帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百二十七)(三百二十八)

2015-07-31 00:13:46 | 古典

          

 


                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

(題不知)                   (読人不知)

三百二十七 わするるかいささは我ぞわすれなむ 人にしたがふこころとならば
                題しらず)                  (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(この恋・解消する気か、少しは、わたしもよ、思い消すことにする、人に従う従順な心なもので……和合しているのに、あゝ、いささかは、私も思い消えそう、きみに従う此処の情なんだから)

 

言の心と言の戯れ

「わするる…忘れる…記憶をなくす…無かったことにする…男女の関係を解消する…和す…和合する…男女が睦ましくする…和む心が合致する」「か…疑いの意を表す…問いの意を表す…詠嘆の意を表す」「いささは…いささかは…少しは」「なむ…成りそうな事態を推量する」「人…他人…相手…君」「したがふ…従う…従順な」「こころ…心…此処ろ…此処の情態」「ろ…状態を表す」「とならば…と成るならば…であるので…であるから」

 

歌の清げな姿は、恋の終わりか、君に従ってきた従順な心だから、わたしも少しは終わっているようよ。

心におかしきところは、それで和合しているのか、わたしの此処は、きみにつれて気が消えそう、従順なんだから。

 

 

をんなの許につかはしける                平ただより

三百二十八 あふことはこころにもあらでほどふとも さやはちぎりしわすれはてねど

         女の許に遣った                    (平忠依・勅撰集にはこの一首のみ)

(逢うことは、心にもなく時を経てしまうことはあっても、明らかに契った、貴女を・忘れ果てはしないと……合うことは、心の思案にはなくて、きみの汝身唾で・ふやけようとも、そうは契り交わしたか、そうではない、消え果てない物と)

 

言の心と言の戯れ

「あふこと…逢う事…合うこと」「こころにもあらで…心にもなく…他の事情が有って…心に叶うものでなくて」「ほどふ…程経る…時間が経つ…ほとぶ…水分でふやける…ぶよぶよとなる」「さやは…明確に…はっきりと…然やは…そのようには、いや、そんなことはない…反語の意を表す」「ちぎりし…契った…約束した…契り交わした」「わすれはて…忘れ果て…解消してしまう…消え果ててしまう」「ねど…ないと…(消え果て)ないものと…ねと…ないと…根だと」「ね…ず…打消しを表す…根…おとこ」

 

歌の清げな姿は、逢う間が空いても、明確に約束した、貴女を忘れ果てることはないと。

心におかしきところは、身のなみだでふやける事は有っても、約束した、ものは消え果てる事はないと。

 


 「ほどふ…程ふ…時が経つ」だけではなく、「ほとぶ…(なみだで)ふやける」と聞こえるのは、伊勢物語(九)に、次のような場面と歌が有るからである。

 

何事かがあって、京に居辛くなった主人公は、逃げるように東の国へ向かう途中、三河の国まで来て、かきつばたの咲く水辺で「旅の心」を詠む。

 

から衣きつつなれにしつましあれば はるばるきぬるたびをしぞおもふ

(唐衣着つつ、馴れた妻が、都に・居るので、はるばる来てしまった旅を惜しいと思う……空の心と身、来つつ、よれよれになった、身の・褄があるので、遥々来た・張る張るき濡る、旅・この度、我がおとこを・愛しいと思う)

とよめりければ、みな人、かれいひのうへになみだおとして、ほとびにけり。

(と詠んだので、皆、人、乾飯の上に涙を落して、乾飯も心も身も・ふやけてしまった……と詠んだので、見無男、彼、井緋の上に、汝身唾おとして、自身も・ふやけてしまったことよ)

 

言の心と言の戯れ

「衣…心身の喚喩…心と身」「なれ…馴れ…熟れ」「つま…妻…褄…端…身の端」「はるばる…遥々…張る張る」「たび…旅…度…時」「をし…惜しい…愛着を感じる…愛しい…おし…男子…おとこ」。

「み…見…媾…まぐあい」「な…無」「いひ…飯…井緋…おんな」「なみだ…涙…汝身唾」。

 

和歌の文脈に入ることが出来れば、歌物語の「伊勢物語」を、平安時代の人々と同じように読めるはずである。現在、伊勢物語の解釈は不在である。

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百二十五)(三百二十六)

2015-07-30 00:15:57 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

題不知                         読人不知

三百二十五 すぎたてるやどをぞ人はたづねける 松はかひなきものにぞありける

         題しらず                       (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(杉の立つ宿を、男は訪ねることよ、松は・待つは、甲斐のないものだことよ……す木立て・為る気たてる、屋門を、男は、訪ねることよ・多づ寝ることよ、待つ女は、貝・甲斐、のないものだことよ)

