帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (257)白露の色はひとつをいかにして

2017-07-31 20:09:17 | 古典

            

 

                        帯とけの古今和歌集


                        ――
秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現である。それは、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、秘伝は埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下257

 

是貞親王家歌合によめる        敏行朝臣

白露の色はひとつをいかにして 秋の木の葉をちゞに染む覧

(是貞親王家歌合のために、詠んだと思われる・歌) 藤原敏行(この歌合、詠み人は出席していないだろう)

(白露の色は一つなのに、どうして、秋の木の葉を、千々に染めるのだろう……しら露の色は、ただ一色なのだなあ、どうして、厭きの此の端、お、縮み、背くのだろう・乱)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「白露…草木に降りる露…厭きに送り置くおとこ白つゆ」「いろはひとつ…色は白一色…色情は一過性」「を…対象を示す…なのに…逆接を表す…なあ…感動・詠嘆を表す…おとこ」「秋…季節の秋…飽き…厭き」「木…言の心は男…梅・桜・橘・柳など言の心は男」「葉…は…端…身の端」「ちゞ…千ゞ…多情…多色」「そむ…染める…色付かせる…そむく…離れ離れになる」「覧…見…覯…まぐあう…らん…らむ…だろう(推量を表す)…乱…乱れる…(山ば)荒らし」。

 

降りた白露の色は一つなのに、どのようにして、秋の木の葉を、千々に染めるのだろう。――歌の清げな姿。(歌合では、講師(読み上げる人)が、感情を込めず、長く延ばしながら、ゆっくりと三度読み上げるのだろう。出席の「聞き耳」ある大人たちは多重の意味を聞き取り楽しむ)

おとこ白つゆの色情は、ただ一つ、一過性なのだなあ、どうして、厭きの此の端、お、縮み、そっぽ向くのだろう・山ば嵐。――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (256)秋風の吹きにし日よりをとは山

2017-07-30 19:23:19 | 古典

            

 

                        帯とけの古今和歌集

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現である。それは、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、秘伝は埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下256

 

石山にまうでける時、音羽山のもみぢを見てよめる

  貫  

秋風の吹きにし日よりをとは山 みねの梢も色づきにけり

(石山寺に参詣した時、音羽山の紅葉を見て詠んだと思われる・歌……女、山ばに、参った時、おと端山ばの厭き色を見て、詠んだらしい・歌) つらゆき

(秋風が吹いた日より、音羽山の峰の木々の梢も、秋色に色付いたことよ……厭き風が心に吹いたころより、おと端の山ばの、身根の小枝は、色尽きたことよ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

 「石…石・岩・磯などの言の心は女」「まうづ…詣でる…参上する…ゆくの謙譲語」「をとは山…音羽山…山の名…名は戯れる…をと端山…おとこの山ば」。

「秋…季節の秋…飽き…厭き」「木…言の心は男」「風…季節風…心に吹く風…飽き風など」「みね…峰…頂上…絶頂…身根…おとこ」「梢…木の小枝…男の身の小枝…おとこ」「も…もまた…或る事柄にもう一つ追加する意を表す…意味を強め詠嘆する意を表す」「色づく…色付く…色尽く…色情尽きる」「色…色彩…色情…色欲」。

 

秋風が吹いた日より、音羽山の峰の梢も、秋の色彩に色付いたことよ。(季節の移ろいを表現した歌と思われる)。――歌の清げな姿。

厭き風が心に吹いたときより、おと端の山ばの、身根の小枝はなあ、もう、色尽きていたことよ。――心におかしきところ。(これこそが歌の真髄であり、歌が恋しくなるもとである)

 

この歌は、仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を得たらん人は、大空の月を見るが如くに、古を仰ぎて、今を恋ひざらめかも」と記した紀貫之の歌である。「言の心」とは字義以外に、その時代の歌の文脈で歌言葉の孕んでいた意味である。用いられ方から心得るしかない。 

紀貫之は「歌を多重の意味を表す様式であると知り、歌言葉の言の心を心得る人は、古歌を仰ぎ見て、歌の真髄がわかり、今の歌が恋しくなるであろう」と、述べたのである。

 

国文学は、歌の表現様式を一義なものとばかり思い、「ことの心」を「事の心」と読み、「言の心」を心得ず、歌の「心におかしきところ」がわからず、古典和歌の解釈は、歌の真髄から遠く離れているのである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)

 


帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (255)おなじ枝をわきて木の葉のうつろふは

2017-07-16 19:04:16 | 古典

            

 

                       帯とけの古今和歌集

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下255

 

