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帯とけの枕草子〔百三十〕五月ばかり
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔百三十〕五月ばかり
五月ごろ、月もなくたいそう暗いときに、「女房はおられますか」という声がするので、「出て見よ、いつになく言うのは誰かしらね」と仰せになられれば、「こはたそ、いとおどろおどろしう、きはやかなるは(そなたは誰、とっても騒々しいのは…これは誰よ、おどろくほど際立っているのは)」と言う。ものも言わずに、みす(御簾…身す)をもちあげて、がさごそと差し入っている、くれ竹(呉竹)だったのだ。
「おひこの君にこそ(おゝこの君ですね…感極まった子の君なのね)」と言ったのを聞いて、「さあさあ、このことを、まず殿上に行って語りぐさにしょう」といって、式部卿の宮の源中将、六位の者どもなど、居た人たちは帰って行った。
頭の弁(行成)は留まっておられた。「変に帰ってしまう者どもだなあ、御前(清涼殿の庭)の竹を折って、歌を詠もうとしたが、同じことなら職の御曹司に参って、女房など呼びだしてと、竹を持って来たのに、くれたけの名(呉竹の別名…呉竹の意味)を早速言われて帰るとは、かわいいもんだ。あなたは誰の教えを聞いて、(女の)普通は知りそうもないことを、言うのだ」などとおっしゃるので、「たけの名とも知らぬものを。なめしとやおぼしつらん(竹の名だとも知らないのよ。おい!この君かと言って・失礼なとでも思われたのかしら)」というと、「ほんとうに、それを知らないのかなあ」などとおっしゃる。
まじめな話もしていらっしるところに、「うへてこの君としようす(植えてこの君と称す…種うえつけて子の君と称す)」とうたって、また集まって来たので、「殿上で話して決めた本意もないうちに、どうして帰って行かれたのかと、ふしぎがっていましたよ・清少納言と」とおっしゃると、「あのような言葉には、何と応えようか。なかなか難しいだろう、殿上であれこれ言って騒がしくしていたところ、主上もお聞きになられて興じておられた」と語る。
頭の弁(行成)も共に同じことを返す返すおうたいになって、たいそうおかしかったので、人々はそれぞれ違った話をして、夜を明かして帰るときにも、なおも同じことを声合わせてうたい、左衛門の陣に入るまで聞こえる。
明けてすぐに、少納言の命婦(主上付き女房)という人が、主上の御文を持って来られたときに、このことを宮に申し上げたので、局に下がっていた私を召されて、「そのようなことがあったのか」とおたずねになられるので、「知りません、何のことか知らないで言いましたものを、行成の朝臣がよいようにとりなしたのでございましょうか」と申し上げると、「とりなすとも(とりなすでしょうね、知らないことにしてくれたのね…鶏成すでしょうね、あけてまつ仲だからね)」と、うちゑませ給へり(にっこり微笑まれた)。
誰のことであっても、殿上人が褒めたなどとお聞きになられると、そう言われる人を、よろこばせ給もをかし(お喜びになられるのもおかしい)。
言の戯れと言の心
「みす…御簾…身す」「す…女」「呉…おおきい…娯…たのしむ…娯楽」「竹…君…男…おとこ」「おひ…おい…(驚いて)おお!…老い…追い…ものの極み…感の極み」「おいこの君…おい、此の君…感極まったおとこ…呉竹…娯楽中の子の君」「とりなし…取り成す…取り繕う…(竹…男君)とは知らなかったことにしてくれる」「とり…取り…鶏…鳥…言の心は女」「なす…為す…成す」。
男たちが朗詠した詩句は、
種而称此君、唐太子賓客白楽天、愛而為我友(藤原公任撰、和漢朗詠集・竹)。
清げな意味はともかくとして、心におかしきところは「……種うえつけて子の君と称す、唐(大きい)!太子(太い子)! 嬪脚、白楽、天! 愛でて(女は)わが友となす」。男の言葉も戯れる。
話に花が咲いたわけは、わかるでしょう。紫式部が「賢ぶって、まな書き散らし、よく見れば、また、耐えられないことが多くある(紫式部日記)」と批判することもわかるでしょう。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)
原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による