帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第二 夏 (七十三)(七十四)

2015-02-28 00:18:13 | 古典

        



                     帯とけの拾遺抄



 『拾遺抄』十巻の歌を、藤原公任『新撰髄脳』の「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って紐解いている。

紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、この時代の和歌を解釈するのは無謀である。彼らの歌論によれば、和歌は清げな衣に包んで表現されてあるものを、近代人は、清げな姿を観賞し歌の心を憶測し憶見を述べて歌の解釈とする。そうして、色気のない「くだらぬ歌」にしてしまった。

貫之の言う通り、歌の様(表現様式)を知り、「言の心」を心得れば、清げな衣に包まれた、公任のいう「心におかしきところ」が顕れる。人の心根である。言い換えれば「煩悩」である。歌に詠まれたからには「即ち菩提(真実を悟る境地)」であると俊成はいう。これこそが和歌の真髄である。



 拾遺抄 巻第二 夏
 三十二首


      天暦御時の屏風によどの渡をすぐる人有る所に郭公をかける  忠見

七十三 いづかたになきてゆくらん郭公 よどのわたりのまだよふかきに
     
天暦御時の屏風に、淀の渡り場を行き過ぎる人の有る所に、郭公を描いてあった  壬生忠見

(どちらの方に、鳴いてゆくのだろう、ほととぎす、淀の渡し場が未だ夜深い時に……どちらの方が、泣いて逝くのだろう、ほと伽す、夜殿の辺りが未だ夜深いのに)


 歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「いづかたに…どちらの方に…どちら方におかれては(珍しく女の方らしい)」「なきて…鳴きて…泣きて」「ゆく…行く…逝く」「郭公…ほととぎす…鳥の名…名は戯れる。ほと伽す、且つ乞う」「鳥…言の心は女」「よどのわたり…淀の渡リ…淀の船着き場…夜殿辺り…寝所の辺り」「夜深き…夜明けまで未だ間がある時…暁か曙に共に逝くのが理想の時」

 

歌の清げな姿は、夜の渡し場に郭公の鳴く風景。

心におかしきところは、かつこう方が珍しく先立つた気色。


 

     小野宮の大臣の家の屏風に渡りしたる所に郭公なきたるかた有る所に 
                               
つらゆき

七十四 かのかたにはやこぎよせよ郭公 道になきつと人にかたらむ
    
小野宮の大臣の家の屏風に、船渡りしている所に、郭公鳴いている絵が有るところに  貫之

(彼の方に、早く漕ぎ寄せよ、ほととぎすが道で鳴いていたと、人々に語ろうと思う……あの人のもとに、早くこき、寄せよう、かつこうが、途中で、泣いてしまったねとあの人に語ろう)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「かのかた…彼の方向…彼方…彼女の方」「こぎ…漕ぎ…こき…体外に出し」「郭公…上の歌に同じ」「道…道中…ものの途中…夜深い時」「なきつ…鳴いた…(喜びに)泣いてしまった」「つ…完了した意を表す」「人…人々…女」「む…意志を表す」

 

歌の清げな姿は、バードウォッチング情報。

心におかしきところは、おとこの本望が叶ったらしい、睦言はつづく。

 

小野宮の大臣は藤原実頼、公任の祖父。この屏風は、きっと公任も見ただろう。その歌を秀歌に撰んだからには、公任の言う「優れた歌の定義」に適っているにちがいない。男の深いエロス(生の本能)が詠まれてあり、姿は邪気なく清よげである。顕れる男の心情は心におかしい。

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第二 夏 (七十一)(七十二)

2015-02-27 00:14:02 | 古典

        



                     帯とけの拾遺抄



 『拾遺抄』十巻の歌を、藤原公任『新撰髄脳』の「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って紐解いている。

紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、この時代の和歌を解釈するのは無謀である。彼らの歌論によれば、和歌は清げな衣に包んで表現されてあるものを、近代人は、清げな姿を観賞し歌の心を憶測し憶見を述べて歌の解釈とする。そうして、色気のない「くだらぬ歌」にしてしまった。

