帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(59)桜花さきにけらしもあしひきの

2016-10-31 18:27:22 | 古典

             


                        帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。
それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。

 

「古今和歌集」巻第一 春歌上59

 

歌奉れと仰せられし時によみてたてまつれる

 (貫之)

桜花さきにけらしもあしひきの 山のかひより見ゆる白雲

歌奉れと帝が仰せになられたので、詠んで奉った・歌  (貫之)

(桜花が咲いたようだ、あしひきの山の峡谷に見えている白雲よ……おとこ花が、さいたようだなあ、あの山ばの、峡より・貝より、見える、白雲よ・白々しい心のもやもやよ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「桜花…木の花…男花…おとこはな」「さき…咲き…裂き…破裂…絶え尽き」「けらし…けるらし…(咲いた)にちかいないだろう…推定する意を表す」「も…意味を強める…詠嘆の意を表す」「あしひきの…山などにかかる枕詞」「山…山ば…頂上」「かひ…峡…峡谷…峡間…言の心は女…貝…おんな」「白雲…色褪せた春情…白々しくなった色情…体言止めは余韻が有る」「白…色けなし…白々しい」「雲…心に煩わしくもわきたつもの…欲情・色欲など…広くは煩悩」。

 

桜花が咲いたにちがいない、峡谷に見える白雲よ。――歌の清げな姿。

おとこ花、さいたのだなあ、尽きないおんなのあの山ばの、貝に見える白々しい心雲よ。――心におかしきとこら。

 

題詠でも独白の歌でもない、即興の歌なので深き心はない。詠めと仰せになられたので、目に見える景色につけて、「心におかしきところ」を添えて詠んだ歌。皆の男どもが、性愛の果て方に、感じる女の心模様を詠んだのである。帝をはじめ、もののふの心を和ませただろう。悪し引き延ばしの、あの山ばの、貝のありさまよなあ、あるある()

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)


帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(58)誰しかもとめて折りつる

2016-10-29 19:59:23 | 日記

             


                         帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。
それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。

 

「古今和歌集」巻第一 春歌上58

 

折れる桜をよめる            貫之

誰しかもとめて折りつる春霞 たち隠すらむやまのさくらを

(折れた桜を詠んだと思われる・歌……折られたおとこ花を詠んだらしい・歌) つらゆき

(誰がいったい、求めて折ってしまったのか、春霞が立ちこめ、わざわざ・隠しているのだろう、山の桜を……いったいどこのどなたが、欲求して折ってしまったのか、春の情が済み、絶ち隠しているのだろう・立つこと失せたのだろう、山ばのおとこ端を)

 


  歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「だれしかも…誰なんだろうか…(いったいどこの女)だろうか」「しかも…疑問を表す語に付いて疑問の意を強める」「とめて…もとめて…求めて…欲求して」「折…夭折…逝」「つる…つ…完了した意を表す」「春霞…はるがすみ…春が済み…春の情が澄み…張るが済み」「たちかくす…立ち込め(桜花)を隠す…絶ちて(それを恥じて)隠す」「山の桜花…山ばの男はな…頂上にて逝ったおとこ端」「を…対象を示す…お…おとこ…詠嘆を表す」。

 

折れた桜の枝を見て詠んだ、「自然を大切に」のキャッチコピーのよう。――歌の清げな姿。

「わたしが見にくれば、いつも絶ち隠れるのね」「多気の女だから、手折ってでも、井へに込める、おみやげにするのよ」とか言って、おとこの身の枝折ったのは誰なのだ。――心におかしきところ。

 

景色を読んだ、清げな姿だけの歌は、古今集に一首たりともない。「人は事・業、繁きものなれば、心に思ふことを見る物、聞くものにつけて言いだせるなり(仮名序・冒頭)」とあるように、見る物に付けて、人の心を表出した歌である。公任の捉えた「心におかしきところ」が添えられてある。これが歌のさまである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)


帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(57)色も香もおなじ昔にさくらめど

2016-10-28 19:29:36 | 日記

             


                        帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。
それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。

 

「古今和歌集」巻第一 春歌上57

 

 桜の花の下にて年の老いぬる事をなげきてよめる

  紀友則

色も香もおなじ昔にさくらめど 年ふる人ぞあらたまりける

(花は・色彩も香も、昔と同じように、新たに・咲くのだろうが、齢が経る人ぞ、老い・改まることよ……女は・色情も色香も同じく、以前のようにひらくのだろうが、疾し・早過ぎる一時、経る男ぞ、変わりゆくのだなあ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「色…色彩…色情」「香…香り…匂うがごとき色艶…色香」「同じ…変わりない…盤石…常磐」「昔…いにしえ…以前」「さく…咲く…(花が)開く…(身のそで)開く」「らめど…だろうけれど(異性のことなので推量で述べた)」「ど…けれども…のに」「年ふる…年齢経過する…疾し経る…早過ぎる一時がすぎる・おとこのさが」「あらたまり…新たになって…改まり…(以前とは別物に)変わり」「ける…けり…詠嘆」。

 

花は・年毎に新たに、昔と同じく開くようだけれども、歳とる人は、変わりゆくことよ。――歌の清げな姿。

おんなは・色情も色香も常磐のようだけれども、疾し経るおとこは、別物に変わりゆくことよ。――心におかしきところ。

 

