帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二百九十二〕左右の衛門の尉を

2012-01-31 00:06:27 | 古典

  



                    帯とけの枕草子〔二百九十二〕
左右の衛門の尉を



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 清少納言枕草子〔二百九十二〕左右の衛門の尉を


 文の清げな姿
 左右の衛門の尉(三等官)を判官(検非違使の尉)という名をつけて、ひどく恐ろしく偉い者と思っているけれど、夜回りし、細殿(女房の部屋)などに入り寝ている、とっても見苦しいものだ。布の白袴を几帳にうち掛け、うえの衣(武官の袍)の長く幅広いのを、丸めて掛けている。まったく相応しくない。太刀の尻に(袍の裾を)うち掛けて巡回するのは、それはよい。

 青色(六位蔵人の着る袍)をただ常に着ていたら、どれほど立派でしょう。「見しありあけぞ(見た有明けの月よ…見た明け方も健在の月人壮士よ)」と、誰れが言ったでしょうか。。


 原文

 左右の衛門のぞうを、はう官といふなつけて、いみじうおそろしう、かしこきものに思ひたるこそ。やかうし、ほそどのなどにいりふしたる、いとみぐるしかし。ぬのゝしろはかま、き丁にうちかけ、うへのきぬの、ながくところせきをわがねかけたる、いとつきなし。たちのしりに、ひきかけなどしてたちさまよふは、されどよし。あをいろをただつねにきたらば、いかにおかしからん。見しありあけぞ、とたれいひけん。


 心におかしきところ

 左右の衛門の三等官を、はう官(判官…放官…勝手気ままに振る舞う官)というあだ名をつけて、とても恐ろしく、並々ならぬものに思っている。夜行し、細殿に入り横になっている、ひどく見ぐるしいことよ。布の白袴、几帳にうち掛け、上の衣の、長く大きいのを我が寝掛けている、まったく相応しくない。太刀のしりにひき掛けなどし、巡回などするのは、それは良い。青色衣を常に着ていたならば、どれほど立派かしら。「見しありあけぞ(見たわ有明のつきを・あのおとこ強くすばらしいよ)」と誰か言ったでしょうか(誰も言わない)。


 言の戯れと言の心

 「はう官…判官(衛門府に検非違使庁あり、警察、検察、裁判まで兼ねた役所の三等官)…放官(あだ名)…放埒官…放縦官…放逸官…勝手気ままで手荒」「やこう…夜の巡回…夜行…夜の徘徊」「わがね…環がね…まるめて…わが寝…我が寝るのに」「あをいろ…六位蔵人の着る袍の色…青色…若い色」「見…覯…媾…まぐあい」「有明け…明け方に残る月…残月…明けがたまでも健在のつきひとおとこ(これが言の心のわかる女の、おとこの褒め方)」「月…月人壮士…おとこ」「たれいひけん…誰が言ったでしょうか…つき人壮士を心より愛でる言葉を・どこの女人が言ったでしょうか・誰も言わない」。



 宮仕えしたならば「ほう官」に気を付けよという話かな。判官には、苦々しい思い出がある。道長と闘争し逃亡する大納言伊周を逮捕したのは判官であろう。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子〔二百九十一〕よろしき男を

2012-01-30 00:06:59 | 古典

  



                                帯とけの枕草子〔二百九十一〕よろしき男を



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百九十一〕よろしきおとこを、


 文の清げな姿

 わるくはない男を、げ衆女などが褒めて、「いみじうなつかしうおはします(とっても心ひかれるお方でいらっしゃいます)」などと言えば、(その男は)やがて見くだされてしまうでしょう。謗られるのは、かえって良い。げ衆に褒められるのは、女でもまったくよくない。それに、褒めいてるうちに言い損なったりしたのはねえ。


 原文

 よろしきおとこを、げす女などのほめて、いみじうなつかしうおはします、などいへば、やがて思おとされぬべし。そしらるゝは中々よし。げすにほめらるゝは、女だにいとわろし。又ほむるまゝに、いひそこなひつる物は。