貫之の言う通り、歌の様(表現様式)を知り、「言の心」を心得れば、清げな衣に包まれた、公任のいう「心におかしきところ」が顕れる。人の心根である。言い換えれば「煩悩」である。歌に詠まれたからには「即ち菩提(真実を悟る境地)」であると俊成はいう。これこそが和歌の真髄である。



 拾遺抄 巻第二 夏
 三十二首


     題不知                      延喜御製

七十一 あしひきの山郭公けふとてや あやめの草のねにたてて鳴く
    
題しらず                     延喜の御時の御製

(あの山のほととぎす、今日・節句・というのでかな、あやめの草のように・美しい・声立てて鳴いている……あの山ば、且つ恋う、京とてや、美しい女たちが、声に立てて・根によって喜びに・泣いている)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「あしひきの…枕詞」「山…山ば」「郭公…ほととぎす…鳥の名…名は戯れる。ほと伽す、且つ乞う」「鳥…言の心は女」「けふ…今日…京…山の頂上…感の極み」「あやめ草…草花の名…名は戯れる。整って美しい女、綺麗な女」「草…言の心は女」「の…所有を表す…のように…比喩を表す…が…主語を表す」「ね…音…声…根」「に…手段・方法を示す…受身の時その動作の根源を示す」「鳴く…泣く」

 

歌の清げな姿は、菖蒲草香り、ほととぎすの鳴く五月五日の風景。

心におかしきところは、(民のかまどに煙たち・白妙の夏衣が干してある)、かつこう女たちの喜びの声が聞こえているところ。

御歌の心は深い。(民は衣食足って、花咲き鳥の鳴く住環境にあり、それに)子孫繁栄も間違いないであろう。

 

富士の高嶺より国見し、このような国褒めの御歌を御詠み頂けるように国造りをすることが、太政大臣はじめ大臣どものお役目である。

 

 

(題不知)                    読人不知

七十二 たがそでにおもひよそへて郭公 はなたちばなのえだに鳴くらむ

題しらず                   (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(誰の袖に思いを寄せて、ほととぎすは、花橘の枝で鳴いているのでしょうか……誰の身の端に思いを寄せて、ほととぎす・且つ乞う人、花絶ち端の枝のために泣いているのでしょう)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「そで…袖…端…身の端…おとこ」「よそへて…寄せて…比べて」「郭公…上の歌に同じ」「はなたちばな…木の花…男花…花橘…花立ち端…花絶ち端」「えだ…枝…身の枝…小枝…おとこ」「に…場所を示す…原因・理由を示す」「鳴く…泣く」「らむ…想像・推量する意を表す…原因・理由を推量する意を表す」

 

歌の清げな姿は、花橘の枝に鳴くほととぎすの風景。

心におかしきところは、かつこう鳥も同じ不満に鳴いていると想像するところ。

 


 清少納言は「枕草子」
(新日本古典文学大系・第三四・木の花は)に、花橘について、次のように述べている。

四月のつごもり五月のついたちのころほひ、橘のはのこく青きに、花のいとしろうさきたるが、雨うちふりたるつとめてなどは、よになう心あるさまにおかし。こがねの玉かとみえて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露にぬれたる、あさぼらけの桜におとらず。郭公のよすがとさへ思へばにや、猶さらにいふべうもあらず。

(四月の末、五月の一日の頃、橘の葉の濃く青いうえに、花がとっても白く咲いているのが、雨にわかに降った翌朝などは、普通では無く心あるさまで情趣がある。黄金の玉かと見えて、たいそう鮮やかに見えていたりして、朝露に濡れている、あさぼらけの桜に劣らない。郭公の頼り処とさえ思うからかな、なお更にこれ以上、言うべきではない)。


