帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百五十六〕昔おぼえて不用なるもの

2011-08-30 06:06:11 | 古典

  


                  帯とけの枕草子〔百五十六〕むかしおぼえて不用なる物


 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 清少納言枕草子〔百五十六〕むかし
おぼえて不用なる物

 
文の清げな姿
 
むかし評判よくていまは不用なもの、うげん縁の畳がふしくれだっている(錦織の高級な縁の畳が擦り切れている)。唐絵の屏風が黒ずみ表面が損なわれている。絵師の目が暗くかすんでいる。七、八尺の(背丈より長い)かつら髪が赤くなっている。えび染(薄紫色)の織物、灰返り(色褪せ)している。色好みが老い衰えている。よい趣のある家の木立が焼け失せている。池などはそのままあるけれども、浮き草水草などが茂って。

 原文
 
むかしおぼえてふようなる物、うげむばしのたゝみのふしいできたる。からゑの屏風のくろみおもてそこなはれたる。ゑしのめくらき。七八尺のかつらのあかくなりたる。えびぞめのをり物、はいかへりたる。いろこのみのおいくづおれたる。おもしろきいへのこだちやけうせたる。いけなどはさながらあれど、うき草みくさなどしげりて。

 心におかしきところ
 
むかし評判よくていまは不用なもの、受けむ端の多多見が伏し出てきている。空枝の病夫、黒ずんで面が損なわれている。得しの女暗い。背丈より長い(わが愛用の)かつら髪が赤茶けている。ぶどう色の折り物、色褪せしている。色好みが感極まって気落ちしている。おも白い井辺の子立ちが情熱に焼け失せている、逝けはそのままあるが、浮きくさ見ずくさなどが繁っている。
 
 言の戯れと言の心
 
「おぼえ…覚え…受け…評判…能力についての自信」「うげむ…錦の…高級な」「はし…縁…端…身の端」「たたみ…畳…多多見」「多…多情」「見…覯…まぐあい」「唐…大きい…空…むなしい」「ゑ…絵…枝…身の枝」「屏風…病夫」「おい…老い…ものの極み…感の極み」「くづほる…体が衰える…気が滅入る」「いへ…家…女…井へ」「こだち…木立…こ立…おとこ」「いけ…池…逝け…感情が落ち窪んだところ」「うき草…浮かれ女…憂き女」「みくさ…水草…見ずという女」「見…覯…媾」「草…女」「しげりて…繁りて…盛んで」。


 この文は、主人を亡くした女房たちにとって不用なものは自分たちである。喪が明ければ去る女のうそぶき。

 
古今和歌集 巻第十六 哀傷歌 題しらず よみ人しらず
 
なき人の宿に通はば郭公 かけてねのみなくと告げなむ
 
(亡き人の宿に通うならば、ほととぎすよ、君を心にかけて、声に出して泣いていると、告げてほしい……泣きひとのや門に通うならば、且つ乞う、陰で根の身無く、泣くと告げておくれ)。
 「宿…家…やと…女」「郭公…ほととぎす…ほと伽す…且つ乞う」「かけて…心にかけて…陰で」「ねのみなく…声に出して泣く…根の実無く…根の見無く」「根…おとこ」。

 
この歌は、男を亡くした女の歌。「心におかしきところ」が添えられてある。


 伝授 清原のおうな
 聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)

 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による


帯とけの枕草子〔百五十五〕弘徽殿とは

2011-08-29 06:03:24 | 古典

  



                                  帯とけの枕草子〔百五十五〕
弘徽殿とは



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百五十五〕
弘徽殿とは

 
 弘徽殿とは、閑院の左大将(藤原公季)の娘の女御をそう申し上げる。その御方に「うちふし」という者(道隆に仕えた占い師・巫女)の娘で「左京」といってお仕えしていたのを、「源中将かたらひてなん(源中将が言い寄ってですね……源中将が片らひてねえ)」と、人々が笑う。


