帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百二十〕むとくなるもの

2011-07-17 06:09:40 | 古典

 



                    帯とけの枕草子〔百二十〕むとくなるもの



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百二十〕むとくなるもの


 むとくなるもの、
しほひのかたにをるおほ船。おほきなる木の風にふきたうされて、ねをさゝげてよこたはれふせる。

(無徳なもの、潮干の潟に居る大船。大きな木が、風に吹き倒されて、根を上げて横たわり伏している……無能で役立たないもの、しお引く方に折る大夫根。大きな木が、心風に吹きたおされ、根をひとに捧げねを上げて、横に伏している)。


 言の戯れと言の心

「むとく…無徳…品位なし…威力なし…能力なし…魅力なし」「しほ…潮…満ちては引くもの…情熱など…士お」「かた…潟…方」「をる…居る…折る…逝く」「船…夫根…おとこ」「木…男木…おとこ」「風…心に吹く風…山ばから吹き降ろす飽き風」「ね…根…音…声」。



 ゑせもの(見かけだおしな者)が従者を叱っている・さま。

人妻などが、つまらない怨みごとなどして、隠れたらしいのを、必ず尋ね騒ぐだろうと思っているのに、さもあらず、夫らはこの事を・憎らしそうに扱ったので、こうして、たびだちゐたらねば(外泊して居られない…旅立に至れない)ので、心と共に出てきている・その心ざま。


 枕草子は、おとなの女たちの読物。言の戯れのなかに「心におかしきところ」が顕われる。女たちが「をかし」と思えば、それでよし。

伝授 清原のおうな

聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による