 このように、字義の通り一義に読めば、何か裏の意味が有りそうな変な文章であることに気付かないだろうか。

和歌の言葉の言の心を心得て、その戯れに慣れた当時の読者の女たちは、どのように読んでいたのだろうか。我々もこの文脈に足を踏み入れている筈である。読んでみよう。

(憂つきの末、さつきの初めのころ合いに、立ち端のとっても濃く若々しいのに、お花がとっても白く咲いているのが、おとこ雨にわかに降った翌朝などは、世にも無く有心で情感がある。朝日に輝いて・黄金の玉かと見えて、たいそう鮮やかに、おとこ・浅つゆに濡れている、朝ぼらけのさくらのお花に劣らない。且つ乞うの頼り処とさえ思うからかな。なお更にこれ以上言うべきことではない)。

 

「月…壮士…突き…尽き」「はな…花…端」「青…青年…若い」「花…木の花…男花…おとこ花」「雨…おとこ雨」「朝…浅」「つゆ…露…少し…汁」「桜…木の花…おとこ花」「郭公…且つ乞う女」「鳥…女」


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第二 夏 (六十九)(七十)

2015-02-26 00:12:08 | 古典

        

 

 

                     帯とけの拾遺抄

 

 

『拾遺抄』十巻の歌を、藤原公任『新撰髄脳』の「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って紐解いている。

紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、この時代の和歌を解釈するのは無謀である。彼らの歌論によれば、和歌は清げな衣に包んで表現されてあるものを、近代人は、清げな姿を観賞し歌の心を憶測し憶見を述べて歌の解釈とする。そうして、色気のない「くだらぬ歌」にしてしまった。

貫之の言う通り、歌の様(表現様式)を知り、「言の心」を心得れば、清げな衣に包まれた、公任のいう「心におかしきところ」が顕れる。人の心根である。言い換えれば「煩悩」である。歌に詠まれたからには「即ち菩提(真実を悟る境地)」であると俊成はいう。これこそが和歌の真髄である。

 

 

拾遺抄 巻第二 夏 三十二首

 

きたの宮のもぎの時の屏風に               公忠朝臣

六十九 行きやらで山ぢくらしつほととぎす いまひと声のきかまほしさに

内親王の成人の儀の時の屏風に             (源公忠朝臣・貫之らと同時代の人)

(行き過ぎられずに、山路で日が暮れてしまった、ほととぎす、いまもう一声が聞きたいために……宮こへ遣れず、山ばの途中て果てて心暗くさせてしまった、ほととぎす、いま、ひと声が聞きたいのに)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「行きやらで…行き遣らで…行き過ぎられなくて…逝かせられなくて…山ばの京へ遣れなくて」「山ぢ…山路…山ばへの路…山ばの途中」「くらしつ…日が暮れた…心暗くしてしまった…尽き果ててしまった」「ほととぎす…鳥の名…名は戯れる。カッコウ、ほと伽す、且つ乞う」「ひと声…一声…人声…女声」「ほしさに…欲しさに…欲しさそために…欲しいのに」「に…ために…原因理由を表す…なのに…のに(接続助詞)」

 

歌の清げな姿は、郭公の鳴く山路に野宿する旅人の風流。

心におかしきところは、女の魅力に男は山ばの途上でよれよれじゃ。親戚のおじさんの裳着の言祝ぎ。

 

 

屏風に                      大中臣能宣

七十 昨までよそにおもひしあやめ草 けふわがやどのつまと見るかな

屏風に                     (大中臣能宣・後撰集撰者・伊勢神宮祭主)

(昨日まで他所の物と思っていたあやめ草、今日・葺かれて、我が家の軒端と見ることよ……昨日まで他人と思っていた美しい人、今日・京にて、我が家の妻として、見ることよ)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「よそ…余所…他所…疎遠…他人」「あやめ草…草花の名…整って美しい女…綺麗な女」「草…言の心は女」「けふ…今日…五月五日の節句…京…宮こ…絶頂」「つま…家の軒端…妻」「見…覯…媾…まぐあい」「かな…感動・感嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、五月五日の節句に菖蒲草を葺いた我が家の風景。

心におかしきところは、寝所の屏風に書いた結婚を祝福する心。

 

 