 

言の心と言の戯れ

「すぎ…杉…真直ぐ立つ常緑の高木…木の名…名は戯れる。素木、好き、為る気」「木…言の心は男」「たて…立て…起し…(伏す子も)立て」「やど…宿…家…言の心は女…屋門…野門…夜門…おんな」「たづね…訪ね…多つ寝」「ける…詠嘆」「松…待つ…言の心は女…木なのに女、言の心には例外が有る。すすきは草なのに男」「かひ…甲斐…峡…谷間…貝…言の心はおんな」「ありける…気付き・詠嘆」

 

歌の清げな姿は、「恋しかったら訪ねて来てよ、杉立てる門よ」なんて、誰が言ったのか、男たちはそちらへ行く。待つだけでは駄めらしい。

心におかしきところは、素木立て、する気起こす門には敵わない、待つだけの貝は甲斐が無い。

 

品のない歌だけれども、古今集 巻第十八 雑歌下、よみ人しらずの、次の歌と交応して、優れた歌となる。

 

わがいほはみわの山もとこひしくは とぶらひきませすぎたてるかど

(我が庵は三輪の山もと恋しくは とぶらひきませ杉立てる門……わが井掘りは、三和の山ばのふもと・で満足よ、乞いしければ、尋ねていらっしゃい、素木・過ぎ木、立てる門よ)


 言の心と言の戯れ

「いほ…庵…宿…女…いほり…井掘り…まぐあい」「三輪…山の名…神の山…女の山ば…三和…三つの和合」「山…山ば」「もと…ふもと…決して頂上ではない…高望みしない」「こひし…恋し…乞し…求める」「とぶらひ…訪ねて…尋ね尋ねて」「かど…門…言の心はおんな」

 

「庵…井堀り」の言の戯れを心得れば、枕草子(七八)「頭中将の」に記されてあることが、次のように読める。


「蘭省花時錦帳下」と書いて、「末はいかに、末はいかに」と頭中将(藤原斉信)が言いかけて来た。この男とは仲違い中であった。この漢詩の末の句を要求しているようで、そうではなく、言外に『中関白家もそろそろ末だが、貴女は、末はどうするのだ』と言っている。迂闊な答えは出来ない。また「廬山雨夜草庵中」と、「をかし」くもない末の句を書いて遣るような、清少納言ではない。(行く末は三輪の山上にでも住むか)「草の庵を誰かたづねん」と末の句を付けて遣った。「粗野な井掘り女を誰が訪ねるか」(蘭省花時錦の帳のもとに居る君は訪ねて来るか)と言う意味である。これに驚いた男どもの反応は、枕草子を読んでください。

「言の心」と「言の戯れ」を心得えれば、あらゆる和歌の「心におかしきところが」聞える。そうして初めて枕草子の言説の「をかし」さも伝わるのである。

 

 

題不知                         読人不知

三百二十六 おもふとていとしも人にむつれけむ しかならひてぞみねばこひしき

題しらず                       (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(思うからといって、特別に、あの人に睦ましくしたそうよ、そうして馴れ馴れしくなって、見かけないと恋しい、だってよ……思うからと、井・門・肢も、あの人に睦ましくしたのでしょう、そうして・肢下、熟れて・よれて、見ないので・峰ば、こいしいの)

 

言の心と言の戯れ

「おもふ…思う…愛しいと思う…恋う」「いとしも…特別に…非常に…井門肢も…身のすべて」「むつれけむ…睦れけむ…睦ましくしたのでしょう…睦合ったのでしょう」「けむ…伝聞のように婉曲に表す…だったそうよ…過去の推量…だったのでしょう」「しか…然か…そのように…肢下…身の端」「ならひて…慣れて…馴れなれしくなって…熟らひて…熟れて…よれよれになって」「みねば…見ねば…見かけないと…会っていないと…覯(媾)しないと…峰ば…絶頂が…感の極みが」「こひしき…恋しい(そうよ)…乞いしいのよ…求めたいの」

 

歌の清げな姿は、恋が芽生え、睦合い、ますます高ぶってゆく他人の恋の有様。

心におかしきところは、身のすべてで睦合い、馴れ、熟れて、見ないので、山ばの峰がこいしいという。

 

比喩も誇張もなく、心と心地を正述した歌。生々しい女の心地は、先ず「他人の恋」を語るという衣に包まれてある。そして、主旨と趣旨は、言の戯れに隠してあって、「歌のさま」を知り「言の心(字義以外にも孕む色々な意味)」を心得る人だけに顕れる。これが和歌の様である。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百二十三)(三百二十四)

