時代を経て、再び歌は「歌の家に埋もれ木」となり、一子相伝の秘伝となったのである。江戸時代の賢人達は、その「秘伝」を切り捨てた。伝授の切れ端からは何も得られないから当然であるが、同時に「貫之・公任の歌論や、清少納言や俊成の言語観」をも無視した。彼らの歌論と言語観は全く別の文脈にあったので曲解したためである。それを受け継いだ国文学の和歌の解釈方法は、序詞、掛詞、縁語などを修辞にして歌は成り立っていたとする。その解釈と方法は世に蔓延して現在に至る。

公任の云う「心におかしきところ」と、俊成の云う「浮言綺語の戯れ似た戯れの内に顕れる」という言葉にあらわされてある、和歌のほんとうの意味は、埋もれ木のままなのである。和歌こそは、わが国特有の、まさに、文化遺産であるものを。


帯とけの拾遺抄 巻第九 雑上 (四百二十一)(四百二十二)

2015-09-29 00:43:12 | 古典

          

 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読んでいる。

公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。勅撰集に採られるような歌には、必ずこの三つの意味が有るだろう。

今の国文学の和歌解釈方法は棚上げしておくが、やがて、平安時代にはあり得ない奇妙な表層のみの解釈であることに気付くだろう。すでに、江戸時代に解釈方法を根本的に間違えていたのである。

 

拾遺抄 巻第九 雑上 百二首

 

蔵人所に候ひける人のひをのつかひにまかりけりとて京に侍りながら

おとし侍らざりければ                (読人不知)

四百二十一 いかでなほあじろのひをにこととはん なにによりてかわれをとはぬと

宮中の蔵人所にいた男が「氷魚の使」となって、(宇治川辺りへ)行ったということで、京に居ながら、音沙汰なかったので、(よみ人しらず・とうぜん、女の歌として聞く)

(どうしてもやはり、網代の氷魚に事の理由を問いたい、何が原因で・この人は、わたしを訪れないのかと……いかで・どうしたの、汝お、吾が寄処の、つめたく弱々しい憂お、事の始末を問いたい、いまは・何に寄りついて、わたしを訪れないのかと)

 

言の戯れと言の心

「いかで…如何で…どうして…なぜ…どうなって…逝かず」「で…によって…原因理由などを示す…ずして…打消しを表す」「なほ…猶…汝ほ…このおとこ」「あじろのひを…網代の氷魚…初冬に仕掛け網でとる小魚…吾じろに寄りくるうお」「いを・うを・ひを、魚の言の心はおとこ」「なにによりて…何に因って…どこのおんなに寄って」

 

歌の清げな姿は、音沙汰のない「氷魚の使」のそのわけを氷魚に問うた。

心におかしきところは、恋人の、身を心配する心、いらだち、嫉妬など女の心根が見事に顕れているところ。

 

 

ものねたみし侍りけるをんな、をとこはなれ侍りて後に、きくの

うつろひてはべりけるをつかはすとて        読人不知

四百二十二 おいのよにうき事きかぬ菊だにも うつろふ色は有りけりとみよ

何かを妬む心のあった女、男が離れて行った後に、菊の枯れそうになっていたのを遣ると言う事で、(よみ人しらず・女の詠んだ歌として聞く)

(老いの世に、長寿の花で・憂い言聞かない菊であっても、移ろい衰えゆく、男への・気色は有るのだと気付き思え・これを見て……感極まる夜に、浮き言聞かない女花でも、君への・衰えゆく色情も色欲もあったのだと気付き思え)

 

言の戯れと言の心

「おい…老い…年齢の極み…ものの極み…感の極み」「よ…世…無常な世…夜」「うき事…憂き言…浮き言」「菊…長寿な草花…一年に二たび変わる色を楽しめるという女花…桜花のように慌しく咲き散る男花と比べて見ると分かる…菊の露を綿に付けて身を拭えば若がえるとか、紫式部もそうした可能性が有る、道長の北の方より、その綿を贈られている」「色…色彩…気色・気持…色情・色欲」「けり…気付き・詠嘆の意を表す」「みよ…(この色変わりした女花を)見よ…思え…(この度の若い女を)見よ・めんどうみとけ、いづれ色変わりする」「見…覯…媾…まぐあい」

 

歌の清げな姿は、色衰える菊の花を見て気付け、古妻といえども、女の色気はあったことを。

心におかしきところは、老いから逃れられない世、感の極みにそのおんなの浮き言聞こえぬ夜が来ることに気付き思え。


 

歌の「清げな姿」の表層しか見えていなければ、もとよりそれは歌では無い、ただの文句である。歌には衣の内に「包まれた」生々しい人の心が顕れる。時には、人の深い心根えさえ顕れるものである。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