清少納言は五月五日の節句について、枕草子(新日本古典文学大系・第三六)に次のように記している。

せちは五月にしく月はなし。さうぶ、よもぎなどのかほりあひたる、いみじうをかし(節は五月におよぶ月はない。菖蒲、蓬などが香り合っている、並々ならぬ情趣がある)

このあと宮の内でのこの日の様子などを描写し、菖蒲の葉や根を文に付けて送られて来たのを見る心地「艶なり」などとある。「女の言葉は聞き耳異なるもの」という人の文章であり、「あやめ」が綺麗な女、「根」がおとこ、「よもぎ」が荒廃した家や人、「艶」が、なまめかしいと聞こえる文脈に居れば、この文章は一義な意味ではあり得ない。

(……節・夫肢・は、さ突き・五つつき・に及ぶつきはない。綺麗な女もそうでないのも、その色香にまじり合っている、並みではない感慨がある)と読むことができる。


  枕草子の散文と拾遺抄などの和歌とは、全く同じ文脈にある。そこで同じ意味で共通して使用されていたならば、その時代にその言葉が孕んでいた意味である。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。




帯とけの拾遺抄 巻第二 夏 (六十七)(六十八)

2015-02-25 00:05:34 | 古典

        



                     帯とけの拾遺抄



 『拾遺抄』十巻の歌を、藤原公任『新撰髄脳』の「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って紐解いている。

紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、この時代の和歌を解釈するのは無謀である。彼らの歌論によれば、和歌は清げな衣に包んで表現されてあるものを、近代人は、清げな姿を観賞し歌の心を憶測し憶見を述べて歌の解釈とする。そうして、色気のない「くだらぬ歌」にしてしまった。

貫之の言う通り、歌の様(表現様式)を知り、「言の心」を心得れば、清げな衣に包まれた、公任のいう「心におかしきところ」が顕れる。人の心根である。言い換えれば「煩悩」である。歌に詠まれたからには「即ち菩提(真実を悟る境地)」であると俊成はいう。これこそが和歌の真髄である。

 

 

拾遺抄 巻第二 夏 三十二首


      題不知                       読人不知

六十七 山里にやどらざりせばほととぎす きく人もなきねをやなかまし

題しらず                     (よみ人しらず・女の歌として聞く)

 (もしもわたしが・山里に宿泊しなければ、ほととぎすよ、聞く人もない声をあげて鳴いているでしょうにね……もしも君が・山ばのさとに、宿らなければ、且つ乞う・と今泣くわたしは、効く女もない根を泣いていたでしょうに)

 

 歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「山里…山近い里…ほととぎすの声が聞こえる里…山の女(謙遜)…山ばの女」「里…言の心は女…さ門…おんな」「ほととぎす…鳥の名…名は戯れる。ほと伽す、且つ乞う」「鳥…言の心は女」「きく人…聞く人…効く女」「ねを…音を…声を…根お…おとこを」「や、なかまし…鳴くだろうになあ…泣くだろうかなあ」「や…感嘆」

 

歌の清げな姿は、郭公の夜鳴く声を山里に宿って聞く風流。

心におかしきところは、おとこを持ちあげた上で且つ乞うと泣く、女の手練手管か励ましか。


 

     敦忠朝臣の家の屏風のゑに山里に郭公のかたある所に つらゆき

六十八 この里にいかなる人かいへゐして 山郭公たえずきくらむ
    
敦忠朝臣の家の屏風の絵に山里に郭公の姿のある所に  紀貫之

(この里に、如何なる人が住んで居て、山ほととぎす・の声、常に聞いているのだろうか……このひとのもとに、如何なる男が住んでいて、山ば、且つ乞う・ひとの声、絶えず聞いている・効いている・のだろうか)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れ
 
「この里…この女」「里…言の心は女…さ門…おんな」「いへゐ…家居…住むこと…井へ居…おんなの許に居る」「家…言の心は女…井辺…おんな」「山郭公…山ほととぎす…山の女…山ばの女」「鳥…言の心は女」「たえず…絶えず…常に」「きく…聞く…効く…利く…役立つ」