 宮が識の御曹司におられるときに参って、源中将・「時々は宿直もして、お仕えさせていただくべきですが、そのように女房方がもてなして下さいませんので、ひじょうに宮仕えが疎かなことになってございます。宿直所を賜りますれば、夜間の警護も・勤勉に致せましょう」と言っておられて、女房たちが、「げに(そうですね)」などと応えるので、わたしが・「まことに、人はうちふしやすむところのあるこそよけれ。さるあたりには、しげうまゐり給なるものを(ほんとうに人はうち伏し休む所があるのはいいですわね、その辺りには繁く参っていらっしゃるのですものね)」と、さしでて応えたと、「すべてものきこえじ、かた人とたのみきこゆれば、ひとのいいふるしたるさまに、とりなし給なめり(まったく、もう何も申しません。味方と信頼して申していますのに、人の言い古した様に、貴女まで・よいようにあしらっておられるようで」などと、ひどく本気でお恨みになるので、「あら、変ですわ。どんなことを申したでしょうか、そんなふうに聞き咎められるようなことは何もないでしょう」などと言う。傍らにいる女房を引き揺るがすと、「さるべきこともなきを、ほとほりいで給やうこそはあらめ(そのようなこともないのに、かっかとして熱くなられる、そのようなことがあるのでしょう……そのようなことも、京に至ることも・ないのに、ほと堀り、熱くなって・出ていらっしゃる、そのようなことはあるのでしょうよ)」といって、おおげさに笑うので、「それも彼女が言わせたのでしょう」と言って、たいそう不愉快と思っておられる。「ことさら、そのようなことを言ったり致しません。他人が悪口など言うのさえ気に入らないくらいで」と応えて、引きさがったのに、後にもなおも、人に、まろの恥となるようなことを言い付けたのだと恨んで、「殿上人が笑うだろうと思って、言ったのだろう」とおっしゃるので、「それは、一人私だけをお恨みになるべきことではありませんのに、変ですよ」と言えば、その後は、たえてやみ給にけり(絶交となっておわったのだった……左京とは絶えてお止めになられたそうよ)。


 言の戯れと言の心 
 「うち伏し…人のあだ名…ちょっと横になる…寝る」「左京…人の名…さ京…絶頂…感の極み」「かたらひてなん…語らってですね…情を交わしてですね…片らひてですね」「片ら…不完全な状態…傍ら…さ京の傍ら…絶頂(京)に至らぬところ」「ら…状態を表わす」「ひて…放って」「ほとほり…(腹立てたりして)熱くなる…ほと掘り…まぐあい」。


 「左京」には別に噂があって、その筋のご自慢の男ども(大宮人…大身や人、豊の宮人…経験豊かな見や人)が情けを交わしても、さ「京」に至らぬ先に果てるというのである。お強いという源中将も左京には「かたらひた」という噂。このような「おとこの恥となる」ことを蒸し返してやった。これは、人のうちとけ文を知らず読みした報復。

ついでながら、「左京」は女房を辞した後に、五節の舞姫の付き添い人として、内裏に舞い戻って来たのを、からかった話が「紫式部日記」に書いてある。

 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)


 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子〔百五十四〕故殿の御服のころ(その二)

2011-08-28 06:29:59 | 古典

  



                   帯とけの枕草子〔百五十四〕故殿の御服のころ (その二)



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百五十四〕ことのゝ御ふくのころ

 
 人と物いふこと(人と言葉を交わすこと…異性と情を交わすこと)を碁用語にして、親しく語らったりしたのを「手ゆるしてけり」「けちさしつ」などと言い、男は「手うけむ」などと言うことは、ふつう女の知り得ることではない。私は・この君(斉信)と心得て言うのを、「なにぞなにぞ(何だ、何だ)」と源中将は私に付きっきりで聞くけれど言わないので、彼の君に、「いみじう、猶これの給へ(ひどい、やはり、それ言ってよ)」という。恨まれてはと仲良しだから言って聞かせたという。あっけなく男女が親しくなってしまうのを「おしこぼちのほどぞ」などと言う。源中将は自分も知ったことを、どうしても知ってもらおうと、「碁盤はございますか、貴女と・まろと碁をうとうとですね思いまして。てはいかゞ、ゆるし給はんとする(手合いはいかが、お手柔らかにね……手はいかが、ゆるしてくださるでしょう・親しくしてくれますよね)、頭の中将と同じ程度の碁です。別け隔てなさらないように」と言うので、「さのみあらば、さだめなくや(それならば定めなしでね・平手で……そんな身であれば定める男なしではありませんか)」と言ったことを、彼の君(斉信)に言い知らせたら、うれしういひたり(嬉しいことを言ってくれる)と喜ばれた。やはり、過ぎ去ったことを忘れない人は、とってもすばらしい。