和歌の解釈について述べる(以下の主旨は再掲載である)


 紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って、平安時代の
和歌の表現様式を考察すると次のように言える。「常に複数の意味を孕むやっかいな言葉を逆手にとって、歌に複数の意味を持たせる高度な文芸である。視覚・聴覚に感じる景色や物などに、寄せて(又は付けて)、景色や物の様子なども、官能的な気色も、人の深い心根も、同時に表現する。エロチシズムのある様式である」。

万葉集の人麻呂、赤人の歌は、この様式で詠まれてある。彼らが高め確立して広めた様式である。ゆえに彼らを「歌のひじり」と貫之は言う。

歌は世につれ変化する。古今集編纂前には「色好み歌」と化したという。「心におかしきところ」のエロス(性愛・生の本能)の妖艶なだけの歌に堕落し、「色好みの家に埋もれ木」となった。そこから歌を救ったのは、紀貫之ら古今集撰者たちである。平安時代を通じて、その古今和歌集が歌の根本となった。三百年程経って新古今集が編纂された後、戦国時代を経て、再び歌は「歌の家に埋もれ木」となり、一子相伝の秘伝となったのである。江戸時代の賢人達は、その「秘伝」を切り捨てた。伝授の切れ端からは何も得られないから当然であるが、同時に「貫之・公任の歌論や、清少納言や俊成の言語観」をも無視した。彼らの歌論と言語観は全く別の文脈にあったので曲解したためである。それを受け継いだ国文学の和歌の解釈方法は、序詞、掛詞、縁語などを修辞にして歌は成り立っていたとする。その解釈と方法は世に蔓延して現在に至る。

公任の云う「心におかしきところ」と、俊成の云う「浮言綺語の戯れ似た戯れの内に顕れる」という言葉にあらわされてある、和歌のほんとうの意味は、埋もれ木のままなのである。和歌こそは、わが国特有の、まさに、文化遺産であるものを。


帯とけの拾遺抄 巻第九 雑上 (四百十九)(四百二十)

2015-09-28 01:40:29 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読んでいる。

公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。勅撰集に採られるような歌には、必ずこの三つの意味が有るだろう。

今の国文学の和歌解釈方法は棚上げしておくが、やがて、平安時代にはあり得ない奇妙な表層のみの解釈であることに気付くだろう。すでに、江戸時代に解釈方法を根本的に間違えていたのである。


 

拾遺抄 巻第九 雑上 百二首

 

権中納言義懐の入道してのち、むすめを斎院にやしなひ給ひけるが

もとより東の院に侍りけるあねの許に十月ばかりに侍りける

四百十九 山がつのかきほわたりをいかにぞと しもかれがれにとふ人もなし

父の藤原義懐が入道して後、大斎院選子の斎院に生活を託された妹より、花山院の東院に暮らす姉の許に、初冬に遣った歌

(山賎のような・わたしの居る、高い垣根辺りを、どうしているかと、霜枯れ枯れで・士も離れ離れて、訪う人もいないのよ・お姉さま……山の賤しい掻きお、渡りを、如何かと、下渇れ渇れで問う男もいないのよ・尼情態よ)

 

言の戯れと言の心

「山がつ…賤しい…自嘲…粗野なおとこ」「かきほ…高い垣根…掻きほ…掻きお…さお…おとこ」「わたり…辺り…渡り…またがり・乗り」「いかにと…如何に(暮らしているか)と…如何かなと」「しもかれ…霜枯れ…士も離れ…下渇れ…もの渇え…下涸れ…もの潤いなし」「に…時に…そのために」「とふ…訪う…問う」

 

歌の清げな姿は、父に出家された娘の悲哀を同じ状態の姉に訴えた。

心におかしきところは、女としての、心情と、しもの渇えを姉にうちあけた。

 

唯の三十一文字の中に、女の心の内、身のありさまも生々しく伝わるようにように表現されてある。「言の心」を心得た人は、第三者でも、たとえ一千年時を隔てた人でも、その心に、おかしみさえ伴って伝わるはずである。これが和歌の表現様式(貫之の言う・歌のさま)である。

 

 

内裏の御屏風に                      元輔

四百二十 月影のたなかみがはにきよければ あじろにひをのよるも見えけり

内裏の御屏風に     (清原元輔・後撰和歌集撰者・清少納言の父)

(月の光が田上川に清く澄んで照るので、網代に氷魚の、寄りくるのも・夜でも、見えることよ……つき人壮士の陰が、多な上川に、来好いので、あの寄り処に、よわよわしい小うおも、夜、見ていることよ)

 

