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帯とけの「伊勢物語」
紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。やがて、清少納言や紫式部の「伊勢物語」読後感と一致する、正当な読みを見いだすことが出来るでしょう。
伊勢物語(七十四)むかし、おとこ、女をいたうゝらみて
むかし、おとこ(昔、男…武樫おとこ)、女を、いたうゝらみて(ひどく恨んで…ひつこく裏見て)、
岩ねふみ重なる山にあらねども あはぬ日おほく恋ひわたるかな
(岩根踏みゆく、重なる山ではないけれど、逢わない日が多く、貴女を・恋つづけていることよ……岩根踏み・井は根踏みにじり、重なる山ばはないけれど、合わない日が多く、乞い求めつづけているなあ・我は)
貫之のいう「言の心」を心得て、俊成のいう言の戯れを知る
「いたう…甚だしく…ひどく…感に堪えず・ひつこく」「うらみて…恨んで…裏見て…心を見て…裏を見て…二見して」「見る…目で見る…思う」「見…覯…媾…まぐあい」。
「いはねふみかさなる山…越えてゆけない程の隔たり…井は根を踏みつけ…おんな、おとこを踏みにじり」「いは…岩…石…言の心は女」「根…おとこ」「踏み…行う…行く…踏みつける…圧す」「山…山ば」「あはぬ…逢わない…身を合わさない…山ばが合わない…和合できない」「こひ…恋…来い…乞い…求め」「わたる…渡る…月日を過ごす…つづけている」。
手の届かぬ雲の上に昇ってしまった女人への愛憎を、「心におかしきところを」添えて表現した歌。
昔、男は、東の五条の寝殿造りのお屋敷の西の対屋に住む藤原氏の女に、密かに通っていたが、裏切られて身も心もうち砕かれたことがあった。それは、この物語を作る「動機」であり、その愛憎は生涯消えることはなかったので、物語に底流していて、時々、その愛と憎が氾濫するのである。
本歌は、万葉集巻第十一 「寄物陳思」にあり、次の女の歌と並べられてある。何れも、柿本人麻呂の歌集出の歌。
くる路は石ふむ山に無くもがも 吾が待つきみが馬爪尽に
(来る路は石踏む山で無ければいいがなあ、わたしの待つ君の馬つまづくので……繰る路は石ふむ山ばで無ければいいがなあ、わたしの待つ君が、武間、つま・端、尽くので)
石根踏む重なる山にあらねども 相わぬ日数を恋わたるかも
(岩根ふむ重なる山ではないけれど、逢わぬ日数を恋つづけていることよ……井は根ふむ、重なる山ばでは無いけれど、合わぬひ数を乞い求めつづけているなあ・我は)
「くる…来る…繰る…繰り返す」「路…言の心は女」「石…岩…言の心は女」「山…山ば」「馬…むま…武間…おとこ」「爪尽…つまづく(躓く)…身の褄尽きる」「爪…つま…端…身の端」「根…言の心は、おとこ」「相…逢…合…和合」「恋…乞い…求め」「かも…かな…感動の意を表す…詠嘆の意を表す」。
このように、歌言葉には戯れの意味が有り、「言の心」を孕んでいた。そこに、「心におかしきところ」が顕われる。すでに、人麻呂歌において、公任の捉えた、「深い心と、清げな姿と、心におかしきところの有る表現様式」の歌であった。
(2016・6月、旧稿を全面改定しました)