帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (189)いつはとは時はわかねど秋の夜ぞ

2017-03-31 19:05:53 | 古典

             

 

                        帯とけの古今和歌集

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 189

 

是貞親王家歌合の歌           (よみ人しらず)

いつはとは時はわかねど秋の夜ぞ 物思ふことのかぎりなりける

是貞親王家(宇多天皇と御兄弟のお方宅)での、寛平の御時の歌合の歌。 (詠み人知らず・女の歌として聞く)

(何時とは、時はわからないけれど、もの哀しい・秋の夜長ぞ、悩みごとなど・思うことの、極みだったことよ……いつとは、時は、わからないけれど、飽き満ち足りの夜ぞ、もの思うことの頂点・この世の快楽の頂天、だったことよ)。

 


 歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「いつ…何時…射つ…射た…放出した」「時…時期…とき…好機…ときめく時」「わかねど…分からないけれど…判別できないけれど」「秋…もの悲しい季節…飽き…満ち足りる時…厭き…嫌になる時」「物思ふ…もの思いする…憂い悩む・悔やみ悩む…恋いする・乞いする」「かぎり…限り…極限…ものの極み…感の極み…有頂天」「なりける…なりけり…(何々で)あったなあ…気付いてみると(何々)だった」。

 

何時とは、時節は分別できないけれど、もの哀しい秋の夜こそ、悩みごと思う極みだったことよ。――歌の清げな姿。

射たなとは・時は分からないけれど、飽き満ち足りの夜こそ、この世の快楽の感の極みだったわ。――心におかしきところ。

 

匿名の女歌は、自己のエロス(性愛・生の本能)の躊躇なき表出である。それは、俊成のいう通り「煩悩」である。

 

「是貞親王家歌合」のことは伝わらないが、「歌人」の男歌と組み合わされたに違いない。その両歌の「心におかしきところ」が、相乗効果により、いっそう、心におかしさ増しただろうと想像される。それが歌合わせの醍醐味だろう。清げな姿を合わせてもなにも起こらない。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)




帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (188) ひとりぬる床は草葉にあらねども

2017-03-30 19:09:57 | 古典

             

 

                         帯とけの古今和歌集

                 ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 188

 

(題しらず)              (よみ人しらず)

ひとりぬる床は草葉にあらねども 秋くるよひは露けかりけり
                                 
(詠み人知らず・女の詠んだ歌として聞く)

(独り寝る床は、草葉ではないけれど、秋の来る宵は、夜露で・涙のつゆで、湿っぽいことよ……独り寝る・ひとりでに濡れる、処は、草端ではないけれども、飽き繰る好いは、白つゆで湿っぽかったなあ)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「ひとりぬる…独り寝る…ひとり濡る…独りでに濡れる」「とこ…床…寝床…処…ところ」「草葉…水草・菜などを含む草の言の心は女、若草の妻などと用いられるのはそのため…草端…女の身の端」「あらねども…ないけれど…あらず、だけれども…違うものだけれど」「秋…厭き…わかれ…飽き…飽き満ち足り」「くる…来る…繰る…繰り返す」「よひ…宵…好い」「つゆけかり…露けかり…露ぽい…つゆぽい」「露…白露…つゆ…おとこ白つゆ」「けり…気付き・詠嘆の意を表す…過去回想の意を表す」。

 

独り寝の床は、草葉製ではないけれども、もの哀しい秋来る宵は、涙で露っぽいことよ。――歌の清げな姿。

ひとりでに濡れる処は、くさ端ではないけれど、飽き満ち足りの繰り返し来る好い好いは、白つゆっぽかったなあ。――心におかしきところ。

 

男と別れ独り身となった人、いまは悔やんで居るのだろうか、心も身の端も、懐かしむ思いを、言葉にした歌のようである。

それに、「心におかしきところ」に余情のように添えられてあるのは、妖艶ともいえるエロス。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (187) 物ごとに秋ぞかなしきもみぢつゝ

2017-03-29 19:37:57 | 古典

             

 

                        帯とけの古今和歌集

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 187

 

(題しらず)               (よみ人しらず)

物ごとに秋ぞかなしきもみぢつゝ うつろひゆくを限りとおもへば

                          (詠み人知らず・女の詠んだ歌として聞く)