 

歌の清げな姿は、郭公の鳴く声をつねに聞く風流。

心におかしきところは、かつこうと絶えず泣きつかれる男を、驚愕し羨望してみせるところ。

 


 本日は、旧暦で言えば一月七日、七草の日である。

 

『土佐日記』一月七日、今から一千八十年ほど前、帰京する貫之一行の乗った船が、風波になやまされ、数日間、大湊という所に停泊していた。池という名の所に住む婦人から、若菜と鯉と、海の幸も他の食物も、差し入れがあった。歌が添えられてある。


 浅ぢふの野辺にしあれば水もなき池に摘みつる若菜なりけり

(浅く茅が生えている野辺でして、名が池という水もない処で摘んだ若菜なのですよ……浅い情の夫の延びたものであれば、見つも無き逝けで、摘み取ったわが若さでしたわ)


 「ふ…生…夫」「のべ…野辺…山ばなし…伸び…緊張なし」「みづ…水…見つ…見た」「見…覯…まぐあい」「いけ…池…逝け」「菜…草…言の心は女」


 若菜が今日は何の日か知らせている。良き女が男について都落ちしてきて住んで居たのだった。


 弁当を差し入れた婦人もいた。歌を詠もうという魂胆があったらしい、詠む。

ゆく先に立つ白なみのこゑよりも おくれて泣かむ我やまさらん

(行く先に立つ白波の音よりも、乗り・遅れて泣く私は勝っているでしょうか……逝く、先にたつ白汝身の小枝よりも、先だたれ・遅れて泣くわたくしは、心地・増すでしょうか)


 誰も返しをしない。「いと大声なるべし(たいそう大声で泣くのだろう)」(これが歌の評である)。詠んだ人が帰ってしまったあとで、ある人のこのわらは(或る男の子の童…おとこ)が、なんと、まろ、この返しをするという。詠んだのなら早く言えというと

ゆく人もとまるもそでのなみだかは みぎはのみこそ濡れまさりけり

(行く人も留まる人も袖が涙川、水際ばかりが濡れ、水嵩・増したようだなあ……逝く人もゆけない人も、身のそでが、涙か・ではないな、身際こそ、濡れ増さったことよ)


 「ゆく…行く…逝く」「なみ…波…汝身」「こゑ…声…音…小枝…おとこ」「そで…衣の袖…身の端」「かは…川…疑問を表す」

 

歌は、貫之の創作かもしれないが、和歌の底辺での「色好み歌」の現状を批判的に示したのだろう。『古今和歌集』による教化の成果は三十年ぐらいでは底辺にまで及ばないのだろう。それにしても、女たちは我が思いを見事に表現している。おとこの歌も、優れているかどうかは別にして、これがまさに、よみ人しらずの歌である。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第二 夏 (六十五)(六十六)

2015-02-24 00:06:53 | 古典

        



                     帯とけの拾遺抄



 『拾遺抄』十巻の歌を、藤原公任『新撰髄脳』の「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って紐解いている。

紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、この時代の和歌を解釈するのは無謀である。彼らの歌論によれば、和歌は清げな衣に包んで表現されてあるものを、近代人は、清げな姿を観賞し歌の心を憶測し憶見を述べて歌の解釈とする。そうして、色気のない「くだらぬ歌」にしてしまった。

貫之の言う通り、歌の様(表現様式)を知り、「言の心」を心得れば、清げな衣に包まれた、公任のいう「心におかしきところ」が顕れる。人の心根である。言い換えれば「煩悩」である。歌に詠まれたからには「即ち菩提(真実を悟る境地)」であると俊成はいう。これこそが和歌の真髄である。


 