 
 斉信が・宰相になられたころ、主上の御前にて、「詩をとっても上手にうたわれるものを、宰相になってお見えにならなくなれば・蕭会稽之過古廟(蕭さん会稽郡の古廟をよぎれば……――)なども誰が言いだしましょうか。しばらくとは言わず久しくお側にお仕えなされればねえ、残念ですわ」と申し上げると、いみじうわらはせ給て(たいそうお笑いになられて)、
「さなんいふとてなさじかし(そう言うからと、しないよ……少納言がそう言うからと、中将を宰相にしないよ)」などと仰せられたのも、をかし(おかしい)。

 それでもおなりになられたので、ほんとうに寂しかったところ、源中将が斉信に劣らずと思って、風流ぶっているので、宰相の中将(斉信)のことを言い出して、「いまだ三十の期にをよばずという詩を、そのうえに他の人には似ずおうたいになったわよ」などというと、「どうして彼に劣ろうか、優ってうたってみせる」と言って、うたうので、「全然、似ているなんてものじゃありません」と言えば、「がっかりなことだな、どうして彼のようにうたおうか」とおっしゃるので、「三十期(三十歳の時…三十回目…三十歳の御)というところがね、すべていみじうあいぎやうづきたりし(すべて、たっぷり愛敬があったわ)」などと言うと、ねたがりてわらひありくに(くやしがって笑っているうちに)、宰相の中将が近衛の陣に着かれたのを、脇に呼び出して、少納言がこんなことを言うのだ。やはり君、教えてくれ給えとおっしゃったので、笑って教えたというのは知らなかったところ、局のもとに来て、たいそうよく似せてうたうので、おかしくて、「そこにいるのは誰です」と問うと、笑い声になって、「大事なことをお聞かせしよう。このようなことでしてね、昨日、宰相の中将が陣に着いたので問い、うたい方は聞いたのです、まずは似ていたようですね、誰ぞ、と憎からぬ様子でおたずねになったのは」というのも、わざわざ習ったというのもおかしくて、これさえうたえば、出て話などをするので、「宰相の中将の人徳を見る思い。その方に向かって拝まなければ」などと言う。局に下がっているのに、「上にいらっしゃいます」と取り次ぎに言わせるときに、この詩をうたい出せば「ほんとうはここに居ましたの」などという。宮にも、こうなのですと申し上げると、わらはせ給(お笑いになられる)。

 
 内裏の御物忌みの日、右近の将監で「みつ」何某という者を使いにして、懐紙に書いて寄越したのを見ると、「参上しようと思うのですが今日明日は物忌みで参れませんが、三十の期におよばず(三十歳の時に及ばず夭折した……三十回のちぎりに及ばず逝った……三十歳の女のお方には及びません)はいかがですか」とあったので、お返しに、「そのごは、すぎ給にたらん。朱買臣がめをゝしへけんとしにはしも(君はその年齢はお過ぎになられるのでしょう、朱買臣が妻を説得したという、年齢はですよ……君はその回数はお過ぎになられるのでしょう、朱買臣が妻を説得したという、疾しものがですよ……君のその女のお方は、お過ぎになるのでしょう、朱買臣が妻を説得した年齢・四十歳はですよ)」と書いてやったところが、また悔しがって、主上の御前でも申し上げたので、宮の御方におわたりになられて、主上、「どうしてそのような詩を、少納言は知っているのか。宣方は『三十九だったとしに、そのように朱買臣は妻を、いましめたのでしょう』といって、ひどいことを、少納言に言われたと言っていたようだが」と仰せられた。物くるほしかりける君とこそおぼえしか(宣方は何かが狂っている男だと思えたのだった)。

 
 
 和漢朗詠集 交友、
 蕭會稽之過古廟、託締異代之交。張僕射之重新才、推為忘年之友
 
(蕭さんが會稽郡の古廟に立ち寄ると、託宣あって異代と時を超えて交友をむすぶ。張さんは宰相として天子を補佐する任、それが新しい才を重んじ推挙すれば、天子は年の差を忘れ友と為す……斉信がひとたび後宮に立ち寄れば、たちまち人々と交友を結ぶ。宰相として新しい人材を重じ推挙すれば、主上は忘年の友とされる)。