言の戯れと言の心

「月影…「たなかみがは…田なかみ川…川の名…名は戯れる。多な上かは・多情な女のおんな」「上…女の敬称」「川…言の心は女…おんな」「きよい…清い…澄んでいる…つきかげと川のほめ言葉」「あじろ…網代…足代」「代…代わり…寄り処」「ひを…氷魚…弱々しい小魚…よわよわしいおとこ…これはおとこの卑下」「魚…いを…うお…おとこ」「見…目に見る…覯…媾…まぐあい」

 

歌の清げな姿は、初冬の川に網代のある風景。

心におかしきところは、内裏の女の局の寝床の御屏風の絵に書き付けた歌。

 

さすが、歌のプロフェッショナル。「をかし」好きの清少納言の父である。依頼者の女人の喜び笑うさまが見える。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

和歌の表現様式について述べる(以下は再掲載)


 紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って、平安時代の
和歌の表現様式を考察すると次のように言える。「常に
複数の意味を孕むやっかいな言葉を逆手にとって、歌に複数の意味を持たせる高度な文芸である。視覚・聴覚に感じる景色や物などに、寄せて(又は付けて)、景色や物の様子なども、官能的な気色も、人の深い心根も、同時に表現する。エロチシズムのある様式である」。

 


帯とけの拾遺抄 巻第九 雑上 (四百十七)(四百十八)

2015-09-26 00:13:47 | 古典

          

 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読んでいる。

公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。勅撰集に採られるような歌には、必ずこの三つの意味が有るだろう。

今の国文学の和歌解釈方法は棚上げしておくが、やがて、平安時代にはあり得ない奇妙な表層のみの解釈であることに気付くだろう。すでに、江戸時代に解釈方法を根本的に間違えていたのである。


 

拾遺抄 巻第九 雑上 百二首

 

延喜御時月令御屏風歌                   躬恒

四百十七  かりてほす山田のいねをかぞへつつ おほくのとしをつみてけるかな

(刈っては干す、山田の稲を並べ立てつつ、この農夫・多くの歳月を積み重ねたのだなあ……猟して、むさぼっりくい・ほす、山ば多のい寝を、数々経つつ・筒、多くの疾しを、積み重ねてきたなあゝ)

 

言の戯れと言の心

「かり…刈り…狩り…猟…あさり・むさぼり…めとり・まぐあい」「ほす…干す…(稲を逆さまにして)干す…(のみ)ほす…(やり)尽くす」「山田…山ば多」「いね…稲…ゐ寝…共寝」「をかぞへ…数え…列挙し…ならべたて」「つつ…継続・反復を表す…筒…中空のもの…おとこの果て」「とし…年…歳…疾し…早過ぎること…ほんの一時…おとこのはかないさが」「つみ…積み…重ね」「けるかな…感動の意を表す…詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、稲刈りして干す農夫の居る山田の風景。

心におかしきところは、おとなの男になってより数十年、一瞬の快楽、何千・何万回、重ねつづけたかなあ。

 

 

題不知                      読人不知

四百十八  かのみゆるいけ辺にたてるそが菊の しがみさ枝いろのてこらさ

題しらず                     (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(彼の見える池辺に立っている其の菊の、茂るさ枝、花の・色の、乙女のような可憐さ……あの人の見る、逝けのほとりに立つ、その草花の、しがみつく小枝、色情の乙女のような可愛さ

 

言の戯れと言の心

「かの…彼の…あちらの…彼の人の」「見ゆる…目に見えている…見ている」「見…覯…媾…まぐあい」「いけ辺…池辺…逝け辺…感の極みの涯けっぷち」「そが…其が…其の…黄色のことだとか他に色々な説がある、いずれにしても、古今集の歌が秘伝と成って歌言葉が埋もれた後の説である…彼のに対して其の」「菊…草花の名…言の心は女」「しがみ…じがみ(つく)…士が身・肢が身…(拾遺集雑秋では)繁み(表向きこのように聞く)…頻繁・繁殖」「さ枝…小枝…身の枝…おとこ」「いろ…色…色彩…表情・素振…色情」「てこらさ…手児らさ…葛飾のままの手児な(万葉集の歌語)のような…可愛い乙女のような」「ら…複数を表す…同類のものを表す…状態を表す」

 

歌の清げな姿は、秋の草花、菊の可憐さ。

心におかしきところは、飽き満ちたりて、逝けのほとりにたつ、乙女の可憐なさま。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

和歌の表現様式について述べる(以下は再掲載)


紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って、平安時代の和歌の表現様式を考察すると次のように言える。「常に
複数の意味を孕むやっかいな言葉を逆手にとって、歌に複数の意味を持たせる高度な文芸である。視覚・聴覚に感じる景色や物などに、寄せて(又は付けて)、景色や物の様子なども、官能的な気色も、人の深い心根も、同時に表現する。エロチシズムのある様式である」。


帯とけの拾遺抄 巻第九 雑上 (四百十五)(四百十六)

2015-09-25 00:11:21 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄

 

藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読んでいる。

公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。勅撰集に採られるような歌には、必ずこの三つの意味が有るだろう。

今の国文学の和歌解釈方法は棚上げしておくが、やがて、平安時代にはあり得ない奇妙な表層のみの解釈であることに気付くだろう。すでに、江戸時代に解釈方法を根本的に間違えていたのである。


 

拾遺抄 巻第九 雑上 百二首

 

亭子院大井に御幸ありて、行幸もありぬべき所なりとおほせ給ふに、

ことのよしそうせんとまうして            一条摂政

四百十五  をぐら山みねのもみぢも心あらば いまひとたびのみゆきまたなん

亭子院、大井に御幸あって、天皇の・行幸もあって然るべき所であると仰せになられたので、ことの理由を奏上致しましょうと申し上げて、 (一条摂政・藤原忠平・小一条太政大臣・貞信公)

(小倉山、峰の紅葉も、公の事を思う・心あるならば、今、一度の行幸を待っていてほしい……お暗の山ば、頂点のあき色の果て方よ、ひとを思う・心あるならば、井間、一度のみゆき、待っているだろうよ)

 

言の戯れと言の心

「をぐら山…小倉山…山の名…名は戯れる。小暗の山ば、おとこの果て方の山ば」「山…感情などの山ば」「みね…峰…頂上…感の極み」「もみぢ…秋の色…飽きの色情…厭きの色情…も見じ…見ない」「み…見…覯…媾…まぐあい」「心あらば…公事を思う心が有るならば…相手を思い遣る心が有るならば…おんなを思い遣る心が有るならば」「いまひとたび…いま一度…再度」「いま…今…井間…おんな」「みゆき…御幸…見ゆき」「なん…なむ…強く望む意を表す…してほしい…現在推量の意を表すこともある…(いまは)しているだろう…当然・適当の意を表す…すべきだろう」

 

歌の清げな姿は、小倉山の紅葉に呼びかけた、お願い。

心におかしきところは、飽き色の果て方よ、井まを思い遣る心が有るならば、二見させて当然だろう。

 

 

其後延喜帝王かの所に行幸ありけるひ、あまたの歌よませ給ひける中に

   貫之

四百十六 大井がはかは辺のまつにこととはん かかるみゆきや有りしむかしも

其の後に、延喜帝王、かの所に行幸のあった日、数多き歌を詠ませられた中に、  紀貫之

(大井川、川辺の、長寿の・松に一言問いたい、このような、すばらしい・行幸は、昔もあったか、なかっただろうな……おお井かは、お付きの老女に一言問いたい、このような、見ゆきはかって有ったか無かったな、武樫の身よ)

 

言の戯れと言の心

「大井川…川の名…名は戯れる。大いなる井かは、多い女」「大…井や川のほめ言葉では無い」「井・川…言の心は女…おんな」「まつ…松…長寿…待つ…言の心は女」「みゆき…行幸…このような言葉も戯れる。見ゆき、身ゆき、み逝き尽き」「や…疑問を表す…反語を表す」「むかし…昔…武樫…おとこのほめ言葉…伊勢物語の語り出しの、むかしをとこありけり(昔、男ありけり…武樫おとこありけり)と聞く文脈にある」「も…並列を表す…意味を強める…感動・詠嘆を表す」

「川」や「松」の言の心は女であると、先ず、その気になった上で(仮にこの文脈に立ち入った上で)、紀貫之『土佐日記』を読んでください。これらの「言の心」を教示することが『土佐日記』を書いた主な目的だったか、とさえ思える。ついでながら、みなと(泊り)、海、鶴(鳥)なども言の心は女。月、舟などは、男。

 

歌の清げな姿は、御幸の盛大なありさまを、前代未聞であろうと老松に問う。

心におかしきところは、このような、みゆきは、未だかって有っただろうか、おお井かはの待つおんなに問うところ。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

和歌の表現様式について述べる(以下は再掲載)


 紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って、平安時代の和歌の表現様式を考察すると次のようである。「常に
複数の意味を孕むやっかいな言葉を逆手にとって、歌に複数の意味を持たせる高度な文芸である。視覚・聴覚に感じる景色や物などに、寄せて(又は付けて)、景色や物の様子なども、官能的な気色も、人の深い心根も、同時に表現する。エロチシズムのある様式である」。