帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百七十一)(三百七十二)

2015-08-31 00:10:43 | 古典

          

 

                         帯とけの拾遺抄


 

平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。

 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

          
          
伊勢が許にこの事をとぶらひにつかはすとて         平定文

三百七十一 おもふよりいふはおろかに成りぬれば たとへていはむことのはぞなき
           
伊勢の許に、この事を・子の亡くなった事を、弔いに遣わすということで、(平定文・平中物語の色好みな主人公、古今集撰者達とほぼ同世代か)

(貴女の心痛を・思うより、それを・言うのは愚かなことになってしまうので、喩えて言うような言の葉もないことよ……御子息を・恋しいこの貴身を、亡くされた心痛お察しします、弔問を我が言えば、言うも愚かな喩になってしまうので、言う言葉もありません)

 

言の戯れと言の心

「おもふよりいふはおろか…思うことより言うは愚か…思っていることを正しく言い尽くせない…喩えて言うも喩える言葉もない」「ぬ…てしまう…完了する意を表す」

 

 

中将兼輔朝臣のめのなくなり侍りてのとし、しはすに貫之がもとにまかり

てものがたりしはべりけるついでにむかしのうへなどいひはべりて

        つらゆき

三百七十二 こふるまにとしのくれなばなき人の わかれやいとどとほくなりなん

中将兼輔朝臣が、妻の亡くなられた年の師走に、貫之の許に出掛けられて物語して居られたついでに、昔の身の上など言い交わして、(紀貫之・藤原兼輔は歌人貫之らの良き庇護者だったようである。貫之土佐国赴任中、三位中納言兼輔は亡くなられた)

恋しがっている間に年が暮れれば、亡き妻女との別れは、いよいよ、遠くなるでしょうか・時が癒してくれます…乞うままに・子振る間に、疾しが暮れれば、泣きひとの別れ、ますます遠くなるでしょうか・乞いは延長されます)

 

言の戯れと言の心

「こふる…恋ふる…乞ふる…求める…子振る」「ま…間…時間…身の間…おんな」「とし…年…疾し…早過ぎ…おとこのさが」「くれ…年の暮れ…疾しの果て」「なき人…亡き妻女…泣き人…泣く女…汝身唾流すおとこ」「いとど…いよいよ…ますます」「とほく…遠く…時間の経った過去に…延長することに」「なん…なむ…(なる)でしょう(か)」


 

両歌とも、拾遺集では、巻第二十哀傷にある。清げな姿は、弔問。上のように恋歌(乞い歌)とも聞こえる「心にをかしきところ」が添えてある。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

平安時代の言語観と歌論について述べる(以下、再掲)

 
 紀貫之は、「言の心」を心得る人は、和歌のおかしさがわかり、古今の歌を「恋ひざらめかも…恋しくならないだろうか・なるだろう」と述べた。「言の心」とは字義だけではない、この文脈で言葉の孕む全ての意味である。国文学は「事の心」として、全く別の意味に聞き取ったようである。

 清少納言は、「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(同じ言葉でも、聞く耳によって聞き取る意味が異なるもの、それが我々の言葉である)」。このように枕草子(三)に超近代的ともいえる言語観を述べているのである。枕草子に、そのような言葉を利用して「をかし」きことを数々記している。それは、和歌の方法でもある。国文学の枕草子の読み方では、皮肉なことに、この一文をも「同じ言葉でも、性別や職域の違いによって、耳に聞こえる印象が異なる」などと聞こえるようである。

藤原俊成は、「歌の言葉は、浮言(浮かれた言葉・定まりのない言葉)や、綺語(真実を隠し巧みに飾った言葉)に似た戯れであるが、其処に、歌の旨(主旨・趣旨)が顕れる」と述べた。顕れるそれは、言わば煩悩であると看破した。

 国文学が曲解し無視した、上のような言語観に立って、藤原公任の「優れた歌」の定義に従って、公任撰「拾遺抄」の歌を聞けば、歌の「清げな姿」だけでなく、「心におかしきところ」が聞こえる。歌には、今まで聞こえなかった、俊成が煩悩であるという生々しい心が顕れる。