 本朝文粋巻一、見二毛と題する詩の一節、
 顔回周賢者、未至三十期。潘岳晋名士、早著秋興詞
 (わが髪に白いものを見る。顔回は周の賢者、未だ三十歳に及ばず夭折した。潘岳は晋の名士、早く若年にて秋興の詩を著した……白いものを見る。周の国の堅物、未だ三十回の期に及ばず逝った。晋の国の高名なる男、早くも飽きの言葉を表した)。


 「顔回(人の名)…回数」「賢者…堅物」「三十…年齢…期の回数」「期…時を期して合うこと…ちぎりのやまばの合致…御…女の敬称」「三十歳の御…清少納言、このとき三十歳」「秋…飽き満ち足り」。


 宣方の文「……わがもの二九回も合った、三十回に及ばなかったがね、普通は早く飽き風ふく。強いだろう如何」という「うちとけ文」とみたので、うちとけてやった。「……君なら三十の期はお過ぎになられるでしょう。朱買臣が妻女を説得した、もとより疾しものがですよ」と。宣方は知らず読みしたらしい。「君はその年齢お過ぎになられるのでしょう。朱買臣が貧しさ故に去ろうとした妻を説得して、富貴に当たる五十になるまで待てと言った年齢は、その年はですよ。君の昇進栄達はまだなの」と。


 朱買臣と妻の話は前漢書にある。
 「あだ名は翁子、呉の人である。家貧しく読書を好み、生産業に励まず、いつも薪を刈り売っては食を得ていた。薪を束ねて担い、歩きながら書を読んだ。その妻もまた薪を頭に戴き伴に従っていた。買臣は、しばしばゆかなくなって(歩みを止めて)、道中、歌をうたわなくなった。朱買臣は、いよいよますます歌のやまい(疾)になった(夫唱婦随できなくなったのだ)。妻はこれを恥じ離婚を求める。買臣、笑って言う『我が年、五十になれば富貴に当たる。今、われは四十余だが、そなたの苦しむ日々は久しい、あとしばらく待ってくれ、我が富貴のときに、そなたの功に報いる」。
 笑い話と聞いて、夫婦生活で唱和することがなくなり、夫はますます唱するときが疾く(早く)なった。いま報いるべきは功にではなく女が乞う「交、覯、媾」。


 主上の仰せぶりから察しられる宣方の言いぐさは「清少納言にひどいことを言われました。君の富貴に当たる昇進栄達はいつなのさ、朱買臣の年は過ぎるのでしょうと。(たしか朱買臣は三十九歳でしたね)」。

宣方は、このように自らの昇進を訴えたのでしょう。親しくして欲しいと言うので、うちとけた言葉をかけたのに、通じていない。ひどいのは宣方、腹立ちは収まらない。報復するのは当然でしょう。それは次に語りましょう。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)


 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子〔百五十四〕故殿の御服のころ(その一)

2011-08-27 06:06:12 | 古典

  



                                          帯とけの枕草子〔百五十四〕故殿の御服の頃(その一)



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百五十四〕ことのゝ御ふくのころ


 故殿(道隆)の喪に服していた頃、六月の末日、大祓ということで、宮が内裏よりおでましになられるべき所を、職の御曹司を方角が悪いというので、官司の朝所にお渡りになられた。その夜は暑く深い闇で、ぼんやりして不安な心地で夜を明かした。明くる朝見ると、屋根の様子はたいそう平らで低く、瓦ぶきで、唐風で変わっている。普通ある格子戸などもなく、回りは御簾だけが掛けてある。かなり珍しく趣があるので、女房、庭に下りたりして遊ぶ。前栽に萱草という草を、垣根にしてたくさん植えてあった。花が鮮やかに房になって咲いている。格式ばった所の前栽にはとってもいい。時司(鼓で時を知らせる所)など間近くて、鼓の音もいつもとは似ずに聞こえるのを見たがって、若い女房たち二十人ばかり、その方に行って階段で高い屋根に上ったのを、ここより見上げれば、人がみな薄鈍色の裳(喪服用)・唐衣・同じ色の単襲・紅の袴を着て上っているのは、まったく天人とまでは言えないけれど、空より降りて来たのかなとは見える。同じ若い人でも、すすめて押し上げた人たちは、仲間入りすることができなくて、うらやましそうに見上げているのも、とってもおかしい。

 左衛門の陣まで行って、倒れんばかりにはしゃいだ女房もいたらしい。「こうはしないものである、いくらなんでも。上達部の着席される倚子などに女房たちがのぼり、官人らが用いる腰掛けをみな倒し壊したのである」などと、奇異なことに言う者もいるけれど聞き入れない。

