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帯とけの拾遺抄
『拾遺抄』十巻の歌を、藤原公任『新撰髄脳』の「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って紐解いている。
紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、この時代の和歌を解釈するのは無謀である。彼らの歌論によれば、和歌は清げな衣に包んで表現されてあるものを、近代人は、清げな姿を観賞し歌の心を憶測し憶見を述べて歌の解釈とする。そうして、色気のない「くだらぬ歌」にしてしまった。
貫之の言う通り、歌の様(表現様式)を知り、「言の心」を心得れば、清げな衣に包まれた、公任のいう「心におかしきところ」が顕れる。人の心根である。言い換えれば「煩悩」である。歌に詠まれたからには「即ち菩提(真実を悟る境地)」であると俊成はいう。これこそが和歌の真髄である。
拾遺抄 巻第二 夏 三十二首
天暦御時の屏風によどの渡をすぐる人有る所に郭公をかける 忠見
七十三 いづかたになきてゆくらん郭公 よどのわたりのまだよふかきに
天暦御時の屏風に、淀の渡り場を行き過ぎる人の有る所に、郭公を描いてあった 壬生忠見
(どちらの方に、鳴いてゆくのだろう、ほととぎす、淀の渡し場が未だ夜深い時に……どちらの方が、泣いて逝くのだろう、ほと伽す、夜殿の辺りが未だ夜深いのに)
歌言葉の「言の心」と言の戯れ
「いづかたに…どちらの方に…どちら方におかれては(珍しく女の方らしい)」「なきて…鳴きて…泣きて」「ゆく…行く…逝く」「郭公…ほととぎす…鳥の名…名は戯れる。ほと伽す、且つ乞う」「鳥…言の心は女」「よどのわたり…淀の渡リ…淀の船着き場…夜殿辺り…寝所の辺り」「夜深き…夜明けまで未だ間がある時…暁か曙に共に逝くのが理想の時」
歌の清げな姿は、夜の渡し場に郭公の鳴く風景。
心におかしきところは、かつこう方が珍しく先立つた気色。
小野宮の大臣の家の屏風に渡りしたる所に郭公なきたるかた有る所に
つらゆき
七十四 かのかたにはやこぎよせよ郭公 道になきつと人にかたらむ
小野宮の大臣の家の屏風に、船渡りしている所に、郭公鳴いている絵が有るところに 貫之
(彼の方に、早く漕ぎ寄せよ、ほととぎすが道で鳴いていたと、人々に語ろうと思う……あの人のもとに、早くこき、寄せよう、かつこうが、途中で、泣いてしまったねとあの人に語ろう)
歌言葉の「言の心」と言の戯れ
「かのかた…彼の方向…彼方…彼女の方」「こぎ…漕ぎ…こき…体外に出し」「郭公…上の歌に同じ」「道…道中…ものの途中…夜深い時」「なきつ…鳴いた…(喜びに)泣いてしまった」「つ…完了した意を表す」「人…人々…女」「む…意志を表す」
歌の清げな姿は、バードウォッチング情報。
心におかしきところは、おとこの本望が叶ったらしい、睦言はつづく。
小野宮の大臣は藤原実頼、公任の祖父。この屏風は、きっと公任も見ただろう。その歌を秀歌に撰んだからには、公任の言う「優れた歌の定義」に適っているにちがいない。男の深いエロス(生の本能)が詠まれてあり、姿は邪気なく清よげである。顕れる男の心情は心におかしい。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。