中世に古今和歌集の「歌言葉の裏の意味と心におかしきところ」が秘伝となったのである。やがて、その相伝や、口伝も埋もれ木となってしまった。秘伝の解明が不可能ならば、それ以前に回帰すればいいのである。近世の国学と国文学は、平安時代の言語観と歌論とを無視して、全く異なる文脈にある。その人々の創り上げた和歌解釈やその方法は、根本的に間違っている。


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百六十九)(三百七十)

2015-08-29 00:35:57 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。

 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

題不知                       (読人不知)

三百六十九 すてはてんいのちをいまはたのまれよ あふべき事のこのよならねば

(題しらず)                     (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(君・捨て果てる命を、今はの際、頼りにさせてよ また・逢うことができるのは、この世ではないのだから……貴身・見捨て逝く命を、いまは、頼りにさせてよ、次に・合えるのは、あの世だからね)

 

言の戯れと言の心

「すてはてんいのちを…捨て果てむ命を…死にゆく命を…見捨てて果て逝く命お」「を…対象を示す…お…おとこ」「いまは…今は…臨終…いまはの際…井間は」「井間…おんな」「たのまれよ…頼まれよ…頼りにさせてよ…あてにさせてよ」「あふ…逢う…遇う…合う」「べき事…可能の意を表す…出来ること…予定・義務の意を表す…(あう)予定になっていること…(あは)なければならないこと」「このよ…この世…今生」

 

歌の清げな姿は、愛する夫君の臨終で、妻の恋歌。

心におかしきところは、貴身の今はの際で、あの世でも又合うつもりの井間の乞い歌。

 

 

うみたてまつりたりけるみこのかくれ侍りける又のとし

郭公をききて                  伊勢

三百七十  しでの山こえてきつらんほととぎす 恋しき人のうへかたらなむ

産み奉った皇子がお亡くなりになられた次の年、郭公の声を聞きて、(伊勢・伊勢の御息所・宇多帝に寵愛された人)

(死での山、越えて来たのでしょう、ほととぎすよ、恋しい人の身の上を語って聞かせてほしい……死出のやま、蘇って来たのでしょう、ほと伽す・且つ乞う、恋しい女人の身の上・身の下のことも、語ってほしい)、

 

言の戯れと言の心

「しでの山…死出の山…あの世への旅路は死出の山越え三途の川を渡るという」「ほととぎす…郭公…この鳥は秋にいなくなって夏にあの世から蘇って来るらしい…別名、死出のたおさ、且つ乞う、ほと伽す」「鳥…言の心は女」「恋しき人…亡くなった我が子のこと…恋しき女人」「うへ…上…身の上」「なむ…相手に希望する意を表す…してほしい」

 

歌の清げな姿は、幼くして亡くした我が子への母の愛情の表出。

心におかしきところは、よみがえり且つ乞う女人、恋しい貴女の身の上語って聞かせてほしいわ。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

平安時代の言語観と歌論について述べる(以下、再掲)


 紀貫之は、「言の心」を心得る人は、和歌のおかしさがわかり、古今の歌を「恋ひざらめかも…恋しくならないだろうか・なるだろう」と述べた。「言の心」とは字義だけではない、この文脈で言葉の孕む全ての意味である。国文学は「事の心」として、全く別の意味に聞き取ったようである。

 清少納言は、「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(同じ言葉でも、聞く耳によって聞き取る意味が異なるもの、それが我々の言葉である)」。このように枕草子(三)に超近代的ともいえる言語観を述べているのである。枕草子に、そのような言葉を利用して「をかし」きことを数々記している。それは、和歌の方法でもある。国文学の枕草子の読み方では、皮肉なことに、この一文をも「同じ言葉でも、性別や職域の違いによって、耳に聞こえる印象が異なる」などと聞こえるようである。