 心におかしきところ

 ふつうによいおとこを、下す女が褒めて「いみじうなつかしうおはします(とっても好ましい感じでいらっしゃいます)」などと言えば、やがて(男は上衆の女たちに)見下されてしまうでしょう。(とっても近寄り難い感じでございますなどと)謗られるのは、かえってよい。外衆に褒められるのは、女でもまったくよろしくない。それに、褒めるとすぐ言い損なったのはねえ(ものの言い方知らないから)。


 言の戯れと言の心
 「よろしき…好ましい…わるくはない…まあふつうの」「おとこ…をとこ…男…生まれながらに男の身に付いているひとり子」「げす女…下衆の女…外衆の女…下す女」「す…洲…女」「など…他にも意味のあることを表している」「なつかし…心ひかれる…好ましい…離れがたい」「思おとされぬ…貶されてしまう…見下されてしまう」「ままに…につれて…すぐに」「は…強調する意を表す…詠嘆の意を表す」。


 「なつかし」という言葉の用いられ方を知るために、山ぶきの花が「なつかし」という歌を聞きましょう。

 古今和歌集 巻第三 春歌下 よみ人しらず

 春雨ににほへる色もあかなくに 香さへなつかし山ぶきの花

 (春雨に鮮やかになる色も、飽きないのに、香さへ好ましい山蕗の花……春のお雨に、艶増す色情も飽きないのに、香さえ好ましい、山ばに吹くお花)。

 
 「春…季節の春…春情」「雨…おとこ雨」「にほふ…色艶美しい…匂う」「なつかし…心ひかれる…好ましい」「山ぶき…山蕗…山吹き…山ばで咲くおとこ花」。

 
 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子〔二百九十〕おかしと思うたを

2012-01-28 00:26:59 | 古典

   



                                    帯とけの枕草子〔二百九十〕おかしと思うたを



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百九十〕おかしと思うたを


 趣がある・心におかしい、と思う歌を草子などに書いておいたところ、言う甲斐もない、外衆が・言語圏外の衆が、ふと歌っているのこそ、いと心うけれとっても心憂いことよ…ひどく不愉快だこと)。


 原文

 おかしと思うたを、さうしなどにかきてをきたるに、いふかひなきげすの、うちうたひたるこそ、いと心うけれ。


 聞き耳異なる言葉

 「おかしと思うた…情趣があるなあと思う歌…心におかしきところがいいなあと思う歌」「げす…下衆…外衆…われわれの言語圏外の人々…歌などを同じように聞く耳をもたない人々」「心うけれ…心憂けり…なげかわしいよ…残念だよ…いやだよ」。



 著者の言語観が顕れている枕草子第三章を読み直しましょう。

 おなじことなれどもきゝみゝことなるもの、法師のことば、おとこのこと葉、女のことば。げすのこと葉にはかならずもじあまりたり。たらぬこそおかしけれ。

(同じ言葉だけれども、聞く耳によって異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。外衆の言葉には必ず文字が余っている。足りない方がおかしいことよ……同じ言葉だけれども、聞く耳によって、意味の・異なるもの、それがわれわれの言葉。圏外の衆の言葉には必ず文字の多義が余っている。言葉足らずに多様な意味を表わすことこそおかしいことよ)。

 

 言語圏外の人々には、歌の「心におかしきところ」が聞こえていない。ゆえに、歌ったりされると、心憂くなるのである。 

 言葉には、一義な意味だけではない、多様に戯れる意味がある。たとえば「はる」は、
季節の春、青春、春情、張るなど。「くも」は、蜘蛛、空の雲、心に煩わしくわき立つもやもや、情欲など広くは煩悩。このような意味は、この時代の大人たちの思い込みである。そして歌言葉として育まれてきた。この時代の大人たちと同じく歌など聞くには、ただ「言の心」を心得るしかない。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子〔二百八十九〕又、業平の中将のもとに

2012-01-27 00:07:29 | 古典

    



                                             帯とけの枕草子〔二百八十九〕又、業平の中将のもとに 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百八十九〕又、業平の中将のもとに


 文の清げな姿

 また、業平の中将のもとに、母の皇女が「(老いると)ますます見たくなる(我が子かな)」と、おっしゃっている。たいそう哀れで興味深い。(業平の君が泣きながら母上の文を)ひき開けて見ていただろうときのことが、思いやられる。