(物、ことごとく、秋は哀しい、紅葉も色変わりつつ、移ろい・枯れ落ち、逝くのを、命の・限りと思えば……もの毎に、飽きは愛しくやがて哀しい、紅の色情も、色褪せ逝く、お、これが限りと思うので)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「物ごと…物毎…万物…風物ことごとく」「もの…言い難きものの代名詞…性愛など」「秋…飽き…厭き」「かなしき…悲しき…哀しき…愛しき」「うつろひ…移ろい…良くない方へ変化する…衰え」「ゆく…行く…逝く」「を…ので(接続詞)…ことよ(感嘆詞)…お(名詞)…男…おとこ」「かぎり…(命の)限り…(性愛の)限り」。

 

万物、秋は哀しい、もみじ葉も移ろいゆくので、生きとしいける物、命の限りと思えば。――歌の清げな姿。

ものの、その度に、飽きは愛しく哀しい、飽きの色情、移ろいつつ、逝くおとこよ、これっきりと思えば。――心におかしきところ。

 

歌は、人の心に思うことを、見る物聞くものに付けて、言葉に表すものという。これが歌の基本である。

詠み人しらず(匿名)で詠む女たちの歌は、面目や恥じなど棄てて詠まれるので、生の思いの本音が顕れる。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (186) わがためにくる秋にしもあらなくに

2017-03-28 19:03:37 | 古典

             

 

                        帯とけの古今和歌集

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 186

 

(題しらず)                (よみ人しらず)

わがためにくる秋にしもあらなくに 虫の音きけばまづぞかなしき

題知らず                  (詠み人知らず・女の詠んだ歌として聞く)

(わたしの為に来る秋ではありはしないのに、虫の音、聞けば、先ず、哀しいことよ……わが、多めに繰る飽き満ち足りではありはしないのに、おとこの虫の息音・無視の寝息の音、聞けば、間津ぞ哀しきことよ)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「わがために…我が為に…わが多女に…わが多情なおんなに」「め…女…おんな」「くる…(季節の秋が)来る…繰る…(飽き満ち足りを)繰り返す」「しも…強調」「あらなくに…ないのに…ありもしないのに」「むしのね…虫の音…か細いけはい…無視の寝…無視の男の寝」「ね…音…声…寝」「まづぞ…真っ先に…間津ぞ…おんなぞ」「間・津…言の心は女」「かなしき…哀しき…愛しき…(わが間が)いじらしい」。

 

巡り来る季節なのに、虫の音聞く秋は、先ず、何だかもの哀しい。――歌の清げな姿。

わが多情なおんな、繰り返し飽き満ち足りないのに、おとこの虫の息音・無視の寝息の音、聞けば、間づぞ哀しく、間づぞいじらしい。――心におかしきところ。

 

この詠み人は、おとこの性(さが)のはかなさも、多めである女のさがも充分に承知しているだろう。その上で、女の心に思うことを、言葉にして表出した。その生なましさは「清げな姿」に包まれてある。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (185) おほかたの秋くるからにわが身こそ

2017-03-27 19:18:32 | 古典

             

 

                        帯とけの古今和歌集

                              ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 185

 

(題しらず)                 (よみ人しらず)

おほかたの秋くるからにわが身こそ かなしきものと思ひ知りぬれ

                    (詠み人知らず・女の詠んだ歌として聞く)

(世の中に普通の秋がくるのに、わが身にだけ、哀しいものと思い知ってしまった……男の方・普通の飽きがくるのに、女のわが身だけ、哀しく愛しいものと思い知り、濡る)。

 


  歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「おほかたの…大方の…世間一般の…普通の…おほ方の…男の方の」「お・ほ…おとこ」「秋…あき…飽き…飽き満ち足り…厭き…嫌気」「かなしき…悲しき…哀しき…愛しき」「もの…はっきり指示し難いもの…わが身・おんな」「ぬれ…ぬる…ぬ…完了した意を表す…寝る…濡る…濡れる」。

 

世間一般の、普通の秋がくるのに、わが身だけ、何だか哀しいものと思い知ってしまった。――歌の清げな姿。

おとこ方に、並みの飽きがくるのに、わが身だけ、もの哀しく愛しいものと思い知り、寝る、濡れる。――心におかしきところ。

 

歌は「清げな姿」を保ちながら、それに付けて、女性の性愛の飽き満ち足りと果ての思いを、言葉で表現したのである。

 

今や、一千百年ほど前の古典和歌のエロス(性愛・生の本能)は、枯れ木のように埋もれ、表面の「清げな姿」が見えているだけである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)