男花の下にて、初老の男の平凡な嘆き歌ようであるが、言語感を同じくすると顕れる「心におかしきところ」が添えられてあることを知る。

 

平安時代の歌論と言語観を再掲載する。

 

○紀貫之は、「歌の様」を知り「言の心」を心得る人になれば、歌が恋しくなるという。(古今集仮名序)

○藤原公任は、歌の様(表現様式)を捉えている、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしき所あるを、すぐれたりといふべし」と。優れた歌には複数の意味が有る(新撰髄脳)。

○清少納言はいう、「聞き耳異なるもの、それが・われわれの言葉である」と(枕草子)。発せられた言葉の孕む多様な意味を、あれこれの意味の中から、これと決めるのは受け手の耳である。今の人々は、国文学的解釈によって、表向きの清げな意味しか聞こえなくなっている。

○藤原俊成は「歌の言葉は・浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕われる」という(古来風躰抄)。顕れるのは、公任のいう「心におかしきところ」で、エロス(性愛・生の本能)である。俊成は「煩悩」と捉えた。

 

これらを無視した国文学の和歌解釈に警鐘を鳴らし続ける。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)

 


帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(56)見わたせば柳さくらをこきまぜて

2016-10-27 18:52:34 | 古典

             


                        帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。
それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。

 

「古今和歌集」巻第一 春歌上56

 

花盛りに京を見やりてよめる    (素性法師)

見わたせば柳さくらをこきまぜて 宮こぞ春の錦なりける

(花盛りに京を眺望して詠んだと思われる・歌……おはな盛りに絶頂を見すえて詠んだらしい・歌)

(見渡せば、柳や桜を、ごちゃ混ぜて、都は、春の錦織であることよ……見つづければ、男木咲くらを、こき、交ぜて、有頂天ぞ、春の錦・春の情の色模様、であるなあ)


 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「見わたせば…眺めれば…見つづければ」「見…眺望…覯…媾…まぐあい…みとのまぐはひ」「わたす…広く何々する…ずっと続けて何々する」「やなぎ…柳…木…木の言の心は男(松だけは例外で女)」「さくら…桜…木の花…男花…男端…おとこ…おとこ花」「こきまぜ…ごちゃ混ぜ…何もかも混ぜ(草花の色も混ぜ)…しごき取り混ぜ…放ち交ぜ」「こき…しごき…こく…体外に出す…放つ」「宮こ…都…京…山ばの頂上…極まり至った処…有頂天・この世の快楽の頂点」「ぞ…強調する意を表す」「春の錦…季節の春が織り成す色とりどりの錦織…春情がおり成す色模様」「なりける…気付き・詠嘆…なのだなあ」。

 

眺望すれば、草・木の緑に、花さき、色々ごちゃ混ぜになって、京の都は、春の織り成す錦だなあ。――歌の清げな姿。

見つづければ、男木さくらを、こき、交ぜて、有頂天ぞ、春情の色模様だなあ。――心におかしきところ。

 

花盛りの京のまちを眺め、皮肉を込めて、男どもの俗界での有頂天の色模様を詠んだらしい歌。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)

 


帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(55)見てのみや人にかたらむさくら花

2016-10-26 19:03:22 | 古典

             


                         帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。
それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。

 

「古今和歌集」巻第一 春歌上55

 

山の桜を見てよめる           素性法師

見てのみや人にかたらむさくら花 手ごとにおりて家づとにせん

(山の桜を見て詠んだと思われる・歌……山寺の桜の花見する女たちを見て詠んだらしい・歌) 素性法師

(見物しただけで人に語るのだろうか、すばらしい・桜花、皆さん・手に手に折って、家への土産にしよう……見ての身や・見た憶えある身よ、花見ただけで人に語るのだろうか、おとこ端を、手毎に折って、井へのおみやげにするのだろう)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「見…見物…覯…媾…まぐあい」「のみ…だけ…限定の意を表す…の身」「や…疑問・反語・呼びかけの意を表す」「さくら花…木の花…男花…おとこ端」「おりて…折って…逝かせて」「家づと…家へのみやげ物…いへづと…井へづと…井辺へのおみやげ」「家…言の心は女」「い…ゐ…井…言の心はおんな」「せん…せむ…するだろう…しようよ…するのだろう」「む…意志を表す…勧誘の意を表す…推量を表す」。

 

桜の花見に仲間と遠出したとき、この美しい花の土産話だけではなく、手折ってお花を家への、おみやげにしよう。――歌の清げな姿。

桜の花を見物に山寺に来た女たちに、見ただけで人に語るのかな、そうではないだろう、すばらしいおとこはな、手折って井へのおみやげにするのだろう。――心におかしきところ。

 

からかい気味に、皮肉を込めて、法師として心に思う事を表現した。多情な女たちの心を和らげながら、法師の思いが伝わるはずである。


 和歌は人の心を慰めたり、和ませたりするものである。「男女の仲をも和らげ、猛き、もののふの(武人の・ものが生い繁る)心を慰むるは歌なり(仮名序)」。「もののふ…夫…男…臣…文武百官…ものが生え繁っている…諸々の感情が渦巻く」「ふ…夫…生える」。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)