藤原俊成は、「歌の言葉は、浮言(浮かれた言葉・定まりのない言葉)や、綺語(真実を隠し巧みに飾った言葉)に似た戯れであるが、其処に、歌の旨(主旨・趣旨)が顕れる」と述べた。顕れるそれは、言わば煩悩であると看破した。

 国文学が曲解し無視した、上のような言語観に立って、藤原公任の「優れた歌」の定義に従って、公任撰「拾遺抄」の歌を聞けば、歌の「清げな姿」だけでなく、「心におかしきところ」が聞こえる。歌には、今まで聞こえなかった、俊成が煩悩であるという生々しい心が顕れる。

中世に古今和歌集の「歌言葉の裏の意味と心におかしきところ」が秘伝となったのである。やがて、その相伝や、口伝も埋もれ木となってしまった。秘伝の解明が不可能ならば、それ以前に回帰すればいいのである。近世の国学と国文学は、平安時代の言語観と歌論とを無視して、全く異なる文脈にある。その人々の創り上げた和歌解釈やその方法は、根本的に間違っている。


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百六十七)(三百六十八)

2015-08-28 00:20:33 | 古典

          

 

                         帯とけの拾遺抄


 

平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

題不知                       貫之

三百六十七 てるつきも影みなそこにうつるなり にたる事なき恋にも有るかな

題しらず                      紀貫之

(照る月も、影が水底に映り、水の様子によって・変わるのである、似ることのない・人それぞれの、恋であるなあ……照る月人壮士も、陰がをみなのそこに移ろうのである、似ることのない・人さまざまの、乞いであるなあ)

 

言の戯れと言の心

「てるつき…照る月…容貌など美しく輝く月人壮士…照るおとこ」「影…光…姿…形…映像…陰…おとこ」「みなそこ…水底…女のそこ」「水…言の心は女」「うつる…映る…映像は水の状態によってさまざまに見える…女の情態によって恋のかたちはさまさまとなる…移る…変化する…色衰える…果てる」「にたる事なき…類似のことのない…十人十色の」「恋…乞い…求めること」「かな…感動を表す…感嘆・詠嘆を表す」

 

歌の清げな姿は、恋歌に表れる・恋の形は十人十色である。

心におかしきところは、照る陰の移ろう有様も十人十色であるなあ。

 

公の歌集、拾遺集では、分かりやすく、「照る月も影水底にうつりけり 似たる物なきこひもするかな」とある。貫之が相手の女性によって変わる「恋…乞い」の体験を詠んだ歌と聞こえる。

 

 

善祐がながされ侍りける時ある女のいひつかはしける   読人不知

三百六十八 なくなみだよはみなうみと成りななむ おなじなぎさになみやよすると

善祐(法師)が、流された時、或る女が、言い遣わした  (よみ人知らず・女の歌として聞く)

(泣く涙、世は皆、海と成ってほしい、君がゆく・同じ渚に、波、寄せるかと……泣く汝身唾、夜にはみな海と成ってほしい、わたしが居る・同じ渚に、汝身が寄せ来るかと)

 

言の戯れと言の心

「なみだ…涙…汝身唾」「よ…世…夜」「うみ…海…言の心は女」「ななむ…強い願望を表す」「なぎさ…渚…水際…汀…身際」「なみ…波…汝身…我が身…貴身」「な…汝…親しい近しいもの」「や…疑問を表す」「よす…寄せる…心を寄せる…身を寄せる」

 

歌の清げな姿は、愛するものと引き離される憂き心の表明。

心におかしきところは、汝身に限りなく愛着する心情。

 

「ある女」とは、身分の高い人で、その女房の代作と聞く。ただし、古今和歌集 春歌上の歌、季節の春の初め(女の春情の初め)を、「雪のうちに春はきにけり 鶯のこほれる涙いまやとくらむ」と詠んだ人。「雪…白ゆき…おとこの情念」「鶯…鳥…言の心は女」と心得ればわかる、初々しくも艶なる歌を詠んだ人。

 

 公の歌集、拾遺集では、「ある女」ではなく、善祐の母の作とされてある。たとえ流人であろうとも、産みの母の海より深い情愛に変わりはない歌とする。「泣く涙世はみな海となりななん 同じ渚に流れ寄るべく」。