貞観御時、綾殿の前に、梅の木ありけり。西の方にさせり

ける枝のもみぢ始めけるを、殿上に侍ふ男どものよみけるつ

いでによめる。                藤原勝臣

 おなじ枝をわきて木の葉のうつろふは 西こそ秋のはじめなりけれ

(貞観の御時、綾綺殿の前に梅の木があった。西の方にさし出た枝がもみぢし始めたのを、殿上に侍う男どもが詠んだ、ついでに詠んだと思われる・歌……清和天皇の御時(859876)、綾綺殿の前に梅の木(男木)があった。西(丹肢)の方にさし出た肢が、厭き色に変わったのを殿上に侍う男どもが詠んだ。その機会にさりげなく詠んだらしい・歌)、藤原勝臣(この頃まだ若く、殿上人ではなかった)

(同じ木の枝なのに、特別に、木の葉が、色づき枯れゆくのは、西方こそ、秋の始めだったのだなあ……同じ人の身の枝なのに、別けて、男の身の端の色情衰えるのは、丹肢こそ厭きの始まりだったなあ・嬪が肢ではなく)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「枝…木の枝…身の肢」「を…なのに」「木…言の心は男」「葉…端…身の端」「うつろふ…移ろう…悪い方に変化する…秋色変わる…色情衰える」「西…にし…丹肢…赤土色の身の肢…おとこ…(東…ひんがし…嬪が肢…おんな)ではない」「秋…飽き…厭き…も見じ」。

 

同じ木の枝なのに、特別に西の枝の葉が秋色になるのは、やはり西方から、秋が来始めるのだなあ。――歌の清げな姿。

人の厭きは、にし(丹肢)から始まるようですなあ・天の摂理かも、ひんがし(嬪が肢)に厭きが来るのは何時の事やら。――心におかしきところ。

 

 殿上人たちは、通う妻の嬪が肢の、厭きの遅さに悩む歌を詠んでいたのだろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (254)ちはやぶる神なび山のもみぢばに

2017-07-15 20:52:34 | 古典

            


                        帯と
けの古今和歌集

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下254

 

(題しらず)               (よみ人しらず)

ちはやぶる神なび山のもみぢばに 思ひはかけじうつろふ物を

(題知らず)                (読み人知らず・女の歌として聞く)

(ちはやぶる神の座す山の紅葉に、思いを掛けまい、やはり・衰え枯れるのだから……血早振る上の貴身の激情の山ばの、も見じ端に、思いを懸けないわ、衰え涸れゆくのですもの)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「ちはやぶる…神の枕詞…千早振る…血早振る…勢い盛んな人」「神…かみ…上…上に乗ってる男」「神なび山…神の鎮座する山…上な火山…上の男の激情の山ば」「び…火…激情のたとえ」「もみぢ葉…秋の木の葉の色…厭きの男の身の端の色情…も見じ端…もう見ない身の端」「見…覯…媾…まぐあい」「じ…打消しを表す」「うつろふ…悪い方に変化する…衰える…枯れ落ちる…涸れ逝く」「物を…感嘆・詠嘆を表す」。

 

ちはやぶる神の鎮座する山のもみじ葉にも、思いは掛けない、やはり枯れ落ちるのだからなあ。――歌の清げな姿。

血気盛んな上のお人の激情の山ばの、飽きの色情の身の端にも、思いは懸けないわ、あっけなく衰え逝くのだから。――心におかしきところ。

 

匿名の女歌三首は、おとこの盛りの、早い移ろいを、心におかしく表現した歌だろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (253)神無月時雨もいまだふらなくに

2017-07-14 19:06:23 | 古典

            


                        帯と
けの古今和歌集

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下253

 

(題しらず)            (よみ人しらず)

神無月時雨もいまだふらなくに かねてうつろふ神なびの森

(題知らず)             (詠み人知らず・女の歌として聞く)

(神無月・初冬十月、しぐれも未だ降らないのに、その前に、衰え枯れゆく神なびの森……上の月人おとこ、その時のおとこ雨も未だ降らないのに、その前に、衰える、上のおとこの激情の盛りよ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「神…かむ…かみ…上…上になっている男」「無…な…の」「月…月人壮士…おとこ…突き…尽き」「時雨…しぐれ…冬の雨…その時のおとこ雨」「かねて…予ねて…前もって…その前に」「うつろふ…移ろう…悪い方に変化する…衰える」「神なび…上な火…上のおとこの激情」「な…の」「ひ…火…激情のたとえ」「森…もり…盛り…盛り上がり…あゝ盛りよ・体言止めは余情がある」。

 

神無月、しぐれも未だ降らないのに、その前に、枯れ衰える神の座す森・神は出雲へお出かけかしら。――歌の清げな姿。

上にいる貴身、つめたいおとこ雨も降らないのに、その前に、衰えゆく上の君の火(激情)の盛りよ。――心におかしきところ。

 

おとこの情熱のはかなく衰えるさまを、清げな言葉で表現した歌のようである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)