帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (248)里はあれて人はふりにし宿なれや

2017-06-12 09:35:03 | 古典

            


                         帯と
けの古今和歌集

                        ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 248) 

 

仁和帝、親王におはしましける時、布留の滝御覧ぜむとて

おはしましける道に、遍昭が母の家に宿り給へりける時に、

庭を秋の野に作りて、御物語のついでによみて、奉りける。

僧正遍昭

里はあれて人はふりにし宿なれや 庭もまがきも秋の野らなる

仁和の帝が親王であられた時、布留の滝を御覧になられるということで、お出かけになられた道中、遍昭の母の家に宿泊なさった時に、庭を秋の野に作って、お話のついでに詠んで奉った・歌。 僧正遍昭

(古里は荒れて、人は古老の宿だなあ、庭も、まがき・竹製の粗い垣根も、秋の野良であります……さ門は荒れて、女人は老いた、や門だなあ、ものごと行われた・にはも、間餓鬼も、今や・厭きのひら野でありますよ)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「滝…言の心は女…たき…多気…気の多い女…多情な女」「宿…言の心は女…やど…やと…や門…おんな」「庭…言の心は女…には…もの事が行われるところ…おんな」「秋…飽き…厭き」「野…山ばでは無くなったところ…ひら野」。

「里…言の心は女…さと…さ門…身の門…おんな」「まがき…竹などで粗く編んだ垣…戯れて、間餓鬼、おんなの貪欲」。

 

老いた母の住む、古里と家の秋の風情。――歌の清げな姿。

老女の、さ門、や門、には、間がき、即ち、おんなと、その性(さが)も、年とともに枯れゆくことを言い出した。――心におかしきところ。

 

持続力強く常磐のように見える女の性(さが)も、歳と共に衰え、無常であることを示した歌のようである。

 

これにて、古今和歌集巻第四秋歌上は終わる。当ブログの古典和歌解釈の方法は、国文学的うわの空読みを脱却して、原点に返って、次の三人の歌論に基づいて歌を紐解いていることを改めて示す。

紀貫之、「歌の様を知り、言の心を得たらん人は」、歌が恋しくなるだろうと、仮名序の結びに述べた。(国文学は、ことの心を、事の心と読み、この一文の意味を曲解した)

藤原公任、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところある」と、優れた歌の様(表現様式)を多重の意味があると捉えた。(国文学は、この多重の意味がある和歌の表現様式を無視した)。

藤原俊成、「歌の言葉は・浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕れる」と述べた。(国文学は、浮言綺語の戯れを、掛詞や縁語という新たな別の概念で捉えたようである)。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)

  都合により、明日より、しばらくの間、新規投稿は休みます。


帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (247)月草に衣は摺らん朝つゆに

2017-06-11 19:49:58 | 古典

            


                        帯と
けの古今和歌集

                        ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 247) 

 

(題しらず)                         (よみ人しらず)

月草に衣は摺らん朝つゆに ぬれてののちはうつろひぬとも

(詠み人知らず・女の詠んだ歌として聞く)

(月草で、衣を摺り染めしましょう、朝露に濡れての後は 色褪せてしまおうとも……男と女の色情に、身も心も染まりましょう、おとこ浅つゆに濡れた後は、色情あせて衰えようとも)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「月草…染料になる草の名…名は戯れる。月人壮士と若草の妻、男と女」「月…言の心は男、万葉集に於いて既に男であることは確定的で、それ以前も月の別名は、ささらえをとこ、であった」「草…言の心は女」「衣…ころも…心身を被うもの…心身の換喩…身と心」「朝つゆ…朝露…浅汁…浅はかなおとこ白つゆ」「うつろひぬ…良くない方に変化する…色あせる…衰える…逝く」「とも…としても…たとえそうであっても」。


  万葉集巻第七「寄草」にほぼ同じ歌(1351)がある。また、次のような歌もある。

1339つき草に服色どりすらめども うつろふ色といふが苦しさ

(月草で、衣服を色彩よく染めましょう、でも、衰えやすいというのが、心配だわ……男と女で、身も心も、色情豊かに染まりましょう、でも、おとこは・色褪せゆくという、たえられない苦しさよ)。
 
この歌は、言の戯れぶりにおいて古今集の歌と同じ文脈にあると云うよりは、万葉集の歌の、表現様式と「言の心」などが、平安時代の歌合ヤ歌集の歌に、ほぼそのまま継承されてあると思われる。

 

月草を染料に衣を染めましょう、朝露に濡れた後には、色褪せるけれども。――歌の清げな姿。

男と女の色情に染まりましょう、浅いおとこ白つゆに濡れた後は、色情褪せて逝こうとも。――心におかしきところ。

 

おとこの浅はかな性(さが)を承知の上で、この男との色情に浸ろうとする大人の女の思いを、詠んだ歌のようである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (246)百草の花のひもとく秋の野に