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

平安時代の言語観と歌論について述べる(以下、再掲)


 紀貫之は、「言の心」を心得る人は、和歌のおかしさがわかり、古今の歌を「恋ひざらめかも…恋しくならないだろうか・なるだろう」と述べた。「言の心」とは字義だけではない、この文脈で言葉の孕む全ての意味である。国文学は「事の心」として、全く別の意味に聞き取ったようである。

 清少納言は、「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(同じ言葉でも、聞く耳によって聞き取る意味が異なるもの、それが我々の言葉である)」。このように枕草子(三)に超近代的ともいえる言語観を述べているのである。枕草子に、そのような言葉を利用して「をかし」きことを数々記している。それは、和歌の方法でもある。国文学の枕草子の読み方では、皮肉なことに、この一文をも「同じ言葉でも、性別や職域の違いによって、耳に聞こえる印象が異なる」などと聞こえるようである。

藤原俊成は、「歌の言葉は、浮言(浮かれた言葉・定まりのない言葉)や、綺語(真実を隠し巧みに飾った言葉)に似た戯れであるが、其処に、歌の旨(主旨・趣旨)が顕れる」と述べた。顕れるそれは、言わば煩悩であると看破した。

 国文学が曲解し無視した、上のような言語観に立って、藤原公任の「優れた歌」の定義に従って、公任撰「拾遺抄」の歌を聞けば、歌の「清げな姿」だけでなく、「心におかしきところ」が聞こえる。歌には、今まで聞こえなかった、俊成が煩悩であるという生々しい心が顕れる。

中世に古今和歌集の「歌言葉の裏の意味と心におかしきところ」が秘伝となったのである。やがて、その相伝や、口伝も埋もれ木となってしまった。秘伝の解明が不可能ならば、それ以前に回帰すればいいのである。近世の国学と国文学は、平安時代の言語観と歌論とを無視して、全く異なる文脈にある。その人々の創り上げた和歌解釈やその方法は、根本的に間違っている。


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百六十五)(三百六十六)

2015-08-27 00:10:22 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

つきを見侍りてゐなかなるをとこをおもひいでてつかはしける 中宮内侍

三百六十五 こよひ君いかなるさとのつきをみて 宮こにたれをおもひいづらむ

月を見て、田舎に居る男を思いだして遣わした  (中宮内侍・馬内侍・円融院から一条天皇の御時まで、内侍司の女官)

(今宵、君、如何なる里の月を見て、宮こに・都に、誰を思い出しているのでしょうか……小好い貴身、どのような、さ門のつきをみて、宮この・感の極みの、誰を思い出しているのかしら・いまごろ)

 

言の戯れと言の心

「ゐなか…田舎…郊外…里…井中」「をとこ…男…高階明順のことらしい(清少納言らが郭公の声を聞きに訪れ、わらび料理を御馳走になった人)…おとこ」。

「こよひ…今宵…小好い」「君…貴身」「いかなる…如何なる…どのような…どういう」「さと…里…さ門」「さ…小…狭…早…身の門の美称」「と…門…おんな」「つき…月…月人壮士…突き…尽き」「みて…見て…体験して」「見…覯…媾…まぐあい」「宮こ…京…山ばの頂上…感の極み」「らむ…現在の事実について推量する意を表す」

 

歌の清げな姿は、里の家でどのような月見して、宮の内の誰を思い出しているのでしょう。

心におかしきところは、小好い貴身、どんな狭門のつきを見て、宮こで、垂れお、思いを、出だしているのでしょう。

 

 

京におもふ人をおき侍りてはるかなるところにまかりける道に

月のあかき夜                  読人不知

三百六十六 宮こにて見しにかわらぬ月影を なぐさめにてもあかすころかな

京に愛する妻を置いて、はるか遠い所に行く道中で、月の明るい夜 (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(都にて見たのと変わらない月影を、慰めにして、夜を明かす近頃だことよ……頂天のときに、あなたが・見たのと変わらない月人壮士の陰を、てなぐさみにでも、夜を過ごす、今日このごろだなあ)