 原文

 又、なりひらの中将のもとに、はゝのみこの、いよいよみまく、との給へる、いみじうあはれにおかし。ひきあけてみたりけんこそ思やらるれ。


 心におかしきところ

 また(すばらしい母上がいらっしやる)、業平の中将のもとに、母の皇女が「(感極まれば)ますます見たくなる(子の君なのかな、心配していますよ)」とおっしゃっている。とってもあわれでおかしい。(業平の君が多くの女を)ひきあけて見ていただろうことが思いやられる。


 言の戯れと言の心

 「おい…老い…年齢など極まる…追い…ものごとが極まる…感極まる」「見る…目で見る…覯する…まぐあう」「ひき…接頭語…引き…めとり」「あけて…開けて…(めとり)ひらいて」



 伊勢物語(八十四)を読みましょう。

 
 業平の君は、如何なる志があったのか、田舎わたり(井中わたり)し、かり暮らし(女性遍歴)していた。御母上(伊登内親王)との往復書簡が「伊勢物語」にある。宮仕え(女の宮こ仕え)に忙しくて、母のもとへは参上していなかったころ、師走ばかりに急なことと御文があり、(業平が)驚いて開けて見れば、

老いぬればさらぬわかれのありといへば いよいよ見まくほしききみかな

(老いますと避けられない別れがあると言うので、ますますお目にかかりたい我が子かな……ものの極みで感極まれば避けられない峰の別れがあると言うから、ますます見たくなる子の君なのか・心配していますよ)。

彼の子(業平の君)、ひどく泣き出して詠んだ、

世の中にさらぬわかれのなくもがな 千よもといのる人のこのため

(世の中にそのような別れがなかったらなあ、母の命は千世もと祈る人の子のために……女と男の夜の仲にそのような別れがなかったらなあ、千夜もと祈るわが子の君のために)。


 歌は、まことの心を清げな姿に包んである。聞き耳により、それぞれ異なる意味に聞こえるけれども。清げな姿の内に歌の本心がある。それが聞こえるのは、貫之の言う通り「歌の様を知り、言の心を心得ている人」だけである。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子〔二百八十八〕小原の殿の御母上

2012-01-26 00:03:35 | 古典

  



                                              帯とけの枕草子〔二百八十八〕小原の殿の御母上


 
 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百八十八〕をはらのとのゝ御母上


 をはらの殿(道綱)の御母上とおっしゃるお方は、普門という寺にて八講(経供養の法会)を(義兄が)したのを聴聞して、次の日、小野殿に人々多く集まって遊び(管弦、作歌、囲碁、花見など)して、文(詩など)作ったときに、

 たきゞこる事は昨日につきにしを いざをのゝえはこゝにくたさん

 (薪をきること・修業中の釈迦を念じること、は昨日で尽きたので、いざ斧の柄は、ここ小野で朽ち果てさせましょう・遊びに時を忘れましょう……多気気を伐ることは昨日で尽くしたので、いざ、をのの枝は、ここにて、朽ち果てさせましょう)。
とお詠みになられたのでしょう、これこそ、いとめでたけれ(とっても愛でたい歌だこと…懲りない心、断たぬ煩悩、とっても愛でたいことよ)。このあたりは、聞いた話になってしまったようである(小野殿に居合せたのではない)。

 
言の戯れと言の心

 「たきぎこる…薪樵る…薪をきる…釈迦を念じ修行する…多気気切る…多情を断つ」「こる…(木を)伐採する…(女の立場でいう)まぐあい折る」「木…言の心は男」「斧の柄くたす(故事)…囲碁など見ていて知らぬ間に長い時間が経っている…我を忘れて遊ぶ…をのの枝を朽ち果てさせる」「ここに…此処で…ここにて」「をののえ…斧の柄…男の身の枝」「ん…む…勧誘の意を表す…意志を表す」「めでたけれ…すぐれていることよ…喜ばしいことよ」。



 この歌、拾遺和歌集では、巻第二十「哀傷」にあって、小野殿の「花のおもしろかりければ」詠んだとある。小野殿の梅か桜(男花)を見て、男花の身の枝を朽ち果てさせるまで、お花見しましょうよと詠んだ、めでたい歌。ただし、をのの枝は朽ち果てるので、哀れで傷ましい歌。


 伝授 清原のおうな  

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。