帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百二十七〕などてつかさえはじめたる

2011-07-25 06:14:35 | 古典

 



                  帯とけの枕草子〔百二十七〕などてつかさえはじめたる



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百二十七〕などてつかさえはじめたる

 
「どうして、司(官職)得初めた六位の笏に、しきの御ざうしのたつみ(職の御曹司の辰巳…色の身壮士の立つ身)の隅の築土の板を用いるのよ。それなら、にしひんがし(西東…尼し嬪がし)のも使えよ」などということを言い出して、「あぢきなき事ども(気にくわないこと)よねえ。衣にも、なんともわからない名を付けたことよ、まったくふしぎよ。衣のうちでは、ほそなが(女子の普段着…細長…ささやかで長い)は、よくもまあ言えたものね」「どうしてかしら、かざみ(汗衫…裾を長くひく)は、しりなが(尻長…ひきずる)といえよ」「おのわらは(男の童)がきて(着て…来て)いるようで、どうなの唐衣は、みじかきぬ(短衣…短来ぬ)といえよ」「そうだけれど、それは、もろこしの(唐土の…大きい)人が着るものだから」「うへの衣(袍)、うへの袴(上にはく袴)はよくいったものね、したがさね(下襲)はいい。おほぐち(大口袴)、また長さよりは履き口大きいので、それはありでしょう」「はかま(袴)は、まったく気にくわない。さしぬき(指貫…指し抜き)は、どうしてなの、あしきぬ(足衣…悪し来ぬ)というべきよ。もしくは、そのような(さしては抜かれる)もの、ふくろ(袋…復路)といえよ」などよろずのことを、女たちが言いさわいでいるのを、「いであなかしがまし。いまはいはじ。ね給ひね(ちょっと!ああ姦しい、今は、そんなこと言っていないで、寝なさい!)」と言うと、応えに夜居の僧が、「いとわるからむ。夜一よこそ、なをの給はめ(とっても悪いでしょう・止めては。夜一夜こそ、なおもおっしゃるといいでしょう……止めては・非常に悪いだろう。夜一夜こそ、なおも呪文を、のたまうつもりだ……止めては・とってもわるいでしょう、夜一夜こそ、汝男の、給うのがよろしいでしょう)」と、憎らしいと思っているように言ったのだけは、をかしかりしにそへておどろかれにしか(おかしいのに添えて驚かされ目が覚めたよ)。

 言の戯れと言の心

 「たつみ…辰巳(南東)…立つ身…おとこ…このように、昔から戯れている。歌・我がいほは宮このたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり(わが庵は都の辰巳確かぞ住む、世を宇治(憂し)山と人は言っているらしい……わが『威お』は『宮この立つ身』しっかりと済む、でも夜を憂し山ばと女は言うのである)古今集雑歌下、きせん法師」「都…宮こ…感情の極致」その他、衣の名などは自由奔放に戯れている。「ころも…衣…心身を包んでいるもの…心身の換喩…気持…こころ」。

 


 夜居の僧の言葉「なをの給はめ」は、まさに「聞き耳異なる言葉」。「なおも、おしゃべりするがいいでしょう」「(止めて寝よとは何ごとだ!)なおも唱えるつもりだ」「なおも汝男が、給うのがいいでしょう」と聞こえる。「のたまう…おっしゃる…唱える」「たまふ…(恵など)お与えになる…下される」
「め…む…適当・当然・軽い命令を表わす…意志を表わす」

 

「をかしかりしにそえておどろかれにしか」とある。おかしくて且つ驚いたのは、女たちを叱ったのに、僧から返ってきた言葉の上のような複数の意味。


 伝授 清原のおうな

聞書 かき人知らず    (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による