言の戯れと言の心
「宮こ…都…京…宮の内…頂上…極まったところ…感の極み」「見…見物…覯…媾…まぐあい」「月影…月の姿…月光…月人壮士の陰…おとこ」「なぐさめ…慰め…もの思う心を晴らすこと…心を楽しませること…気を紛らすこと…手慰め」「あかす…(夜を)明かす…(夜を)過ごす」

 

歌の清げな姿は、往復に多日かかるのだろう羇旅にあって、都の妻への便り。

心におかしきところは、愛する妻へ、我がおとこの近況を報告する。


 

今の人々には「清げな姿」しか聞こえなくなっている。これらの歌の生々しい「心におかしきところ」が埋もれてしまった。
 平安時代、公任や俊成の歌論から見て、「心におかしきところ」の品に上中下はあっても、それがなければ歌ではなかった。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。
 

平安時代の言語観と歌論について述べる(以下、再掲)


 紀貫之は、「言の心」を心得る人は、和歌のおかしさがわかり、古今の歌を「恋ひざらめかも…恋しくならないだろうか・なるだろう」と述べた。「言の心」とは字義だけではない、この文脈で言葉の孕む全ての意味である。国文学は「事の心」として、全く別の意味に聞き取ったようである。

 清少納言は、「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(同じ言葉でも、聞く耳によって聞き取る意味が異なるもの、それが我々の言葉である)」。このように枕草子(三)に超近代的ともいえる言語観を述べているのである。枕草子に、そのような言葉を利用して「をかし」きことを数々記している。それは、和歌の方法でもある。国文学の枕草子の読み方では、皮肉なことに、この一文をも「同じ言葉でも、性別や職域の違いによって、耳に聞こえる印象が異なる」などと聞こえるようである。

藤原俊成は、「歌の言葉は、浮言(浮かれた言葉・定まりのない言葉)や、綺語(真実を隠し巧みに飾った言葉)に似た戯れであるが、其処に、歌の旨(主旨・趣旨)が顕れる」と述べた。顕れるそれは、言わば煩悩であると看破した。

 国文学が曲解し無視した、上のような言語観に立って、藤原公任の「優れた歌」の定義に従って、公任撰「拾遺抄」の歌を聞けば、歌の「清げな姿」だけでなく、「心におかしきところ」が聞こえる。歌には、今まで聞こえなかった、俊成が煩悩であるという生々しい心が顕れる。

中世に古今和歌集の「歌言葉の裏の意味と心におかしきところ」が秘伝となったのである。やがて、その相伝や、口伝も埋もれ木となってしまった。秘伝の解明が不可能ならば、それ以前に回帰すればいいのである。近世の国学と国文学は、平安時代の言語観と歌論とを無視して、全く異なる文脈にある。その人々の創り上げた和歌解釈やその方法は、根本的に間違っている。


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百六十三)(三百六十四)

2015-08-26 00:09:13 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄



 平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

月あかきよをんなの許につかわしける      源信明朝臣

三百六十三 恋しさはおなじ心にあらずとも こよひのつきを君見ざらめや

        月の明るい夜、女の許に遣わした (源信明朝臣・伊勢の娘の中務とは子も居る仲だったという・清原元輔とほぼ同世代の人)

(恋しさは同じ心ではないけれども、今宵の明るい月を、君も見ていないだろうか・いや見ているだろう……乞いしさは、我と・同じ心地でなくても、小好いの月人壮子を、貴女、見るつもりはないだろうか、どうだろうか)

 

言の戯れと言の心

「恋しさ…乞いしさ…求める心」「こよひ…今宵…小好い」「つきを…大空の月を…月人壮士を…おとこを…突きを…尽きを」「見ざらめや…(大空の月を)見ていないだろうか、見ているだろう…(つき人おとこを)見ないつもりか、見るだろう」「見…見物…覯…媾…まぐあい」「め…む…推量を表す…意志を表す」「や…反語の意を表す…疑いの意を表す…問いの意を表す」