2015-07-29 00:04:48 | 古典

           


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

(題不知)                         読人不知

二百二十三 たらちねのおやのいさめしうたたねは ものおもふ時のわざにぞありける

題しらず                        (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(垂乳根の親が諌めたうたた寝は、もの思う時の・恋に悩む時の、仕業だった・しばし忘れる……垂ち根のおとこの、諌めた、なおもなおもの共寝は、もの思う時の女の業(ごう)だったのよ)

 

言の心と言の戯れ

「たらちねの…親にかかる枕詞…垂乳め…母…垂父を…父…垂ち根…おとこ」「いさめし…諌めた…意見した…やめなさい…止めた…もうだめだ…やめてくれ」「うたたね…うとうとする…仮寝…ますますの共寝…(おとこが)いやになるほどの共寝」「うたた…ますます…不快な気分を起こさせるさま」 「ものおもふ…恋に悩む…性の快楽を思う」「わざ…仕業…行為…業…人のごふ…身体の行為・心の欲…古今集仮名序にある『世の中に在る人、こと、わざ、繁きものなれば』の、わざ」「ありける…気付き・詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、うたた寝は、恋の苦しみから、しばらく逃れるためだった。

心におかしきところは、しお垂れたおとこの、うたて(嫌だなあ)と思うのは、うたた寝(ますます共寝)しようとするわたしの業(ごう)だった。

 

 

(題不知)                       (読人不知)

二百二十四 ことのはもしもにはあへずかれにけり こや秋のはつるしるしなるらん

題しらず                       (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(言の葉も、霜には堪えられず枯れてしまったことよ、これがまあ、秋の・飽きの、果てる徴候なのでしよう……ことの端も、下には堪えられず、上は・涸れてしまったことよ、これがまあ、飽きの果てる印しのようで)

 

言の心と言の戯れ

「ことのは…言の葉…言葉かけ・手紙…子・門の端…身の端…おとことおんな」「こ…子…おとこ」「と…門…おんな」「しも…霜…植物の葉を枯らす物…下…下になっている者…わたし」「あへず…堪えられず…こらえきれず」「かれにけり…枯れてしまったことよ…音信なくなったことよ…涸れてしまったことよ」「こや…これがまあ…これかなあ」「秋…飽き…飽き満ち足り…厭き」「はつる…果てる…果てた」「しるし…徴…兆し…印し…証拠」「らん…推量・原因の推量の意を表す…だろう…婉曲な表現…であるような」

 

歌の清げな姿は、訪いもせず、文も寄こさなくなった時、飽きの果てる徴候だったらしい。

心におかしきところは、貴身の涸れてしまったとき、ものの快楽の果てだったようで。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百二十一)(三百二十二)

2015-07-28 00:07:11 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首


                  (題不知)                   (読人不知)

三百二十一 恋するがくるしきものとしらすべく 人を我がみにしばしなさばや

        (題しらず)                  (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(恋することが苦しいものと、知らせることができるように、あの人を我が身に、しばらく為したい……乞い求めることが苦しいものと、知らせなければならないので、あの人の身を我が身に、しばらく為したい)

 

言の心と言の戯れ

「恋する…乞いする…身を求める」「くるしき…(恋しさわかってもらえず)苦しい…(求めても得られなくて)苦しい」「べく…べし…(知らせることが)出来るように…(知らせるのが)いいので…(知らせ)なければならないので」「なさばや…為したい…そうしたい」「ばや…願望を表す」

 

歌の清げな姿は、再三の恋文にもつれない人に、男のうそぶき。

心におかしきところは、あの人の身を我がものにしたいという、おとこの欲望の婉曲なつぶやき。

 

 

(題不知)                  東宮女蔵人左近

三百二十二 ふらぬよのこころをしらでおほぞらの あめをつらしと思ひけるかな

(題不知)                 (東宮女蔵人左近・小大君、三条天皇東宮の御時の女蔵人)

(時の・経たない夜の女心も知らずに、降る・大空の雨を、ひどい仕打ちと思ったことよ……君・触れぬ・振らぬ・お雨降らぬ、夜の女心をしらずに、降る・大空の雨を、薄情・思いやりのない・辛い仕打ちをするものと、思ったことよ)

 