 屋根がたいそう古くて瓦葺きだからでしょうか、暑さが例年にないほどなので、御簾の外に夜でも出て寝る。古い所なので、むかでという虫が一日中落ちかかり、蜂の巣の大きなのに蜂が付き密集しているのなどは、とっても恐ろしい。

 殿上人が毎日来て、夜も居明かして話をしているのを聞いて、「あにはかりきや、太政官の地の、いまやかうの庭とならんことを(どうして予期しただろうか、太政官の地がいま夜歩きの庭となろうとは)」とうたいだしたのは、をかしかりしか(おもしろかった)。

 
 秋になったけれど、どこにいても涼しくない風が、所柄らしい。それでもやはり虫の声などが聞こえている。宮は・八日に内裏にお帰りになられたので、七夕祭はここで、祭壇が・いつもより近く見えるのは狭いせいでしょう。
 宰相の中将斉信、宣方の中将、道方の少納言らが参上されて、女房たちが出て応対するときに、ついでもなくだしぬけに、「あすはいかなることをか(明日はどのような言を?)」と言うのに、すこしも思いめぐらして滞ることなく、「人間の四月をこそは(人間の四月を、これだね)」と斉信が応えられるのが、いみじうをかしきこそ(とってもすばらしいことよ)。

 過ぎたことでも、心得ていて言うのは誰だってすばらしいことだが、なかでも女はそのような物忘れはしないが、男はそうでもなくて、自分の詠んだ歌などさえ生覚えなのものなのに、斉信のお応えは、まことにをかし(まことにすばらしい)。内にいる人も外にいる人たちも何のことか納得できないと思うが当然である。

 この四月の一日ごろ、細殿の四の口に殿上人が大勢集まって立って居た。しだいに消えるように居なくなって、ただ、頭の中将(斉信)・源中将(宣方)・六位の者一人残って、よろずのことを話し経を読み歌を唄ったりするうちに、「夜が明けてしまった。帰ろう」と、「露はわかれの涙なるべし(露は彦星と織姫の別れの涙なのだろう……つゆはおとこの別れの涙だろう)」という詩を頭の中将が朗詠されたところ、源中将も共におもしろくうたったので、「いそぎけるたなばたかな(お急ぎの七夕だこと・まだ四月よ……せっかちな逢瀬だこと・もうお別れなの)」と言うのを、たいそう悔しがって、「ただ暁の別れの一筋を、ふと思いつくままに言って、困ったものだなあ全く、この辺りでこのようなことを、思い回すことなく言うのは、なさけないことになるな」などと言って、繰り返し笑って、人に語らないでください。必ず笑われるだろうよと言って、「あまり明るくなっては、かつらぎの神(葛城の神、容貌醜く朝になるとものの途中でも逃げ帰る神……かつら着の上・我があだ名)。今はもう、なす術なし」と言って、逃げていらっしゃったのを、七夕の折りにこの事を言いだそうかなと思ったけれど、斉信は・宰相におなりになられたので、必ずしもどうだか、その時見かけるだろうか。文を書いて殿司を使ってでも届けようなどと思ったが、七日に参られたので、とってもうれしくて、あの夜の事などを言いだせば、心得ておられるか、ただ何ということなしにふと言ったならば、いぶかしいと首かしげられるだろうか。そうしたら、そのときにこそ、四月にあったことを言おうとしていたところ、少しもとぼけることなくお応えになられたのは、まことにいみじうをかしかりき(ほんとうにとってもすばらしかった)。
 数か月の間、何時かはと思っていたのさえ、我が心ながら好き好きしいと思ったのに、どうして斉信は考えておいたようにおっしゃるのだろう。あの時、一緒に悔しがった中将(宣方)は、思いもよらずにいたので、「例の暁のことを、戒められているのだ。知らんのか」とおっしゃることに、「げに、げに(そうだ、そうだ)」と、わらひめるわろしかし(笑うようでは、よくないことよ)。

 

 男の言葉も「聞き耳」により意味の異なるもの。


 和漢朗詠集 七夕
 露応別涙珠空落 雲是残粧鬟未成
(露は別れの涙なるべし、珠は空しく落つ。雲はこれ乱れ化粧のまま、もとどり未だ成らず……つゆは別れのおの涙だろう、白たまむなしく落ちる。心雲、思いは残る、未だ乱れ髪)。