 

歌の清げな姿は、貴女と心はほぼ一つだね。

心におかしきところは、小好いの、あかきつきひとをとこ、明日にでも・見る気はないだろうか。

 

詞書の、「月あかき」とは、月が明るい…おとこが赤い(もえている、元気色している)…おとこ捧げるべき価値ある(閼伽き)…おとこあがく(はやる・勇み立つ)。などと、聞こえるように聞いていい。


 

         かへし                       中務

三百六十四 さやかにも見るべき月を我はただ なみだにくもるをりぞおほかる
          
返し     (中務・古今集の女流歌人の第一人者伊勢の娘)

(明るく澄んでいるとでも、見物すべき月を、わたしは唯、君恋しくて・涙に曇る時が、多くある……明確に在ると、見るべきつきひと壮士お、わたしは、多々、貴身の・汝身唾に、曇る・苦盛る、折りぞ多くある)

 

言の戯れと言の心

「さやか…はっきりしている…鮮明である…澄んでいる」「見…見物…覯…媾…まぐあい」「べき…べし…当然の意を表す…適当の意を表す…必要の意を表す」「月…大空の月…月人壮士」「を…対象を示す…お…おとこ」「ただ…唯…只…それだけ…たた…多々」「なみだ…目の涙…嬉し涙…哀しい涙…汝身唾…貴身のなみだ」「くもる…空が曇る…心が曇る…苦盛る…めがくもる」「をり…折り…時…降り…折り伏す…逝く」「ぞ…一つの事を強く指示する意を表す」「おほかる…多くある…多々ある」

 

歌の清げな姿は、わが心は、君恋しくて、涙に曇っている時が多い。

心におかしきところは、我がめは、貴身の汝身唾で、苦盛る折りが多い。

 

贈答歌や問答歌と言うより「相聞歌」である。ほんとうの心の内を、清げなものに包んで、相手の心に聞かせ、聞き合う。第三者の、一千年隔たった、今の人の心にも、言の心を心得る人ならば直に伝わるはずである。。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

平安時代の言語観と歌論について述べる (以下、再掲)


 紀貫之は、「言の心」を心得る人は、和歌のおかしさがわかり、古今の歌を「恋ひざらめかも…恋しくならないだろうか・なるだろう」と述べた。「言の心」とは字義だけではない、この文脈で言葉の孕む全ての意味である。国文学は「事の心」として、全く別の意味に聞き取ったようである。

 清少納言は、「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(同じ言葉でも、聞く耳によって聞き取る意味が異なるもの、それが我々の言葉である)」。このように枕草子(三)に超近代的ともいえる言語観を述べているのである。枕草子に、そのような言葉を利用して「をかし」きことを数々記している。それは、和歌の方法でもある。国文学の枕草子の読み方では、皮肉なことに、この一文をも「同じ言葉でも、性別や職域の違いによって、耳に聞こえる印象が異なる」などと聞こえるようである。

藤原俊成は、「歌の言葉は、浮言(浮かれた言葉・定まりのない言葉)や、綺語(真実を隠し巧みに飾った言葉)に似た戯れであるが、其処に、歌の旨(主旨・趣旨)が顕れる」と述べた。顕れるそれは、言わば煩悩であると看破した。

 国文学が曲解し無視した、上のような言語観に立って、藤原公任の「優れた歌」の定義に従って、公任撰「拾遺抄」の歌を聞けば、歌の「清げな姿」だけでなく、「心におかしきところ」が聞こえる。歌には、今まで聞こえなかった、俊成が煩悩であるという生々しい心が顕れる。

中世に古今和歌集の「歌言葉の裏の意味と心におかしきところ」が秘伝となったのである。やがて、その相伝や、口伝も埋もれ木となってしまった。秘伝の解明が不可能ならば、それ以前に回帰すればいいのである。近世の国学と国文学は、平安時代の言語観と歌論とを無視して、全く異なる文脈にある。その人々の創り上げた和歌解釈やその方法は、根本的に間違っている。