言の心と言の戯れ

「ふらぬ…(時が)経たない…(柔肌に)触れない…(身を)振らない…(おとこ雨)降らない」「おほぞらのあめ…大空の雨…おとこ雨ではない…汝身唾の雨ではない」「つらし…ひどい仕打ち…薄情…思いやりがない…辛い…苦痛」「けるかな…気付き・詠嘆を表す」

 

歌の清げな姿は、独り寝の雨の夜、男が来られない口実にするだろう大空の雨をうらんでいる。

心におかしきところは、男の薄情をなげき、大空の雨になげつけた。

 

次のようにも聞こえる。

「雨降らない夜の、来てくれた君の・心も知らず、来ない夜は・大空の雨をよ、ひどい仕打ちと思ったことよ」

 

左近(小大君)は、公任にとって当代の歌人。左近の歌を優れた歌として取り上げたのは公任が最初だろう。


 近世以降、この歌の巧みさが聞こえなくなった。「ふる」を「大空の雨」という言葉に誘引されて「降る」と一義に決めつけたことにある。まして「雨」が「おとこ雨」でもあるとは、夢にも思えない大真面目な言語観と倫理観が邪魔して、平板な歌にしか聞こえなくしてしまったのである。


 左近の歌の言葉(女の言葉)は、同じ時代の清少納言が枕草子に記すように、「聞き耳異なるもの」(聞く耳により意味の異なるもの)である。

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百十九)(三百二十)

2015-07-27 00:08:33 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

(題不知)                         読人不知

三百十九 しかのあまのつりにともせるいさりびの  ほのかにいもをみるよしもがな

(題しらず)                       (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(志賀の海人が、釣りするために灯す漁火のように、遠く・ほのかにでも、愛しい妻を見る手立てが欲しい……至賀の女が、ものあさるために、灯す火と同じように、ほのかに久しくもえて、愛しい妻を見るてだてが欲しい)

 

言の心と言の戯れ

「しか…志賀…地名…名は戯れる。至賀、賀の極み、肢下」「あま…海人…海女…女」「つり…釣り…漁…猟…あさる…むさぼる」「いさりび…漁火…灯…ほのかに長く燃え続ける炎…女の情念の炎」「の…のように…比喩を表す」「ほのかに…ほんのりと…うすぐらく…ほそぼそと長く…激しくもえず」「見…覯…媾…まぐあい」「よし…手段…方法…てだて」「もがな…願望の意を表す」

 

歌の清げな姿は、遠くに在って、恋しい妻を思う男の心情。

心におかしきところは、感の極みに至った女と同じく、ほのかに久しく見続けたいという、おとこの願望。

 

本歌は、万葉集巻第十二 「羇旅発思」にある。よみ入しらず。羇旅にて発想した歌、男の歌として聞く。

思香乃白水郎乃 釣為燭有 射去火之 髣髴妹乎 将見因毛欲得

(志賀の白い衣の海女の、釣りするために灯している漁火が、彷彿させる・みだれ髪・髪飾り、吾妹かなあ、逢って見よう、てづるが欲しい)

 

言の心と言の戯れ

「髣髴…彷彿…よく似ている」「髣…みだれ髪…さまよう…よく似ている」「髴…髪飾り…よく似ている」「乎…お…を…か…や…疑問を表す・詠嘆を表す」「見…会見…覯…媾…まぐあい」「因…理由…寄り処…手づる…手だて」

 

旅にあって、我が家の妻を恋う男の妄想、おとこの欲情。

 

 

(題不知)                    (読人不知)

三百二十 しるや君しらずはいかにつらからん  我がかぎりなくおもふ心を

(題しらず)                   (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(知っていますか、君、知らないと、どれほど辛いでしょうか、わたしの限りなく君を思う心を……汁や・汝身唾や、君、知らないと、どれほど辛いでしょうか、おんなの限りなくもの思う心よ)

 

 

言の心と言の戯れ

「しるや…知るか…知っているか…承知しているか…汁や…汝身唾か…果てたか」「や…問いの意を表す…詠嘆の意を表す」「しらず…知らず…無関心」「いかにつらからん…どれほどひどい(女への)仕打ちとなるでしょうか…どれほど辛いでしょうか」「つらし…仕打ちがひどい…薄情である…思いやりがない…苦痛に感じる」「かぎりなく…限り無く…とめどなく…(おとこの性のように)早い一瞬でなく」「おもふ心…恋いする心…なおももの思う女の心」「を…対象を示す…強調の意を表す…詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、君を限りなく偲ぶ恋心を知ってほしい。恋のもどかしさ。

心におかしきところは、早くもはてたか、かぎりなく思う女心を知らない、薄情もの、ひどいしうち。おんなの憤懣。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。