2017-06-10 19:04:20 | 古典

            


                         帯と
けの古今和歌集

                        ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 246 

 

(題しらず)                    (よみ人しらず)

百草の花のひもとく秋の野に 思たはれむ人なとがめそ

                (詠み人知らず・女の詠んだ歌として聞く)

(多くの草の花が、ほころび開く秋の野で、思い巡らし遊び戯れましょう、なに人も咎めないでね……多くの女の端の、ひらく飽きのひら野で、思い火遊び戯れましょうよ、君、とがめないでね)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「百草…ももくさ…多くの草…草の言の心は女…多くの女…おお方の女」「花…草花…女花…女端…女の身の端」「ひもとく…花のつぼみが開く…紐解く…下紐解く…心も身もひらき親しみ合う」「秋…飽き…厭き」「野…山ばではないところ…ひら野」「思たはむれ…思ひ戯れ…思火戯れ…思いの火で遊び戯れ」「む…意志を表す」「人…人々…他人…相手の人…男…君」「なとがめそ…咎めるな…非難するな…気にするな・いやがるな」。

 

秋の花咲く野原で、行楽の一日、女たちで・遊び戯れましょう、なに人も咎めるな。――歌の清げな姿。

女のはなひらく飽き満ち足りたひら野で、思の火遊びして戯れましょうよ、君、とがめて離れ給うな。――心におかしきところ。

 

女が、飽きのひら野でなおも戯れたいと言い、たぶん精根尽きた男がとがめるのを、禁止した歌のようである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (245)みどりなるひとつ草とぞ春は見し

2017-06-09 19:18:15 | 古典

            


                        帯と
けの古今和歌集

                         ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 245) 

 

題しらず                          よみ人しらず

みどりなるひとつ草とぞ春は見し 秋はいろいろの花にぞありける

題知らず                  (詠み人知らず・女の詠んだ歌として聞く)

(新緑の一種類の草と、春は見えていた、秋は色々さまざまの草花だったことよ……うぶな一人の女として、青春は見た、飽き満ち足りは、色香豊かな、女花に、なっていることよ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「みどり…新緑…幼い…若々しい」「ひとつ草…同じ種類の草…一人の女…草の言の心は女」「ぞ…強く指示する意を表す」「春…季節の春…青春…春情」「見し…見えた…思えた」「見…覯…媾…みとのまぐあひ…まぐあい」「秋…季節の秋…飽き…飽き満ち足り」「いろいろ…色々…色彩さまざま…色気たっぷり…色情豊か」「花…草花…女花…草の言の心は女」「ありける…であったことよ…在ったことよ…なっていることよ」。

 

春、新緑の同じ種類の草と見えた、秋は、色彩豊かなさまざまな草花が咲いていることよ。――歌の清げな姿。

うぶな一途な女として、春、青春には見た、秋、飽き満ち足りは、色情豊かな女になっていたわ。――心におかしきところ。

 

女のエロス(生の本能・性愛)の経緯を、女自身が言葉にして、言い出したようである。このようは女歌は、作者がわかっていても、匿名にするのだろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (244)我のみやあはれとおもはむきりぎりす

2017-06-08 19:04:37 | 古典

            


                        帯と
けの古今和歌集

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 244) 

 

(寛平御時后宮歌合の歌)           素性法師

我のみやあはれとおもはむきりぎりす 鳴く夕かげの山となでしこ

(寛平の御時、后宮の歌合の歌)        (そせい法師・遍昭の子)

(我だけが、哀れと思うのだろうか、コオロギが鳴いている、夕日に映える、やまと撫子草……我の身か、我の見かな、憐れと思うのだろう、キリキリ締め付けるように女が泣く、ものの果て方の、山ばの途中の愛しい女よ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「われのみ…我だけ…我の身…我の見」「見…覯…媾…まぐあい」「や…疑問の意を表す」「あはれ…不憫だ…哀れ…かわいい」「きりぎりす…コオロギの古名…鳴き声はキリキリとものを締めつけ軋むように聞けば聞こえる…鳴き声や名は戯れる、胸キリキリす・此れが限りとする・キリキリとしめつける…鳴く虫の言の心は女」「夕かげ…夕影…夕日」「やまとなでしこ…大和撫子…草花の言の心は女…花の名は戯れる。山ばの途中の女・大いなる和らぎの女」。

 

秋の虫が鳴き、夕日に映えるやまと撫子草、秋の夕暮れの景色。――歌の清げな姿。

我の身、我がおとこの見方、憐れ・愛しい、と思うのだろうか、おんながきりきり締めつけ泣く、ものの果て方の、山ば途中のかわいい女。――心におかしきところ。

 

女のエロス(生の本能・性愛)の極致を、男が表現した歌のようである。

 
 
古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)