 「露…白つゆ」「涙…おとこの涙」「珠…白たま」「雲…心の雲…情欲など」「残粧…化粧の残り跡…残る思い」「粧…しょう…そう…想」「鬟未成…未だもとどり成らず…乱れ髪のまま」。


 白氏文集の一節
 人間四月芳菲尽、山寺桃花始盛開
(世の中、初夏、芳しい花、薄れ尽きる。山寺、桃の花、盛んに開き始める……ひとの間、春過ぎれば、芳しいお花、薄れ尽きる。山ばの女花は盛んに開き始める)。
 
 「人間四月…春との別れのとき…春情との別れのとき」「人間…男と女…ひと間…女の内」「芳…香りよい」「菲…薄…薄情」。


 詩のこのような「余情」を聞き取ることができると、「四月の別れの時には七夕の詩だったので、七夕には人間の四月、この詩をうたうよ」という斉信の言葉のおかしさがわかるでしょう。
 宣方は、詩の「心におかしきところ」即ち「余情」を聞く耳を持たない。残念ながら、「聞き耳」を異にしている。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)


 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子〔百五十三〕心もとなき物

2011-08-25 06:32:31 | 古典

   



                                 帯とけの枕草子〔百五十三〕心もとなき物



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子
〔百五十三〕心もとなき物


気がかりでじれったいもの、人のもとに急な物を縫わせにやって、待つ間。

物見(祭り見物)に急いで出かけて、御輿は今か今かと苦しいほど座って居て、彼方を待ちわびている心地。

子を産みそうな人がその程過ぎるまでもその気配がない。

遠い所より思う人の文を得て、堅く封している飯糊など開ける間、とってもじれったい。

 物見に遅く出かけて、御輿は・おなりになっていた、先導者の・白く細い杖など見つけたとき近くに車を寄せる間、じれったくて降りてでも行こうという心地さえする。

知られたくないと思う人が居るので、前にいる人に教えてもの言わせている。

何時だろうかと待って、生まれ出た赤ん坊が、五十日の祝い、百日の祝いになっている。行く末、たいそう気がかり。

 急な物を縫う時に、うす暗くて、針に糸通らずやり過ごす。だけど、それはそうで(若くはない、いや、うす暗いからで)、そうあるべき所(明るいところの若い人)をつかまえて、人にすげさせるのに、それも急ぐからであろうか、すぐには差し入れないので、「いで、たゞ、なすげそ(さあ、ただ工夫もなく、すげるな!……いや、ひたすら、すげなくていいよ)」と言うのを、とはいってもどうしてか通せないのはと思い顔で、そうならないじれったさに憎ささえ添えている。

何事であっても急いで或るところへに行くときに、先に我がさる所へ行くということで、「たゞいまをこせん(たった今、よこすつもりよ)」と言って出た車を待つ間だけは、とってもじれったいことよ。大路通ったのをあれだと喜んでいると他の方へ行ってしまった、まったく残念。まして、物見にでかけようとしているのに、「ことなりにけり(こと成りにけり…いいところは終わったよ)」と人が言っているのを聞くのだけは、興ざめなことよ。

 子を産んだ産後のことが長くつづく。

物見、寺詣などに、一緒でなければという人を乗せるために行ったところ、車さし寄せて、早く乗らないで待たせるのも、たいそうじれったく、うち捨てて行っやろうという心地がする。

また急いで、煎り炭(火つき良くした炭)おこすのに、久しくかかっている。

 人の歌の返し早くするべきなのに詠めない間も、じれったい。恋人などはそうも急がないだろうけれど、まれにはそういう(急がなければならない)時もある。まして女同士でも、直接言い交わす歌では、すぐにと思う間に、間抜けな歌もてでくるでしょう。

 気分が悪く、物の怪などが恐ろしいとき、夜が明けるまでの間、とっても待ち遠しく、不安。


 「心もとなき…待ち遠しい…気がかりな…はっきりしない…不安な」。


 
宮の産後の突然の訃報に、霧中に投げ出された感じ、生まれた子、われわれ女房たちの行末が「心もとなし」。その気持を直に語ることは出来ないので、比喩となるべきものの羅列で、ほんとうの気持の幾分かは伝わるでしょう。一年間このまま喪に服す。その間も枕草子は書き続けた。

枕草子を、このような文芸として、今一度読み直される日の来ることを願う。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)

 
 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による