拾遺抄 巻第二 夏 三十二首


      寛和二年内裏の歌合に                 兼盛

六十五 みやまいでてよはにやきつる郭公 あか月かけて声のきこゆる

寛和二年(花山天皇の御時)内裏の歌合に        平兼盛

(深山を出て、夜半に来たのか、ほととぎす、暁にかけて声が聞こえている……高く深い山ばを出て、夜半に・下って・来たのか、ほと伽す人よ、暁にかけて・赤つきおとこ懸けて、且つ乞う・声がきこえている)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「みやま…深山…見山ば…絶頂」「いでて…出て…下り出て」「郭公…ほととぎす…鳥の名…名は戯れる…ほと伽す、且つ乞う」「あか月…暁…赤つき人おとこ…元気色のおとこ」「かけて…掛けて…にわたって…懸けて…言葉に表して…思いをかけて」「きこゆ…聞こゆ…聞こえている…気超ゆ…気を超えている」「気…人の通常の、気力・根気・精根」

 

歌の清げな姿は、郭公の夜鳴く声を聞く風流。

心におかしきところは、夜伽する男と女、かつこう声が人の気超えているところ。

 

 

天暦御時歌合に                    忠見

六十六 さよふけてねざめざりせば郭公 人づてにこそきくべかりけれ

天暦(村上天皇)御時の歌合に             壬生忠見

 (さ夜更けて寝覚めなければ、ほととぎす、人伝えに・昨夜鳴いて居たねと・聞くことになるだろうなあ……すばらしい夜更けて、眠ってしまえば、且つ乞う、人の口伝えに、聞くに違いないだろうなあ)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れ

 「ねざめざりせば…寝覚めなければ…目を覚ましていなければ…根醒ましていなければ…おとこ起きていなければ」「ね…根…おとこ」「郭公…ほととぎす…ほと伽す…おと伽す」「と…門…おんな」「人づて…人伝え…女伝え…女の口伝え」「きくべかりけれ…聞くべかりけり…聞くに違いないだろうなあ…聞くことになるだろうなあ」

 

歌の清げな姿は、郭公の夜鳴く声を聞く風流。

心におかしきところは、はかない一過性のおとこの危惧。


 

上のような「郭公」の意味の戯れを心得たうえで、清少納言枕草子「五月の御精進のほど」を読み直そう。

 

話の発端は、清少納言が「ほととぎすの声聞きに行かばや」と女たちに言ったことである。「ばや」は希望する気持ちを表すとともに同じ気持ちの者を尋ね募集しているので、女房達「我も我もと出で立つ」とある。車は中宮の許可がでたのは一台だけなので、行けなかった女たちは恨めしそうにしていた。高階明順の家で、「げにぞ、かしがましと思ふばかりに、なきあひたるほととぎすの声を、くちをしう御前にきこしめさせず、さばかりしたひつる人々をと思ふ(たしかに、喧しいと思うばかりに、鳴き・泣き・合っているほととぎすの声を、残念なことに、中宮さまにお聞かせせず、あれほど慕っていた、人々を・女房たちよお気の毒・と思う)」。そして「した蕨」など御馳走になり、先に述べたように・車を、卯の花・おとこ花・盛りにして帰り路を走らせる。女を演じて侍従殿が走って追って来るパフォーマンスを繰り拡げて来て、行けなくて怨んでいた女たちにそれを語ったところ、「皆笑ひぬる」とある。女たちの気持は、それで鎮まったけれども、中宮はおさまらない、・心の内は隠して卯の花と郭公の・歌を披露しなさい、どうして詠んで来なかったの、今からでもいいから詠みなさいと、あえて、難しい題の歌を「且つ請う」と責め立てられたおかしさをも、語っているのである。五月雨降る時で、雷騒ぎなどあって此の時は、歌の事は何となく紛れてしまった。

 

清少納言は「女の言葉(和歌の言葉)は、聞き耳異なるもの(聞く耳によって意味が異なるもの)」という。枕草子は、言葉の戯れの意味を心得ている人だけにわかることが書かれてある。それは和歌を詠み聞く文脈と同じである。

近世から現代にかけての国文学的解釈は、和歌は「清げな姿」のみ。枕草子も上半分の意味のみである。今居る文脈は、清少納言らの文脈とは全く別物である。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。